2015-04-05(Sun)

復活の主と出会う 2015年4月5日イースター礼拝メッセージ

復活の主と出会う
中山弘隆牧師

 モーセが、「どうか、あなたの栄光をお示しください」と言うと、主は言われた。「わたしはあなたの前にすべてのわたしの善い賜物を通らせ、あなたの前に主という名を宣言する。わたしは恵もうとする者を恵み、憐れもうとする者を憐れむ。」また言われた。「あなたはわたしの顔を見ることはできない。人はわたしを見て、なお生きていることはできないからである。」更に、主は言われた。「見よ、一つの場所がわたしの傍らにある。あなたはその岩のそばに立ちなさい。わが栄光が通り過ぎるとき、わたしはあなたをその岩の裂け目に入れ、わたしが通り過ぎるまで、わたしの手であなたを覆う。わたしが手を離すとき、あなたはわたしの後ろを見るが、わたしの顔は見えない。」
出エジプト記33章18~23節


 婦人たちが行き着かないうちに、数人の番兵は都に帰り、この出来事をすべて祭司長たちに報告した。そこで、祭司長たちは長老たちと集まって相談し、兵士たちに多額の金を与えて、言った。「『弟子たちが夜中にやって来て、我々の寝ている間に死体を盗んで行った』と言いなさい。もしこのことが総督の耳に入っても、うまく総督を説得して、あなたがたには心配をかけないようにしよう。」兵士たちは金を受け取って、教えられたとおりにした。この話は、今日に至るまでユダヤ人の間に広まっている。さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」
マタイによる福音書28章11~20節


(1)イースターを迎えるに当たって
 本日、わたしたちは主イエス・キリストが人類の罪の贖いのために十字架について死なれ、三日目に復活されたイースターの日を覚えて、礼拝を守っています。
 イースターは実に人類の歴史の分水嶺と呼ぶべき偉大な出来事であります。イースターの出来事は、それ以来人類の歴史の中に、神についての無知を霊的な洞察へと、この世的な野心を真実な兄弟愛へと、死に対する不安を復活の希望へと、臆病を勇気へと変革する霊的力を注いできました。
 主イエスは十字架の死と言う恥と苦難を受けられたにもかかわらず救い主であると言うのではなく、正に十字架の死を遂げられたからこそ、人類の救い主なのです。しかし、十字架の死が現在のわたしたちを、そして未来の人たちを救う効力は、十字架について死なれた主イエスが復活して、再び死ぬことなく、永遠に生きて働いておられるからです。もし主イエスが死人の中から復活されなかったとすれば、十字架の死は空しく、主イエスは救い主ではないことになってしまいます。
 神の愛をもって人間を愛し、その教えと行動と人格を通して、強烈な感化を弟子たちに与えられた主イエスであっても、もしも復活しなかったとすれば、その影響は今日までは及ぶことはありません。たとえ何らかの影響が残っていたとしても、それはかすかな光であり、ただ人間と社会の悲惨さを浮き彫りにするだけの明るさしか残ってはいません。
 主イエスが救い主であるのは、他の多くの偉大な人物や宗教家のように、後世の人々に何らかの影響を与えているというのではなく、実に今日も生きて働いておられる生ける人格であるからです。
 今から約150年前、英国で活躍したプロテスタントの有名な伝道者で神学者であったデイルは、イースターの前夜、礼拝の説教の準備をしていたとき、部屋の中を歩きながら思索していました。突然彼は足を止め、「キリストは生きている。キリストは生きて働いている。キリストは生きている。」と叫びました。このようにして、彼は復活のキリストと出会ったのです。

(2)空虚な墓
 本日の聖書の箇所はイースターの早朝に何が起こったのかを告げています。
 「さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った。」(28:1)
 ここで安息日とはユダヤ教で言う安息日であり、土曜日のことです。そして週の初めの日とは、日曜日のことです。但し、今日キリスト教ではキリストが復活された日曜日を安息日と呼んでいます。
 二人のマリアと呼ばれている女性は、日曜日の朝まだ日が昇らない暗いうちに、イエスを慕う熱い思いから、せめてもイエスの死体のそばにいることによって、イエスを失った精神的苦痛から癒されたいと願い、墓を見に行きました。
 そのとき、彼女らの思いを根底から覆すような激震に見舞われました。激震とは地震の大きな揺れではなく、墓の中に横たえられていたイエスの死体がもうそこにはなかったという事実です。全く予想もしない出来事に出会って、彼女らは驚き、体の震いが止まらなかったのです。
 イエスの死体がもう墓の中に無いという現実は、過去との大きな断絶を意味します。自分たちがこれまで慣れ親しんでいた物事は、今直面している新しい状況には、もはや通用しないと言う驚きです。
 「天使は婦人たちに言った。『恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方は、ここにはおられない。かねて言われていた通り、復活されたのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。』(28:6)
 ここで天使は「あの方は、ここにはおられない。かねて言われていた通り、復活されたのだ。」と告げました。それはイエスが人の子はユダヤ人の指導者たちに排斥され、殺されるが、三日の後に復活することになっている、と弟子たちに繰り返して教えておられたからです(マルコ8:31)。そのイエスの言葉が本当であったことを神は天使を通して弟子たちに教えられたのです。
 ここで天使はイエスが復活されたから、墓は空虚になっているのだ、と言いました。しかし、それだけではまだイエスが今どこにおられるのかと言う問いに対する答えになっていません。それゆえ、天使は復活に関する積極的なメッセージを知らせ、次にように命じました。
 「それから、急いで行って弟子たちにこう告げなさい。『あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。』」(28:7)
 ここで天使は、イエスが復活されたという事実が分かるために、弟子たちが生けるイエスを「見る」ことを約束しました。イエスが弟子たちより先にガリラヤに行かれて、そこで待っておられるからガリラヤに行くようにと命じました。

(3)世界の主イエス
 「さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。」(28:16~17)
 この時、弟子たちはイエスを「見た」のです。しかしここで注目すべきことは、復活の主イエスを見ても「疑う者がいた」と言う点です。それはイエスの復活の身体は弟子たちがこれまで慣れ親しんでいた肉的な身体とは別種類の身体であったからです。
 しかし、それにも拘らず、弟子たちはイエスであることを認識し得たのは、復活の主イエスが弟子たちに出会い、御言葉を語られたので、弟子たちは地上におられた主イエスの人格と復活の主イエスの人格が同一であることが分かったからです。
 その同一の人格であるイエス・キリストが、今や霊的な身体をもっておられるゆえに、最早死ぬことはありません。常に生きて働く霊的現実となられました。
 それゆえ、地上の生活の中で父なる神の意志を知り、実行し、父なる神に従われたイエスは、ご自身の性質と言葉と行動を通して、父なる神をわたしたちに啓示されました。その主イエスは今やご自身の生ける人格を通して、父なる神を示してくださるのです。
 さらに一度限りの十字架の死によって人類の罪を完全に贖われたその効力が、今や復活のイエスを通して永久に働いているのです。
 それゆえ、生前のイエスは「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は死んでも生きる。」(ヨハネ11:25)と仰せになったのです。また使徒パウロは復活の主イエスが救い主であると同時に救いの根源であると言っています。「神によってあなたがたはキリスト・イエスに結ばれ、このキリストはわたしたちにとって神の知恵となり、義と聖と贖いとなられたのです。」(コリント一1:30)と言っています。
 次にイエスの復活の重要な点は、イエスの復活がイエスは神であることをはっきりと示したことです。すなわち、復活のイエスは今や神としての威光と働きを発揮されるようになったことです。
 クリスマスに誕生されたイエスが神であることは、処女降誕の奇跡が物語っていますが、それはあくまで「しるし」であり、神であることを本当に啓示したのは、イエスの復活なのです。
 従いまして、弟子たちはイエスの御前にひれ伏しました。イエスを礼拝しました。イースター以前には、弟子たちはイエスに助けを求めましたが、イエスに祈ったことはありません。イエスを先生と呼んでいましたが、イエスを主と呼ぶことはなかったのです。
 従いまして、イエスは地上で生活し、神の国の福音を宣教されましたときに、イエスの働きと人格の中で、イエスの人間性が前面に出ていましたが、それでもイエスの言葉と行為の中で、イエスが神の権威をもって働いておられることが現れていました。それゆえ、イエスは人間であり、同時に神でありました。但し、イエスの人間性が前面に出ていました。
 それとは対照的に、復活されたイエスの働きの中では、イエスが神であることが前面に出ています。この点が非常に重要なのです。
 なぜならば、十字架の死によってイエスが人間のために達成された義と聖と命は主イエスの中に保存されているのです。その義と聖と命をすべての人間に授与されるためには、人間としてではなく、神として働かれることが必要であるからです。
 正に人間として達成されたイエスの義と聖と命を他のすべての人に授与する方法は、人智を超えた神の働きによってのみ可能なのです。それゆえ、今や主イエスは神として働き、聖霊の働きを通して、ご自身の義と聖と命を与えることができるのです。

(4)主イエスの命令
 次に復活の主イエスは弟子たちに命令を与えられました。
 「イエスは近寄ってきて、言われた。『わたしは天と地の一切の権威を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子としなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことすべてを守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。』(28:18~20)
 ここで、復活の主イエスは使徒たちに福音を宣教することを命じておられます。福音の宣教とは第一に、「十字架について死んだイエスは、復活し生きて働いておられる真の人であり、同時に神としての本来の働きを開始された主である。それゆえ主イエスは全類の救い主となられた。」という神の事実を語ることです。そうすれば語られた福音を通して、復活の主イエスご自身が臨在し、福音を聴く者に信仰を与え、救いに導かれるのです。
 第二は、地上の生涯における主イエスの言葉と行動について教え、主イエスの行き方に見習い、主イエスに従うように勧めることです。
 第三は、主イエスに従うことによって、信仰者は日々自分の中に主イエスの義と聖と命が与えられ、自ら進んで主の命令を実行し、主イエスを知るようになると告げることです。
 第四は、福音を聴く人に対する勧めです。「主イエスを信じて、洗礼を受けなさい。」という勧めです。ここで洗礼を受けるということは聖霊によって、信仰者が主イエスと結びつくという神の事実なのです。

(5)人生の同伴者
 最後に、主イエスは復活し、今や天地の支配者となられたということは、わたしたちにとって、大いなる驚きと喜びです。しかし、この喜びはゆっくりと心の中心に入って来ます。最初の間は主イエスが聖書の中の人物として留まっています。
 それから次第に、主イエスの性質が分かり、主イエスが自分のすぐ近くに臨在しておられるのが分かって来ます。主イエスがこの世の何物よりも確かな現実として、実に生ける人格としてわたしたちに対面しておられるのが分かります。
 その出会いの中で、主イエスはわたしたちに御言葉を語り、それを実行するように命じておられる生ける人格であることがわかります。そしてわたしたちが主イエスの命令を実行に移し、努力しているとき、実はわたしたちが実行できるように、既にすべてが備えられているが分かるのです。
 「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」と復活の主イエスは約束しておられます。
 「あなたがたと共にいる」と主イエスは約束されました。主イエスは神として働いておられるから、この約束を実行されるのです。主イエスがわたしたち人間といつでも、どこでも、誰とでも共にいてくださるのは、神としての働きによってのみ可能なのです。復活して霊的身体を持っておられるイエスであっても、人間として働かれる限りではこのことは不可能です。それゆえ、主イエスが人智を超えた神の働きによって共にいてくださるのです。
 また「いつも」とは「すべての日々に」と言う意味です。わたしたちが過ごしています日々の中で、その一日が何をもたらすかはあらかじめ予想することはできません。信仰的な確信に満ちた日、失敗して悲しむ日、子どもの誕生が喜びをもたらす日、親しい人の死が悲しみを与える日、平和の日、戦争の日、生活が歌となる日、絶望が濃い霧のようにわたしたちを覆う日もあるでしょう。しかしこれらすべての日々に、主イエスはわたしたちと共におられるのです。
 さらに、「わたしは常に共にいる」と言うイエス・キリストの約束には、勝利の響きがあります。この言葉の響きを聞いて、初期教会のクリスチャンたちは冒険をしてきました。
 また、わたしたちもこの声に従って冒険するとき、そこに復活のキリストが共におられ、父なる神からすべての権威を委ねられた方として、わたしたちを通して働かれるのです。



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