2015-03-01(Sun)

十字架への道 2015年3月1日の礼拝メッセージ

十字架への道
中山弘隆牧師

 娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者。高ぶることなく、ろばに乗って来る。雌ろばの子であるろばに乗って。わたしはエフライムから戦車を、エルサレムから軍馬を絶つ。戦いの弓は絶たれ、諸国の民に平和が告げられる。彼の支配は海から海へ、大河から地の果てにまで及ぶ。またあなたについては、あなたと結んだ契約の血のゆえに、わたしはあなたの捕らわれ人を、水のない穴から解き放つ。
ゼカリヤ書9章9~11節

 一行がエルサレムに近づいて、オリーブ山のふもとにあるベトファゲとベタニアにさしかかったとき、イエスは二人の弟子を使いに出そうとして、言われた。「向こうの村へ行きなさい。村に入るとすぐ、まだだれも乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つかる。それをほどいて、連れて来なさい。もし、だれかが、『なぜ、そんなことをするのか』と言ったら、『主がお入り用なのです。すぐここにお返しになります』と言いなさい。」二人は、出かけて行くと、表通りの戸口に子ろばのつないであるのを見つけたので、それをほどいた。すると、そこに居合わせたある人々が、「その子ろばをほどいてどうするのか」と言った。二人が、イエスの言われたとおり話すと、許してくれた。二人が子ろばを連れてイエスのところに戻って来て、その上に自分の服をかけると、イエスはそれにお乗りになった。多くの人が自分の服を道に敷き、また、ほかの人々は野原から葉の付いた枝を切って来て道に敷いた。そして、前を行く者も後に従う者も叫んだ。「ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。我らの父ダビデの来るべき国に、祝福があるように。いと高きところにホサナ。」こうして、イエスはエルサレムに着いて、神殿の境内に入り、辺りの様子を見て回った後、もはや夕方になったので、十二人を連れてベタニアへ出て行かれた。 
マルコによる福音書11章1~11節

(1)棕梠の枝 
 本日の聖書の箇所は、主イエスが救い主として、エルサレムに入城された象徴的な行為を伝えています。
 この入城の日は教会歴の上では、通常「棕梠の主日」と呼ばれています。その由来が本日の聖書の箇所やヨハネ福音書から推測されます。マルコによる福音書11:8では、「多くの人が自分の服を道に敷き、また、他の人々は野原から葉の付いた枝を切ってきて道に敷いた。」とあります。ヨハネによる福音書12:13はその葉のついた枝を詳しく説明し、「ナツメヤシの枝を持って迎えに出た。」と言っています。救い主としてエルサレムに入城される主イエスを、大勢の群衆が手にナツメヤシの枝をもって、歓呼の声を上げながら出迎えたと説明しています。
 ところでヤツメヤシも棕梠も同じ椰子科の植物ですので、二つとも戦いの勝利を象徴するために用いられていました。それゆえ、キリスト教会は古くからそれを棕梠の枝としてきました。
 英語では棕梠のことをパームと言いますが、パームはまた「勝利」という意味があります。
 この時、主イエスは神から遣わされた者としてその使命を果たすため、不退転の決意をもってエルサレムに向かって進んで来られまたのです。その様子はマルコ10:32に記されています。
 「一行がエルサレムへ上っていく途中、イエスは先頭に立って進んで行かれた。それを見て、弟子たちは驚き、従う者たちは恐れた。」  
 この短い説明は、弟子たちがイエスの異常とも言うべき堅い決意に触れ、恐れを感じたと指摘しています。主イエスの強烈な意志と緊張感が弟子たちにストレートに伝わってきたのです。

(2)神の主権を委ねられた真の王
 イエスはこの決定的瞬間に、イスラエルの真の王として、さらに全人類の王として、エルサレムに入城されました。
 キリストとは「油注がれた者」という意味です。ヘブル語ではメシアと言います。旧約聖書では油を注がれた者は、「王」と「預言者」と「大祭司」です。
 それゆえイエスは真の意味で、神によって立てられた王と預言者と大祭司です。神の国の支配者として王であり、究極的な神の言葉を語る者として預言者であり、人類の罪の贖いのためご自身の命を献げられた方として永遠の大祭司なのです。
 しかし、イエスはご自分がキリストであるとは一度も仰せになりませんでした。その理由はユダヤ人がキリストを政治的な意味での救い主として待望していましたので、誤解を避けるためキリストの名称ではなく、非常に神秘的な響きを持っている「人の子」という名称をご自分に適用されました。
 なぜならば、旧約聖書では人の子とは正に終わりの日に神から遣わされる者で、最後の審判者であると同時に、救いをもたらす者なのです。すなわち神の「主権」を行使する者なのです。従いまして今やイエスは神の主権を委ねられた人の子として、真の王としてエルサレムに入城されたのです。
 旧約聖書の時代に、ソロモン王が即位したとき、ラバに乗ってエルサレムに入城しました。その様子は列王記上1:39~40に記されています。
 「祭司ツァドクは天幕から油の入った角を持って出て、ソロモンに油を注いだ。彼らが角笛を吹くと、民は皆、『ソロモン王、万歳』と叫んだ。民は皆、彼の後に従って上り、笛を吹き、大いに喜び祝い、その声で地は裂けた。」このとき、ソロモンはダビデ王の使っていたラバに乗って入城したのです(列王記上1:38)。
 ちょうどソロモンの即位と同じように、イエスがエルサレムに入城されたとき、過ぎ越しの祭りのために、各地から多くの巡礼者がエルサレムに集まっており、彼らがイエスを迎え、声高らかに神を賛美しました。しかし、彼らはイエスを政治的なメシアとして迎え、興奮と熱気に包まれ、次のように叫びました。
 「ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。われらの父ダビデの来るべき国に、祝福があるように。いと高きところにホサナ。」
 ここで「ホサナ」とはアラム語で、「わたしは祈ります。『救い給え。』」と言う意味です。
 ルカによる福音書によりますと、このとき群衆の中にいたファリサイ派の人々がこの民衆の熱狂的な叫びに苛立ち、イエスに警告を発しました。ルカ福音書19:39で次のように言っています。
 「すると、ファリサイ派のある人々が、群衆の中からイエスに向かって、『先生、お弟子たちを叱って下さい。』と言った。」
 しかし、これに対してイエスはお答えになりました。
 「言っておくが、もしこの人たちが黙れば、石が叫びだす。」(ルカ19:40)
 イエスのこの言葉は非常に誇張した言い方のように聞こえます。ファリサイ派の人々の要求を拒否されただけでなく、民衆の歓呼と賛美をこの場に最も相応しい態度として受け入れられたからです。もしこの人たちが沈黙すれば、「石が叫ぶ」とは何という強烈な言い方でしょうか。
 それは人間だけでなく、動物や植物や鉱物も含めた世界全体がイエスの王としての入場を喜び迎え、神を賛美していると言われたのです。それではイエスがこれほどまで仰せになったのはどうしてでしょうか。イエスはここで何を考えておられたのでしょうか。
 民衆はイエスがイスラエル民族をローマ帝国の圧制から解放する政治的なメシアであることに非常に強い期待を抱いていたのですが、イエスはこれまでご自分がそのような王であるとは一度も言われたことはありません。それにも拘らず、ここで民衆の熱狂的な歓呼の声を沈黙させるどころか、もし彼らが黙れば石が叫ぶだろう、と言われたのです。わたしたちはイエスのこの言葉をどのように理解すればよいのでしょうか。

(3)預言者的な象徴行為としての入城
 それはイエスがここで、神の国の支配者である真の王であることを、預言者的な象徴行為を通して、宣言されたのです。旧約聖書では預言者たちがしばしば象徴行動を取りました。例えば、預言者エレミヤは木で造った軛を自分の首にはめ、ユダの王の前に現れ、神殿やエルサレムの町に現れ、ユダの王と民衆がバビロンの王の軛を負うようになると預言しました。
 このよう預言者の行動は特別の意味と効力を備えています。エレミヤが軛を自分の首に掛けて、町を歩いたことは、ユダヤ民族が近い将来バビロン帝国に支配されるということを象徴しているだけでなく、その行動自体がある種の効力を持っていました。
 言い換えれば、預言者エレミヤがそのような象徴行為を取ったことにより、ユダヤ民族が近い将来バビロン帝国の支配を受けるということが、その行為と共に決定したのです。
 同様にイエスの象徴行為も、イエスが真の王としてエルサレムに入城されたという意味と効力がそこに働いているのです。
 このイエスの象徴行為によって、主イエスは真の王としての支配をこの世界にもたらされたのです。
 もしもこのような深い意味と効力がそこに存在していなければ、イエスがロバに乗ってエルサレムに入城されたということは、他の王たちの凱旋に比較しますと非常にみすぼらしい芝居でしかなかったことになります。
 エルサレムは世界的な支配者の凱旋を度々経験してきました。イエスが来られる200年前に、ギリシャのアレクサンダー大王が軍馬に跨って入城してきました。その150年後には、ローマの支配者が威風堂々と入城してきました。それらの王の姿とイエスの姿はいかに違っていたことでありましょうか。彼らは強大な軍事力と政治力と文化の力をもって、ユダヤ民族を支配し、強制的に彼らの政策に従わせようとしたのです。彼らはそのようにして自分たちの野望を満たし、そのことを誇っていたのです。
 それに対して、ロバの子に乗って入城されたイエスの姿は他の王たちの姿と異なり、真の王であるイエスの姿は何と柔和で謙遜な姿であったことでしょうか。
 ロバは柔和な方を乗せるには一番ふさわしい動物です。ロバは柔和な目つきをし、大変に温和しい動物です。そのような柔和なロバは、謙遜で柔和な王を運ぶのに最も適しています。それはゼカリヤ9:9で預言されているとおりです。
 「娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声を上げよ。見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者。高ぶることなく、ロバに乗って来る。雌ロバの子であるロバに乗って。」
 しかし、それだけではなく、重荷を背負ってとぼとぼと歩くロバの姿は、主イエスの姿を象徴しています。
 ロバは小柄で背が低く、大人が乗ると足が地に着くほどですが、体に余るほどの荷物を運ばされました。これでも大丈夫かと思われるほどの重荷にじっと耐えて、長い道をとぼとぼと歩いていくのです。それは忍耐して人に仕える姿ですが、主イエスこそ人に仕えるためにご自身のすべてを与えられた方です。
 イエスが真の王であるというのは、イエスが完全に人々に仕えられたからです。弟子たちが神の国で誰が一番偉いかと言うことについて議論していましたとき、イエスは次のように仰せられました。
 「あなたがたも知っているように、異邦人の間では、支配者と見なされている人々が民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。しかし、あなたがたの間では、そうではない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、一番上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」(マルコ10:42~45)
 実に主イエスは人に仕えることにおいて、最高の方でありました。主イエスほど徹底して人に仕え、人にご自身を与え尽くされた方は他に誰もいません。
 力ある者が他を自分に仕えさせるのは当然であると考えているこの世の基準から見れば、イエスの偉大さは全く不可解です。しかし、これが神の偉大さなのであります。

(4)主イエスの権威
 従いまして、主イエスの王としての権威はわたしたちを内側から促し高める力です。わたしたちの心の中に働きかけ、わたしたちが心から主イエスに従うことを喜び、欲するようにする内的力です。それはこの世の王たちの権威と正反対です。この世の王たちはわたしたちの外側から威圧し、強制的に従わせます。彼らの支配は高圧的で、外面的です。それはわたしたちの心に働きかけ、心からの服従を呼び起こすことは不可能です。
 真の支配とは、相手の心に対して効力を持ち、支配される者が支配する者から人格的感化を受け、その心を理解し、共鳴し、自ら進んで喜んで従うようにさせます。
 そのようにわたしたちを内側から捕らえ、内側から促す真の支配とは、わたしたちの罪を贖うためにご自身を与えられた主イエスの霊的生命の働きです。それは神の愛の働きです。
 実に、イエスは十字架においてご自身をわたしたちのために完全に与えられたことにより、真の王、真の主権者となられたのです。 わたしたちの罪を贖うために、ご自身を献げられた主イエスの死は、本人の死の後に、多くの人々に知られる力をその中に秘めているのです。正にそれは死を通して、死を越えて働く力です。それが生ける神の力なのです。神の愛とはそのような人格的、霊的生命です。
 十字架の死においてご自身を与えられた神の御子イエスは、父なる神の働きによって復活し、父なる神から天地の主権を譲渡されました(マタイ28:18)。それゆえ主イエスは神の力を持って働き、同時に聖霊を人に与える方となられました。
 今や聖霊を通して、わたしたちと出会われる方です。わたしたちの心と存在の中に働き、わたしたちを内側から新しくされる方です。
 そのような方としてわたしたちに十字架の愛を知らせられるので、十字架の愛がわたしたちの一切の行動の源泉となり、基準となり、力となるのです。
 つまり、主イエスの主権とは、わたしたちの心と存在の中心に働き、わたしたちに呼びかけ、わたしたちを神の御前へと引き出し、促し、高め、自己を超えさせる神の愛の働きなのです。人格的な道徳的な創造的な内的な力として働くのです。



スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

コメント

教会案内
〒354-0044
埼玉県入間郡三芳町北永井959-3
TEL・FAX:049-258-3766

牧 師:中山弘隆

創立日:1972年2月19日

最寄り駅
東武東上線 鶴瀬駅 西口
東武東上線 ふじみ野駅 西口
よりタクシーで10分
※駐車場完備

三芳教会へのバス利用方法

MAP
三芳教会の地図です
定例集会案内
●主日礼拝
  毎日曜日 10:30~12:00
●教会学校
  毎日曜日 9:15~9:40
●朝の祈祷会
  毎日曜日 9:45~10:10
●キリスト教入門講座
  毎日曜日 9:45~10:10
●マルタマリア会(婦人会)
  毎木曜日 10:30~
●マルタマリア会例会(婦人会)
  毎月第2主日礼拝後

毎木曜日の祈祷会は、2011年5月より、毎日曜日の朝の祈祷会に変更となりました。
三芳教会のご案内
●牧師紹介

●年間行事予定

●写真で見る三芳教会
最新記事
行事報告
● 江田めぐみ伝道師就任式
 (2012年7月22日)


● 教会バザー報告
 (2011年11月23日)


● バーベキュー大会報告
 (2011年8月21日)


● イースター報告
 (2011年4月24日)


● 柿本俊子牧師隠退の感謝会報告
 (2011年3月27日)


● 講壇交換(三羽善次牧師)
 (2011年1月23日)


● 墓前礼拝報告
 (2010年11月7日)


カテゴリ
カレンダー
06 | 2017/07 | 08
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -
月別アーカイブ
全記事INDEX

全ての記事を表示する

お知らせ
ようこそいらっしゃいました。



2016年10月に、当ブログの訪問者が9,000人を超えました。感謝いたします。

2015年9月に、当ブログの訪問者が8,000人を超えました。感謝いたします。

2014年9月に、当ブログの訪問者が7,000人を超えました。感謝いたします。

2014年1月に、当ブログの訪問者が6,000人を超えました。主の導きに感謝いたします。

閲覧者数
現在の閲覧者数
現在の閲覧者数:
メールフォーム
三芳教会やキリスト教についてのお問い合わせ、また当教会へのご意見、ご要望等がありましたら、下記のフォームよりうけたまわります。

お名前:
メールアドレス:
件名:
本文:

検索フォーム
リンク
QRコード
QR