2015-01-11(Sun)

金持ちの青年 2015年1月11日の礼拝メッセージ

金持ちの青年
中山弘隆牧師

 あなたの父母を敬え。そうすればあなたは、あなたの神、主が与えられる土地に長く生きることができる。殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。隣人に関して偽証してはならない。隣人の家を欲してはならない。隣人の妻、男女の奴隷、牛、ろばなど隣人のものを一切欲してはならない。」
出エジプト記20章12~17節


 さて、一人の男がイエスに近寄って来て言った。「先生、永遠の命を得るには、どんな善いことをすればよいのでしょうか。」イエスは言われた。「なぜ、善いことについて、わたしに尋ねるのか。善い方はおひとりである。もし命を得たいのなら、掟を守りなさい。」男が「どの掟ですか」と尋ねると、イエスは言われた。「『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、父母を敬え、また、隣人を自分のように愛しなさい。』」そこで、この青年は言った。「そういうことはみな守ってきました。まだ何か欠けているでしょうか。」イエスは言われた。「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」青年はこの言葉を聞き、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。イエスは弟子たちに言われた。「はっきり言っておく。金持ちが天の国に入るのは難しい。 重ねて言うが、金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」弟子たちはこれを聞いて非常に驚き、「それでは、だれが救われるのだろうか」と言った。イエスは彼らを見つめて、「それは人間にできることではないが、神は何でもできる」と言われた。
マタイによる福音書19章16~26節


(1)永遠の命を求める
 本日の聖書の箇所に永遠の命を求めている一人の青年が主イエスの所に来て、跪き主イエスの教えを求めたことが書いてあります。
 イエスが弟子たちを伴って、町の表通りを進んで行かれましたとき、一人の青年が走り寄り、イエスの前に跪き、「先生、永遠の命を得るためには、どんな善いことをすればよいでしょうか」と尋ねました(マタイ19:16)。
 この青年は実に見所のある青年で、自分の生きる意味を深く考え、永遠の生命を得ることを人生最大の目標にしていました。彼はそのための努力をこれまで積み重ねてきたのですが、その目標はどのようにすれば達成できるかをイエスに教えていただきたいと願ったのです。多分、イエスは単なる律法の教師ではなく、偉大な預言者であり、本当の意味で律法の意義を知おられる教師であると確信していたに違いありません。
 それゆえ、マタイによる福音書と並行記事であるマルコによる福音書10:17では「善い先生、永遠の命を受け継ぐためには、何をすればよいでしょうか。」と言って、イエスを「善い先生」と呼びかけています。この彼の態度には彼の真面目さと善良な性質が良く表されていました。
 しかし、主イエスは彼に向かて「なぜ、善いことについて、わたしに尋ねるのか。善い方はおひとりである。もし命を得たいなら、掟を守りなさい。」(マタイ19:17)と仰せられました。
 わたしたちはこのイエスの言葉に細心の注意を払う必要があります。つまり、人間にとって、「善い方」は神だけである。実に神は人間を生かす命の源であり、人間に必要な善とは「神ご自身」であると言う意味がここに込められています。ここにイエスの父なる神に対する徹底的な信頼が表明されました。
 この信頼がなくて、神の教えを理解している人に頼って、人の教えに従うようでは、永遠の命は受けられないと仰せになったのです。言い換えれば永遠の生命に至る人生を歩むことができるのは、ただ神の恵みによるのだという意味がイエスの言葉に込められています。
 同時に、イエスは神の戒めであるモーセの十戒から次の掟を採り挙げられました。「『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、奪い取るな、父母を敬え、また、隣人を自分自身のように愛しなさい。』」(マタイ19:18~19)
 ここで、イエスは十戒と神の恵みとの深い関係を示しておられます。もともと両者は不可分離なのです。
 このことはイスラエルの民に律法が与えられた時に示されています。出エジプト記20章2節で神はこのことを宣言されました。
 「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。」
 神はエジプト王ファラオの奴隷となって400年の長い間、酷使されていたイスラエルを解放し、ご自身の民とされました。それは実にアブラハムの神が人類の歴史を支配する唯一の主権者であり、恵み深い神であることをこの解放を通して示されたのです。
 ここに恵み深い主権者である神とイスラエルの関係が開始しました。そのとき神の愛と恵みに感謝して生きる生き方が、律法として神から示されたのです。従って、「律法」は「神の性質と意志」の表れなのです。
 しかし、律法を守ることが本当に神対する感謝となっているか、どうかが大きな問題でした。旧約聖書の歴史の中で、神の言葉と神の救いを語った預言者たちは、イスラエルが口先で神を感謝しているが、本当に感謝する心は皆無であると告発し、その状態こそイスラエルが罪の束縛の中にあることを現わしていると語りました。
 しかし、神は恵み深い主権者であるゆえに、イスラエルが神を本当に感謝し、律法を守ることができるために、イスラエルを罪の束縛から解放してくださると預言しました。
 それは出エジプトがイスラエルをファラオの圧制からの解放であるのに対して、第二の出エジプトはイスラエルを罪の支配からの解放であると言いました。実に、神に対する本当の感謝は、神が民の歴史の中で働かれることによってではなく、民の心に聖霊を通して働かれることによって、初めて可能になるのです。
 今や、神の御子イエスの到来により、その預言が実現する終わりの日が開始しました。それゆえ、イエスは永遠の生命は神の恵みとして人間に無償で与えられる。永遠の生命を与えられている者だけが、本当の意味で神の戒めを実行することができる、と仰せになったのです。こう言う意味で、律法を取り上げられました。
 しかし、イエスの教えと対照的に、永遠の生命を得るために、人は戒めを実行しなければならないと言うのが律法主義の教えであり、律法主義は神の恵みの性質と全く正反対です。それが律法学者やファリサイ派の人たちの生き方です。この青年も律法主義の考え方をしていて、戒めを少年時代から忠実に守ってきましたが、自分にはまだ永遠の生命が与えられていないと感じていました。
 しかしこの青年は自分の思いを正直にイエスに述べました。マルコによる福音書では、この青年に対するイエスの反応がよく示されています。イエスは青年の正直さを認め、喜ばれました。
 「イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた。」(マルコ10:21)と記されています。ここでの「慈しむ」という言葉は、「アガパオー」と言うギリシャ語の翻訳であり、「愛する」と言う意味です。それは神の愛を意味しています。
 従ってこの「イエスの眼差し」はいくつかの意味が込められています。一つは、イエスの眼差しを通して、神の愛が現れています。
 イエスは神の恵みに反抗する律法主義的な生き方をしてきた青年に憤りを感じず、むしろ深く愛しておられます。
 もう一つは、イエスの眼差しには彼を人間としてより高い水準へと引き上げようとする励ましと挑戦が込められています。
 それは人からの名誉を受け、自分の体面を繕うことだけで満足している平穏な生活から引き出し、神を信じて生きる真実な人間になろうとする冒険へと招く眼差しです。
 ところでこの青年がこれまで従ってきた律法主義を要約すれば、次のように言えます。それは人に害を及ぼさないと言う一言に尽きます。
 有名な律法学者ヒルレルについてこのような逸話があります。ある異教徒が彼のもとに来て、「もしあなたが、わたくしが片足で立っている間に律法のすべてを教えてくださるならば、わたくしはユダヤ教に改宗します。」と言いました。
 そこでヒルレルは「あなたがして欲しくないことを、人にもしてはならない。これが律法のすべてであり、あとはその説明である。あなたは行ってこのことを学びなさい。」
 多分、青年はこのような観点に立って行動して来ましたので、何のためらいもなく自分はすべての戒めを守っていますと答えたのでしょう。
 それに対して、イエスは黄金律と呼ばれている愛の戒めとして、「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である。」(マタイ7:12)と仰せられました。
 神の律法は、「あなたが人に自分のできる善を行ないなさい」と命じる神の意志です。この青年の場合に、神の律法は非常に鋭い問かけとなります。「あなたの所有する富を使用して、貧しい人々をどれだけ助けたか。貧しい人々を力づけ、励ますためにあなたの富をいかに用いたか。」と問うのです。

(2)イエスに従うことを通して
 ここで、イエスはさらに一歩を進めて、次のように仰せになりました。
 「もし完全になりたいなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に宝を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」(マタイ19:21)
 イエスはこの青年の欠乏の急所を見抜かれました。それは恵み深い主権者である神に対する信仰と理解が不足していたのです。
 彼は恵み深い神を自分本位に考えており、神の戒めを実行する者に、その報酬として地上では富を、そして神の国では永遠の命が与えられると思っていたのです。
 それに対して、イエスは恵み深い神の主権は、そのような性質のものではない。恵み深い神は信仰者が自分の全存在を神に委ね、神の意志に従う人生を生きるようにしてくださる方であると、仰せられたのです。
 要するに、「永遠の命」とは神との人格的な交わりの中で、信仰者に働く神の「霊的な現実」なのです。言い換えれば、「神の愛」が信仰者の心に働くことです。つまり、神の主権を信じる者の中に神ご自身が働かれることに他ならないのです。このことは巨万の富に勝る宝であるとイエスは仰せになったのです。
 視点を変えて言えば、永遠の生命はすでにこの地上で、イエスの中に存在し働いているのだ、と仰せになったのです。それゆえ永遠の生命に生きるために、あなたが頼りにしている地上の富をすべて貧しい人々に施し、わたしに従って来なさいと仰せられました。
 「行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に宝を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」と仰せられました。
 あなたが自分のすべてを神に献げ、「神にのみ」絶対的に寄り頼み、「わたし」に従って来るならば、あなたは恵み深い「神の主権」を体験するようになるであろう。神の主権はわたしの存在と歩みの中で開始していることが分かるであろうと言って、イエスに従うことを求められたのです。

(3)聖霊による信仰のジャンプ
 しかし、イエスの要求はこの青年の予想をはるかに超えて途方もないことのように思われ、永遠の命は所詮、自分と縁遠いもののように思われ、顔を曇らせて、イエスの許を立ち去りました。19:22節には次のように記されています。 「この青年はこの言葉に聞き、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。」
 マルコによる福音書ではこの箇所を「この青年はこの言葉を聞き、気を落としながら、悲しみながら立ち去った。」となっています。
 イエスの言葉を聞いて彼は、「気を落とした」と言うギリシャ語はもっと強い意味を持っています。それはショックを受け、恐れ、心が弱くなり、気力がなくなったと言う意味です。そして彼は悲しみながらイエスのもとを立ち去ったのです。
 この時、イエスは「財産のある者が神の国に入るのは、何と難しいことか」(マルコ10:23)と嘆かれました。イエスはこの青年を評価し、愛し、期待をかけられたのですが、結果は失望と嘆きに終わりました。
 しかしこの体験だけでなく、イエスは多くの人の思いを知っておられましたので、「だれでも、二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」(マタイ6:24)と仰せになっています。
 この富める青年が悲しみながら立ち去ったのは、イエスの人格とその思いと行動の秘密を理解することができなかったからです。なぜならばイエスの思いと行動は父なる神の思いと行動と全く一つになっている「神的な現実」でありますから、父なる神がこの青年の心に聖霊を与え、彼の心を照らされなければそれは理解できなかったからです。
 去りゆく青年を見送った弟子たちは「それでは一体だれが救われるのだろうか」と互いに語り合いました。
 このように驚く弟子たちを見つめて、イエスは断固とした態度で次のように仰せになりました。
 「人間に出来ることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ。」(マルコ10:27)、(マタイ19:26)
 人間が神の恵み深い主権を信じ、神の救いを受けると言うことは、イエスにとって、人間の色々な思いや願いに妥協し、人間が納得する福音を語ることではなかったのです。
 しかし尚、神の主権がイエスを通して完全に現れるためには、イエスが十字架の死により、人類の罪を贖い、父なる神がイエスを復活させ、天地万物の主権者とされることが必要でした。
 それゆえ今やイエスの死と復活により、「人類の罪の贖い」が実現し、神は主イエスを通して恵み深い主権を行使しておられるのです。 
 今や信仰者は聖霊が与えられて、このことが信じられるのです。 
 従って、聖霊による信仰は決して難しい信仰ではありません。それは極めて単純な信仰です。からし種一粒のような信仰です。
 その単純な信仰を持って、人は幼子のように喜んでイエスの語る神の国の福音を信じ、感謝して主イエス・キリストに従うのです。



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