2014-12-21(Sun)

我らと共にいます神 2014年12月21日クリスマス特別礼拝メッセージ

我らと共にいます神
中山弘隆牧師

 神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。神は彼らを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」
創世記1章27~28節


 イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じたとおり、妻を迎え入れ、男の子が生まれるまでマリアと関係することはなかった。そして、その子をイエスと名付けた。
マタイによる福音書1章18~25節


(1)処女降誕の奇跡
 本日は神の御子が処女マリアから人間となって誕生された人知を超えた神様の大いなる恵みを賛美し、神のこの事実をわたしたちの人生最大の喜びとするために、礼拝を守っています。
 わたしたち人間もこの世界も一切のものは神の恵みによって創造された被造物です。しかし、神様の御心に反して自分たちの思いと欲望を追求している結果、多くの争いや対立が起こり、人間社会を悲惨な状況に陥れています。
 それゆえ、わたしたちは平和と生活の安定と希望の持てる社会の実現を心から願って止みません。しかし、現実は社会の中で貧富の格差が拡大し、国家は互いに隣国また体制の異なる他の諸国家に対する不信の念と敵対心を抱き、自国を防衛するための軍備を増強し、軍事大国になろうとしています。本当はそのような政策で社会の安定と平和を保つことはできないのですが、政治家はそうすることが国を愛することであると主張し、愛国心の名のもとに世界に共通する人間性と人間の良心に反する生き方を推し進めています。
 従ってこの政策は矛盾と危険性を内蔵しており、予期せぬ様々な難題に遭遇し、挫折と失望に至ることでしょう。
 しかし考えて見ますと、わたしたち一人一人の個人的な小さな幸いを実現するためには、世界全体の状況と人間の予想可能な範囲を超えた様々な事柄と関係していると言う厳しい現実があります。その結果、わたしたちの願いを叶えてくださる方は人類の歴史の支配者である神様だけです。
 実に神様こそ恵み深い支配者でありますので、人間とその社会に対してご自身の目的と計画を持っておられるのです。
 イエスはわたしたちの思いと願いの一切をご存知でありますから、「『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。」(マタイ6:31~33)と、仰せられました。
 神はこのような方として、神の国をこの世界の中に建設するため、神の御子ご自身が真の人間となってマリアから誕生されたのです。神の国とは人間が神を知り、神に従い、自ら進んで神の御心を実行することにより、すべての人に平和と喜びと永遠の命が働く国です。 
 そのような神の国を建設するために神の御子が人間となられたのです。しかし、神の御子が人間となられたという事実は神秘です。なぜならば、マリアから生まれたイエスが真の神であり、真の人間であるからです。
 実にこの神秘はイエスが成長し、救い主としての公生涯を歩み、十字架の死によって人類の罪を贖い、父なる神がイエスを復活させ、神の右の座に着かせ、神の主権をイエスに与えられましたとき、すなわち主イエス・キリストが神の国の支配者となられたとき、初めて明瞭に示されました。言い換えれば、イエスが真の神であり、真の人間であることを弟子たちが初めて知ったのはあくまでも復活の主イエス・キリストが彼らに出会い、ご自身を示されたからです。
 それにしても、イエス誕生の神秘は神の御子がマリアから人間性をご自身の上に取り入れ、ご自身の中で「神であること」と「人間であること」を結び合わされた「永遠の行為」です。それゆえ、神の御子が処女マリアから生まれられたという「奇跡」は、この御子の永遠の行為の「印」となったのです。

(2)インマヌエル
 天使がマリアの婚約者であるダビデの末裔ヨセフに告げた内容はマタイ福音書1章20節~23節に記されています。要約しますと、「マリアから生まれる男の子は、聖霊によって宿ったのであり、その子は自分の民を罪から救う。それゆえ彼は主が預言者を通して語られた『インマヌエル』である。」と天使は告げました。
 インマヌエルとはヘブライ語で、それは「神は我々と共におられる」と言う意味で、処女マリアから誕生された「イエス」が「我らと共におられる神」であることを告白しています。
 実にインマヌエルとは全能で天地万物の主権者である神が、「罪人を愛する無限に深い愛」により、ご自身を人間に与えられた霊的な事実そのものなのです。この神の人間に対する「自己譲与」は三つの働きをしています。
 しかし神の自己譲与は決して人間が神になることではありません。そうではなく、神が人間の中に働き、人間が神に従い、神の御前で生きる霊的生命を人間に与えてくださることです。
 第一は神がイエスにおいて、人間と出会い、ご自身を示し、神の言葉を語られたと言うことです。

 この点について、ヨハネ福音書14章8~9節は次のように記しています。「フィリポが『主よ、わたしたちに御父をお示しください。そうすれば満足できます』と言うと、イエスは言われた。『フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分かっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのだ。』」
 天地万物の創造者である神は人間と世界を超えた聖なる方でありますので、神を人間の目は見ることはできません。この神と人間との本質的な違いを越えて、神の御子がイエスにおいて人間となられたことにより、わたしたちはイエスを見ることによって、神を見、神の性質を知ることが出来るのです。これは何という幸いなことでありましょうか。
 また、神はわたしたちにイエスを通して直接神の言葉を語られるのです。14章10節はそのことを記しています。
 「わたしが父の内におり、父がわたしの内におられることを、信じないのか。わたしがあなたがたに言う言葉は、自分から話しているのではない。わたしの内におられる父が、その業を行なっておられるのである。」
 このように「イエス」は神ご自身の中にある「父・子・聖霊の交わり」を持っておられる御子であるゆえに、イエスの中で父が働いておられるのです。その結果イエスは神の言葉を語られるのです。
 第二は、インマヌエルなるイエスは人類の罪を贖われたことです。マタイによる福音書1章21節はこの点を次のように記しています。
 「この子は自分の民を罪から救うからである。」
 「罪から救う」とは「人間を罪の束縛から解放する」ことでありますので、聖書ではまた「罪を贖う」とも言います。そのためイエスは人類の代理となって、人類の罪を一身に背負い、罪を裁かれる父なる神の御心に従い、十字架の死を全うされました。
 しかし、イエスの死は他方で神が御子において人間の死をご自分の上に担われた神の行為なのです。神の御子は真の人間として、人間の苦しみを知り、人間の死を体験されました。
 言い換えれば、真の人間であるイエスが死の苦しみの中で、父に対する信仰と従順を最後まで貫くために、御子はご自身の神性によって、霊的な命と力をご自身の人間性に供給し、イエスを最後まで支えたのです。それゆえイエスは苦しみの中で「父よ、わたしの霊を御手に委ねます」と言って息を引き取られるまで、父への従順を全うされたのです。その結果、人類の罪が贖われました。実に罪の贖いはイエスが神であることによってのみ可能でありました。
 イエスの十字架を仰ぎ見るとき、イエスの十字架の死は神の愛また義と混然一体となっている崇高な死です。そこに神の御子イエスの栄光が限りなく現れているのです。
 第三は、十字架の死から父なる神によって復活させられた主イエス・キリストは人間が神の命令を実行するために必要な人間の霊的生命となられたのです。
 アダムは神にかたどって創られた人間でありますので、神と同様に自分の知恵と意志と力を持っています。その意味でアダムは「生きた者」になったと聖書は言っています。しかし彼の中に霊的な命が働かなければ、所詮アダムは神に従うことが出来なかったのです。
 しかし、人類の罪を贖ない、ご自身が死の極みまで父に従われたことにより、主イエスは人間が神の命令を実行することを可能にする霊的生命となられたのです。
それゆえ主イエスは神の国の支配者として、神の言葉を語り、人間に命令を与えられる方ですが、同時にご自身の命を与え、ご自身の命令を実行させられる恵み深い支配者です。
 これは視点を変えて言えば、復活の主イエスは信じる者の中に臨在し、働かれる方なのです。それゆえに、人は主イエスと結ばれるときに神の命令を実行できるのです。
 そのようにして、わたしたち一人一人の中に主イエスが臨在して働き、ご自身が地上の人生で父への従順を全うされた歩みの足跡に、わたしたちも従い、主イエスの歩みに連ならせてくださるのです。これがわたしたち人生の最大の幸いであり、無上の喜びです。
 最後に、人間の人生が有限であることは決して嘆き悲しむ理由とはなりません。
 元々人間は神とは本質的に異なる存在であり、有限な存在です。しかし、植物が成長し、最後に実を結ぶように、人間はこの有限な人生において、永遠の命の実を結ぶのです。
 実に永遠の実を結ばせてくださる方が主イエス・キリストです。なぜならば、主がわたしたちの中で働かれるその業が、最後の日には主の足跡に従ったわたしたち自身の業と認めてくださるからです。これは何と言う有難い恵みでありましょうか。
 さらに、最後の日に主イエス・キリストが再臨され、すべての人間が復活させられるとき、この世界に対するキリストの主権の働きの中で、人間が為した業も神の意志に従った業ならば、それは永遠の実として神の国でその姿を現すのです。このことは良心的な生活をするすべての人に与えられています。このことを考えますと、これは何という広大な幸いでありましょうか。
 結局、神の救いが完成する暁には、復活したわたしたち人間と、そして有限な世界が変貌した霊的世界とにおいて、もう地上のように発展し変化することは全くありません。なぜならそれは完成した世界であるからです。それでもそこは神の命が人間の中から溢れ出て、人は神の栄光を反映させて生きるのです。
 さらに、わたしたち人間は永遠の国においても、父なる神と聖霊なる神は目で見ることはできません。主イエス・キリストを見ることにより、「わたしたちを愛される父」を知り、「わたしたちの中に与えられている聖霊の働き」を知るのです。そのようにして、わたしたちは主イエス・キリストと「共に」いるのです。
 このように永遠の国で、わたしたちは主イエス・キリストによって、神を礼拝し、神を賛美するのです。そこに神の栄光、そして感謝に溢れた人間の喜びがあるのです。

(3)今日の人間の責任
 今年もわたしは神学校時代からの友人である牧師からクリスマスカードを頂き、同封されていた文章の中で、現代の社会が未来の世代に対して持っている責任についての所感が記されていました。
 もし将来、アフリカ大陸の人たちが先進国の人たちのような生活レベルに到達すると予想すれば、世界で必要な資源は地球が幾つあっても足りなくなる。このことを考えると、今日の諸国家は経済的な成長を競うのではなく、零成長を目標に安全着陸することが急務ではないか、と記されていました。本当に経済の発展と生活レベルの向上の行き着く先は、地球環境の破壊と、またどこの国においても貧富の差が拡大することであると指摘されていました。
 しかし友人は神の恵み深い支配の中で、貧しいながらも自分に必要なものは十分に与えられていることを思うと、あれも欲しい、これも欲しいと言う気持ちを捨てて、神に従うことが何と幸いであろうかと日々思います、と書いてありました。
 人間がこの過ぎゆく世界の中で、永遠の命を受け、永遠の国に連なる実を結ぶために、神の御子は貧しい人間となられたのです。実にその貧しさの中に神の栄光が輝いております。
 このことを知って、主をわたしたちの心と存在と生活全体の中に迎え入れ、主の命を受け、主に従い、「主の業」に励みたいと思います。そうすることで、クリスチャンはこの世で逞しく生きることが出来るのです。この生き方こそ福音の証しです。
 本日の讃美歌256番は5、6節で次のように賛美しています。
  この世の栄えを 望みまさず、我らに代わりて 悩みたもう。
  尊き貧しさ 知りえしわが身は いかにたたえまつらん。
  愛する主イエスよ、 今ささぐる 一つの願いを 聞きたまえや。
  この身と心を 主のまぶねとなし、 とわに宿りたまえ。
 この作詞者はパウル・ゲルハルトですが、彼は宗教改革時代に福音的信仰に生きた人です。わたしたちも共に賛美したいと思います。



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