2014-12-14(Sun)

イエス誕生の告知 2014年12月14日の礼拝メッセージ

イエス誕生の告知
中山弘隆牧師

 ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、「驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君」と唱えられる。ダビデの王座とその王国に権威は増し、平和は絶えることがない。王国は正義と恵みの業によって、今もそしてとこしえに、立てられ支えられる。万軍の主の熱意がこれを成し遂げる。
イザヤ書9章5~6節


 ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。神にできないことは何一つない。」マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。
ルカによる福音書1章26~38節


(1)時が満ちる
 わたしたちは次週にクリスマスの礼拝をいたしますが、主イエスのご降誕は神様の救いの歴史の中の出来事であることを覚えたいと思います。そうすることによって、クリスマスの恵みが一層よく理解できます。
 自分はこれから先どうして生きて行けばよいか分からない試練の中で迎えたクリスマスのことを、今でも忘れることはできない、と言われる人たちがおられます。それらの方は辛い境遇の中で、神様が共にいてくださり、神様を一層身近に感じられることを感謝し、一日一日を過ごされた結果、試練の歳月を乗り越えることができたのです。
 このような慰めに満ちたクリスマスの恵みをわたしたちが体験するためには、クリスマスをまず神様の歴史の視点から聖書に聴き、理解することが必要です。神様は、人間をご自身との人格的な交わりの中で、霊的な生命に生かすという永遠の目的を実現するために、人類の歴史を通して働いてこられました。
 このため最初に選ばれた人がアブラハムです。神はアブラハムと出会い、御言葉をもって救い主の到来を約束されました。
 「アブラハムは祝福の源となり、地上のすべての氏族はアブラハムによって神の祝福を受ける。」(創世記12:1~3)
 この御言葉は、アブラハムが自分に現れた神を信じ、神に従う生活を続けるとき、アブラハムを通して神の祝福が諸民族に及ぶという約束でした。しかし、アブラハムは信仰の生涯における一つの峠を越えましたとき、神様の約束が一層鮮明にされました。
 それは創世記22:18に記されている神の御言葉です。
 「地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって、祝福を受ける。」
 このように神様の祝福の本当の担い手は、アブラハム自身ではなく、彼からでる一人の子孫であることが明らかになりました。
 この点で使徒パウロは一人の子孫とはキリストを指している、と言っています(ガラテヤ3:16)。
 従って、歴史を貫いて働く神様の約束の実現は、一人の信仰者の生涯だけでなく、さらにイスラエル民族を取り巻く世界の歴史の経過も必要でありました。アブラハム当時のアラブ世界がより広範なペルシャ世界へ移行する歴史の転換期に、神は預言者たちを通して、イスラエル民族だけでなく、世界の諸国民に対する救い主の到来を約束されました。これは決して神がアブラハムに与えられた約束が変わったと言うのではなく、イスラエル民族の浮き沈みをする長い歴史を経て、神の約束がいよいよ明らかになってきたのです。
 しかし救い主が到来されるためには、さらに人類の歴史の展開が必要でした。ペルシャ時代から、ギリシャ帝国時代へ、そしてローマ帝国時代へと変遷することによって、新しい世界が出現したのです。
 それはローマの支配のもとで多民族が共存し、ギリシャ語がどこにでも通用する世界です。そこに至って、選民イスラエルは自分たちだけの救い主ではなく、一つの青空のもとで多民族が共存する「エキュメニカルな世界」の救い主を待望する必要に迫られました。それゆえ、御言葉の実現には歴史の中で「時が満ちる」ことが必要なのです。
 ガラテヤの信徒への手紙4章4節で、パウロは次のように言っています。「しかし、時が満ちると、神は、その御子を女から、しかも律法の下に生まれた者としてお遣わしになりました。」
 このようにわたしたちは神の御言葉を聞くとき、人類の歴史を貫いて働いている神の計画のもとで、神の救いの時に「出会う」のです。

(2)恵まれた人
 今や時が満ちて、神の約束が実現するために、処女マリアのところに天使が現れ、神の御子の受胎を知らせました。
 「ダビデ家のヨセフという人のいいなづけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。天使は、彼女のところに来ていった。『おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。』」(1:27~28)
 ここで、聖書は天使ガブリエルが神からマリアのもとに遣わされた、と言っています。ガブリエルは旧約聖書では、神の面前で仕えている天使であると考えられていました。
 ガブリエルがマリアに現れ、神の御言葉を語りましたのは、目に見えない神の言葉と行為をビジョンによって鮮明にするためでした。
 それは神様が生ける人格として、マリアに出会い、直接御言葉を語っておられる「霊的な現実」を視覚に訴えるための手段でありました。
 旧約聖書の中では、天使がしばしば神様と区別しがたい形で、神の言葉を告げています。例えば、創世記18章16節以下で、悪徳の町ソドムを裁くために降って来られた神と二人の天使をアブラハムは見た、と書いてあります。その際、神は見える姿でアブラハムに対面し、ご自身がソドムの町に今まさに下そうとしておられる住民の罪に対する審判と町の破滅を話されました。それゆえ、アブラハムは神と対話しながら、ソドムのために執り成し祈ることができたのです。
 ここでも、神から遣わされた天使がマリアに現れ、マリアに向かって「恵まれた人」と呼びかけ、次のように言いました。
 「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」(ルカ1:28)。この挨拶に戸惑うマリアに一層詳しいメッセージが語られました。
 「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みを頂いた。あなたは身ごもって男の子を生むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人となり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」(1:30~33)
 ここで、天使はマリアにあなたは神から恵みを受けて妊娠しており、あなたは男の子を産む、と告げられたのです。そしてその子を「イエス」と名付けなさい、と命じられました。
 「イエス」とは、人間としての個人名で、「ヤーウェは救いである」という意味です。ヘブル語では「ヨシュア」と言いますが、モーセの後継者でイスラエルの民を率いて、カナンの土地を取得した指導者もヨシュアと呼ばれました。
 これは神がマリアを選んで、マリアからイスラエルと全人類の救い主である王が生まれるという知らせです。しかし、「その支配は終わることがない」と天使は告げました。従ってマリアから偉大な一人の王が生まれるという人間世界の事柄ではありません。父ダビデの王座を受け継ぐということは、単なる比喩です。
 それに対してマリアから生まれられる方は、人であり、同時に神である方なのです。その方を預言者たちは終わりの時に神のもとから到来する「メシア」として語っていました。イザヤ書9章5~6節で次のように預言されています。
 「ひとりのみどり子がわたしたちのために生まれた。一人の男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、『驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君』と唱えられる。ダビデの王座とその王国に権威は増し、平和は絶えることがない。王国は正義と恵みの業によって、今もそしてとこしえに、立てられ支えられる。万軍の主の熱意がこれを成し遂げる。」
 このように預言者イザヤは、アブラハム以来、イスラエルに約束されていた救い主の到来を預言しましたが、その内容はダビデ王の後継者では決してありません。あるいはダビデ王国を理想化したような国の到来を預言したのでもありません。そうような枠をはるかに超えた全人類を永久に支配される唯一の王であるメシアを語っているのです。
 実に、一人の男の子であり、驚くべき指導者、平和の君であると同時に、力ある神、永遠の父なのです。
 マリアは、この神のご計画があまりにも尊く、神の恵みがあまりにも大きいことを知って、恐れました。また、神の恵みを受け、神のご計画に参加するには、自分があまりにも貧しく、弱い人間であることを知って、恐れたのです。
 さらに処女である自分が妊娠することは不可能であると思ったのです。そのようなことは自分には信じられない、と考えたのです。
 マリアはこれまで、神を信じ神に従うことを一番大切にして、信仰深い敬虔な人生を歩んできました。しかし、神の御子の受胎だけは、信じることが不可能でした。
 これは逆説的に聞こえるかも知れませんが、信仰的な人ほど神の御子の受胎が自分の身に起こるということは信じられないのです。もし自分は信じるという人がいるとすれば、その人は不信仰な人です。
 それゆえ、マリアは天使ガブリエルに言いました。
 「どうして、そんなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」(1:34)
恐れ、かつ疑うマリアに対して、天使は答えました。
 「聖霊はあなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。あなたの親類のエリザベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。神にできないことは何一つない。」
 ここでは、神ご自身が天使を通してマリアに語られたのです。「神にはできないことは何一つない。」「人間にはできないが神にはできる。」このように、神ご自身がマリアに語られましたので、マリアは御言葉を信じることができました。そして、自分の信仰を言い表しました。
 「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」(1:38)
 自分は何をなすべきかが分からないままで、自分の困惑を静め、躊躇することを止め、不信仰を御言葉によって乗り越え、「神の御言葉は必ず実現する」ことをマリアは信じました。
 そして、自分のすべてを神に献げたのです。まことに、神の御子がマリアから誕生されるという人智を超えた驚くべき恵みは、マリアの信仰的応答により、人類の歴史の真ん中で実現したのです。

(3)神の御子が人間となられた神秘
 最後に、イエスの誕生の神秘は、人間と世界の創造者であり、この世界の超越者である神が人間となられたという事実にあります。
 詳しく言えば、父・子・聖霊の交わりの中に存在される唯一の神が、御子のパーソン(位格)において、マリアから人間性を取り入れ、自己のパーソンにおいて、神性と人間性を結合させられたのです。
 このことを理解するために、先ず三位一体の神を単純に説明しまと、次のように言えます。唯一の神は御自身の内にそれぞれ父、子、聖霊と呼ばれる三つの異なるパーソンを持っておられます。パーソンとは知性と意志と持ち、自己を自覚し、他のパーソンと交わる主体です。
 これらの三つのパーソンが互いの間で所有する一つの交わりにおいて、相手を完全に知り、一つの存在と一つの本質を「共有」しておられます。それが生ける唯一の神なのです。
 つまり、父は子を愛し、自己のすべてを子に与え、子は父を愛し、すべての栄光を父に帰し、自己のすべてをもって父に従われます。また聖霊は子を愛する父の働きによって、父から出て子に送られ、父を愛する子の働きにより、聖霊は再び子から出て父に帰るのです。
 このようにして、三つのパーソンの間で成り立つ一つの交わりにおいて、父が語られた神の意志が、神の言葉となった方が御子です。神の言葉を実行する力として父から出た方が聖霊です。実にその一つの交わりの中で、神の一つの意志、一つの真理、一つの行動、一つの生命、一つの愛が働いているのです。
 この父・子・聖霊の交わりの中にある御子のパーソンが自己の神としての権能を制限し、人間のレベルに降り、「人性」をマリアから取り入れ、「自己の中」で「神性」と「人性」を結合させられたことによって、「永遠の御子」は「人間」となられました。この方がイエスです。
 しかし神が人間となられたことにより、神であることを止められたのではありません。それゆえ、イエスは永遠に神であり人間なのです。
 ここで注意すべきことはイエスが人間としての知性と意志を持って生まれられましたが、イエスの自覚と主体はあくまでも御子としての自覚と主体であると言うことです。
 言い換えれば、生まれたばかりの人間である幼児の自覚は、最初から御子としての自覚の中で、芽生え、成長し、形成されて来ました。永遠に父と共にいます「御子の自覚」から離れては「人間イエスの自覚」は形成されなかったのです。この点、他の人間には絶対に有り得ないことがイエスの中に生起しました。 
 それゆえ、イエスは誕生の当初から直接的に「父・子・聖霊の交わりの中にある人間」でした。それゆえにイエスは全く罪のない人間として、しかし世の中の様々な誘惑と試練に打ち勝ちながら、自己を形成されたのです。
 そのようにして、神を完全に知り、神に完全に従い、人類を罪から贖う使命を全うする生涯を真っ直ぐに歩まれました。
 その結果、今やイエス・キリストは天地の恵み深い主権者となられたのです。それゆえ、地上の生涯を歩まれたイエス・キリストも、復活者イエス・キリストも真の神が真の人間となられた方であり、真の人間であり、真の神なのです。
 実に人間は主イエス・キリストを通して神と出会い、神を礼拝し、葡萄の枝が幹に連なっているようにわたしたちはキリストに結ばれて、神の愛と霊的生命を受けて、神に従う人生を歩むのです。



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