2014-10-26(Sun)

福音の力 2014年10月26日 宗教改革記念日礼拝メッセージ

福音の力
中山弘隆牧師

 主はアブラムに言われた。「あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、わたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める。祝福の源となるように。あなたを祝福する人をわたしは祝福し、あなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべて、あなたによって祝福に入る。」
創世記12章1~3節


 わたしは福音を恥としない。福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。福音には、神の義が啓示されていますが、それは、初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです。「正しい者は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。
ローマ人への手紙1章16~17節


(1)宗教改革記念日
 今週は教会歴の上で宗教改革日であります10月31日を迎えますので、本日の礼拝は宗教改革記念礼拝として行います。
 今年は宗教改革の端緒から数えますと既に497年、約500年も長い年月が経っていますので、当時の細かい記憶は次第に薄れてしまうかもしれませんが、宗教改革の中心とその本質は決して忘れられることはありません。
 それはキリスト教会が神を礼拝し、神の救いを受け、神に従うことによって、アダムの子孫としての生まれながらの人間の命ではなく、神の霊的な命に生かされる信仰共同体であるために最も必要な事柄を明らかにしているからです。言い換えれば、それは主イエス・キリストの福音の再発見であると言えます。
 宗教改革の始まりは西暦1517年10月31日にカトリック教会の修道士であったマルティン・ルターがドイツのヴィッテンベルグの城教会の扉に免罪符に関して95カ条の論題を提示したことです。そのため世界のプロテスタント諸教会はこの日をプロテスタント教会の「誕生日」として祝う礼拝を毎年行っています。
 ところで免罪符は、プロテスタントによる宗教改革に対抗して、カトリック教会でも改革がなされた結果廃止されました。しかし、カトリック教会は人が死ぬとき、功徳の足りない人は天国に入るためには煉獄で罪から清められなければならないという教理があります。他方、多くの聖人達は自分が天国に入るに必要な分量以上の功徳を積んだので、彼らの余剰功徳がカトリック教会の宝となっており、ローマ法王は彼らの功徳を煉獄で苦しんでいる人に分け与えることができるという教理を持っています。
 そもそも聖人の功徳はその性質上、決して売り買いの対象とならないのに、それを買った人の親兄弟は罪から清められ、煉獄から天国へ移されると宣伝し、免罪符の販売を行いました。それは当時ペトロ大聖堂の建築資金として免罪符を販売したのでしょうが、それにしてもカトリック教会の堕落を如実に示したのです。
 しかし、ルターの関心は救いを求めて苦闘し、聖書の研究により福音を再発見して、魂の救いを与えられたことにより、福音主義的信仰と生活を教会の礼拝と教えの中で形成することでした。
 また彼は忠実なカトリック教会の修道士でありましたから、最初はカトリック教会から分離することを少しも考えておらず、神の救いをカトリック教会の中で、「現実化」することを重視していました。

(2)自分の救いを求めて
 ルターが福音を再発見する前に、苦闘の期間が約4年続きました。しかし彼が修道院に入るようになった経緯も含めますと9年ぐらいになります。彼はライップニッツ大学で文学修士号を取得しました。今日では哲学博士号に匹敵すると言われています。当時彼は前途有望な22歳の青年でした。
 彼はもともと敬虔深いローマ・カトリック教会の信者でありましたので、神と救い主イエス・キリストを信じており、自分がどのような状態になっても神の支配の御手の中にあると信じていました。 
 しかし彼の魂、言い換えれば彼の存在の中心である彼の心、或いは彼の人格が神から遠く離れ、神の怒りの対象となっているという恐れと不安があり、このまま進んで行けば破滅に至ると思いました。
 そのような時期に、たまたま彼が友人と共にいたとき雷が近づき、友人は落雷によって彼の傍で即死しました。それから僅かな日の後に再びルターは雷鳴の轟く嵐に出会い、恐怖のあまり、地にひれ伏して、聖アンナに向かって叫びました。「助けて下さい、親愛なる聖アンナ様、わたしは修道士になります」と誓いました。そして自分の救いを求めて、予てから考えていたエルフルトにあるアウグスチヌス会の修道院に入ったのです。
最初は修道士になる前のテスト期間を過ごし、そこで二年間神学を学び、24歳のとき司祭になりました。翌年ヴィッテンベルグ大学に移され、そこで4年して神学博士号を取得し、神学と聖書を教える地位に就きました。その時彼は29歳でした。
 特にこの前後の4年間は魂の救いを求めて、修道士として要求される仕事と聖務を熱心に果たし、告解(懺悔)を受け、罪の償いのために課せられた仕事を誠実に果たしましたが、それでも彼は魂の救いを得なかったのです。
 他方、聖書の研究を続け、また教父アウグスチヌスの著作の研究を通して感化を受け、さらに先輩である高齢の司祭ヨハン・シュタウピッツのアドバイスを受け、彼の考えが次第に明確になって来ました。
 ついにローマの信徒への手紙1章18節の御言葉がこれまでカトリック教会が教えていた解釈とは全く異なる意味を持っていることが分かり、使徒たちが宣教した福音を再発見したのです。
 ルターはこれまで神は自分に正しい業を要求される方であるから、自分で正しい業を行ない、功徳を積もうと努力していたのですが、魂は平安を得られなかったのです。それは神の義に対する大いなる誤解によるのです。
 確かに神の義は「人間の罪を裁く」正しさでありますが、「神の裁きの目的」はそれによって人間の罪を取り除き、人間を正しい者とすることです。この神の目的はルターにとって全く思いも及ばない事柄でした。
 しかしそのような目的を持つ神の裁きは、罪人を単に破滅させるだけでは意味がないのです。人を殺すだけでは罪を取り除き、罪人を根底から正しい人間にする「人間の義」を「創造する」ことはできません。
 それゆえ、神が備えられた唯一の方法は神の御子イエスが全人類と連帯化し、その代表となり、全人類の罪を一身に背負い、罪の全くない御子イエスを神が裁き、有罪とし、処刑することでした。
 そのことによって、罪を裁く「神の義」が完全に執行され、他方御子イエスはこの神の義に対して完全に従順であることによって、「人間のための義」が創造されたのです。
 このようにして神が「人間のための義」を創設してくださったので、聖書はその義を「神の義」と呼んでいます。実に、人間が救われる「必要十分条件」は神が人間のために実現してくださった「神の義」です。そのために神は御子を人間に与え、御子において神ご自身で実現してくださいました。
 それゆえ、神の義は「罪人を愛する」神の「最大の行為」であり、純然たる「神の恵み」です。
 そのようにして神は人間のために御子イエスにおいて義を創造し、その義を人間に譲与されるのです。従って、神の義を人間が「受領する」唯一の手段は「信仰」です。
 全く純粋な恵みである神の義は主イエスを信じることによってのみ与えられます。
 この福音の核心をローマの信徒への手紙3章21~26節がはっきりと語っています。要約すれば御子イエスの十字架の死において、神は「御自身が正しい方」であること、言い換えれば、神は「真理であるご自身の意志」を最後まで「貫徹される方」であることを示し、同時に御子イエスを信じる者に「神の義を与えられる方」であることを示されました。さらに神は御子イエスを「信じる者を義とする」ことを決意し、「決定」されました。この神の行為と決定を福音が啓示しているのです。
 ルターは福音の言葉を通して、神ご自身がルターに直接語られたことを体験しましたので、神の事実と神の決定に従い、彼は直ちに主イエスを信じました。すると信仰を通してルターの魂は救われたのです。彼は神から自分が受け入れられ、神との正しい関係の中で神の御前に生きる「神の子」とされたのです。
 罪人を救う神の言葉である福音は、それゆえ十字架の言葉であり、復活の言葉です。福音の最も簡潔な表現は、「キリストが、聖書で預言されているとおり、わたしたちの罪のために死んだこと、また聖書で預言されているとおり、三日目に復活したこと」(コリントの信徒への手紙15:3~4)です。
 ルターは福音の言葉が語っているこの「神の事実」、「神の行為」、「神の決定」を信じたので、自分が神から完全に受け入れられ、神との平和な関係に入れられました。
 その結果、神に喜ばれ、神からすべての恵みを受けて神に従うことのできる「神の子」、正確に言えば「神の養子」にされたことを知りました。そして神を「父よ」と呼び、祈る「御子イエスの霊」が与えられたのです。
 そのとき彼は天国の門が開かれ、自分が天に上っていくように思ったと、その感激を言い表しています。これはいわゆるヴィッテンベルグ大学の「タワーでの経験」と呼ばれていますが、その正確な時期は今日では分かりません。多分1514年であったであろうと見られています。
 そのようにして、彼は「使徒たちの宣教」した福音が次の内容を持っていることを再発見しました。
 要約すれば、それは『今日も生けるキリストと彼の誕生から十字架の死に至るまでのキリストの業と死人の中からの復活』が神の御前に通用する「人間の義」を「設立した」こと、同時にキリストの義が信じる者に与えられることによって「人は救われる」ということです。これが「信仰義認」であり、信仰義認は永久に変わらない救いの基礎であることを福音がルターに啓示したのです。
 1518年に彼は「二種類の義」という題で説教をしています。
 一つの義とは自己の行いによる自己の正しさであり、その義は神の御前に通用せず、自己の正しさを主張する者は神の救いを受けることはできない。神から離れ、滅亡に向かって行くと言っています。
 他方の義はキリストが罪人のために達成してくださった「キリストの義」であり、そのキリストの義は罪人に無償で提供されている「神の義」であるゆえに、それはまた「神の恵み」であると言っています。
 さらに同じ1518年にルターは彼の「十字架の神学」を著作し、「信仰のみ」、「恵みのみ」、「聖書のみ」を標榜して、信じる者を救う福音の力を明らかにしました。

(3)神の義とそれを受領する信仰
 「わたしは福音を恥としない。福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシャ人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。」(ローマ1:16)
 ここで使徒パウロは福音こそ、万民を救う「神の力」であると宣言しています。従いまして、聖書の神を信じているユダヤ人もそれだけでは救われていないのであり、福音によって救われるのです。また異教徒あるいは無神論者でも、福音によって救われるのです。福音こそ人を差別せず、すべての人に救いを与える神の言葉です。
 「福音には、神の義が啓示されていますが、それは、初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです。」(ローマ1:18)
 福音が救いを与える神の力である理由は、福音によって神の義が「啓示」されているからです。この重要な啓示という聖書の専門用語は、神様が人間の心に直接語り、示してくださることを意味しています。神の義とは「神の正しさ」であると同時に「人間に与えられる神の正しさ」であります。その正しさを受ける唯一の手段が「信仰」なのです。
 特に信仰は神が与えて下さる神の義を「単純」に信じることです。そして神ご自身がわたしたちの救いのために、すべてのことを為してくださったことに信頼し、自分を丸ごと神に委ねることです。
 その意味では「急進的」な信頼です。しかしあくまで単純な信仰でありますから、誰でも容易に信じられます。正に信仰こそ、実は人間の業ではなく、神が聖霊によってわたしたちの心に引き起こされる信仰なのです。
 この信仰により、神の義を受けて神との正しい関係に入れられるのです。
 しかし神の義が人間に与えられるということは、確かに「信仰義認」がその基礎でが、「神の義」とはそれだけでなく、人間を救う神の働きの「総体」なのです。
 従って神の義を受けた信仰者は神の子とされ、良い木が良い実を結ぶように愛を実行し、善い業を実行します。これはクリスチャンが聖化されて行く過程です。しかし、良い実が木を良くするのではありません。要するに人間に与えられた神の義によってクリスチャンは良い業を実行するのです。
 さらに最後に信仰者は復活させられ、完全に聖なる者となって永遠の国に入のです。「これらすべて」が人間に与えられた神の義の働きです。
 極言すれば神の義=神の救いです。パウロはその神の義の働きを、ローマの信徒への手紙全体で解説し、キリストの福音を弁明しています。しかし、そのような神の義の働きの土台は信仰義認です。従って神の義は信仰から信仰に至るのです。
 最後に、神の救いは神様ご自身の働きによるのですから、それがどのようにして働くかは人間の目には見えないし、人間には分からない神秘です。人間は分からなくてよいのです。それでも信じる者には神の救いは確かです。なぜなら救いは人間を神の子となし、神の喜ばれる良い業を行わせる「霊的生命に溢れた現実」です。それが神の義の「啓示」なのです。



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