2014-10-12(Sun)

イエスの確信 2014年10月12日の礼拝メッセージ

イエスの確信
中山弘隆牧師

 闇の中を歩む民は、大いなる光を見、死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。あなたは深い喜びと、大きな楽しみをお与えになり、人々は御前に喜び祝った。刈り入れの時を祝うように、戦利品を分け合って楽しむように。
イザヤ書9章1~2節


 また、イエスは言われた。「神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実ができる。実が熟すと、早速、鎌を入れる。収穫の時が来たからである。」更に、イエスは言われた。「神の国を何にたとえようか。どのようなたとえで示そうか。それは、からし種のようなものである。土に蒔くときには、地上のどんな種よりも小さいが、蒔くと、成長してどんな野菜よりも大きくなり、葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る。」
マルコによる福音書4章26~32節


(1)イエスの譬え話
 本日は、イエス・キリストの地上における宣教活動が何であったかを考えます時に、マルコによる福音書は以下のように要約しています。1章14で次のように言っています。
 「ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の国の福音を宣べ伝えて、『時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。』と言われた。」(マルコ1:14~15)
 ここで福音とは「喜ばしい知らせ」という意味ですが、単なる喜びではなく、最高の喜びを知らせる神のメッセージです。なぜならば、神は人間を救うためアブラハムの召命から始まる長い歴史を導いて来られましたが、今や「時」が満ちたのです。
 神がアブラハム以来約束して来られた救いが実現する時が来たのです。そういう意味で福音とは人間に最高の喜びを与える神の救いのメッセージです。
 従いまして、人類に対する神の救いとは神の国の到来に他なりません。つまり、神の国とはイエス・キリストの福音宣教を通して開始した「神の支配」のことであり、神様がわたしたち人間の存在と生活全体に対する恵み深い支配者となられたということなのです。
 さらに神の国とイエス・キリストとは不可分離であり、本質的に結びついています。そのような方として、イエス・キリストは「神のもと」からこの地上に遣わされた方であり、ご自身はそのことを自覚し、その自覚に基づいて福音を宣教されました。
 そのようなイエスの自覚と確信をイエスは譬え話を通して弟子たちに教えられました。従って、多くの譬え話はイエスの説教の中心部分を占めています。

(2)神の国の開始と完成
 そのような譬え話の中で、マルコ4章30~32節とマルコ4章3~8節は重要です。
 最初にマルコ4章30~32節を取り上げます。これは皆様が良くご存じのように「からし種」の譬えです。
 元々、からし種の譬えはパン種の譬えと一対となっていました。この点マタイ福音書とルカ福音書は最初の伝承に忠実で、二つをペアーにして並べています。ところで、からし種とパン種に共通する特徴は最初の状態は目立たないごく小さいものでありながら、最後になるとその状態は輝かしい壮大なものとなり、最初の状態と最後の状態は全く対照的です。これが譬え話の中心です。
 からし種は種の中で一番小さいと言われています。縫い針の穴と同じサイズで人の目が識別できる最小の大きさです。しかしその種が蒔かれ、芽をだし成長すると樹木のように高くなり、大きな枝を広げます。枝の木陰に小鳥が来て巣をつくるようになります。ガリラヤ湖畔の丘では「からし菜」は、2メートル半から3メートルの高さになり、大きな枝を広げることで有名です。
 「神の国を何にたとえようか。どのようなたとえで示そうか。それはからし種のようなものである。土に蒔くときには、地上のどんな種よりも小さいが、蒔くと、成長してどんな野菜よりも大きくなり、葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る。」(4:30~32)
 この場合、イエスが神の国をからし種に譬えられたときの着目点が重要です。あくまでそれは開始の段階と完成の段階とが極めて対照的で、この点で神の国とからし種が類似しているからです。
 古代のパレスティナ地方の人たちはこのような物の見方をしていたので、イエスの譬えが良く理解できました。彼らにとっての驚きは蒔かれたときのからし種が姿を消し去った後に、からし種が枝を張る大きな木となって現れていることです。
 このように最終段階が生命に溢れているのを見て、そこに聴衆は全能の神の奇跡を知り、大きな驚きを感じたのです。
 そこでイエスは福音宣教によって開始した神の国の様子をからし種の様子と比較し、神の国の成長はからし種の成長にたとえられると、言われました。
 ところでイエスの譬え話をイエスが語られた状況の中で聞くことが「イエスの福音」を理解する上で必要です。しかし、そのためにはイエスがおられた状況と、福音書を編集した原始キリスト教会の状況は異なっていますので、福音書に記されているイエスの譬えは原始教会が自分たちの時代の必要に合わせてイエスの譬え話を編集していることを考慮に入れる必要があります。
 それゆえイエスの譬えの真意を知るには、在世当時のイエスの立場に戻ることが不可欠です。つまり、イエスの作られた譬え話をイエスの「実生活の座」において理解することが必要なのです。
 この視点は福音書に記された譬え話を注意深く読めばある程度、推測できます。そういう視点に立った新約聖書の研究者たちの見解に従えば、この譬え話はイエスが神から遣わされたというイエスの主張に対するユダヤ教徒の不信の念がその背景にあります。
 彼らの不信の念は、イエスが語る神の救いの到来は自分たちが考えている新しい世界とはおおよそ違っているという点でした。イエスに従った「みすぼらしい群れ」の中には、世間で悪評を立てられた多くの人物が加わっているのに、それがどうして神の救いの共同体なのか、という疑問でした。
 しかしイエスは、わたしの群れがそれであると答えられたのです。このわたしの群れが神の救いの共同体であると言われたのです。
 小さなからし種から大きな木が育つように、小さなパン種が練り粉全体を発酵させるのと同じ「必然的確かさ」をもって、神は奇跡によってわたしの小さな群れを救いが完成する終わりの時に、諸国の民を包括する大きな普遍的な神の民とされるであろうと、教えられたのです。
 「あなたたちは神が何をできるかを知っていない」と仰せられたのです。「あなたたちは聖書も神の力も知らないから、そんな思い違いをしているのではないか。」(マルコ12:24)と言われたのです。
 次にマルコ4:3~8の譬え話も皆様が良くご存知です。この譬え話をイエスの生活の場で理解する場合、先ほど申しましたように、自分は神から遣わされているというイエスの主張に対するユダヤ教側からの不信の念がこの譬え話の背景です。
 しかし、今回この疑問はイエスの弟子たちに対する批判ではなく、イエス自身に対する批判となっています。
 今回はイエスの宣教が無駄に終わった(マルコ6:5~6)、それは全く徒労に過ぎなかったではないか。多くの敵対者を作っただけではないか(マルコ3:6)。そして離反者が増大したではないか(ヨハネ6:66)という事実を指摘しています。
 それゆえ、これらのすべての事柄はイエスが神から派遣されているという主張の反論ではないかというのがユダヤ教側の批判でした。
 それに対して、イエスはあの勇気ある農夫を見よと言って、種まきの農夫の譬え話をされました。
 マルコ4:3~8では、種を蒔いてもその種が育つために多くの障害がある。種を破壊する外敵である鳥やバッタなど、種の育成を邪魔する雑草、それからシルコと呼ばれる有名な熱風がある。
 この農夫はこれらの多くの不利な条件に直面しても決して気落ちせず、豊かな収穫がもたらされるという彼の確信は少しも揺らぐことがなかったと、この譬えは語っています。
 特に4章8節の表現が際立っています。
 「またほかの種は、--実を結び、あるものは三十倍、あるものは六十倍、あるものは百倍になった。」
 これは畑の特別の区画が豊かな実を結んだという意味ではなく、イエスの譬え話は、収穫段階にある全体の畑に目を止めています。現実を超過した誇張的な言い方は、終末的な神の収穫の豊かさを暗示しているのです。
 このようにイエスの宣教は人の目には多くの労働が成果の得られない無駄な働きのように見えようとも、また見た目には失敗が失敗に続くようであっても、イエスは喜びと確信に満ちておられたことを示しています。なぜならすべての失敗や人々の反抗を神様は無視して望みのない開始の段階から、神の約束された栄光の最終段階を生じさせられると確信しておられたのです。
 それゆえ「豊かな収穫」とは終わりの時に完成する神の国を表す聖書の言葉ですが、この言葉をイエスは好んで使用されました。

(3)政治的メシアの誘惑に対する勝利
 最後に、マルコ4:26~29の「成長する種の譬え」は旧約聖書の中で伝統的なメシア観となっている「政治的なメシア」の誘惑にイエスが勝利されたことを意味しています。
 この譬え話の背景となっているユダヤ教のイエスに対する不信は、イエスが政治的なメシアであることを拒絶されたことがその原因です。彼らのイエスに対する批判と躓きは、次のような状況です。
 当時のユダヤ教には、祭司階級のサドカイ派と「律法」を救いの手段と見る律法学者やパリサイ派、その他の熱心党とヘロデ党などの幾つかの分派がありました。特に熱心党はメシアの救いに関して、政治的メシアを信じていました。超自然的な力を行使してローマ帝国の圧制を払いのけ、イスラエルを中心とする神の国をこの世界の中に実現することを、旧約聖書は預言していると理解し、その線上で政治的メシアを待望していました。
 しかしイエスは彼らの期待をことごとく裏切る態度を取られました。彼らのイエスに対する疑問は次の点です。
 「メシアの行動は今こそ時の命令であるのに、イエスはなぜ行動を起こさないのか。なぜイエスは罪人を排除し、純粋な共同体設立に着手しなかったのか。なぜイエスは異教徒の軛からイスラエルを解放するという合図を与えないのか。これらのイエスの態度は自分が神から派遣されているというイエスの主張に対する反論ではないか。」
 この疑問に対するイエスの回答は再び最初の段階と最終的段階とのコントラストを示している「収穫の時を忍耐して待っている農夫」の譬え話です。
 ここでも「神の国の突入」は収穫の譬えで説明されています。それは種を蒔いた農夫が その後、何もしないで、収穫の時を忍耐深く待ち続けている状態を描いています。すると神はその忍耐深い待望に豊かな収穫をもって答えられるというのが譬の最終段階です。穀物が成熟する時がくると、刈り入れ人は列をなして出て行って、そこに収穫の喜びによる歓声が響き渡るのです。
 この譬え話の強調点は「夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。」(4:27)と「土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実ができる。」(4:28)です。
 この穀物の成長に関して人は何も知らない。神様だけが知っておられる。それは自動的に成熟するので、人の手がそれに何かを付け加えることはできないと言っています。自動的という言葉はアウトマテーでありますが、これは今日のオートマの語源です。
 このように農夫にとって長い待望の後に収穫が確かに来たのと同じ確かさをもって「神の時」が到来する。終末の基準が満たされるならば、神は最後の審判と神の国の完成をもたらされる時が来る。
 これがイエスの確信でした。それまで忍耐強く待つことが重要であり、決して神に先回りすることをせず、神を出し抜くことをせず、完全に神に信頼して、一切のことを神に委ねることが重要であると、この譬えは教えています。
 従いまして、イエスの宣教の中心点はこの強い確信です。「神の定められた時は必ず来る」という確信です。イエスの派遣に対するすべての疑問、すべての嘲笑、すべての人間の信仰の弱さ、すべての人間の忍耐不足はイエスの確信を動揺させることはできないのです。
 実にイエスの確信はすべての失敗にも拘らず、神は無に等しい所から、阻止することができない力を持って、神の国の開始を完成へと導かれるということです。
 要するに、あなたたちは神の力と行動を「現実化する」ことが重要である。すべての外見を無視して、神にのみ寄り頼め。これがわたしの確信であると、イエスは教えられました。
 この確信はまた政治的メシアの誘惑こそ、悪魔の最大の誘惑でしたが、イエスはこの誘惑にすでに勝利されたことを示しています。
 イエスの12人の弟子たちの中には元、「熱心党」である者たちがいました。マルコによる福音書の3章18節に「熱心党のシモン」の名が記されています。また熱心党のシモンとイエスを裏切った「ユダ」の名が並んでいることから、ユダも元は熱心党であったのではないかと推測されています。このようなことからも、イエスにとって政治的メシア観は大きな誘惑であり、正に悪魔の誘惑でした。 
 しかしこの誘惑にイエスは既に勝利しておられ、悪魔が天から稲妻のように落ちるのを見たと言っておられます(ルカ10:18)。
 それゆえ、イエスの確信は、神がイエスを神のもとから地上に遣わし、神が約束しておられた神の国の到来は、イエスの福音宣教によって今や開始した。神は「この決定的な開始」をすでに実行された。神の決断においては最早それ以外に何も残っていない。
 それゆえ神の国の開始は神の国の完成を「保証」している。実にこのことがイエスの確信の根拠なのです。



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