2014-09-14(Sun)

戸口が閉まる前に 2014年9月14日の礼拝メッセージ

戸口が閉まる前に
江田めぐみ伝道師

 「恵み深い主に感謝せよ、慈しみはとこしえに」と。主に贖われた人々は唱えよ。主は苦しめる者の手から彼らを贖い、国々の中から集めてくださった。東から西から、北から南から。
詩篇107編1~3節


 イエスは町や村を巡って教えながら、エルサレムへ向かって進んでおられた。すると、「主よ、救われる者は少ないのでしょうか」と言う人がいた。イエスは一同に言われた。「狭い戸口から入るように努めなさい。言っておくが、入ろうとしても入れない人が多いのだ。家の主人が立ち上がって、戸を閉めてしまってからでは、あなたがたが外に立って戸をたたき、『御主人様、開けてください』と言っても、『お前たちがどこの者か知らない』という答えが返ってくるだけである。そのとき、あなたがたは、『御一緒に食べたり飲んだりしましたし、また、わたしたちの広場でお教えを受けたのです』と言いだすだろう。しかし主人は、『お前たちがどこの者か知らない。不義を行う者ども、皆わたしから立ち去れ』と言うだろう。あなたがたは、アブラハム、イサク、ヤコブやすべての預言者たちが神の国に入っているのに、自分は外に投げ出されることになり、そこで泣きわめいて歯ぎしりする。そして人々は、東から西から、また南から北から来て、神の国で宴会の席に着く。そこでは、後の人で先になる者があり、先の人で後になる者もある。」
ルカによる福音書13章22~30節


 主イエスは教えを宣べ、町々や村々を通り過ぎ旅を続けられて、エルサレムに向かって進んでおられました。
 なぜ主イエスは、エルサレムへの旅をするのかというと、主イエスは、天に上げられる時期が近づいていることを感じていたからです。それは、主イエスは、「天にあげられる時期が近づくと、エルサレムに向かう決意を固められた」(ルカ9:51)からです。
 エルサレムでは、なにが起こるのでしょうか。それは、十字架の死と復活の御業です。その御業を行うためにエルサレムに、向かって旅をする途中なのです。
主イエスの十字架の死の意味は、ほかならぬわたしたちが罪から贖い出されて主なる神と和解させられることです。わたしたちは、主イエスの貴重な血によって贖われ、主なる神と共に、生きるものとされていることです。
 主イエスの復活の意味は実に、このわたしたちに対して現される神の義によって、わたしたちを新たに生かすためであるのです。

 ある人が主イエスに、「主よ、救われる人は少ないのですか」と尋ねたのです。しかし、主イエスは、直接答えませんでした。なぜなら、人数の問題ではないからです。
 主イエスは、質問をした人だけでなく、周りにいたすべての人に、次のように言うのです。「狭い戸口から入るように努めなさい」。ここで言う狭い戸口とは何でしょうか。
 並行箇所のマタイ福音書7章13節では、「狭い門から入りなさい」と狭い戸口が門戸になっています。その門は、「命に通じる門」で狭くて、細いのだと言われています。
 ヨハネ福音書10章7-9節の中で、「わたしは門である」とあります。本日の聖書箇所の戸口も門も、同じ意味なのです。それは、主イエスを指しているのです。

 ルカでは、「狭い戸口」を通るために、「狭い戸口から入るように努めなさい」と言われています。ここで言われている「努める」という言葉は、勝利を目指して競技するとか、戦うという意味です。狭い戸口から入るには、戦いが必要なのですが、この戦いは、他人を蹴落とす戦いではなく、救いに与るための信仰の戦いなのです。そしてそのために、狭い戸口から入ろうとする熱意が必要なのです。つまり私たちに、求められているのは、主イエスを信じて従うことによって、救いに与るという信仰の決断と狭い戸口から、入ろうとする熱意です。私たちは、戸口から入るために、精一杯努力すると言うことは、「主イエスに招かれた恵みに感謝して、精一杯できることをしましょう、どんな小さな奉仕でもよいのです。あなたができる精一杯の奉仕を、主イエスは喜んで受け入れてくださいます」ということです。
 神の国に入るには、「今」という時があります。わたしたちがその戸口から入るための、努めるべきことを、努力しなさいということが求められているのです。
 しかし、「入ろうとしても入れない人が多いのだ」とあります。これは、主イエスが狭い戸口から、入れないようにしているのではなく、その戸口から、入ろうと真剣に求めている人が少ないのです。
 神の国に入るためには、はっきりとした決断を持って入らなければ中に入ることはできません。

 戸口から入ったところは、神の国です。そこを見ると、その戸が家の主人によって閉められることがあると言われています。その主人は、主イエスの招きは、皆に開かれたものでありますが、いつまでも、開いたままではないのです。時が来ればその戸口は閉じられてしまうのです。戸口が閉められる時とは、終末のことです。
 そして、一度戸口が閉じられて閉まってからでは、決して開けてもらえないのです。「御主人様開けてください」と言われても、「お前たちがどこの者か知らない」ということは、何を言われても知らないということです。
 ここでマタイ25章1-13節の十人の乙女の譬えが思い起こされます。
「花婿が到着して用意出来ている五人は、花婿と一緒に婚宴の席に入り、戸が閉められた。その後で、ほかの乙女たちも来て、『ご主人様、ご主人様、開けてください』といった。しかし、主人は、『はっきり言っておく。わたしはお前たちを知らない』と答えた」。
 ここでは、終末の時に、目を覚ましていなさいということが言われています。

 戸口の外にいる者は、戸口を開けてもらうように次のように頼んでいます。『ご一緒に食べたり飲んだりしましたし、また、私たちの広場で、教えを受けたのです」。
 これは、愛餐を一緒にしたり、み言葉を聞いたことがあるのだから、神の国に入れてもらえると、思い込み主人に訴えているのです。
 つまり、わたしたちもあなたと一緒にいましたとか、また、あなたの教えを聞いたではありませんかと言っているのです。そして、主イエスのもとに集い、その教えを聞き礼拝に出席し、聖書のみ言葉も真剣に聞き、時々愛餐に参加していると訴えていることと似ています。けれども、この人達は狭い戸口から入らなかったのです。主イエスの救いに預かろうと信仰の決断をしなかった人々です。そのうちに戸は閉められてしまい、どんなに訴えても、「おまえたちがどこの者か知らない」と言われてしまったのです。

 次に、「不義を行う者ども、皆わたしから立ち去れ」と言われています。
この言葉は、詩篇6編9節「悪を行う者よ、皆わたしを離れよ。主はわたしの泣く声を聞き」からの引用です。
 「不義を行う者ども、皆わたしから立ち去れということは」、神の国には入れないということです。不義を行う者どもとは、特別に悪い事をしたり、大きな罪(犯罪)を犯したりしたということではありません。それは、主エスを信じない者たちのことを指しているのです。
 その戸口の中は、神の国です。神の国は、隠れた宝や高価な真珠のように人生に最大の利益をもたらすのです(マタイ13:44-46)。ですから、どんな犠牲を払ったとしても、人生において最高の価値があるので、わたしたちは、そこへ入ることを、切に願い続けたいものです。
 すでに神の国に、アブラハムやイサク、ヤコブや、すべての預言者たちが入っています。彼らは、信仰によって生きる人々で、神の国に既に入っているのです。
 アブラハムやイサク、ヤコブは、イスラエルの民の先祖です。アブラハムは、創世記12章1節で、「あなたは生まれ故郷/父の家を離れて/わたしが示す地に行きなさい」、と言われ主の言葉に従って旅だったのです。イサクやヤコブも、同じように、主の言葉に従って歩んだのです。彼らに罪がなかったのではなく、神の招きに応えた神の民だったのです。
 預言者とは、神の言葉を、人びとに伝える務めをする者たちです。彼らも信仰の先祖たちのように、信仰によって生きた人びとです。
 アブラハムやイサク、ヤコブ、その他の預言者は、神の言葉を正しく聞き、神により頼んで神と共に歩んだ人たちです。

 けれども神の国に入れなかった者は、外で「泣きわめいて歯ぎしりする」のです。それは、あなたがたは、外に投げ出されることになった時、そこで泣き叫んだり、歯ぎしりしたりすることになるのです。
 この人々は、自分たちが「投げ出されている」とわかった時、自分たちもあずかれるといつも思っていた神の国に、アブラハムやイサク、ヤコブなど信仰の祖先たちがいるのを見て、泣き叫び、悔しがっているのです。
 それは、外に投げ出されている者は、なぜ中に入れないのか、分からないのです。

 「そして人々は、東から、西から、また南から北から来て、神の国で宴会の席に着く」と言われています。これは、詩篇107偏1-3節の、「恵み深い主に感謝せよ/慈しみはとこしえに」と、「主に贖われた人々は唱えよ。主は苦しめる者の手から彼らを贖い/国々の中から集めてくださった/東から西から、北から南から」の引用です。
 それは、すべての国から人々が、神の国に来ることです。わたしたちも、神の国から入るために主イエス御自身が、わたしたちのために、「狭い戸口」になってくださっていますから、心配はいりません。そこで、主イエスは皆さんを喜んで、待ってくださっているのです。しかし、神の国で食卓に着いた者は、彼らは、何か特別良いことをしたからではありません。ただ神の招きに応じたのです。神の呼びかけに、応えてチャンスを逃さず、戸口から入り、主と共に歩んだのです。そして、み言葉によって生きる神の民となったのです。その結果神の国の宴会の席に着くことができたのです。
 「後の人で先になる者があり、先の人で後になる者もある」ことは、神の国に先に招かれたのはユダヤ人でしたが、彼らが頑固に拒否し続けたので、信じる異邦人が招かれるのです。そこには逆転があるのです。
 救いはすべての人に対して開かれていますが、そこには自ら順序があるのです。その順序は、民族によるのではなく、神の民となり信仰の姿勢によって信仰を持って、今の時に決断する人が救われるのです。そのため、後の人で先になる者があり、先の人で後にある者もあるということです。ここで求められていることは、民族でも、業績でもないのです。神の国に入るためには、悔い改めが必要であり、信仰がそこには求められているのです。

 本日のみ言葉は、2000年前の人々にだけではなく、今日に生きるわたしたちにも、語られています。
 わたしたちにも、「狭い戸口」から入るように努めなさいと言われています。「狭い戸口」から、わたしたちは、どのようにして入るように努めますか。
 わたしたちの中には、信仰を決断してすでに「狭い戸口」の中に入っている人もいることでしょう。中に入った人たちは、もう何もしなくて良いのでしょうか。そうではありません。   
 年をとったので、教会の御用から、退きたいと思っている人もいますが、そんなことはないのです。旧約の時代の人々を見ても、アブラハムを見ても、自分は高齢になったので、できないとギブアップしても、神さまが必要とされるならば、神さまの御用のために生きられるのです。ですから、わたしたちが、年をとったからできないなどと言わず、神さまから召された者として、神さまが導いてくださる時まで、主の僕として仕えるのです。
 たとえば、高齢の方が体を自由に動かせなくても、祈ることはできるのです。若者に、これまでにできていた奉仕の業を、伝えることもできます。
 壮年の方々は、これから、教会の中心メンバーとして、さまざまな教会の奉仕に努めることができるのではないでしょうか。
 教会の教勢が減る中で、わたしたちのできることは、家族、兄弟、友人等に声をかけて、できるとこから教会へ導く努力もできるのです。神さまに喜ばれるような一人一人として、祈りを合わせ、また、教会の奉仕に努めることです。
 まだ、信仰の決断をされていない方もいることでしょう。
 今、神の国に入る戸口はどのようになっていると思われますか。
 主イエスご自身がわたしたちのために「狭い戸口」になってくださったのですから、心配はいりません。喜んで、この「狭い戸口」から入って来てください。
主イエスの生命の中に来てください。主イエスは喜んで皆さんを待っているのです。時間はあまりありません。今です。さあ来てください。戸が閉まらないうちに、入りましょう。



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