2010-09-19(Sun)

ステファノの証言 2010年9月19日の礼拝メッセージ

ステファノの証言
中山弘隆牧師

 わが主に賜った主の御言葉。「わたしの右の座に就くがよい。わたしはあなたの敵をあなたの足台としよう。」主はあなたの力ある杖をシオンから伸ばされる。敵のただ中で支配せよ。あなたの民は進んであなたを迎える。聖なる方の輝きを帯びてあなたの力が現れ、曙の胎から若さの露があなたに降るとき。主は誓い、思い返されることはない。「わたしの言葉に従って、あなたはとこしえの祭司、メルキゼデク(わたしの正しい王)。」
詩編110篇1~4節

 わたしたちの先祖には、荒れ野に証しの幕屋がありました。これは、見たままの形に造るようにとモーセに言われた方のお命じになったとおりのものでした。この幕屋は、それを受け継いだ先祖たちが、ヨシュアに導かれ、目の前から神が追い払ってくださった異邦人の土地を占領するとき、運び込んだもので、ダビデの時代までそこにありました。ダビデは神の御心に適い、ヤコブの家のために神の住まいが欲しいと願っていましたが、神のために家を建てたのはソロモンでした。けれども、いと高き方は人の手で造ったようなものにはお住みになりません。これは、預言者も言っているとおりです。『主は言われる。「天はわたしの王座、地はわたしの足台。お前たちは、わたしに、どんな家を建ててくれると言うのか。わたしの憩う場所はどこにあるのか。これらはすべて、わたしの手が造ったものではないか。」』かたくなで、心と耳に割礼を受けていない人たち、あなたがたは、いつも聖霊に逆らっています。あなたがたの先祖が逆らったように、あなたがたもそうしているのです。いったい、あなたがたの先祖が迫害しなかった預言者が、一人でもいたでしょうか。彼らは、正しい方が来られることを預言した人々を殺しました。そして今や、あなたがたがその方を裏切る者、殺す者となった。天使たちを通して律法を受けた者なのに、それを守りませんでした。」人々はこれを聞いて激しく怒り、ステファノに向かって歯ぎしりした。ステファノは聖霊に満たされ、天を見つめ、神の栄光と神の右に立っておられるイエスとを見て、「天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える」と言った。人々は大声で叫びながら耳を手でふさぎ、ステファノ目がけて一斉に襲いかかり、都の外に引きずり出して石を投げ始めた。証人たちは、自分の着ている物をサウロという若者の足もとに置いた。人々が石を投げつけている間、ステファノは主に呼びかけて、「主イエスよ、わたしの霊をお受けください」と言った。それから、ひざまずいて、「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と大声で叫んだ。ステファノはこう言って、眠りについた。
使徒言行録7章44~60節


(1) 初期のキリスト教会
  本日の聖書の箇所は、ペンテコステの日以来、地上に初めてキリスト教会が存在し、教会を通してイエス・キリストの福音が伝道されるようになった初期の様子を、伝えています。当初からキリスト教会は、主イエスを信じる者たちの群れであり、信仰と兄弟愛によって、言い替えれば主イエスを中心にして結ばれている者たちの信仰共同体でした。
従って、教会としての制度は今日のものとは異なり、使徒たちによって福音の宣教がなされ、そしてその教えに従って生活する信仰者の群れが存在するということが、教会でありました。しかしそこにはすでに今日の教会の本質的な、霊的な意味があるのです。
 他方、当時のクリスチャンはすべてユダヤ人であり、異邦人のクリスチャンはまだ一人もいませんでした。ただユダヤ人の中に、ギリシャ語を話すユダヤ人がいて、彼らはパレスティナから遠く離れた広い世界に出て行った人たちであり、ディアスポラと呼ばれていました。つまり、当時のクリスチャンはアラム語を話すユダヤ人とギリシャ語を話すユダヤ人から構成されていた、と言えます。
 従いまして、外面的には、クリスチャンと他のユダヤ教徒とは余り違ったところがないように見えました。使徒言行録2:46~47にその様子が語られています。
 「毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まって一緒に食事をし、神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた。こうして、主は救われる人々を日々仲間に加えて一つにされたのである。」
 クリスチャンはエルサレムの神殿で礼拝をし、主イエスの教えに従って、正しく、愛に満ちた生活をしていましたので、一般のユダヤ人からは神を信じる敬虔な人たちであると、好意的な見方をされていました。特にキリスト教独自の集まりは、家庭集会で、そこで神を賛美し、聖餐式を行ったことです。それは、2:42に記されています。
 「彼らは、使徒たちの教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。」ここで、パンを裂くこととは聖餐式を意味しています。
 このような状況の中で、聖霊に満たされた使徒たちや伝道者たち、さらに一般の信仰者たちによって、キリストの福音が活発に語られたのです。そのことにより、クリスチャンになる人の数が日毎に増えて行きました。
    
(2) ステファノによる福音の宣教
 次に、ステファノはギリシャ語を話すユダヤ人でありました。エルサレム教会の会員の数が増加するにつれて、教会が貧しい人たちの生活を支える福祉の分野の仕事が増大しましたので、その任務を担当する者として、使徒たちは執事の制度を作りました。使徒たちは執事を選任するに当たり、教会員の中で、「聖霊」と「知恵」に満ちた評判の良い人を7人選ぶように指示しました。そのとき選ばれた者たちの一人が、ステファノです。しかし、彼は執事の任務を果たしただけでなく、福音の伝道を盛んにしていたのです。従って、ステファノの他に、フィリポも執事に選ばれましたが、彼も伝道者でありました。
 このようなステファノの活動が6:8~10に記されています。
 「さて、ステファノは恵みと力に満ち、素晴らしい不思議な業としるしを民衆の間で行っていた。ところが、キレネとアレクサンドリアの出身者で、いわゆる「解放された奴隷の会堂」に属する人々、またキリキア州出身の人々などのある者たちが立ち上がり、ステファノと議論した。しかし、彼が知恵と霊とによって語るので、歯が立たなかった。」
 この記事によりますと、ステファノはギリシャ語を話すユダヤ人の中で、主イエスの救いがもたらす自由と真の礼拝について、議論していたと推測することができます。ステファノが「知恵」と「霊」とによって、旧約聖書を通して主イエスの救いを証ししたことが分かります。「知恵」とは旧約聖書に関する知識のことです。「霊」とは聖霊であり、また主イエスの霊ということもできます。
 ユダヤ人にとって「旧約聖書」は神の言葉であり、信仰と生活に関すること、そして何よりも救いに関すること、言い換えればメシアに関することは、旧約聖書による証明が必要なのです。そこでいかに正しく旧約聖書を読むか、そして解釈することが出来るかが、最大の問題であります。そのためには聖霊の導きが不可欠なのです。
 なぜならば、聖書は旧約聖書も、新約聖書も神の霊感によって書かれた書物です。それは日本キリスト教団の信仰告白にある通りです。すなわち、「旧新約聖書は、神の霊感によって成り、キリストを証し、福音の真理を示し、教会の依るべき唯一の正典なり。されば聖書は聖霊によって神につき、救いにつきて、全き知識を我らに与うる神の言にして、信仰と生活との誤りなき規範なり。」とありますように、旧約聖書は神の霊感によって書かれた書物です。それゆえ旧約聖書を正しく解釈するには、人間の知恵ではなく、聖霊の導きが必要です。旧約聖書に書かれている神の言葉は預言者が聖霊に導かれて語った神の言葉です。それゆえ旧約聖書を読む者も聖霊に導かれて読むときにのみ、旧約聖書の意味を正しく理解することができるのです。
 ユダヤ教の問題は、旧約聖書を人間の知恵に頼って解釈してきたことです。そして人間による解釈の伝統を作り上げ、その伝統がモーセの権威によって有効であると信じていたことです。
 従いまして、ステファノがユダヤ教と異なる点は聖霊によって、主イエス・キリストの救いの意味を理解し、主イエスによって今や真の礼拝と神に従う正しい生活の仕方が可能となったと、強調し、宣教したことです。
 ステファノをユダヤ教の最高法院に訴えたユダヤ教徒たちの理由は、「あのナザレの人イエスは、この場所を破壊し、モーセがわれわれに伝えた慣習を変えるだろう」とステファノが主張しているということでした。しかし使徒言行録を書いたルカは、彼らは偽って告訴したと言っていますので、ステファノがそのようなことを語っていたのではないでしょうし、また、最高法院で弁明した彼の説教は、それには一言も言及していません。
 彼は最高法院で、聖霊に導かれて旧約聖書を解釈したのです。彼の説教の内容は、神がご自身の目的を持ってアブラハムを選ばれた事から説き起こし、その後神がイスラエルの歴史をどのように導いてこられたかを語っています。その救済史の中で、モーセを通して、律法があたえられたことを語っています。確かに、律法は神の民が行うべきこととして与えられた神の命令であります。そのことをステファノは次にように語りました。
 「この人が荒れ野の集会において、シナイ山で彼に語りかけた天使とわたしたちの先祖との間に立って、命の言葉を受け、わたしたちに伝えてくれたのです。」(7:38)
 ここで、特に重要な点は、ステファノが聖霊に導かれてこの事実を解釈し、モーセが神の命令である律法をイスラエルの民に与えたことを、神の救いの計画の中で解釈していることです。今日のユダヤ教はシナイ山でモーセを通して律法が与えられたことが、神の究極的な啓示であり、ユダヤ民族は律法を与えられるために神から選ばれたと主張しています。
 それに対してステファノは、律法が与えられたことが神の救いの歴史の頂点ではなく、それは神の救いの歴史の中で重大な一つの事件であり、救済史の一段階であることを明確にしました。そして救済史はその後も展開し、最終的な救いが与えることこそ、イスラエルに対する神の目的であることを強調しているのです。このことは、7:37で明瞭に語っています。

 「このモーセがまた、イスラエルの子らにこう言いました。『神は、あなたがたの兄弟の中から、わたしのような預言者をあなたがたのために立てられる』」
 これは申命記18:15の言葉の引用です。「あなたの神、主はあなたの中から、あなたの同胞の中から、わたしのような預言者を立てられる。あなたたちは彼に聞き従わねばならない。」
 明らかに、その預言者こそ、究極的な神の言葉を語り、究極的な神の救いを実現する者である、とモーセは預言しているのです。ステファノの解釈によれば、モーセを神の言葉を語った預言者として受け入れ、モーセに従うということは、この預言を受け入れることに他ならないのです。

 しかるに、イスラエルは律法が与えられたことが神の究極的な目的であり、それ以外には神の目的はない、と主張していることが大きな躓きなのです。それに対して、ステファノはそのような理解と態度とが、モーセに対する反抗であり、神に対する不信仰であり、聖霊に対する反逆である、というのです。
 つまり、ステファノのような見方こそが聖霊による理解なのです。それ以外に旧約聖書の正しい理解はありません。このことをステファノは、ユダヤ教の最高法院で語りました。
 ところで、使徒言行録に記された彼の説教は中断しているかのように思われますが、しかし彼が言わんとしたことは、7:51~53節で十分に語られています。
 「かたくなで、心と耳に割礼を受けていない人たち、あなたがたは、いつも聖霊に逆らっています。あなたがたの先祖が逆らったように、あなたがたもそうしているのです。いったい、あなたがたの先祖が迫害しなかった預言者が一人でもいたでしょうか。彼らは、正しい方が来られることを預言した人々を殺しました。そして今や、あなたがたがその方を裏切る者、殺す者となった。天使たちを通して律法を受けた者なのに、それを守りませんでした。」

 ここで、正しい方とは、救い主という意味であり、主イエス・キリストを指しています。旧約聖書の預言は、主イエス・キリストの到来とその業を預言していることをステファノは証しました。聖霊に導かれて旧約聖書を読む者には、預言者の言葉の本当の意味が理解できるのです。しかし、聖霊に導かれない者には、旧約聖書の本当の意味とその中心点が分からないのです。 
旧約聖書には種々の要素があり、相反する考え方もあり、また預言者の言葉は不明瞭である部分が多くあります。そのために、信仰という名の不信仰によって、ユダヤ人はユダヤ教を形成してきました。
しかし、それはユダヤ人を選び、ユダヤ人を通して、神の救いを実現された神の意志に反する態度なのです。神は究極的な救いをアブラハムに約束し、モーセを通して約束し、さらに旧約聖書の古典的な預言者たちの運動を通して約束してこられました。
その運動はアモス、ホセア、イザヤ、ミカ、エレミヤ、エゼキエル、第二イザヤなどの紀元前760年から紀元前539年まで約200年間続いた預言者集団の運動ですが、それらの運動を通して、神が一貫して語り、約束してこられた究極的な救いが、今や主イエス・キリストによって実現したのです。
実にこの事実を、聖霊に導かれたキリストの使徒たち、また聖霊に導かれたステファノなどの伝道者が皆、証しているのであります。

(3) ステファノの殉教
 ステファノはユダヤ教の最高法院の裁判を受けましたが、死刑の執行はステファノに我慢ができず、怒り猛った群衆によって行われました。それは石打の刑です。しかし、そこに石打の刑の証人がいましたので、単なる暴徒たちによるリンチではないことが分かります。証人がいて、彼らが最初に石を投げつけるのです。それに続いて群衆がステファノに石を投げつけ、彼を死に追いやりました。そのときのステファノの様子が、主イエスを証しするものでありました。55~56節は次のように言っています。

 「ステファノは聖霊に満たされ、天を見つめ、神の栄光と神の右に立っておられるイエスを見て、『天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える。』と言った。」
 ステファノは、復活の主イエスが天に上り神の右に座して、全人類の救い主として、天地の支配者となっておられるのを見たのです。それは聖霊によって神がステファノに示されたのです。その神の啓示がまた、主イエス・キリストの福音の内容を証しています。
ペトロはペンテコステの日の説教で、神は「イエス」を死人の中から復活させ、神の右に上げられ、全人類の救い主であり、支配者である「主イエス」として立てられた、と宣言しました。
 そこで、クリスチャンの信じる主イエスとは、単に人間であるメシアではなく、実に神なのです。人間となられた神の御子なのです。従って、初代教会のクリスチャンは主イエスに祈りを献げました。
 従いまして、ステファノは死を前にして、主イエスに呼びかけて、「主イエスよ、わたしの霊をお受け下さい」と言いました。それから、跪いて祈り、渾身の力を振るって、「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と叫んで、息絶えたのです。
 聖霊に満たされたステファノは、主イエスの愛を身に受け、主イエスが十字架の上で祈られたように、罪人が赦されるため祈ったのです。そこに復活の主イエスを見て、主イエスと一つになっている信仰者の姿があります。何という高貴な姿でしょうか。神の愛に満ち、罪人のために祈る強い信仰を持っている者、しかも謙遜で身分の弱さを知り、神にすべてを委ね、主イエスにある死は、永遠の命であることを証している者の姿です。それは正に救われた者の姿であり、永遠の命である主イエスの中にある者の最後の姿なのです。
 実に、ステファノの生涯は聖霊の働きが何であるかを明らかにしています。第一に、聖霊は聖書を正しく読み、正しく解釈することを可能にする神の働きです。第二に、正しい信仰、すなわち主イエスを信じることを可能にする神の働きです。第三に、主イエスの福音を命がけで証する神の働きです。その人の生活を通して、証する神の働きです。
要するに、聖霊は人間の心の中に直接働く神の働きです。実に、聖霊はわたしたちが聖書を読み、聖書に聴こうとするとき、聖書の言葉を媒介にして、生ける復活の主イエスとわたしたちが出会うことを可能にします。

 ステファノという名前は、ギリシャ語で「ステファノス」と言いますが、それは「王冠」「リース」という意味です。自分の名前の通りに、ステファノは信仰の勝利者としての「リース」を受けたのです。彼はキリスト教の殉教者の第一号でありました。彼は多くの人々に信仰を証しましたが、何よりも異教徒の使徒となったパウロに大きな影響を与えました。
 ステファノの処刑に立ち会った青年サウロ(パウロの別名)こそ、新進気鋭の律法学者であり、その後間もなく、復活の主イエスの啓示により、使徒として召されたパウロなのです。パウロはステファノの死を自分の目で見て、大きなインパクトを受け、ユダヤ教の盲点を知り、内なる葛藤の時期を迎え、福音を理解する準備へと導かれていったと思われます。



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