2014-08-24(Sun)

キリストの命に生きる教会 2014年8月24日の礼拝メッセージ

キリストの命に生きる教会
中山弘隆牧師

 わたしが清い水をお前たちの上に振りかけるとき、お前たちは清められる。わたしはお前たちを、すべての汚れとすべての偶像から清める。わたしはお前たちに新しい心を与え、お前たちの中に新しい霊を置く。わたしはお前たちの体から石の心を取り除き、肉の心を与える。また、わたしの霊をお前たちの中に置き、わたしの掟に従って歩ませ、わたしの裁きを守り行わせる。
エゼキエル書36章25~27節


 どうか、わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光の源である御父が、あなたがたに知恵と啓示との霊を与え、神を深く知ることができるようにし、心の目を開いてくださるように。そして、神の招きによってどのような希望が与えられているか、聖なる者たちの受け継ぐものがどれほど豊かな栄光に輝いているか悟らせてくださるように。また、わたしたち信仰者に対して絶大な働きをなさる神の力が、どれほど大きなものであるか、悟らせてくださるように。神は、この力をキリストに働かせて、キリストを死者の中から復活させ、天において御自分の右の座に着かせ、すべての支配、権威、勢力、主権の上に置き、今の世ばかりでなく、来るべき世にも唱えられるあらゆる名の上に置かれました。神はまた、すべてのものをキリストの足もとに従わせ、キリストをすべてのものの上にある頭として教会にお与えになりました。教会はキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしている方の満ちておられる場です。
エフェソの信徒への手紙1章17~23節


(1)クリスチャンの人生
 本日は例年のように教会修養会を行ないますので、その主題であります本年度の標語について学びます。
 その理由は「キリストの命に生きる」ことがわたしたちの信仰生活の確立とキリストの体である教会形成の中心であるからです。少し視点を変えて言えば、わたしたちクリスチャンは「キリストにあって」生きるということを信じ、体験し、自覚していることが信仰生活の確立のために一番重要なのです。
 なぜならばキリストにあって生きそして死ぬということが神の御前で生きる「本当の人間」の人生であるからです。
 さらにその終着点は死ではなく、死を越えて神の御前にある永遠の国に生きることです。もちろん死を越えて神の御前に出る力は、わたしたちの中にあるのでなく神がそのようにしてくださるのです。
 人類の救い主である神の御子イエス・キリストを死人の中から復活させられた父なる神の偉大な創造的な力によって、神の救いが完成する終わりの日に、すべての人間は死人の中から復活させられるのです。しかし、このことを「知っている者」はクリスチャンです。
 ある信仰深い方がわたしたちは「天国へのパスポート」を与えられているので、地上の人生を感謝と喜びに満たされて、力強く生きることができると仰っていました。今でもその人の顔を思い出すことがあります。

(2)キリストの中に存在する新しい自分
 それではキリストにあって生きるということは、生きる前に自分の居場所がキリストの中にあること、自分の存在が「キリストの中に」神によって与えられていることが必要です。
 従って、神様はこのことをわたしたちに啓示してくださいました。それは神の独り子が人間となってこの地上に来られた御子イエスの生涯と、人類の罪の贖いのために御子イエスが十字架の死を全うし、父なる神が御子イエスを死人の中から復活させ、天地万物の主とされたことです。そして主イエス・キリストの中に新しい人間の存在が与えられたことです。
 この事実を神の言葉によって神様が使徒たちに啓示してくださったのです。その内容が福音です。そして福音は使徒たちの手紙や、福音書と使徒言行録に記録されています。今次のような言葉を聖書から引用することができます。
 「キリストが、聖書に書いてあるとおりにわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおりに三日目に復活したこと、ケファに現れ、その後十二人に現れたことです。--」(コリント一、15:3)
 「イエスはわたしたちの罪のために死に渡され、わたしたちが義とされるために復活させられたのです。」(ローマ4:25)
 「キリストは、わたしたちにとって神の知恵となり、義と聖と贖いとなられたのです。」(コリント一、30)
 「わたしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備さしてくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。わたしたちは、その善い業を行なって歩むのです。」(エフェソ2:10)
 「神はこのイエスを復活させられたのです。わたしたちは皆、そのことの証人です。それで、イエスは神の右に上げられ、約束の聖霊を御父から受けて注いでくださいました。あなたがたは、今このことを見聞きしているのです。--あなたがたが十字架につけて殺したイエスを神は主とし、またメシアとされたのです。--悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。」(使徒言行録2:32~38)

(3)主イエスにあって生きる
 従いまして、主イエスの中で造られた新しい人として生きることは、聖書では「主イエスにあって」生きると表現されています。これを新共同訳聖書は「主イエスに結ばれて」と訳しています。これはクリスチャンが主イエスとの人格的な交わりの中で生きることを意味しています。
 それでは主イエスと結ばれるということはどのように可能なのでしょうか。正にそれは聖霊によって可能なのです。
 宗教改革者カルヴァンは聖霊の働きについて次のように教えています。神が主イエスの中にわたしたちの救いのために実現された客観的な恵みは、聖霊によらなければわたしたちに対して有効にならない。主イエスの中にある客観的な救いは聖霊によらなければわたしたちの益とならないと言っています。
 ここで聖書が言う「聖霊」は「父なる神の霊」または「主イエス・キリストの霊」とも呼ばれています。
 従いまして聖霊によって信仰者が復活の主イエスと結ばれるとき、主イエスはクリスチャンの中に住み、クリスチャンの中で働かれるのです。このことに関して聖書は主イエスの言葉を語っています。
 「わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。この方は真理の霊である。--この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。わたしは、あなたがたを孤児にはしておかない。あなたがたのところに戻ってくる。しばらくすると、世はもうわたしを見なくなるが、あなたがたはわたしを見る。--かの日には、わたしが父の内におり、あなたがたがわたしの内におり、わたしもあなたがたの内にいることが、あなたがたには分かる。」(ヨハネ14:16~20)
 このように主イエスははっきりと聖霊を通してクリスチャンの中に住み、働いておられると仰せられました。これは何と言う大きな恵みでしょうか。自分たちの存在の中に復活の主イエスが働かれるとは何という光栄で、大きな意義ある人生でしょうか。
 主イエスは神の御子イエスとして三十数年の生涯を過ごし、大工として、教師として、排斥されたユダヤ人のメシアとして、父なる神の御心を知り、父に完全に従い父の御心を完全に実行されました。その頂点は人類の罪の贖いのためにご自身を献げられたことです。 
 この贖いの完成として、父なる神は主イエスを復活させ、御前に生きる「真実な人間」を主イエスの中で創造されたのです。
 従って、イエスの生涯の歩みと十字架の死と復活が神の究極的な啓示なのです。これ以外に啓示は絶対にありません。復活の主はこの啓示以外の新しい御言葉を語られることはありません。聖霊もこれ以外の神の言葉を語ることは絶対にないのです。

(4)主イエスは霊である
 それゆえ、すべての人が主イエスの中ですでに実現している真実な人間として生きるために、主イエスは聖霊を通して働いておられるのです。主イエスの働きは二つの形を取っています。
 一つの形は、
肉体の見える姿ではなく、聖霊を通して見えない姿の主イエスがわたしたちと出会い対面されることです。そして真の人であるご自身が真理と復活の命の保持者としてわたしたちと出会われます。同時に真の神の絶対的な自由をもって人間を愛するために、ご自身を人間に与え、人の弱さにまで下られた神としてご自身を示されます。また全能で聖なる永遠なる方として、人間に恵み深い、憐み深い、寛容で、忍耐強い方として人間と接せられます。
 そのとき主イエスはご自身が地上の人生で語られた御言葉を、さらに父なる神が主イエスの十字架と復活の事実を通して実現された内容を、主イエスは聖霊を通してわたしたちに語られるのです。
 もう一つの形は、聖霊を通してご自身の思いをわたしたちの心に知らせ、わたしたちの心を啓発し、わたしたちの心を支配する方としてわたしたちの中に働いておられます。同時にご自身の命を与え、わたしたちが主イエスの思いを実行するように促す内的な力として働いておられます。
 この二つの仕方で働いておられる主イエスはかつて地上におられた御子イエスと同じ方であり、終わりの日に再び地上に来られる栄光の主イエスと同じ人格を持っておられます。すなわち、真の神であり真の人間である、神・人なのです。
 以上のような在り方でわたしたちと出会い、聖霊を通してわたしたちの中に働かれる主イエスを聖書は「霊」或いは「主の霊」または「聖霊」と呼んでいます。そして主の霊のあるところに「自由」があると言っています。
 「ここでいう主とは、“霊”のことですが、主の霊のおられるところには自由があります。」(コリント二、3:17)
 それでは主イエスが聖霊を通してわたしたちの心に主イエスの思いを与え、わたしたちの心を啓発し、主イエスの思いを実行させる内的力として働いておられるのは、何のためなのでしょうか。このことは先ほど説明しましたが、別の言い方でも説明できます。
 それは主イエスご自身が昔、ナザレとエルサレムで歩まれた「人生」を現代の全く新しい環境の中で生活している人たちの中で、さらにご自身とは全く違う別の人間の中で繰り返されるためなのです。
 そうすることによってご自身の歩まれた人生に人々を連ならせ、主イエスを信じる者が、主の中に保存されている新しい人間、神の御前に生きる「真の人間」として生きるようにするためなのです。これが全人類の救い主である主イエスの使命です。
 それゆえ、クリスチャンは自分の中に聖霊を通して働いておられる主イエスに注目し、その主イエスに見習い、主イエスの思いに従って、自分も認識し、決断し、行動するのです。正にそうすることは主イエスがわたしたちの中で働かれることなのです。
 それゆえ、使徒パウロは「キリストの霊を持たない者は、キリストに属していません。」(ローマ8:9)とクリスチャンに向かってこの点を強調しています。
 他方、わたしたちは聖書に書かれているイエスの言葉をそのまま理解し、そのまま実行しても、それは聖霊を通してわたしたちの中に働いておられる主イエスに結ばれ、主イエスに従って生きることにはなりません。
 なぜならば書かれた言葉は文字でありますので人を生かさないからです。人を生かすのは、生ける主イエスであり、生ける主イエスは霊であるからです。「文字は殺しますが、霊は生かします。」(コリント二、3:6)
 それゆえ、わたしたちの内に働いておられる主イエスに従い、見習って行動するためには、聖霊の促しを知り、それに応答することが必要です。
 聖霊の促しに従うとき、主イエスの復活の命がわたしたちのうちに働き、わたしたちが「不可能」なことを「可能」にするのです。この点について聖書は次のように注意しています。
 「“霊”の火を消してはいけません。」(テサロニケ一、5:19)
 霊の火とは、聖霊の促しです。わたしたちがそれに応答して行動するとき、聖霊は古い自分を越え、主イエスの中にある新しい人間に生きさせるのです。
 そのようにしてわたしたちは「主イエスの性質を映し出す人間」になって行くのです。このことを父なる神様は一番喜ばれます。
 従ってパウロは次のように言っています。「わたしの子供たち、キリストがあなたがたの内に形作られるまで、わたしはもう一度あなたがたを産もうとして苦しんでいます。」(ガラテヤ4:19)
 また、そのためには聖書に書かれている主イエスの地上での姿と言動そして性質を読み取り、聖霊に導かれて熟慮し主イエスの外面的な姿や行動ではなく、内面的な霊的な意味を知ることが必要です。
 そうすることによって、今も生きて働いておられる主イエスを心の目で見ることができるからです。
 主イエスの復活の光と命によって、地上におられた神の御子イエスの生涯を思うとき、そこに実現している神・人としての人格とその霊的な現実を知ることができるのです。その霊的な現実をエフェソの信徒への手紙1章の23節は、次のように証しています。
 「教会はキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしている方の満ちておられる場です。」
 教会はキリストの霊が満ちている場所であるのですが、そのキリストこそ「すべてにおいてすべてを満たしている方」なのです。神の恵みと真実の充満であり、神の栄光の輝きです。
 キリスト教が歴史の中に出現した一番初めのクリスチャンたちは、礼拝と聖餐式の中に臨在される主イエスとの霊的な交わりを体験し、その喜びと力によって主イエスに従い、神の愛を実行した人たちです。彼らは聖霊によって主イエスと結ばれていたので、復活の主イエスの姿が見えなくても主イエスが聖餐式の場に臨在し、彼らと出会い、主イエスの復活の命が与えられることを経験しました。
 同時に目に見えない主イエスが神の右に坐して、天地万物を支配しておられることを知りました。この確信に基づいて、彼らは信仰の生涯を聖霊の促しによって歩んだのです。



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