2014-08-17(Sun)

新しい人間 2014年8月17日の礼拝メッセージ

新しい人間
中山弘隆牧師

 しかし、来るべき日に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこれである、と主は言われる。すなわち、わたしの律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。そのとき、人々は隣人どうし、兄弟どうし、「主を知れ」と言って教えることはない。彼らはすべて、小さい者も大きい者もわたしを知るからである、と主は言われる。わたしは彼らの悪を赦し、再び彼らの罪に心を留めることはない。
エレミヤ書31章33~34節


 しかし、憐れみ豊かな神は、わたしたちをこの上なく愛してくださり、その愛によって、罪のために死んでいたわたしたちをキリストと共に生かし、――あなたがたの救われたのは恵みによるのです―― キリスト・イエスによって共に復活させ、共に天の王座に着かせてくださいました。こうして、神は、キリスト・イエスにおいてわたしたちにお示しになった慈しみにより、その限りなく豊かな恵みを、来るべき世に現そうとされたのです。事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。行いによるのではありません。それは、だれも誇ることがないためなのです。なぜなら、わたしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。わたしたちは、その善い業を行って歩むのです。
エフェソの信徒への手紙2章4~10節


(1)神の愛の対象としての人間
 本日の聖書の箇所を通して、わたしたちは神がわたしたち人間に対していかに深い愛と大きな恵みをもって、行動し、判決を下し、人間が神の御前に、神と共に生きる道を備えてくださったかを、今日もまた新しく知らされたいと思います。そして全身全霊をもって神の恵みに答える者でありたいと願います。
 人間は他の被造物とは異なり、自分自身が何であるかを考えることのできる唯一の被造物です。たとえ人間は風に吹かれて揺らぐ葦のように極めて弱い存在でも、自分が何であるかを考えることのできる者です。その理由は人間の存在が神によって与えられ、人間が神の恵みの対象として存在しているからです。
 このことは人間の願望による推測ではなく、神の御子イエスの生涯と十字架の死と復活によって明らかになりました。実に御子イエスこそ、神のもとからわたしたちの世界に遣わされた方であり、神であり同時に人間であるのです。この御子イエスによる人間の救いを通して、神はいかなる方であるか、そして神の愛の対象とされている人間はいかなる者であるかが明らかになりました。聖書の言葉で言えば、神様が啓示してくださったのです。
 エフェソの信徒への手紙1章4~5節で、神様は人間に対する永遠の目的を主イエス・キリストの救いを通して啓示されたと言っています。
 「天地創造の前に、神はわたしたちを愛し、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。イエス・キリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです。」(1:4~5)
 ここで神様はわたしたち人間を愛し、天地創造の前から、わたしたちを神の御前に生きる御心に適う「聖なる人間」にしようと欲し、決意し、選ばれたと言っています。
 但しこのような認識は、歴史の中で起こった主イエス・キリストの啓示を通して初めて得られたのです。しかし神は永遠なる方でありますから、啓示の内容は神の永遠の目的によるものであり、天地創造の前からすでに決定されていたと聖書は語るのです。

(2)神との和解
 次に、そのような神の愛と永遠の目的による人類の救いは、神の御子イエス・キリスト、すなわち神・人を通して実現した神との和解の中で実現しました。
 このことについてはエフェソの信徒への手紙2章が語っています。確かに、神の究極的な救いは歴史を越えた永遠の世界において初めて完成します。それまでは完成しません。
 しかしそれだけでなく神様が与えてくださった「現実的な救い」は歴史の中ですでに開始しています。2章16節は次のように言っています。
 「(キリストは)十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架を通して敵意を滅ぼされました。」
 この聖句はキリストが人類を神と和解させられたことにより、人類の中で最も深刻に対立していたユダヤ人と異邦人とが和解し、両者が共に神の民とされたことを強調しています。
 この発言は、救いの歴史と関連しています。すなわち、救いの歴史は旧約聖書の時代に始まり、新約聖書の時代に完成しました。つまり神と民との関係について言えば、旧約聖書の時代は律法による古い契約に基づく関係であり、それは神とユダヤ人の関係でした。新約聖書の時代はキリストによる人類と神との和解に基づく新しい契約の関係であり、それは神とキリスト教会の関係です。
 それゆえ、聖書は異邦人に対して2章13で次のように言っています。
 「あなたがたは、以前は(神から)遠く離れていましたが、今や、キリスト・イエスにおいて、キリストの血によって(神に)近い者となったのです。」
 これは、キリストの十字架の死と復活を通して、人間が神と和解させて頂いたことによって、キリストを信じる者はだれでも「神との人格的な交わり」の中で生きることを意味しています。それゆえ「神に近い者」とは神を礼拝し、神と出会い、神の恵みの中で、神に従う新しい生き方ができるのです。

(3)死から命へ
 次に、聖書はキリストによって人間に与えられた神との和解の内容を「死から命への移行」という視点から語っています。
 「さて、あなたがたは、以前は自分の過ちと罪のために死んでいたのです。--わたしたちも皆、こういう者たちの中にいて、以前は肉の欲望の赴くままに生活し、肉や心の欲するままに行動していたのであり、ほかの人々と同じように、生まれながら神の怒りを受けるべき者でした。」(2:1~2)
 ここで「神の怒り」とは神の愛の反作用で、焼き尽くす火を意味しています。それは神との交わりから締め出された状態です。人間は自己中心的で高慢な者となったため、神との交わりから締め出され、自分の欲望のままに振る舞い闇の中をさまよっている状態です。 
 これは人間の「肉体的な死」ではなく、「精神的な死」を意味しています。言い換えれば「肉や心の欲するまま」に行動することです。因みにパウロが言う「肉」とは肉体というのではなく、「神に反する人間の思いと振る舞い」を意味しています。悪い考えと行動です。
 問題は世間に蔓延している悪い思いや振る舞いそれ自身が善良な人々を堕落させ、その奴隷にするのではありません。そうではなく悪い思いと行動に本人が楽しみを感じている様子をわたしたちが目で眺め耳で聞いている限り、それはわたしたちに害を及ぼしません。 
 しかし自分もやってみたいと思うとき、その誘惑が自分の心の中に入り、心に居場所を作るのです。それは自分の思いと欲望となります。そして自分でもそうすることを喜ぶ人間となります。
 自分の良心では悪いことをしているのではないかという不安の念があっても、人の目を避けて悪を行うことを喜んでいます。その段階で、人は罪の力に束縛されているのです。悪友に誘われて家を出て行った若い人が、自分の思うままに行動し、そこから抜け出ることができなくなっているのと同じです。
 しかし、助けは人間の中から来るのではなく、神の方から与えられました。実に神が主イエスの十字架の死と復活によって、人間をご自身と和解させられたことがその助けなのです。
 エフェソの信徒への手紙は2章4~7節でこのように言っています。
 「しかし、憐れみ豊かな神は、わたしたちをこの上なく愛して下さり、その愛によって、罪のために死んでいたわたしたちをキリストと共に生かし、--あなたがたが救われたのは恵みによるのです。キリスト・イエスと共に復活させ、共に天の王座に着かせてくださいました。」
 御子イエス・キリストが神・人として、人類と連帯化し、人類の罪を負い、人類に代わって神の裁きを受けられ、御子イエスにおいて人類に対する神の意志が完全に執行されたゆえに、神の御前で人間の罪は取り去られたのです。
 ご自身の真理と義を貫徹される神の裁きに対して、死に至るまで従順であった御子イエス・キリストによって神の御前に生きる人間の義と聖と命が達成されたのです。それゆえ、神は御子イエス・キリストを復活させ、天地万物の主とされました。同時に神は主イエス・キリストの中に神の御前に生きる人間の新しい存在を与えられたのです。
 なお留意すべき点は、イエス・キリストの十字架の死によって、確かに神の御前でわたしたちの罪は取り去ら得ましたが、罪は依然としてわたしたちの中に残っています。しかし、神はイエス・キリストの中でわたしたちの新しい存在を与えられ、わたしたちがイエス・キリストに結ばれて生き道を備えられたのです。これが神の与えられた和解です。
 その結果、主イエスを信じる者は、罪に束縛され死と滅びに向かって歩んでいた道から、神の御前に帰る道へと方向転換を行うのです。この方向転換をして、神の御前に帰る道を歩むことが、実に神との和解の中で生きる内容です。
 神が罪人を愛し、罪人を神の御前で生かすために、神様ご自身が御子イエスにおいて、このように人間と深く関わり、人間のためにご自身を与えられたのです。つまり、自分の罪に束縛されている罪人が罪に打ち勝ち、神に従い、善き行いと愛の業を行う人間となるために、神は人間を根本的に新しい人間とされたのです。そして新しい人間の存在を主イエス・キリストの中に置かれたのです。これが神の愛であり神の恵みです。
 次に、神の恵みを受領し、その中で神に従う道は主イエス・キリストを救い主として信じることによって開かれます。
 主イエスを信じる者に聖霊が与えられます。聖霊によって人は主イエスと結ばれるのです。聖霊を通してクリスチャンは主イエスの中にある新しい人間として生き始めるのです。
 ここで、新しい人間の働きは信仰と愛と希望であると言えますが、「愛と希望」を人は実行できてもそれは不完全なのです。それに対して「信仰」は完全です。信仰は単純に信じることであり、神が主イエスの十字架の死と復活の出来事を通して宣告された神の判決を受け入れ服従することであるので、信仰は「完全」なのです。
 それゆえ、信仰によってのみ人は主イエスと結ばれます。信仰によって「聖霊」が与えられます。聖霊を通して、主イエスが信仰者の中に臨在し、信仰者の中で働かれます。
 従ってエフェソの信徒への手紙は、2:8節で、「事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。」と言っています。
 さらに、聖霊は実に「御子イエスの霊」でありますので、神に向かって「父よ」と呼びかけ、祈る霊です。さらに、クリスチャンが神に祈るときに、必ず聖霊が執成しの祈りをしてくださるのです。真に聖霊はクリスチャンに祈りによる神との交わりを与える方です。 
 実に御子の霊である聖霊を受領したことはクリスチャンが神の「養子」とされた根拠です。何と大きな神の恵みでありましょうか。

(4)善き業のために
 最後に、2章10節で聖書は次のように言っています。
 「なぜなら、わたしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、イエス・キリストにおいて造られたからです。わたしたちは、その善い業を行なって歩むのです。」
 ここで、わたしたちは神によって造られた新しい人間である。しかも新しい人間は「イエス・キリストにおいて」造られていると言っています。それゆえ、聖霊によってキリストと結ばれ、聖霊によってキリストがクリスチャンの中で働かれることを通して、クリスチャンは新しい人間として生きることができるのです。
 それでは、聖書が「神が前もって準備された善き業」とは何でしょうか。神があらかじめ準備してくださった善い業はすべてキリストの中に保存されています。従って、クリスチャンの中にキリストが働かれるとき、そのキリストに見習う形で、クリスチャンは良い業を実行するのです。そのことが「神が前もって準備された善い行いを」実行するという意味です。
 さらに、復活の主イエス・キリストはどういう仕方でクリスチャンの中で働かれるのでしょうか。それは聖霊によって主イエスの思いをクリスチャンの心に与え、主イエスの思いがクリスチャンを啓発するのです。同時に聖霊によって主イエスの復活の命と力がクリスチャンの中に働くのです。
 他方、復活の主は聖書の御言葉を通して、クリスチャンと出会い、御自身を示し、同時に命令を与えられ、クリスチャンを実践の現場へ送り出される方です。
 この主イエスは実に聖霊を通してクリスチャンの中に働き、クリスチャンの思いを啓発し、聖霊を通して神の御心を実践させる内的な力として働かれます。このことをクリスチャンは日々体験し、復活のイエス・キリストとの交わりを知り、感謝し喜びに溢れます。
 このようにキリストとの交わりによってクリスチャンは自主的に判断し、自主的に行動できます。このことが2章8節で、「(神はわたしたちを)、キリスト・イエスと共に復活させ、共に天の王座に着かせてくださいました。」と言っている意味です。
 宗教改革者ルターがキリスト者の自由について、「キリスト者は君主であり、同時に隣人に対して僕である。」と教えています。君主であるゆえに、自主的に行動する自由を持っているのは、その自由によって隣人に仕え、愛の業を行うためであると教えています。
 最後に、クリスチャンは神との和解の中で信仰生活をしている者ですから、常に自分の罪を背中に背負っています。方向転換をして神に向かって生きるとき、復活のキリストの霊的力によって、自分の中に残っている罪の思いと力に打ち勝ち、日々新たに神に従うのです。このことの繰り返しの中で、クリスチャンは古い自分からキリストの中にある新しい自分に向かって進んでいくのです。



スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

コメント

教会案内
〒354-0044
埼玉県入間郡三芳町北永井959-3
TEL・FAX:049-258-3766

牧 師:中山弘隆

創立日:1972年2月19日

最寄り駅
東武東上線 鶴瀬駅 西口
東武東上線 ふじみ野駅 西口
よりタクシーで10分
※駐車場完備

三芳教会へのバス利用方法

MAP
三芳教会の地図です
定例集会案内
●主日礼拝
  毎日曜日 10:30~12:00
●教会学校
  毎日曜日 9:15~9:40
●朝の祈祷会
  毎日曜日 9:45~10:10
●キリスト教入門講座
  毎日曜日 9:45~10:10
●マルタマリア会(婦人会)
  毎木曜日 10:30~
●マルタマリア会例会(婦人会)
  毎月第2主日礼拝後

毎木曜日の祈祷会は、2011年5月より、毎日曜日の朝の祈祷会に変更となりました。
三芳教会のご案内
●牧師紹介

●年間行事予定

●写真で見る三芳教会
最新記事
行事報告
● 江田めぐみ伝道師就任式
 (2012年7月22日)


● 教会バザー報告
 (2011年11月23日)


● バーベキュー大会報告
 (2011年8月21日)


● イースター報告
 (2011年4月24日)


● 柿本俊子牧師隠退の感謝会報告
 (2011年3月27日)


● 講壇交換(三羽善次牧師)
 (2011年1月23日)


● 墓前礼拝報告
 (2010年11月7日)


カテゴリ
カレンダー
10 | 2017/11 | 12
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -
月別アーカイブ
全記事INDEX

全ての記事を表示する

お知らせ
ようこそいらっしゃいました。



2016年10月に、当ブログの訪問者が9,000人を超えました。感謝いたします。

2015年9月に、当ブログの訪問者が8,000人を超えました。感謝いたします。

2014年9月に、当ブログの訪問者が7,000人を超えました。感謝いたします。

2014年1月に、当ブログの訪問者が6,000人を超えました。主の導きに感謝いたします。

閲覧者数
現在の閲覧者数
現在の閲覧者数:
メールフォーム
三芳教会やキリスト教についてのお問い合わせ、また当教会へのご意見、ご要望等がありましたら、下記のフォームよりうけたまわります。

お名前:
メールアドレス:
件名:
本文:

検索フォーム
リンク
QRコード
QR