2014-08-10(Sun)

新しい世界 2014年8月10日の礼拝メッセージ

新しい世界
中山弘隆牧師

 そこに大路が敷かれる。その道は聖なる道と呼ばれ、汚れた者がその道を通ることはない。主御自身がその民に先立って歩まれ、愚か者がそこに迷い入ることはない。そこに、獅子はおらず、獣が上って来て襲いかかることもない。解き放たれた人々がそこを進み、主に贖われた人々は帰って来る。とこしえの喜びを先頭に立てて、喜び歌いつつシオンに帰り着く。喜びと楽しみが彼らを迎え、嘆きと悲しみは逃げ去る。
イザヤ書35章8~10節


 わたしは、都の中に神殿を見なかった。全能者である神、主と小羊とが都の神殿だからである。この都には、それを照らす太陽も月も、必要でない。神の栄光が都を照らしており、小羊が都の明かりだからである。諸国の民は、都の光の中を歩き、地上の王たちは、自分たちの栄光を携えて、都に来る。都の門は、一日中決して閉ざされない。そこには夜がないからである。人々は、諸国の民の栄光と誉れとを携えて都に来る。しかし、汚れた者、忌まわしいことと偽りを行う者はだれ一人、決して都に入れない。小羊の命の書に名が書いてある者だけが入れる。天使はまた、神と小羊の玉座から流れ出て、水晶のように輝く命の水の川をわたしに見せた。川は、都の大通りの中央を流れ、その両岸には命の木があって、年に十二回実を結び、毎月実をみのらせる。そして、その木の葉は諸国の民の病を治す。もはや、呪われるものは何一つない。神と小羊の玉座が都にあって、神の僕たちは神を礼拝し、御顔を仰ぎ見る。彼らの額には、神の名が記されている。もはや、夜はなく、ともし火の光も太陽の光も要らない。神である主が僕たちを照らし、彼らは世々限りなく統治するからである。
ヨハネの黙示録21章22節~22章5節


(1)永遠の国
 本日は神様がわたしたち人間とこの世界に与えられた最も確かな希望である永遠の国とは何かをヨハネの黙示録の御言葉を通して知りたいと思います。
 但し、永遠の国とはこの世の様々な苦しみから慰められるために人間が考え出した理想郷、或いは桃源郷ではありません。確かに現世での生活は、競争や争いの満ちている世界であり、弱肉強食の非情な世界です。さらに強い者も弱い者も時の経過と共に過ぎ去るという夢のように極めて儚い世界です。
 このことを考えますと、この世界と人間には何と多くの矛盾と悪が満ちていることかと深い嘆きを覚えます。しかしこのような嘆きは、人間だけではありません。キリストの使徒パウロは自然界の呻きを敏感に感じ取っています。
 「被造物は虚無に服していますが、それは、自分の意志によるのではなく、服従させた方の意志によるのであり、同時に希望を持っています。つまり、被造物も、いつかは滅びへの隷属から解放され、神の子供たちの栄光に輝く自由にあずかれるからです。」(ローマの信徒への手紙8:20~21)
 なぜならば、この世界と人間の創造者は実に生ける唯一の神であるからです。真理と愛に満ちておられる神は万物の創造者であり、主権者でありますので、神は御自身の意志による良い目的をもってこの世界を創造されたからです。
 それゆえ、創造の目的を実現するために、神は世界と人類とに深く関わられました。つまり神様の独り子が人間となってわたしたちの世界に来られました。その方が神の御子イエスです。しかし、御子が人間となられたことにより、神であることを止められたのではなく、神であり同時に人間なのです。そのような神・人としてわたしたちと世界を救い、創造の目的を実現してくださるのです。
 従いまして神の計画から見れば、救いは創造の完成であり、創造は救いの前提であると言えます。 
 また使徒パウロはコリントの信徒への手紙一、15章44~45節で次のように言っています。
 「つまり、自然の命の体が蒔かれ、霊の体が復活するのです。--
 『最初の人アダムが命のある生き物となった』と書いてありますが、最後のアダムは命を与える霊となったのです。」
 ここで言う「最後のアダム」とは「キリスト」のことです。さらにキリストが再臨されるとき、人間は復活するのです。
 「最後のラッパが鳴るとともに、たちまち、一瞬のうちに、死者は復活して朽ちない者とされ、わたしたちは変えられます。」(コリント一、15:52)
 このように人間を死から復活させることが人間を創造された神の究極目的なのです。そのとき人は新しい人間に変貌するのです。
 それゆえ、ヨハネの黙示録1章8節は主イエス・キリストについて次のように言っています。
 「神である主、今おられ、かつておられ、やがて来られる方、全能者がこう言われる。『わたしはアルファであり、オメガである。』」
 このようにすべてのことをご自身の意志によって実現される神様が世界の始まりであり、同時にその終わりなのです。もちろん人間と世界の終わりは、人間と世界が無くなってしまうのではなく、その完成であり、その存在が永遠なる物へと変貌するのです。いいかえれば、人間は神の御前まで引き上げられるのです。
 それが永遠の国です。そこが命の充満している永遠の国です。

(2)天地の更新
 ヨハネの黙示録21章1節は次のように言っています。
 「わたしはまた、新しい天と地を見た。最初の天と最初の地は去って行き、もはや海もなくなった。」
 キリストの黙示を示された預言者ヨハネは、言い換えれば神様が聖霊によって「ヨハネの心」に示された新しい天地を、彼はここで説明しようとしています。それは現在の天地と比べれば根本的に新しくなっていますが、古い天地と本来的に異なる別の天地が現れたというのではありません。この点は5節で明らかにされています。
 「すると、玉座に座っておられる方が、『見よ、わたしは万物を新しくする』と言い、また、『書き記せ。これらの言葉は信頼でき、また真実である。』と言われた。」(21:5)
玉座に座っておられる方とは、全能の神であり、天地の支配者でありますが、その神が「わたしは万物を新しくする」と宣言されたのです。
 このことは非常に大きい意味を持っています。万物とは神が創造された世界であり、わたしたち人間でありますが、それらは人間の不信仰と神への反逆のために堕落し、悪に染まった世界です。その世界と人間の悪とを取り除き、神の栄光を現す世界へと根本的に変えるというのです。
 このことが聖書のメッセージの大切な点です。神は創造のとき意図された目的を、人間の罪と堕落によって、諦めたり、放棄したりせず、救いによって達成されるのだと、聖書は語っています。
 さらに重大なことは、神は「事は成就した」と宣言されたことの持っている霊的現実であります。6節で神は仰せになっています。
 「事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。初めであり、終わりである。渇いている者には、命の水の泉から値なしに飲ませよう。」(21:6)
 この事実は地上の歴史の中にいるわたしたちの間では、まだ実現していません。しかし神の御前ではすでに実現したのです。つまり今や天国が実現したのです。天国は時間を越えた永遠の世界です。
 それは人間の罪によって創造の当初の調和を失い、混乱し、苦悩している世界ではなく、すべてのものが調和し、神の栄光を現すものへと変貌した新しい世界なのです。
 さらにそれは過ぎ去り、朽ち果てる物質によって構成されている世界ではなく、永遠に存続することのできる霊的な材料で構成されている霊的な世界なのです。
 さらに聖書の救いは、人間だけでなく、全被造物の救いであります。このことに思いを至らせますと、神のなさることは何一つとして無駄なものはないということを痛感します。わたしたちがその中に存在しているこの宇宙は、終わりの時に実現する神の国においても、新しく変貌した宇宙として存在するようになるのです。神の救いは何と言う広大な救いでありましょうか。

(3)新しいエルサレム
 次に、預言者ヨハネが見たのは新エルサレムであります。21章10~11節でこのように言っています。
 「この天使が“霊”に満たされたわたしを大きな高い山に連れて行き、聖なる都エルサレムが神のもとを離れて、天から下って来るのを見せた。都は神の栄光に輝いていた。その輝きは、最高の宝石のようであり、透き通った碧玉のようであった。」
 この新しいエルサレムの特徴は、そこに神殿がないということです。これはどういうことかと説明しますと、新しいエルサレムとは、人が神と直面し、神の御前に立つことができるという測り知れないほど大きな恵みの場所なのです。
 「わたしは都の中に神殿を見なかった。全能者である神、主と小羊とが都の神殿だからである。」(21:22)
 これは全能者である主なる神と小羊とが直接都の中におられるというのです。小羊とは屠られた小羊のことであり、人類の罪の贖いのために、十字架でご自身を死に渡された主イエス・キリストを表しています。
 神と主イエスとがおられるので、天の都は神と主イエスから湧き出る永遠の命に満ちており、都全体が透き通った碧玉のように神の栄光で輝いているのです。
 さらに24節では次のように言っています。
 「諸国の民は、都の光の中を歩き、地上の王たちは、自分たちの栄光を携えて、都に来る」と歌われています。
 灯台が暗い海に光を放っているように、新しい都は広い宇宙に光を放ち、また都はガラスのように透明な金や宝石で構成されているので、都の中に神が臨在される姿が見えます。その麗しさに引き寄せられて、世界の隅々から人々が集まって来ます。これは都全体が神の恵みに対して透明になり、全存在を通して神の栄光を輝かせていることを意味しています。
 次に、「地上の王たちは自分たちの栄光を携え」(21:24)、そして「人々は諸国の民の栄光と誉とを携えて来て」(21:26)、都の中心におられる神と主イエスの前に献げて、礼拝します。
 この姿は何という麗しい、明るい、そして肯定的な光景でしょうか。彼らが地上の生活の中で達成した人間的なすべての価値を神に献げ、神はそれを喜んで受け入れられるというのです。ここに人間が創造の秩序に従って、努力し実現した真実な事柄は、霊的な賜物へと変貌し、神の栄光の中で輝くようになるのです。
 勿論、このようなことが実現するのは、20章に記されている神の最後の裁きを経て初めて可能となったのです。20章12節で次のように記されています。
 「死者たちが、大きな者も小さな者も、玉座の前に立っているのを見た。いくつもの書物が開かれたが、もう一つの書物も開かれた。」
 最初の書物には人の為したすべての行為が記されていて、この書物によって、人は自分の行いに応じて裁かれるのです。もう一つは、主イエスの贖いによって、神に知られている人の名前が記されている書物です。この書物は「命の書」と呼ばれています。すべての人はこの二つの書物による検査を受けて、都に入るのです。
 従いまして、都に入って来る王たちや諸国の民は、命の書に名を記された人たちです。
 彼らが携えている人間的な価値は、最初の書物によって裁かれ、あるいは篩にかけられ、悪い業は捨てられ、良い業だけが取り出された彼らの業です。良いものとは、人が神の御前に謙遜であり、自己の功績を主張しないで、神の命令を実行することです。
つまり「正義と公平と愛」の業です。それは世界のすべての民を支配される主イエスの主権、言い換えれば神の摂理のもとで行われた業であり、神の恵みによって行われた善い業なのです。
 しかし、ここで非常に驚かされることは、諸国の王たちは19章19節に記されているようにサタンの部下として、主イエス・キリストと戦い、サタンと共に滅ぼされた者たちです。それなのにどうして彼らが神の国に入って来るのかという疑問です。
 その秘密は主イエスの贖いによって、すべての人間が最終的に救われるからです。
 その根拠は主イエスがすべての人間のために、すべての人間の罪を担って、神の裁きを受け十字架の死に渡されたことです。このことによって、すべての罪人は主イエスの中で既に死んだのです。
 同時に神は人類の罪を主イエスの中で裁かれましたが、死に至るまで神に従順であったイエスによって、神の真理がすべての人間に対して貫徹しました。その結果神は主イエスを復活させられました。そのときすべての罪人は主イエスの中で、神の御前で生きる新しい人間となったのです。
 正にこれがイエスの死と復活が万人に救済を与える根拠です。イエスがその人の罪を負われなかった人間は世の中に一人もいないということ、これが万人救済の神的な根拠です。

 それでは、神の救いはこの世界においてまだ効力を発揮していないのでしょうか。決してそうではありません。キリストを信じる者は地上で、すでにキリストの命を受けて生きるのです。実質的に見ればキリストの再臨の時にすべての人に与えられる救いの先取りとして生きるのです。
 実に、キリストは信じる者に聖霊を与え、聖霊を通して、信じる者の中に働かれるのです。信じる者はキリストとの人格的な交わりを与えられ、キリストの命を受け、神の御心を実践し、神の愛の業を行ない、自分の言葉と行動をもって、キリストの性質を映し出すのです。そこに神の喜びがあり、信仰者は神を賛美するのです。

(4)主イエスを見る至福
 最後に、地上における信仰の旅路を辿る者は、未だ主イエスの御顔を見ていません。聖霊によって主イエスと繋がっていましても、体では離れているからです。それは復活の主イエスは霊的な身体を持っておられるのに、わたしたちの身体は肉の身体であるからです。
 主イエス・キリストの再臨の時、わたしたちは復活させられ、霊的な身体を与えられます。そのときキリストを見ることができるのです。このことが永遠の神の国における最大の幸いです。
 「神と子羊の玉座が都にあって、神の僕たちは神を礼拝し、御顔を仰ぎ見る。」(22:4)
 そこに命の充満と神の愛による万物の調和があるのです。そこに神の栄光の輝きと神への賛美の声が宇宙全体に響き渡るのです。



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