2014-08-03(Sun)

隣人と共に生きる 2014年8月3日 平和聖日礼拝メッセージ

隣人と共に生きる
中山弘隆牧師

 何をもって、わたしは主の御前に出で、いと高き神にぬかずくべきか。焼き尽くす献げ物として、当歳の子牛をもって御前に出るべきか。主は喜ばれるだろうか、幾千の雄羊、幾万の油の流れを。わが咎を償うために長子を、自分の罪のために胎の実をささげるべきか。人よ、何が善であり、主が何をお前に求めておられるかは、お前に告げられている。正義を行い、慈しみを愛し、へりくだって神と共に歩むこと、これである。
ミカ書6書6~8節


 すると、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスを試そうとして言った。「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」イエスが、「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか」と言われると、彼は答えた。「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい』とあります。」イエスは言われた。「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」しかし、彼は自分を正当化しようとして、「では、わたしの隣人とはだれですか」と言った。イエスはお答えになった。「ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」
ルカによる福音書10章25~37節


 本日は日本基督教団が定めた平和聖日の礼拝を守っています。平和を祈り求める礼拝において、日本にとりまして最も必要なことは近隣諸国と共存する道を真剣に求めることではないでしょうか。

(1)では、わたしの隣人とは誰かですか
 本日の聖書の箇所において、主イエスはわたしたちに隣人とは誰であるかを教えられました。ここで先ずユダヤ教のある律法学者が、神の定められた律法をどのように解釈するかについてイエスに論争を仕掛けたことが記るされています。
 先ず、律法学者はイエスに向かって、「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」と議論の火蓋を切りました。イエスはそれを受けて立ち、「律法にはなんと書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか」といって、問いを相手に返されました。これは律法の神髄は何か。律法の根本目的は何かという問いであります。
 それに答えて、律法学者は律法全体を二つの戒めによって総括しています。すなわち、「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい」と律法に書いてある、と答えました。
 この第一の戒めは、敬虔なユダヤ教徒たちが毎日唱和している信仰告白である申命記6章4節と5節に含まれています。すなわち「聞け、イスラエルよ。われらの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」という聖句の後半の部分であります。
 また第二の戒めである「隣人を自分自身のように愛しなさい」という聖句は、レビ記19章18節からの引用です。事実、レビ記には「自分自身を愛するように隣人を愛しなさい」と書いてあります。
 このように律法全体はこの二つの戒めの上に立脚していると答えた律法学者に対して、主イエスは「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」、「あなたは正しく答えた。それを実行しなさい。そうすればあなたは永遠の命に生きるであろう。」と仰せられました。
 このイエスの言葉から分かりますことは、永遠の生命は「神と隣人とを愛する」ことに他なりません。神と隣人とを愛する者は、終末において到来する神の国の生命に、今この地上にあって、その先取りとして生きるのであるとイエスは仰せられました。ここには実に深い意味が秘められています。
 しかし、律法学者は隣人に対する愛について、条件を付けることによって実質的に隣人愛を拒もうとして、次のように言いました。
 「では、わたしの隣人とはだれですか」と問うたのです。
 これは隣人愛の対象を制限することによって、隣人愛の義務を軽減しようと意図したのです。あからさまに言えば、隣人愛を自分たちの仲間だけに限定しようとしています。そして自分たちの仲間を最大限に拡大すれば同胞のユダヤ人であり、最小限に縮小すれば、それは律法学者やファリサイ派の人たちです。
 しかし、彼の意図は律法を与えられた神の意志に反しています。

(2)溢れ出る愛
 これに対して、主イエスは善きサマリヤ人の譬え話をされました。しかしこの譬え話は、例話であり人がその通りに実行すべき性質の物語です。
 イエスがここで示された隣人愛は、民族の枠を越えて働く愛です。「あなたの助けを必要としている者は、どの民族に属していようとも、あなたの隣人である」と言われたのです。すなわち、イエスは「与えられた時と場所で、活きて働く愛をもって、あなたが助けることのできる者は、誰であっても、あなたの隣人なのだ」と教えられています。
 30節で、「ある人がエルサレムからエリコに下っていく途中、追い剥ぎに襲われた。追い剥ぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。」と話されました。
 この種の事件は当時頻繁に起こっていました。エルサレムの町からエリコの町までは、約30キロの急な下り坂です。徒歩で約8時間も掛かかる長い坂道です。しかも岩ばかりの荒涼とした道がどこまでも続いており、追い剥ぎが出没する悪名高き道路でした。それでも幹線道路でありましたので、人々は危険を冒してもそこを通らねばなりませんでした。
 31節、32節で祭司とレビ人が登場してきます。彼らは神殿での当番が終わり、次の当番までの間、郷里に住むためエルサレムから下っていったのだと思われます。ちょうどその時、追い剥ぎに襲われて、半殺しになって倒れている人の傍を通りました。
 祭司は神殿で民衆に律法を教える立場にある宗教家です。それゆえ隣人の災難には誰よりも同情の念が厚いだろうから、きっと自分を助けてくれるに違いないと深い傷を負った被害者は期待しました。それにも拘わらず祭司は見て見ぬふりをしてそこを通り過ぎていきました。彼は自分の身にも危険が迫ってくることを恐れ、足早に立ち去ったのです。また、神殿に仕えているレビ人も同じように、そこを通り過ぎてしまいました。
 わたしたちだったらどうするでしょうか。やはり身の危険を感じて思わず逃げ去るでしょうか。それとも途中で思い返して、気の毒な旅人を助けるために引き返すでしょうか。
 その時、サマリヤ人の旅人が近づいてきました。彼は商人でエリコからエルサレムへ上る途中でした。残念ながら強盗に襲われたユダヤ人にすれば、サマリヤ人から助けを期待することはできません。 
 なぜならば、サマリヤ人はユダヤ人がバビロンに捕囚されていた時期に、祖国に残ったユダヤの貧民階級で、その間に他の民族と混血してしまったからです。
 彼らは神と旧約聖書を信じていたにも拘わらず、ユダヤ人が捕囚から解放されて帰国したとき、ユダヤ教の教師エズラによって、サマリヤ人は純粋のユダヤ人でないという理由で、ユダヤ教から追放されたのです。それ以来、ユダヤ人とサマリヤ人は犬猿の仲で、彼らは互いに敵対していたのです。
 ところが、サマリヤ人は普段自分たちを軽蔑し、差別しているユダヤ人が瀕死の状態で倒れているのを見ると、人ごとのように思わず、深い同情を覚えました。
 「ところが、旅をしていたサマリヤ人は、側に来ると、その人を見て憐れに思い、近寄って傷に油と葡萄酒を注ぎ、包帯をして、自分のロバに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。」(10:33)
 「憐れに思い」というギリシャ語は、実に深い意味があります。それは「心の一番奥から出る感情」に突き動かされ、その人の災難を自分自身の災難のように同情することです。しかもその人を助けることを「自分で決心する」という心の中での最も重要な働きを意味しています。
 これは人間の行う最も高貴な決意であり、本心から出た行為なのです。サマリヤ人はこのように堅く決心して、これまで全く面識の無かった人を、宿屋に連れて行って、介抱し、まるで身内の者のように世話をしました。
 さらに、翌日宿屋の主人にデナリオンの銀貨二枚をわたし、介抱してくれるように頼みました。この額は数日分の宿屋の料金に相当すると言われています。そして、もし余分に掛かった費用は自分がエルサレムを出発するときに支払いますと約束しました。
 考えてみればこのサマリヤ人の献身ぶりは、並大抵の親切ではありません。実に溢れ出る愛であります。法外とも言うべき親切であり、しかも無償の愛です。出し惜しみする施しではありませんし、ひも付きの援助でもありません。心の中から溢れ出る豊かな愛です。
 そこには主イエスが山上の説教の中で、「あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい。誰かが、一ミリオン行くように強いるなら、一緒に二ミリオン行きなさい。」(マタイ5:40~41)と教えられたその積極性があります。言い換えれば自ら喜んで与えようとする自発性が、このサマリヤ人の親切な行為に働いています。
 それでは、人はなぜそのような愛を実行できるのでしょうか。それは決して単なる義務感から実行しているのではありません。神様がわたしたちを愛して下さっていることを知っているからです。
 クリスチャンは主イエスがわたしたちを救うために、十字架について死に、ご自身の尊い命をわたしたちに与えて下さったことを、知っているからです。そして神様は聖霊を通して神の愛をわたしたちの心に注いで下さるからです。

(3)発想の転換
 次に、「わたしの隣人とは誰であるか」という律法学者の発想に対して、善きサマリヤ人の譬え話をされたイエスは、「さて、あなたはこの三人の中で、誰が追い剥ぎに襲われた人の隣人になったと思うか」(10:36)と問いかけ、「その人を助けた人です」(10:37)と律法学者が答えますと、イエスはこう命じられました。
 「行って、あなたも同じようにしなさい」。実にイエスの発想は「助けを必要としている人の隣人になる」ということです。
 ここに発想の転換があります。「わたしの隣人はだれか」という視点から、「わたしが隣人となる」という視点への発想の変換です。
 わたしはこの譬え話を読んで大いに感じますことは、平和を守るためには、すなわち戦争を防止するためには、わが国が中国や韓国、北朝鮮、ロシアや東アジア諸国の隣人となることの必要性です。
 これまで日本人の心に、聖書が言う隣人という意識が全く欠如していました。日本人の道徳や価値観の中で家族や民族が中心的な位置を占めていました。特に明治政府が天皇中心的な忠君愛国を道徳の中心に据え、個人の良心を天皇に対する忠義と愛国心に従属させ、一億臣民が一丸となって富国強兵政策を推進してきました。
 そのようにして明治政府は朝鮮を併合して日本の支配下に置き、さらに昭和に入って中国の北東部の満州に日本の操り人形のような傀儡政権を造り、満州を日本の実質的な支配下に入れました。
 その時、国連は日本が満州に傀儡政権を建てたことを中国に対する侵略であると断定し、日本に対する非難決議を採決しましたので、当時の松岡外相は国連総会で日本の大東亜共栄圏建設の大義名分を強調し、日本は国連を脱退しました。その後まもなく日中戦争が開始され、日中戦争が長引く中でアメリカと英国、豪州、オランダ、インドとの連合軍を相手にして戦う太平洋戦争に発展し、最後に敗戦を迎えることになりました。
 ここに、日本国家と国民の精神支柱に問題があることがはっきりと表れています。明治政府以来の近代的な日本国家は極端な民族主義であり、他の民族、国家に対して隣人、隣国という考え方の欠如です。日本の天皇は明治以来、神として祭られていましたが本当の神ではありませんでした。
 本当の神であり、万国万民を統治しておられる神は、旧約聖書の預言者たちを通して、諸国民と諸国家に対して、何が善であり、何を為すべきかをはっきりと示して来られました。
 ミカ書では「人よ、何が善であり、主が何をお前に求められておられるかは、お前に告げられている。正義を行い、慈しみを愛し、へりくだって神と共に歩むこと、これである。」(6:8)。ここで「慈しみ」とは「憐れみ」という意味です。
 またエレミヤ書では「わたしこそ主。この地に慈しみと正義と恵みの業を行うそのこと、その事をわたしは喜ぶ、と主は言われる。」(9:23)。ここで「恵みの業」とは「公平」という意味です。
 それゆえ神の意志は、諸国とその社会が正義と公平と憐みを行うことにより、国内の問題を解決し、その社会が安定することであり、それによって隣国と共存することが可能になるということです。
 そして生ける神は何が正義であり、公平であり、憐みであるかを国民の一人一人の良心と見識の中に直接に教えられるのです。それは天皇や国家が教えるのではないのです。
 ピューリタンの精神で建国されたアメリカの民主主義の原点は議会運営の多数決という制度の問題ではなく、神様が一人一人に神の御心を教えられることを尊重し、神の御心に従って社会や国家を形成するため皆が集まって協議をすることでした。現代の民主主義と主権在民の原点はここにあるのです。



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