2014-07-13(Sun)

神の創造の御業 2014年7月13日の礼拝メッセージ

神の創造の御業
中山弘隆牧師

 主は天上の宮から山々に水を注ぎ、御業の実りをもって地を満たされる。家畜のためには牧草を茂らせ、地から糧を引き出そうと働く人間のために、さまざまな草木を生えさせられる。ぶどう酒は人の心を喜ばせ、油は顔を輝かせ、パンは人の心を支える。主の木々、主の植えられたレバノン杉は豊かに育ち、そこに鳥は巣をかける。こうのとりの住みかは糸杉の梢。高い山々は野山羊のため。岩狸は岩場に身を隠す。主は月を造って季節を定められた。太陽は沈む時を知っている。あなたが闇を置かれると夜になり、森の獣は皆、忍び出てくる。若獅子は餌食を求めてほえ、神に食べ物を求める。太陽が輝き昇ると彼らは帰って行き、それぞれのねぐらにうずくまる。人は仕事に出かけ、夕べになるまで働く。主よ、御業はいかにおびただしいことか。あなたはすべてを知恵によって成し遂げられた。地はお造りになったものに満ちている。
詩編104篇13~24節


 「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。
マタイによる福音書6章25~30節


(1)命の尊厳
 今日の時代は生命科学の目覚ましい進歩により、生命の秘密を生物学的に解明できるのではないかと考える人が多くいます。しかし、たとえそのようになると仮定しましても、生命に対する畏敬の念を持たなければ、それは甚大な悪影響を人類とこの地球に及ぼすことになるでありましょう。それでは、生命について聖書は何といっているでありましょうか。
 先ず、創世記2:7で、こういっています。
「主なる神は、土の塵で人を形づくり、その鼻に『命の息』を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。」
 この「命」とは、ヘブル語で「ネフェシュ」といいますが、それは呼吸するという言葉から来ているのです。従いましてネフェシュとは「命の息」とも言います。それはすべての生き物が呼吸していることにより、その命を現しているからです。それに対して、呼吸しなくなったとき人間は死ぬのです。
 聖書はここで神が土の塵から人間の体をつくり、その中に命の息を吹き入れられたので、人間は「生きた者」となったと言っています。これが人間の生命に対する聖書の見方です。神ご自身があたかも人体に息を吹き込むようして人間に命を与えられたことを描写しています。この絵画的な表現は一人一人の人間の命が、神から与えられたものであると告白しているのです。
 ある方が父親の臨終を看取ったときの体験を話されましたが、人は息を引き取った瞬間に、何か根本的に変化するように感じるといっておられました。その方のお父さんは老衰で亡くなられましたので、死の直前まで意識がはっきりし、話しも普通にしておられたのですが、突然眠るようにしてこの世を去られました。そのとき息の止まった父親の顔見て、これはすでに自分の知っている父親とは違っている。ここに残されているのは物体であると感じたと言われました。
 このように人が生きている、むしろ生かされているということは実に厳粛な事実です。命は神が人間に与え、また人間から取り去られるものです。いいかえれば、人間の命は神が所有しておられるのです。決して人間が所有しているのではありません。
 本日の聖書の箇所である詩編104篇29節は次のように言っています。
「(神が)御顔を隠されれば彼らは恐れ、息吹を取り去られれば息絶え、元の塵に戻る。」しかし、神はまた新しい人を起されるのです。30節は言っています。「あなたは御自分の息を送って彼らを創造し、地の面を新たにされる。」
 このように聖書は人間の命が神から与えられた賜物であり、神が人間の命を支えておられる間は、人間は命を「享受する」ことができるのです。この信仰が聖書の信仰です。
 但し、旧約聖書の人間の生命に関する見方で注意を要する点があります。聖書は神がご自身の息をアダムに吹き込まれたという描写をしていますので、人間の命は神様の命であると誤解することです。しかし人間の命は神様の命とは全く違います。神の命は永遠であり、人間の命は有限です。
 従いまして、人間は神様が御言葉によって無から創造された被造物なのです。被造物であるゆえに神様の所有物であり、同時に神様の愛の対象であり、常に神の「摂理の御手」に支えられて存在しているのです。
 従いまして、旧約聖書が預言している終わりの日に到来する神の救いに関して、その日に聖霊が万人に与えられると言っています。しかしその聖霊と創世記に記されている「命の息」とは完全に異なっています。聖霊は神様ご自身であり、聖霊が一度人間に与えられたならば、聖霊は再び人間から取り去られることはなく、人間が死んだとき、人間を新しい人間として復活させられます。 
 それゆえ聖書は「この聖霊は、わたしたちが御国を受け継ぐための保証であり、こうしてわたしたちは贖われて神のものとなり、神の栄光を称えることになるのです。」(エフェソ1:14)と言っています。
 この聖霊こそ、主イエスの救いによって、神が人間に与えられるのです。さらに聖霊が与える命とは、主イエスの命であり、永遠の命なのです。
 それに比べれば、キリストの救いが到来する以前に神様が人間に与えられた命は「自然的な人間の命」でした。
 しかし、それでも人間が「神によって創造された命」を持った被造物なので、神様は人間を愛し、その命を支えられるのです。
 次に主イエス・キリストも「人間の命」は神様の深い配慮の中にあることを教えられました。マタイによる福音書6章27節でこのように仰せになっています。
 「あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。」(マタイ6:27)
 このようにわたしたちの「寿命」は神が支配しておられるのです。神がわたしたちの寿命はそこまでですと、仰せになるとわたしたちの寿命は終わるのです。しかし、もっと長く生きたいと思っている人は、自分は死にたくない、どうして神はこんなに早く自分の命を奪われるのか。全く不合理だ、承服できないと反発し、恨みを感じることもあります。
 しかしその短い寿命は神の目に非常に喜ぶべき命、従って非常に価値ある命として映っています。主イエスはその神の愛と配慮を語り、人は誰でもそこに自分の心の平安と喜びを見い出しなさいと仰せられました。
 「しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか。信仰の薄い者たちよ。」(マタイ6:29~30)
 そこにわたしたちが生かされているという事実は他の何ものにも替えられない尊さがあります。このことの中に人間は自己の人生の意義を発見すべきであります。
 
(2)神の豊かな恵み
 従いまして、このような神の偉大な働きを人間は讃美します。このことがまた被造物としての人間の一番大きい幸いです。詩編の作者は24節で、次のように神を讃美しています。
 「主よ、御業はいかにおびただしいことか。あなたはすべてを知恵によって成し遂げられた。地はお造りになったものに満ちている。」(104:24)
 この詩人はこのように地上に存在する生命の多様さと豊富さ観察して、それは神の恵みの豊かさを示すものだと言っております。
 さらに神は「すべてを知恵によって成し遂げられた」と告白しています。すなわち、神は「無限の知恵と遠大な計画」によってこれら命ある動植物すべてを創造され、無限の力をもってそれらの営みを支えておられると神を賛美しています。
 このように世界と人間とその他の被造物は自分たちの創造者である神の恵みと神の力を顕現し、そして神を賛美しているのです。
 しかし、人間がそのような視点を持って自然を眺めることができるようになったのは、神様がご自身は天地万物の創造者であることを啓示しておられるからです。
 先ず神様が人間に働きかけ、アブラハムを選び、救いを約束し、アブラハムの子孫であるイスラエルの民をエジプトの奴隷から救出し、ご自分の民とされたことによって、イスラエルは神を創造者であり恵み深い主権者であることを信じたのです。その信仰は神の啓示による信仰です。
 この神の啓示による信仰を持って自然を見れば、この詩編の作者が言っているように、神様が創造された被造物のすべての場所で、神の力、知恵、善、恵みの業の跡を見ることができます。
 キリスト教がギリシャ・ローマ世界に根付いたとき、人間の自然に対する見方が変わりました。ギリシャの哲学者ソクラテスは自然の樹木や野原を観察しても何も学ぶ価値はないと主張し、彼は決して散歩に出かけることはなかったそうです。彼の弟子であったプラトンがそう言っています。ソクラテスの最大の関心は人間としての自己を知ること、「自己認識」であり、彼は正にこの一点に全精力を注ぎました。
 それに対して古代キリスト教の教父たちは神の被造物としての自然の美しさを見る目を持っていました。
 キリスト教の基本信条であるニカイヤ・コンスタンティノポリス信条は、西暦381年に開催された世界教会会議で制定されましたが、その指導的な役割を果たした有名な教父たちの中に、バシリウスとグレゴリウスという同じ名前の二人の教父がいます。
 彼らは「自然のすべてのもが神を賛美し、言葉では表されないような美しい調べで神に栄光を帰している。彼らに代わって神への感謝がわたしたち人間の言葉によって献げられるべきである。彼らの感謝がわたしの感謝となるであろう。」と言っています。
 また、「星を眺めていると天に咲く永遠の花のように思われ、星は人間の心を見える世界から見えない世界へ高める。」と言っています。
 そして、旧約聖書のルツ記、詩編、ヨブ記、また譬え話はギリシャやローマの文化には見られない神の創造の業を豊かに示していると言っています。
 104篇の詩編の作者は神の創造の業は時を定め、時に従い、秩序を与え、世界全体の働きに大きな調和をもたらしていることに感銘を受け、そこに現されている神の知恵と力を賛美しています。
 19節で、神は一年に春・夏・秋・冬の季節を定め、一日に昼と夜の時間帯を定められたことを語っています。
 20節では昼間は森に潜んでいた動物は夜になると出て来て獲物を取ると言っています。
 22~23節では、森の動物と入れ替わって人間が働きに出かけると言っています。「太陽が輝き始めると人間は仕事に出かけ、夕べまで働く。」と言っています。
 また、神は動物や人間が生きるために必要な資源をすべて与えられることを非常に重視しています。
 先ず水を神は与えてくださることを10節と13節で賛美しています。次に、14~15節では「家畜のために牧草を茂らせ、地から糧を引き出そうと働く人間のために様々な草木を生えさせ、ぶどう酒は人の心を喜ばせ、油は顔を輝かせ、パンは人の心を支える。」と神様を賛美しています。
 このように神の恵みは人間が働き、自己の生活が維持できるように環境と資源を備えると言う点を強調しています。しかし、この神の恵みは今日も変わりません。この恵みがなければ、人間の生産活動と経済活動の全体が成り立つことは不可能です。
 このことを現代のわたしたちは深く認識し、神の定められた秩序を重視し、その中で生きることの英知を得ることが緊急の課題です。

 ギリシャ教父バシリウスは「地上において、天使たちのコーラスに見習って生活する事以上により祝福されたどのような生活があろうかと言い、曙の光が射すと同時に起きて祈り、讃美歌を歌って神を称える。それから太陽の明るい光の中で働くために出かけて行く。どこに行っても祈りを携え、あたかも塩で味付けするように神への賛美をもって自分たちの労働を味付けする。」と言っています。
 一日のこのサイクルに従って生きることが神に創造された人間の生き方であることを証しています。
 そして、夜になって一人で静かに考える時が自分の魂の聖化の始まりである。その時、聖書の御言葉の中に魂の病を癒すすべての薬の宝庫を発見することができると言っています。それはわたしたちが神ご自身との人格的な交わりを持つための良い機会なのです。
 旧約聖書の敬虔な信仰者はこの詩人のように、神を心から信じ、神を「わたしの神」と呼でいます。それに対して、わたしたちクリスチャンは主イエスの救いによって、神を「わたしたちの父」「父なる神」と呼ぶことができるのです。
 それゆえ、この地上での生活と命を感謝し、この詩人のように「命のある限り、わたしは主に向かって歌い、長らえる限り、私の神にほめ歌をうたおう。どうか、わたしの歌が御心にかなうように。わたしは主によって喜び祝う。」(33~34節)と讃美する者たちです。



スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

コメント

教会案内
〒354-0044
埼玉県入間郡三芳町北永井959-3
TEL・FAX:049-258-3766

牧 師:中山弘隆

創立日:1972年2月19日

最寄り駅
東武東上線 鶴瀬駅 西口
東武東上線 ふじみ野駅 西口
よりタクシーで10分
※駐車場完備

三芳教会へのバス利用方法

MAP
三芳教会の地図です
定例集会案内
●主日礼拝
  毎日曜日 10:30~12:00
●教会学校
  毎日曜日 9:15~9:40
●朝の祈祷会
  毎日曜日 9:45~10:10
●キリスト教入門講座
  毎日曜日 9:45~10:10
●マルタマリア会(婦人会)
  毎木曜日 10:30~
●マルタマリア会例会(婦人会)
  毎月第2主日礼拝後

毎木曜日の祈祷会は、2011年5月より、毎日曜日の朝の祈祷会に変更となりました。
三芳教会のご案内
●牧師紹介

●年間行事予定

●写真で見る三芳教会
最新記事
行事報告
● 江田めぐみ伝道師就任式
 (2012年7月22日)


● 教会バザー報告
 (2011年11月23日)


● バーベキュー大会報告
 (2011年8月21日)


● イースター報告
 (2011年4月24日)


● 柿本俊子牧師隠退の感謝会報告
 (2011年3月27日)


● 講壇交換(三羽善次牧師)
 (2011年1月23日)


● 墓前礼拝報告
 (2010年11月7日)


カテゴリ
カレンダー
06 | 2017/07 | 08
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -
月別アーカイブ
全記事INDEX

全ての記事を表示する

お知らせ
ようこそいらっしゃいました。



2016年10月に、当ブログの訪問者が9,000人を超えました。感謝いたします。

2015年9月に、当ブログの訪問者が8,000人を超えました。感謝いたします。

2014年9月に、当ブログの訪問者が7,000人を超えました。感謝いたします。

2014年1月に、当ブログの訪問者が6,000人を超えました。主の導きに感謝いたします。

閲覧者数
現在の閲覧者数
現在の閲覧者数:
メールフォーム
三芳教会やキリスト教についてのお問い合わせ、また当教会へのご意見、ご要望等がありましたら、下記のフォームよりうけたまわります。

お名前:
メールアドレス:
件名:
本文:

検索フォーム
リンク
QRコード
QR