2014-06-15(Sun)

聖霊によるキリスト証言 2014年6月15日の礼拝メッセージ

聖霊によるキリスト証言
中山弘隆牧師

 わが主に賜った主の御言葉。「わたしの右の座に就くがよい。わたしはあなたの敵をあなたの足台としよう。」主はあなたの力ある杖をシオンから伸ばされる。敵のただ中で支配せよ。あなたの民は進んであなたを迎える。聖なる方の輝きを帯びてあなたの力が現れ、曙の胎から若さの露があなたに降るとき。主は誓い、思い返されることはない。「わたしの言葉に従って、あなたはとこしえの祭司、メルキゼデク(わたしの正しい王)。」
詩編110篇1~4節


 かたくなで、心と耳に割礼を受けていない人たち、あなたがたは、いつも聖霊に逆らっています。あなたがたの先祖が逆らったように、あなたがたもそうしているのです。いったい、あなたがたの先祖が迫害しなかった預言者が、一人でもいたでしょうか。彼らは、正しい方が来られることを預言した人々を殺しました。そして今や、あなたがたがその方を裏切る者、殺す者となった。天使たちを通して律法を受けた者なのに、それを守りませんでした。」人々はこれを聞いて激しく怒り、ステファノに向かって歯ぎしりした。ステファノは聖霊に満たされ、天を見つめ、神の栄光と神の右に立っておられるイエスとを見て、「天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える」と言った。人々は大声で叫びながら耳を手でふさぎ、ステファノ目がけて一斉に襲いかかり、都の外に引きずり出して石を投げ始めた。証人たちは、自分の着ている物をサウロという若者の足もとに置いた。人々が石を投げつけている間、ステファノは主に呼びかけて、「主イエスよ、わたしの霊をお受けください」と言った。それから、ひざまずいて、「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と大声で叫んだ。ステファノはこう言って、眠りについた。
使徒言行録7章51~60節


(1)初期のキリスト教会
 本日の聖書の箇所は、ペンテコステの日以来、地上に初めてキリスト教会が存在し、教会は聖霊を通してイエス・キリストの福音を伝道するようになった初期の様子を、伝えています。一般的に言えば初期キリスト教会は、主イエスを信じる者たちの群れであり、信仰と兄弟愛によって主イエスを中心にして結ばれている者たちの集まりでした。
 従って、教会としての制度は今日の制度とは異なり、使徒たちによって福音が語られ、その教えに従って生活する信仰者の群れが教会でした。しかしそこに今日の教会の霊的な意味がすでに明らかにされているのです。
 他方、当時のクリスチャンはすべてユダヤ人であり、異邦人のクリスチャンはまだ一人もいませんでした。ただユダヤ人の中に、ギリシャ語を話すユダヤ人がいて、彼らはパレスティナから離れてギリシャ・ローマ世界に出て行った人たちで、ディアスポラ(散らされた民)と呼ばれていました。従って当時のクリスチャンはアラム語を話すユダヤ人とギリシャ語を話すユダヤ人から成り立っていたと、言うことが出来ます。
 従いまして、表面的に見ますと、クリスチャンは他のユダヤ教徒と余り違ったところがないように思われました。使徒言行録2:46~47にその様子が述べられています。
 「毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まって一緒に食事をし、神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた。こうして、主は救われる人々を日々仲間に加えて一つにされたのである。」
 このようにクリスチャンは神殿で礼拝をし、主イエスの教えに従って、正しく、愛に満ちた生活をしていましたので、一般のユダヤ人から神を信じる敬虔な人たちであると認められていました。
 しかし、キリスト教の独自の礼拝は、家庭集会で行われ、主イエス・キリストの御名によって神に祈り賛美し、洗礼式と聖餐式を執行したことです。このことは2:42にも記されています。
 「彼らは、使徒たちの教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。」
 ここで、「パンを裂く」とは聖餐式を意味しています。このような状況の中で、聖霊に満たされた使徒たちや伝道者たち、さらに一般の信仰者たちによって、キリストの福音が活発に語られたのです。

(2)ステファノによる福音の宣教
 次に、ギリシャ語を話すユダヤ人の中でステファノが人々の注目を集めていました。当時エルサレム教会員の数が多くなり、教会に属する貧しい人たちを支える福祉的な仕事が増大しましたので、使徒たちはその仕事を担当する執事の制度を作り、諸々の苦情の解決を執事たちに委ねました。
 そのとき使徒たちはクリスチャンに仲間の中で、「聖霊」と「知恵」に満ちた評判の良い人を7人選ぶように命じ、そのときに選ばれた7人の中の一人が、ステファノです。
 しかし、ステファノは執事の仕事をしていただけでなく、福音の伝道を活発に行っていました。従って、ステファノの他にフィリポも執事に選ばれましたが、彼も伝道者でありました。
 このようなステファノの活動が6:8~10に記されています。
 「さて、ステファノは恵みと力に満ち、素晴らしい不思議な業としるしを民衆の間で行っていた。ところが、キレネとアレクサンドリアの出身者で、いわゆる「解放された奴隷の会堂」に属する人々、またキリキア州出身の人々などのある者たちが立ち上がり、ステファノと議論した。しかし、彼が知恵と霊とによって語るので、歯が立たなかった。」
 この記事によりますと、ステファノはギリシャ語を話すユダヤ人の間で、主イエスの救いがもたらす自由と真の礼拝について、議論していたと推測することができます。
 ステファノが「知恵」と「霊」とによって、旧約聖書を用いて主イエスの救いを証ししたことが分かります。「知恵」とは旧約聖書に関する知識のことです。「霊」とは聖霊であり、また主イエスの霊ということもできます。
 ユダヤ人にとって「旧約聖書」は神の言葉であり、信仰と生活に関すること、何よりも救いに関すること、すなわちメシアに関することは、旧約聖書による証明が必要なのです。そこでいかに正しく旧約聖書を読むか、そして解釈することが出来るかが最大の問題であります。そのためには聖霊の導きが不可欠なのです。
 なぜならば、聖書は旧約聖書も、新約聖書も神の霊感によって書かれたものです。それは日本キリスト教団の信仰告白にある通りです。すなわち、「旧新約聖書は、神の霊感により成り、キリストを証し、福音の真理を示し、教会の依るべき唯一の正典なり。されば聖書は聖霊によりて神につき、救いにつきて、全き知識を我らに与うる神の言にして、信仰と生活との誤りなき規範なり。」とあるように、旧約聖書は神の霊感によって書かれた書物です。
 従いまして、旧約聖書を正しく解釈するためには、人間の知恵ではなく、聖霊の導きが必要なのです。旧約聖書に書かれている神の言葉は預言者が聖霊に導かれて語った神の言葉ですので、旧約聖書を読む者も聖霊に導かれて読むときだけ、旧約聖書の本当の意味を理解することが出来るのです。
 それに対して、ユダヤ教の問題は、旧約聖書を人間の知恵に頼って解釈していたことです。そして人間の解釈の伝統を作り上げ、その伝統がモーセの権威であるかのように確信していたことです。
 他方ステファノは聖霊によって、旧約聖書の言葉を通して、主イエス・キリストの救いを理解し、今や主イエスによって真の礼拝と神に従う本当の信仰生活が可能となったことを自分でも体験し、確信を持ってユダヤ教徒たちにキリストの福音を語りました。その結果、神に対する信仰と人間の救いと礼拝と生活に関する最も基本的な点で、ユダヤ教徒との正面衝突を引き起こしました。
 そのときステファノをユダヤ教の最高法院に訴えたユダヤ教徒たちの理由は、「あのナザレの人イエスは、この場所を破壊し、モーセがわれわれに伝えた慣習を変えるだろう」とステファノが主張しているということでした。
 使徒言行録を書いたルカは、彼らは偽って告訴したと言っていますので、ステファノが直接そのような言い方をしたのではなかったと思われます。
 ただ明らかなのは、彼が聖霊に導かれて旧約聖書をどのように解釈しているかを最高法院ではっきりと示したことです。
 彼の説教の内容は、神がご自身の目的を持ってアブラハムを選ばれた事から説き起こし、その後神がイスラエルの歴史をどのように導いてこられたかを語っています。その歴史の流れ中で、モーセを通して律法が与えられたことを語っています。確かに、律法は神の民が行うべき戒めとして授与された神の命令です。そのことをステファノは次のように説明しました。
 「この人が荒れ野の集会において、シナイ山で彼に語りかけた天使とわたしたちの先祖との間に立って、命の言葉を受け、わたしたちに伝えてくれたのです。」(7:37)
 ここで、ステファノはシナイ山における神の顕現と律法の授与とを聖霊に導かれて解釈し、モーセが律法をイスラエルの民に与えたことを、神の救いの計画の中で解釈しています。
 つまり、律法が与えられたことは神の救いの歴史の頂点ではなく、それは神の救いの歴史を構成する重大な要素であり、救いの歴史の一つの段階であることを明確にしています。
 神の救いの歴史はその後も継続しており、最終的な救いに向かって進んで行くことがイスラエルに対する神の計画であったと強調しています。このことは、7:37で明瞭にしています。
 「このモーセがまた、イスラエルの子らにこう言いました。『神は、あなたがたの兄弟の中から、わたしのような預言者をあなたがたのために立てられる』」
 これは申命記18:15の言葉の引用です。申命記はモーセがこの預言をしたと記しています。
 そこでは明らかに、終わりの日に到来する預言者が究極的な神の言葉を語り、究極的な神の救いをもたらす救い主であると、モーセは預言しているのです。
 従って、ステファノはイスラエルの民がモーセの指示に従うならば、主イエス・キリストを信じる筈であると、主張しているのです。
 しかるに、イスラエルはモーセを通して、律法が与えられたことが神の究極的な目的であり、それ以外には神の計画と目標はないと理解しています。イスラエルの歴史に対するこの視点が、彼らの最大の誤解です。
 ステファノによれば、ユダヤ人のこの理解と態度とが、旧約聖書の時代における最大の預言者であったモーセに対する反抗であり、従って神に対する不信仰であり、さらに聖霊に対する反逆であるというのです。
 「かたくなで、心と耳に割礼を受けていない人たち、あなたがたは、いつも聖霊に逆らっています。あなたがたの先祖が逆らったように、あなたがたもそうしているのです。いったい、あなたがたの先祖が迫害しなかった預言者が一人でもいたでしょうか。彼らは、正しい方が来られることを預言した人々を殺しました。そして今や、あなたがたがその方を裏切る者、殺す者となった。天使たちを通して律法を受けた者なのに、それを守りませんでした。」
 ここで、「正しい方」とは、「救い主」という意味であり、主イエス・キリストを指しています。旧約聖書の預言は、すべて主イエス・キリストの到来とその業を明瞭に語っています。
 もし人は誰でも聖霊に導かれて旧約聖書を読むならば、聖霊に導かれて語った預言者の言葉の本当の意味が理解できるのです。しかし、聖霊に導かれない者には、旧約聖書の本当の意味とその中心点が分かりません。
 旧約聖書には種々の要素があり、相反する考え方もあり、また預言者の言葉には不明瞭な部分が多くあります。そのため、信仰という名の不信仰によって、ユダヤ人はユダヤ教を形成してきました。このユダヤ人の姿をステファノは「心の頑なな民」「心と耳に割礼を受けていない民」と糾弾したのです。
 しかし、それはユダヤ人を選び、ユダヤ人を通して、人類の救いを実現される神の意志に反する態度に他なりません。神の意志はアブラハムに約束し、モーセに約束し、旧約聖書の古典的な預言者たちすなわちアモス、ホセア、イザヤ、ミカ、エレミヤ、エゼキエル、ヨエル、ゼカリヤなど、彼ら活動は実に200年から250年も続きましたが、彼らを通して神が一貫して語ってこられた神の救いです。
 その究極的な救いが今や主イエス・キリストによって実現したことを、聖霊に導かれたキリストの使徒たち、また聖霊に導かれたステファノなどの伝道者が証しているのです。

(3)ステファノの殉教
 ステファノはユダヤ教の最高法院の裁判を受けましたが、死刑の執行はステファノに我慢できず、怒り猛った群衆によって行われました。それは石打の刑です。しかし、そこに石打の刑の証人がいたので、単なる暴徒によるリンチではないことも分かります。
最後に、使徒言行録は言っています。
 「ステファノは聖霊に満たされ、天を見つめ、神の栄光と神の右に立っておられるイエスを見て、『天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える。』と言った。」(7:55~56)
 ステファノは、復活の主イエスが天に上り神の右に座して、全人類の救い主として、天地の支配者となっておられる「栄光の姿」を見たのです。そのことを聖霊によって神がステファノの心に示されたのです。実にその神の啓示が主イエス・キリストの福音の内容です。
 ペトロはペンテコステの日の説教で、父なる神は「イエス」を死人の中から復活させ、神の右に就かせ、全人類の救い主であり、支配者である「主イエス・キリスト」として立てられたと宣言しました。
 ステファノは死を前にして、主イエスに呼びかけて祈り、「主イエスよ、わたしの霊をお受け下さい」と言いました。それから跪いて祈り、渾身の力を振るって、「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と叫んで、息絶えたのです。
 聖霊に満たされたステファノは、主イエスの愛を全身に受けて、主イエスが十字架の上で祈られたように、罪人が赦されるようにと祈りました。そこに復活の主イエスを見て、主イエスと一つに結ばれている信仰者の姿があります。何という高貴な姿でしょうか。言い換えれば、主イエスの中に自分の新しい存在を与えられている者の姿です。
 神の愛に満ち、罪人のために祈る強い信仰を持っている者、しかも謙遜で身分の弱さを知り、神にすべてを委ね、主イエスにある死は、永遠の命であることを証している者の姿です。それは正に救われた者の姿であり、永遠の命である主イエスの中にある者の最後の姿なのです。
 それは主イエスがステファノの中で働かれたので、ステファノは主イエスの性質を映し出したのです。そのようにして、彼は主イエスを証しました。
 さらにステファノの処刑の場に立ち会った青年サウロこそ、新進気鋭の律法学者であり、その後間もなく、復活の主イエスの啓示により、使徒として召されたパウロです。
 パウロはステファノの死を自分の目で見て、大きなインパクトを受け、ユダヤ教の盲点を知り、内なる葛藤の時期を過ごし、その後に復活の主と出会いました。そのときキリストの救いこそ、全人類に対する神の救いであることを確信しました。そのことによって彼はこれまで自分が信じてきた真の唯一の神を初めて正しく知ることができたのです。
 実にキリストの救いを通して、父・子・聖霊なる唯一の神が究極的にご自身を人間に啓示され、人間存在と深く関わり、キリストによって人間をご自身との人格的な交わりに入れられたことが、聖霊を受けた使徒たちの語った福音の内容です。



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