2014-06-01(Sun)

新しく生まれる必要 2014年6月1日の礼拝メッセージ

新しく生まれる必要
中山弘隆牧師

 さて、ファリサイ派に属する、ニコデモという人がいた。ユダヤ人たちの議員であった。ある夜、イエスのもとに来て言った。「ラビ、わたしどもは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神が共におられるのでなければ、あなたのなさるようなしるしを、だれも行うことはできないからです。」イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」ニコデモは言った。「年をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか。」イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。『あなたがたは新たに生まれねばならない』とあなたに言ったことに、驚いてはならない。風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。」
ヨハネによる福音書3章1~8節


 その後、わたしは諸国の民に、清い唇を与える。彼らは皆、主の名を唱え、一つとなって主に仕える。クシュの川の向こうから、わたしを礼拝する者、かつてわたしが散らした民が、わたしのもとに献げ物を携えて来る。その日には、お前はもはや、わたしに背いて行った、いかなる悪事のゆえにも、辱められることはない。そのとき、わたしはお前のうちから、勝ち誇る兵士を追い払う。お前は、再びわが聖なる山で、驕り高ぶることはない。わたしはお前の中に、苦しめられ、卑しめられた民を残す。彼らは主の名を避け所とする。イスラエルの残りの者は、不正を行わず、偽りを語らない。その口に、欺く舌は見いだされない。彼らは養われて憩い、彼らを脅かす者はない。
ゼファニヤ書3章9~13節


(1)神の国の秘密と新生
 ここにニコデモと言うユダヤ人の指導者が、イエスのもとに来た時の状況が説明されています。3章2節に、「ある夜、イエスのもとに来て言った。」と記されていますが、彼は人目をはばかって夜こっそりと一人で訪ねてきました。彼はイエスの弟子になりたいと言う切なる願いを持っていたと思われますが、いろいろな事情で弟子になることを公表せず、いわば隠れた弟子でありたいと考えていたのでしょう。
 ところでニコデモは最初にイエスを訪ねたとき、言いました。
 「ラビ、わたしどもは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神が共におられるのでなければ、あなたのなさるようなしるしを、誰も行うことはできないからです。」(3:2)
 このようにイエスに対する彼なりの信仰を言い表しました。イエスは彼の信仰の表明をそのまま受け入れ、さらに一歩踏み込んで彼に仰せられました。
 「はっきり言っておく。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできない。」(3:3)
 これはニコデモの最大の関心が神の国であったことを示しています。と言いますのは、イエスによる神の国の宣教に先立って、洗礼者ヨハネが活躍しており、イスラエルの人々の間では神の国到来に対する期待が非常に高まっていたのです。
 言い換えれば、旧約聖書が約束している神の救いが実現する新しい時代の到来です。しかし新しい時代と言いましても、歴史の中で絶えず繰り返される種類の新しさではなく、これまでの歴史全体を根底から新しくする終末論的な視点を持っています。
 終末論的という特殊な言葉は、これまでの歴史全体を終わらせ、もはやそれを越えていく新しさは存在しない永遠の新しさであります。それが聖書の語る神の国の開始です。
 イエスの教えと業はこれまでの教師や預言者の場合とは異なり、「神の業」そのものであると言わざるを得ない力強い霊的現実でした。事実、イエスは「わたしが神の指で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたがたのところに来ているのだ。」(ルカ11:20)と仰せになっています。この終末論的な状況がイエスとニコデモの会話の背景になっています。
 このようにイエスは、「誰でも新しく生まれなければ、神の国を見ることはできない。」と言われたのです。
 それはまた、「あなたはわたしを神から遣わされた者と言うのか。それならば、あなたがわたしを本当に理解し、わたしの居るところにあなたも居るためには、あなたは新しく生まれなければならないのだ。」と言う意味が含まれています。
 しかし、イエスの言葉はニコデモを大変驚かせました。なぜなら神の国が到来すると言うのは、人間の住んでいる社会環境や政治体制が変革され、そのような領域に神が直接介入されることであると彼は考えていたからです。
 それに対して、イエスがあなたは神の国がわたしの宣教と共に始まっているのを見ることができるために、あなた自身が新しく生まれなければならない、と言われたのです。イエスはこの点を特に強調し、三度も繰り返されました。
 特に7節の「『あなたがたは新たに生まれなければならない』とあなたがたに言ったことに、驚いてはならない。」と言う表現は非常に強調した言い方です。ギリシャ語の「--しなければならない」と言う表現は、絶対に必要であると言う響きを持っています。
 イエスのこの重大な発言を聞いて、ニコデモは肝がつぶれるほど驚き、「年をとった者がどうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか。」と反論しています。
 しかしここで「新しく生まれる」と言うイエスの言葉は、「上から生まれる」と言う意味も含まれているのです。むしろここでは「上から生まれる」と言う意味でイエスは使用されています。
 5節では「だれでも水と霊とによって生まれなければ」とイエスは言っておられます。水とは洗礼式の水のことです。霊とは洗礼を受けるときに与えられる聖霊のことです。
イエスが新しく生まれると仰せになった意味は、ここに至って極めて明瞭になっています。それは主イエスが救い主であると信じて洗礼を受けるとき、聖霊が与えられることです。
 一般的にアダムの子孫である生まれながらの人間は誰も聖霊を持っていません。それゆえ聖霊を受ける者は、アダムの子孫とは異なる人間であり、天から生まれた者であり、霊的な人間なのです。
 このことをキリスト教では「新生」といいます。そもそもクリスチャンとはキリストを信じる信仰による信仰義認、新生、聖化、そして復活の希望の人生を歩むことによって、地上の生活を続けながら神の国に生きる者たちです。

 わたくしは未だ伝道師として、木更津教会で伝道牧会していましたとき、長年牧会して引退されました村上先生を特別伝道礼拝にお呼びしたことがあります。先生の親戚の村上さんの家族が教会の古からの会員でありましたので先生に来てもらいました。
その時、先生は「福音の中心はいうなれば人間の魂の入れ替えです」と力強く語られた言葉を覚えています。
 しかし、魂の入れ替えとは、その人が全く別人になってしまうことではありません。そうではなく、生まれながらの個性はそのままでも、自分の存在の中心が入れ替わり、もはや自分の中にではなく、主イエスの中に自分の中心が移されること、そして神様が主イエスの中で与えて下さっている「本当の自分」を発見することです。
 そのような者として神様が自分に計画し、歩ませようと欲しておられる人生を歩み始めること、これが新生です。

(2)人の子の神秘と永遠の生命
 次に、イエスはご自身を「人の子」と呼んでおられます。
 「天から降ってきた者、すなわち人の子のほかには、天に上った者はだれもいない。--人の子も上げられねばならない。それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の生命を得るためである。」(3:13~15)
 イエスはご自身について「人の子」と言う神秘的な呼び方をされました。マルコによる福音書では、人の子とは終末論的な人間であり、神の主権を委ねられ、黙示文学的な描写によれば、終わりの日に天の雲に乗って地上に現れ、すべての人間を裁く審判者です。
 同時に、人の子は人類を罪から解放するために、十字架の死を受け、三日目に復活する贖い主の使命を果たすために来たと仰せられました。
 さらにイエスは「メシア」としての使命を果たされましたが、ご自身がメシアであると公言されたことは一度もありませんでした。従いまして、人の子は謎に満ちた神秘的人物でした。

 それに対して、ヨハネによる福音書は人の子の秘密を明らかにしています。つまり「人の子」とは、「神の永遠の御子」である方が、神のもとからこの世界に遣わされて、「真の人間」となって来られた「イエス」であると言っています。
 またヨハネによる福音書は永遠の御子、すなわち「父の独り子なる神」を「神の言」と呼び、イエスは「神の言の受肉」であり、従って、人の子は「神の言の受肉」であると言っています。このことを明瞭に告白している箇所が、ヨハネによる福音書1章14節です。
 「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。」
 さらに1章17節と18節もこの重要な点を明らかにしています。
 「律法はモーセを通して現れたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して現れたからである。いまだかって、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。」
 以上のことを要約しますと、ヨハネによる福音書で「人の子」とは「主イエス・キリスト」の存在の秘密を明らかにする名称です。
 それゆえヨハネによる福音書の救いに関する大きなテーマである「永遠の生命」について、3章15節は次のように宣言しています。
 「それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである。」
 ところで、神が人間に与えられた永遠の生命とは、人間が神を知り、神に従うことです。実にそのため、神の独り子が人間となって、神のもとからわたしたちのところに降って来られました。
 それゆえ、イエスの中に、聖霊を通して、父なる神が内在し、語り、働かれましたので、イエスは父なる神を完全に知り、父なる神の意志を完全に実行されました。
 それならば、なぜ神様は人間となられたイエスのように、わたしたち人間の中に直接臨在し、働かれないのでしょうか。その理由は神様が罪人の中に臨在されることは神の性質によって有り得ないからです。そしてわたしたちは例外なく皆罪人であるからです。そこにどうしても罪のない神の御子が人間となられる必要がありました。
 そのようにして、イエス・キリストはご自身の言葉と行動と性質を通して父なる神を啓示し、「わたしを見た者は父を見たのである。」(14:9)と仰せになったのです。
 それゆえ、「永遠の命」とは、イエス・キリストの中に働いた命に他なりません。さらにイエスの命が信仰者の中に与えられる命となるために、イエス・キリストは人類の罪を贖う必要があり、ご自身を与え、人類の罪を引き受け、十字架の死を全うしなければなりませんでした。
 この点をヨハネによる福音書は赤裸々に語っています。人の子であるイエス・キリストは仰せになっています。
 「はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。」(6:53~54)
 この言葉はもちろんイエスの生身の肉と血のことを意味しているのではありません。そうではなく、イエスが生身の体で神への従順を全うし、人類の罪を贖い、そのことを通して、永遠の命を達成されたことを意味しています。
 従いまして、「永遠の生命」は今やイエスの「復活」の中に保存されているのです。
 もっと正確に言えば、死人の中から復活し、主となられた「主イエス・キリストご自身」が永遠の生命なのです。
 今やキリストの十字架の言葉を聞いて信じる者に、復活の主イエス・キリストは出会われ、聖霊を与えられるので、聖霊を通して復活の主イエスが信じる者の中に働かれるのです。実にこれによって信仰者は永遠の命に生きるのです。

(3)神と人との仲保者主イエス
 最後に、人間の罪を贖い、神についての真の知識を与える人の子は、神と人との仲保者なのです。すなわち、主イエス・キリストは真の神であり、真の人でありますので、存在的な意味で神と人との仲保者なのです。このことをヨハネによる福音書は明らかにしています。
 今や復活の主イエス・キリストは聖書の御言葉を通して、わたしたちと出会い、聖霊を通して、わたしたちの中に働き、わたしたちが神の意志を実行し、互いに愛し合いながら、主イエスの性質をより鮮明に映し出す者となるように導かれるのです。
 それゆえ、わたしたちは現在すでに神の国に生き、主イエスの救いが完成する最後の日には、復活させられ、最終的に神の国に入れられます。
 そのような救い主として、パウロは「主は命を与える霊」であると言っています。
 「『最初の人アダムは命のある生き物となった』と書いてありますが、最後のアダムは命を与える霊となったのです。」(コリント一、15:45)
 ここでパウロが「最後のアダム」と言っているのは、ヨハネによる福音書の言う「人の子」のことです。
 実に、主イエス・キリストは「霊」であり、ご自身の内に人間が神の国に生きる「永遠の命」を持っておられます。同時に、ご自身が霊であるので出会う者に「聖霊を与えられる」方なのです。聖霊を通して、ご自身の命を与えて下さるのです。
 これほど大きな恵みは他に絶対ありません。それゆえわたしたちは感謝し、確信して、主イエスに従う人生を歩む者たちです。



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