2014-05-25(Sun)

神の真実への服従 2014年5月25日の礼拝メッセージ

神の真実への服従
中山弘隆牧師

 主の命令により、イスラエルの人々の共同体全体は、シンの荒れ野を出発し、旅程に従って進み、レフィディムに宿営したが、そこには民の飲み水がなかった。民がモーセと争い、「我々に飲み水を与えよ」と言うと、モーセは言った。「なぜ、わたしと争うのか。なぜ、主を試すのか。」しかし、民は喉が渇いてしかたないので、モーセに向かって不平を述べた。「なぜ、我々をエジプトから導き上ったのか。わたしも子供たちも、家畜までも渇きで殺すためなのか。」モーセは主に、「わたしはこの民をどうすればよいのですか。彼らは今にも、わたしを石で打ち殺そうとしています」と叫ぶと、主はモーセに言われた。「イスラエルの長老数名を伴い、民の前を進め。また、ナイル川を打った杖を持って行くがよい。見よ、わたしはホレブの岩の上であなたの前に立つ。あなたはその岩を打て。そこから水が出て、民は飲むことができる。」モーセは、イスラエルの長老たちの目の前でそのとおりにした。彼は、その場所をマサ(試し)とメリバ(争い)と名付けた。イスラエルの人々が、「果たして、主は我々の間におられるのかどうか」と言って、モーセと争い、主を試したからである。
出エジプト記17章1~7節


 兄弟たち、次のことはぜひ知っておいてほしい。わたしたちの先祖は皆、雲の下におり、皆、海を通り抜け、皆、雲の中、海の中で、モーセに属するものとなる洗礼を授けられ、皆、同じ霊的な食物を食べ、皆が同じ霊的な飲み物を飲みました。彼らが飲んだのは、自分たちに離れずについて来た霊的な岩からでしたが、この岩こそキリストだったのです。
コリントの信徒への手紙一 10章1~4節


(1)歴史の事実による神の選び
 出エジプトの歴史的な出来事は、エジプトの奴隷階級であったイスラエルを神様がご自身の民として選ばれた神の愛の啓示です。
 このことが聖書の信仰の原点です。神様は歴史の事実の言葉をもって語り、ご自身を啓示される方です。実にこれが聖書の神です。
 出エジプトの一連の事件のクライマックスは出エジプト記14章と15章に記されています。夜間に乗じて脱出したイスラエルの民を連れ戻そうと追跡して来たエジプトの王ファラオの精鋭であった戦車部隊が、逆流してきた海の波に呑み込まれて、ファラオの目の前で一瞬のうちに全滅したことです。それは自然現象をも支配される神の強い御手の現れでした。
 ここに、イスラエルにご自身を現わされた神が人類の歴史を支配される主権者であることが明らかに示され、さらに神は天地万物の主権者としての絶対的な自由をもって、イスラエルを愛し、彼らをご自分の民に選ばれたことが啓示されたのです。この神の行為とそこに働いている神の恵み深い意図を信じ、理解し、神に従うことが聖書の信仰です。
 神はイスラエルの民を選び、その民の歴史を通して、神の救いを全人類に及ぼそうと決意しそのように定められました。
 この神の意図と計画について、申命記7章7~8節は、次のように説明しています。
 「主が心惹かれてあなたたちを選ばれたのは、あなたたちが他のどの民よりも多かったからではない。あなたたちは他のどの民よりも貧弱であった。ただ、あなたに対する主の愛のゆえに、あなたたちの先祖に誓われた誓いを守られたゆえに、主は力ある御手をもってあなたたちを導き出し、エジプトの王、ファラオが支配する奴隷の家から救い出されたのである。」
 従いまして、イスラエルは自分の価値のためではなく、ただ神の先行する愛によって選ばれました。その目的は人類の歴史を支配する神の知恵と力と神の愛の性質とを証するためです。
 これが第一の目的です。第二の目的は、イスラエルが人智を超えた神の愛に感謝し、神を信頼し、神に従い、神の命令を実行することです。つまりそのようにしてイスラエルが神の性質を映し出す神の民となり、全人類に神の救いを証するためです。
もしイスラエルが強力な民であったとすれば、人間は高慢で、自分本位の考え方をしますので、出エジプトの事業は自分たちの勇気と努力によって達成したのだと考え、歴史を支配する神の力を知ることはできなかったでしょう。
同時に絶対的な自由をもって、イスラエルを選ばれた神の愛の深い性質も理解できなかったでありましょう。
 その愛に対して心から感謝し、自ら進んで神に従うこと以外の生き方は最早ありえないと認識し、その生き方を喜ぶ幸いを体験できなかったでしょう。

(2)信仰を要求する一連の事件
 次に、出エジプトの事件は最初から最後まで信仰を要求する事件であります。言い換えれば、神様が歴史の中の行為を通して語られる神の言葉を聞くためには信仰が必要でありました。
 この視点から見ますと、神の目的の実現は不信仰との絶えざる戦いの中で進展して来ました。
 その一つの大きな戦いが出エジプト記17章に記されています。
 「民がモーセと争い、『我々に飲み水を与えよ。』と言うと、モーセは言った。『なぜわたしと争うのか。なぜ神を試すのか。』(出エジプト17:2)
 ここで、「争う」とありますが、それは単なる喧嘩ではありません。そうではなく神が任命されたモーセの指導者としての地位を否定したのです。長い旅に疲れ果てやっと辿り着いた宿営地に水が全くありませんでした。水がないと言うことは致命的です。突然の破局に直面して、モーセに対する不満が一気に爆発しました。しかしたとえモーセを石で打ち殺しても民はこの窮地から脱出することはできません。それは絶望から発する理由なき反抗です。
 それに致しましても、これまでもイスラエルの陣営では信仰的な見方をする人たちと、不信仰な見方をする人たちとの間で、激しい意見の対立が繰り返されてきました。
 困難に遭遇すると、不信仰の側が優勢になり、出エジプトの意義を根本から否定しました。彼らは民をエジプトの奴隷の境遇から導き出された方が神であり、この事業は神の事業であることを信じようとはしませんでした。
 「なぜ、我々をエジプトから導き上ったのか。わたしたちも子供たちも、家畜まで渇きで殺すためなのか。」(出エジプト17:3)
 そしてエジプトの生活を思い起こして恋しがったのです。今や自由の身となった民の食事は、エジプトの奴隷であったときの食事と比べると、はるかに劣っていました。食べ物についての彼らの嘆きは大きかったのです。出エジプト記の並行記事であります民数記11:4~6節で次のように書いてあります。
 「民に加わっていた雑多な他国人は飢えと渇きを訴え、イスラエルの人々も再び泣き言を言った。『誰か肉を食べさせてくれないものか。エジプトでは魚をただで食べていたし、きゅうりやメロン、葱や玉葱やにんにくが忘れられない。今では、わたしたちの唾は干上がり、どこを見回してもマナばかりで、何もない。』」
 こう言って大の男も泣き出しました。まことに哀れな姿がそこに露呈されています。その原因は彼らが生活の安楽だけを考えていたからです。出エジプトの事件によって、天地万物の主権者である生ける神に愛され、神の民として選ばれたゆえに、自分たちの人生を貫いている神の恵み深い目的に心を向けていないからです。
 どのような事態になろうとも変わらない神の選びと神の愛を見つめながら日々を送っていないから、哀れな状態に陥るのです。

(3)主権者である神の愛の性質
 次に、旧約聖書で最も特徴的なことは、神の愛の性質です。神はイスラエルを選ばれたことにより、ご自身をどこまでも民と連帯化されたのですが、それは決して自然的な結びつきではありません。連帯性を保つ中で、神は神であり、人間とは異なる主権者です。この神と人との区別は厳然としています。
 言い換えれば、神はご自分の民の罪を裁く審判者なのです。神は神として、ご自分の民の罪を見逃されることはありません。
 民に対する神の愛は、民が神を信じ、神に従うことの中で働いているのです。他方、民が神を信ぜず、神に反抗し、神の愛を裏切るとき、神の愛は怒りとなって、民を裁きました。罰する神の怒りはイスラエルにとって、まことに恐るべき威力を持っていました。 
 しかし神の怒りは神の愛が違った形で現れたのであり、イスラエルの罪を焼き尽くす愛の炎でした。
 この神の怒りを受けるとき、それでもなお神を信じ、信頼し、悔い改めることが、神に選ばれた民の信仰なのです。本当の信仰は神様の愛の鞭を受け、自分の高慢と利己的な生き方を改めることです。

 海外医療協力会から派遣され、ネパールの結核の治療と保険事業に従事された岩村昇先生はネパールでは信頼が厚く、国王の車に一緒に乗せられる厚遇を受けられました。
 先生がネパールに行っておられた期間の或る時期に先生の母上が所沢武蔵野教会に出席されていましたので、先生をお呼びしてネパールのことを伺いました。その話の中で、先生は明るい笑顔でこのように仰いました。
 「神様はわたしが高慢になっていると、拳骨を一つわたしの頭上に落とされます。その時、自分は『ああ痛い、神様有難うございます。』と神様に感謝します。」
 このように話された先生の姿をわたしは今でも覚えています。その時、教会員の皆様にネパール語で、「神は愛である」とのサインをしてくださいました。
 イスラエルの民が出会った試練は神への信頼と服従の問題でした。イスラエルの神は、不信仰と反逆のために神との契約を破った民に対して、どのように対処されるかの問題でした。それは正にイスラエルの民の存続に関わる重大な危機の中で、神はモーセに仰せになりました。
 「イスラエルの長老数名を伴い、民の前を進め。また、ナイル川を打った杖を持って行くがよい。見よ、わたしはホレブの岩の上であなたの前に立つ。あなたはその岩を打て。そこから水が出て、民は飲むことができる。」(出エジプト17:5~6)
 モーセは神の命令に従い、ホレブの山の岩を杖で打ちました。するとたちまち新鮮な水が湧き出て、民は命を保つことができたのです。この深い意味を民数記20章13節が示しています。実にその所で神は御自身が「聖なる方」であることを啓示されました。
 「これがメリバ(争い)の水であって、イスラエルの人々が主と争った所であり、主がご自分の聖なることを示された所である。」
 それゆえ、この場所はその後「カデシュ」と改名されました。「カデシュ」とは「聖なる場所」と言う意味です。
 そこにおいて神の愛は、背信の民に対して審判を下す焼き尽くす火となりますが、それでも神の愛は首尾一貫しており、終始変わらず愛し続け、民を救い、神がイスラエルを選ばれた目的を最終的に実現する愛なのです。それを神は「聖なる愛」として示されました。

(4)イスラエルと共におられた霊的な主キリスト
 最後に、モーセに「見よ、わたしはホレブの岩の上であなたの前に立つ。」と仰せになった聖なる神は、ホレブの岩から命の水を与えられました。
 さらに驚くべきことに新約聖書はコリントの信徒への手紙一の10章1~13節で、「その岩こそ霊的主キリスト」であったと証しています。
 「皆、同じ霊的な食べ物、皆が同じ霊的な飲み水を飲みました。彼らが飲んだのは、自分たちに離れずについてきた霊的な岩からでしたが、この岩こそキリストだったのです。」(コリント一、10:3~4)
 それゆえこの霊的なキリストは神がイスラエルをご自分の民として選ばれた時から常に民と共にいましたことが啓示されました。
 主権者としてイスラエルを選ばれた神の愛は、神を裏切る者に対して焼き尽くす火となり、契約を破棄する民に対する裁きとなって働きましたので、その都度イスラエルは存続の危機に直面しました。
 しかしそれでもなお主権者である神はイスラエルを愛し続けられる「聖なる神」でした。そのとき聖なる神の愛は、霊的キリストとしてイスラエルの中に働いたのです。
 しかし、この「霊的キリスト」とは神の言葉である「御子の霊的働き」でありましたので、イスラエルの民の目には隠されており、理解できませんでした。彼らにとって御子の霊的働きは神秘であり、困惑させる大きな謎でした。その神秘はイエス・キリストの誕生により初めて解明されるべき謎であったのです。
 なぜなら神の愛と神の怒りは、共に主権者の同じ愛であり、民に対する神の最終目的を実現する聖なる愛であるからです。すなわち「御子イエス」を民に与える神の愛であるからです。
 正にそれは御子イエスが人類に代わって罪の裁きを受け、十字架の死によって、人類の罪を取り去られたことです。同時に父なる神に完全に従われた御子イエスの中に父なる神は人間のために永遠の命を創造され、神を信じる者が永遠の命に生きるようにされたことです。
 このとき初めてイスラエルの歴史の中で隠れた形で働いていた神秘が明らかになったのです。そのような神の働きを記している旧約聖書は「キリストを預言している」のです。
 今や神の言葉である御子が受肉し、歴史の中でその歩みを全うし、十字架の死により人類の罪を贖い、三日目に死人の中から復活し、主イエス・キリストとなられました。
 その結果、福音を語る新約聖書は神の言葉の基準となり、同時に旧約聖書も含めた聖書全体が今や神の言葉となったのです。言い換えれば、復活の主イエス・キリストは聖書全体の言葉を通して、今日のわたしたちと出会い、救いを与えてくださるのです。
 要するに、旧約聖書のイスラエルの歴史を通して神は働き、キリスト到来の道を備えられました。そこにキリストの救いが預言されています。他方、新約聖書はキリストよる神の救いの実現と神の国の開始を語っています。
 この聖書全体において、復活の主イエスはわたしたちと出会い、主イエスを信じる者を聖なる神の民に加えてくださるのです。
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