2014-05-18(Sun)

主の赦しとその力 2014年5月18日の礼拝メッセージ

主の赦しとその力
中山弘隆牧師

 あなたの父母を敬え。そうすればあなたは、あなたの神、主が与えられる土地に長く生きることができる。殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。隣人に関して偽証してはならない。隣人の家を欲してはならない。隣人の妻、男女の奴隷、牛、ろばなど隣人のものを一切欲してはならない。」
出エジプト記20章12~17節


 イエスはオリーブ山へ行かれた。朝早く、再び神殿の境内に入られると、民衆が皆、御自分のところにやって来たので、座って教え始められた。そこへ、律法学者たちやファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせ、イエスに言った。「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか。」イエスを試して、訴える口実を得るために、こう言ったのである。イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた。しかし、彼らがしつこく問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」そしてまた、身をかがめて地面に書き続けられた。これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしまい、イエスひとりと、真ん中にいた女が残った。イエスは、身を起こして言われた。「婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罪に定めなかったのか。」女が、「主よ、だれも」と言うと、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」〕
ヨハネによる福音書8章1~11節


 本日の聖書の箇所は、7章53節~8章11節まで、[  ]の印が付いています。これはこの箇所がヨハネの福音書の古い有力な写本にないので、ヨハネの福音書に属する文章であるかどうかは不明であるという但し書きです。それにしてもこの箇所は福音の中心である主イエスによる罪の赦しを語っており、主イエスの御心と態度、行動を歴史的に示しているので、非常に重要な記事であると言えます。

(1)神の国と主エイスの宣教活動
 福音書や使徒言行録が異口同音に語っていることは、神の国は主イエスの宣教活動と共に開始したという事実です。
 「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」
(マルコ1:15)
 ここで神の国とは、第一に人間に対する神の恵み深い支配を意味しています。第二にそこにおいて人間は神との正しい関係の中で、霊的な命を与えられ、神の御前に生きる場所を意味しています。
 そのために何よりも人間のすべての努力に先行する神の恵みが与えられることが必要です。そういう意味で、神の国は人間の罪を神様が赦してくださることによって、開始しました。
 例えば中風の人を癒されたとき、イエスは先ずその人に罪の赦しを宣言されたのです。
 「子よ、あなたの罪は赦される。」(マルコ2:5)
 この言葉のギリシャ語のニュアンスを正確に翻訳しますと、イエスが「あなたの罪は赦される」と語られる正にその時に、罪の赦しが生起するという特異な意味を持っています。
 それゆえイエスの発言を聞いた人たちは非常に驚き、罪を赦すことのできる方は神のみであるのに、どうしてこの人はそのような言い方をするのかと心に疑問を感じました。
 しかし、イエスの言葉と共に超自然的な力が働き、その人は長年の病から癒されました。この驚くべきイエスの罪の赦しの発言と癒しの力は、実際そこに神ご自身が働かれたことを示しています。
 言い換えれば、人は誰でも主イエスによって自分の罪が赦されるとき、初めて神との人格的な交わりの中に受け入れられるのです。さらにそれは決して暫定的な、あるいは部分的な受け入れでなく、全面的に永久に受け入れられるのです。これが神の国の開始です。
 人はこのことによって初めて心の平安を見いだします。一切の思い煩いから解放されます。主イエスを信じても相変わらず自分は罪深く、弱く、取るに足らない者であるにもかかわらず、自分はこれでもう大丈夫だという確信が与えられるのです。
 なぜならば、恵み深い神のみ手にすべてを委ね、神に従う人生が、本当の人生であるという信仰が与えられるからです。それはこれまで自分は何を探しているのか分からないまま、探し続けてきたものが今ここにあるという喜びです。
 そこから主イエスによる罪の赦しを自分の人生の土台として、新しい人生が始まります。

(2)絶対的な神の愛
 ルカによる福音書で、イエスは罪人に赦しを与えられる神の愛の深さと広さを語っておられます。有名な「放蕩息子の譬え話」が、ルカ15章11節以下に記されています。
 イエスが作られたこの譬えの中心点は、自分の欲望のため父に無理やりに願って分けて貰った財産を携えて家出した次男が、放蕩な生活の挙句の果てに落ちぶれて家に帰ってきました。それを見つけて父親は走り寄り、首を抱いて喜び、いなくなっていた息子が再び見つかったのだからと言って祝宴を開きました。さらに放蕩息子を養子とする指輪を指にはめてやりました。
 ここで養子にしたのは、もはや放蕩息子ではなく、父の許にいることを喜ぶ息子として迎え入れたと言う意味です。この絶対的な愛が譬え話の眼目です。
 この譬え話は自分の欲望のために、神から離れ去った罪人を神はそれでもなお愛し、罪人が神のもとに立ち帰るまで捜し続け、最後に探し出される神の絶対的な愛を示しています。
 さらに神が今や主イエスを通して、罪人を探し出し、罪の赦しをもって罪人と対面しておられると言う福音が、この譬え話の背後に存在します。
 それゆえ、神の絶対的な愛の前では、人間の相対的な善悪は最早問題ではありません。
 なぜならば人間は例外なく、すべての者が罪を犯して、神から遠く離れ、神の栄光を受けられなくなってしまっているからです。それが人間の罪の現実です。しかし、人はこの現実を直視しないで、自分勝手な夢をそれぞれ抱いています。
 そのような偽りの慰めによって、人の心は病んでいるのです。それゆえ心の病が癒される秘訣はただ一つです。
 それは主イエスによって神の赦しが与えられることです。そして人の心を神の恵みの光が照らすとき、人は永遠の命を受けるのです。

(3)自己を義とする者の偽り
 本日の聖書の箇所には、姦淫の現場で捕らえられた女性を、律法学者やファリサイ派の人々がイエスのもとに連れてきたと書いてあります。通常、有罪判決を下すためには二人か三人の証人が必要でした。この場合は現行犯ですので、証人は不要です。しかし、姦淫の女性一人が逮捕されて、相手の男性は逮捕されませんでした。男性はとっさに逃げてしまったか、あるいは故意に見逃されたのでしょう。この場合、モーセの律法によれば「石打の刑」に処せられます。姦淫の罪は、旧約聖書では殺人と同じように重大な罪と見なされています。
 ところで、このようなモーセの律法には、道徳や礼拝あるいは清めの儀式に関する律法だけでなく、イスラエル社会の平和と秩序を保つために必要な律法が含まれていました。つまり、今日の民法、商法、社会福祉法、そして刑法が含まれていたのです。
 律法学者たちはそのような律法の専門家でありました。ここで律法学者やファリサイ派は、姦淫の女性よりもイエスがこの事件をいかに対処するかに関心があったと思われます。
 彼らはもしイエスがこの女性を赦すならば、イエスはモーセの律法に違反することになり、従ってイエスを訴えることができるという魂胆でした。それゆえ、彼らはイエスに向かって、この事件にどういう判決を下すのかと尋ねたのです。
 「こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか。」(8:5)
 それに対して、「イエスはかがみ込み、指で地面に何かを書き始められた。」(8:6)
 この場合にイエスが地面に指で何と書かれたかということは問題ではありません。そうではなく、イエスはこのようにして律法学者たちの質問に対して沈黙されたのです。それは回答の拒否です。
 それでもなおしつこく彼らが回答を要求するので、イエスは身を起こして次のように仰せられ、再び身をかがめて、地面に書き始められました。
 「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」
 この言葉は申命記17:7の御言葉を思い起こさせます。
 「死刑の執行に当たっては、まず証人が手を下し、次ぎに民が全員手を下す。あなたはこうして、あなたの中から悪を取り除かねばならない。」
 しかし、そのとき実に驚嘆すべきことが起こりました。年長者から始まって、一人また一人とその場を立ち去ってしまったのです。
 この箇所で、大部分の写本は次の語句を挿入しています。
 「彼らは良心によって、自己の有罪を示された」
 なぜならば、イエスがその場に臨在されたことによって、これまで自分は正しい者だと確信していた人たちが、良心に目覚めさせられ、自分の罪を自覚するに至ったのです。
 これは正に奇跡です。その理由は専らイエスがそこに臨在されたので、彼らの良心に大きな影響を及ぼされたからです。

(4)イエスの命令と新しい未来
 その結果、「真ん中にいた女が一人残った。」この時イエスは仰せられました。
 「婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。誰もあなたを罪に定めなかったのか。」婦人が「主よ、誰もいませんでした。」と答えると、イエスは女性に向かって仰せになりました。
 「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」
 ここで、イエスは「わたしも」と仰せになっていますが、「わたし」という言葉は特に強調した言い方で、重大な響きを持っています。これは正に神ご自身の厳かな宣言であることを示しています。
 ここで、イエスは「わたしもあなたを罪に定めない」と仰せになったのは、この女性の置かれた環境を考慮し、情状を酌量して、罪を軽くされたと言うのでは決してありません。
 イエスは律法学者たちのように、人間の罪の重さ軽さを測り、罪の量に応じて、刑罰を定める裁判官になることを拒否されました。イエスは罪をいわば相対的に取り扱われなかったのです。
 罪人を救うために、そして罪人に神の力ある赦しを与えるために、人の罪に対して、「絶対的な判決」を下されました。それは何かと言いますと、それこそあらゆる罪人に対する死の判決です。
 しかも、石打の死刑でなく、罪を滅ぼすための死です。そのため、主イエスはご自身を犠牲にされました。
 詳しく説明すれば、イエスが人類の罪を一身に担って、イエスが十字架の死を引き受けて下さったのです。正にそのことによって、人類の罪はイエスの中で消滅したのです。
 このイエスを父なる神は死人の中から復活させて、神の国の支配者、全人類と全世界の主権者としてお立てになりました。その結果、イエスを信じる者はイエスご自身の義と命とを与えられて、神の御前で生きるのです。実にこれが罪の赦しであり新しい人生なのです。 
 今や主イエスを信じる者は、自分の罪が自分の中ではなく、イエスの中で消滅し、つねに罪の赦しを得、神ご自身が人間の心に臨在し、その心を支配し、働かれるようになったのです。
 そのようにして、人間は自己を改革する神の力を受けて、隣人を愛し、神の栄光を賛美する人生を歩めるようになりました。
 言い換えれば、主イエスの主権は実に罪人にご自身を与える絶対的な愛によって確立されました。世の中に、主と呼ばれる他の多くの主権者がいるとしても、それらは真実の主権者ではあり得ません。なぜなら、それらは主イエスのように自分自身を与える主権者でないからです。
 主イエスはこの女性に向かって次のように、仰せられます。
「わたしはあなたを罪に定めない。新しい人生に向かって歩みなさい。これからはもう罪を犯してはならない。」
 「姦淫の罪」を再び犯してはならないと言うだけでなく、すべての罪を犯してはならないという命令をお与えになります。
 この言葉は実に厳しい命令のように聞こえますが、イエスの命令はご自身を罪人に与える真の主権者の命令でありますので、それを実行する神の力が伴っているのです。そして主イエスの与えられる力は創造的な神の力です。
 それゆえ復活の主イエスを信じる者の中には、神的な力が働きます。これこそ単に病人を癒す奇跡ではなく、罪人を道徳的な面で改革する奇跡です。すなわち人間を救う神の力です。
 ここに新しい未来が開かれています。この女性はイエスの言葉に聞き従って、新しい未来に向かって出発しました。

 わたしたちも礼拝を守るごとに、主イエスの御言葉に聞き従って、新しい未来に向かって出発するのです。



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