2014-05-11(Sun)

神のものは神に返す 2014年5月11日の礼拝メッセージ

神のものは神に返す
中山弘隆牧師

 聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。
申命記6章4~5節


 さて、人々は、イエスの言葉じりをとらえて陥れようとして、ファリサイ派やヘロデ派の人を数人イエスのところに遣わした。彼らは来て、イエスに言った。「先生、わたしたちは、あなたが真実な方で、だれをもはばからない方であることを知っています。人々を分け隔てせず、真理に基づいて神の道を教えておられるからです。ところで、皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか。納めるべきでしょうか、納めてはならないのでしょうか。」イエスは、彼らの下心を見抜いて言われた。「なぜ、わたしを試そうとするのか。デナリオン銀貨を持って来て見せなさい。」彼らがそれを持って来ると、イエスは、「これは、だれの肖像と銘か」と言われた。彼らが、「皇帝のものです」と言うと、イエスは言われた。「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」彼らは、イエスの答えに驚き入った。
マルコによる福音書12章13~17節


(1)当時の社会状況
 今日世界のどこの国でも税金は難しい問題です。日本では消費税が国民の大きな関心の的となっています。
 聖書の時代におきましても、税金は重大問題でありました。イスラエル民族にとりまして、時の支配者であったローマ政府に税金を納めるべきであるか、否かについて、熱い議論が戦わされていました。熱心党と呼ばれていた国粋主義者たちはローマ政府に税金を絶対納めるべきではないと主張しました。他方、サドカイ派と呼ばれていた祭司たちの上流階級は税金を納めるのは当然であるという見解を表明しました。しかし、ローマ政府に妥協したサドカイ派は民衆の間では人気がありませんでした。
 とうとうユダヤ人は紀元66年から70に渡って反乱を起こし、その結果エルサレムはローマの軍隊により徹底的に破壊されてしまったのです。こうした歴史を考えてみますと、イエスの時代に税金は極めて大きな危険をはらむ政治問題であったと思われます。
 イエスに敵対する者たちは、この状況を巧みに利用してイエスを罠に掛けようと企てました。ところですべてのユダヤ人が納めなければならない税金は「人頭税」とよばれていて、所得の多い少ないに関係しない均等割りの住民税のようなものでした。それは決して重税と言うほどのものではありませんでしたが、税金を支払うために用いる貨幣が決められていました。その貨幣にはローマ皇帝のカイザルの顔が浮き彫りにされており、カイザルがユダヤ人を支配していることを象徴していたのです。

(2)イエスに対する罠
 「さて、人々は、イエスの言葉尻を捕らえて陥れようとして、ファリサイ派やヘロデ派の人を数人イエスのところに遣わした。」(マルコ12:13)
 ここで、ファリサイ派とヘロデ派とは互いに犬猿の間柄でした。自分たちが神に選ばれた民族であることを誇りにしていたファリサイ派と、ローマ政府の支持者であったヘロデ派とがどうして行動を共にしたかはまことに不思議です。しかし、イエスに反対するという一点では両者の利害が一致したのです。彼らはイエスのもとに来て次にように言いました。
 「先生、わたしたちは、あなたが真実な方で、だれをもはばからない方であることを知っています。人々を分け隔てせず、真理に基づいて神の道を教えておられるからです。ところで、皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか。納めるべきでしょうか、納めてはならないのでしょうか。」(マルコ12:14)
 この質問には実に巧妙な罠が仕掛けられていました。もしイエスが人頭税を払わなくてもよいと言えば、それはカイザルに対する反乱であり、もし訴えればイエスは死刑になります。他方、イエスが人頭税を支払わなければならないと言えば、イエスは民衆の支持を失うことになり、彼らがイエスを逮捕するのに都合がよくなります。
 どちらの答えを選ぶにしても、イエスは窮地に陥るのです。しかし、イエスは彼らの策略を見抜き、彼らの知恵を上回る方法を取られました。
 「なぜわたしを試そうとするのか。デナリオン銀貨を持って来て見せなさい。」(12:15)
 先ほど申しましたように、デナリオンとは税金を支払うときに使用しなければならない銀貨でした。普段は銅貨が使用されていて、それにはユダヤ人をあまり刺激しないようなオリブの木、または棕梠の木のデザインが施されていました。そこでイエスは質問されたのです。
 「これは、誰の肖像と銘か」(12:16)
 ここで、イエスと彼らの立場は明らかに逆転しています。今度はイエスが問い、彼らが答えなければならなくなりました。そして、彼らは自分の口で、「皇帝のものです」というと、イエスは仰せになりました。

(3)絶対的な関係と相対的な関係
 「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」(12:17)
ここに至って、イエスはファリサイ派やヘロデ派の仕掛けた罠から逃れられただけでなく、イエスご自身の答えを出されました。すなわちイエスは税金を支払うべきであると仰せになりました。
 しかし、イエスの答えはそこに留まらず、イエスの重点はむしろそれに続く言葉に置かれています。すなわち、「神のものは神に返しなさい」という言葉です。この挑戦はいかなる人もそれを無視することも、言い逃れることもできない重い意味を持っています。
 神のものを神に返すと言うことこそ、人間が生きるために最も必要な課題なのです。人間がどのような難しい状況の中にありましょうとも、神のものは神に返すことこそ必要です。実にそうすることによってのみ、人間は本当の意味で生きることができるからです。
 それでは、神のものを神に返すとは、どういうことでありましょうか。それは神を第一とする生き方です。そして神以外のものはすべて第二とする生き方です。神以外のものを決して第一にしないことです。人は第一と、第二との区別を正しくつけなければ、自分の人生が狂ってしいます。しかし神を第一とすると言うことは、わたしたちの頭の中で分かっていましても、それぞれの生き方の中で、本当にそうしているかどうかが問題なのです。

 聖書の神は、生ける神であり、わたしたちに御言葉を語りかけ、わたしたちに生きる意味と力とを与えられる神です。
 神はイスラエルの民に、「聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」(申命記6:4~5)と仰せられました。
 神はこのように神の民イスラエルに対して、全存在をもって神を信じ、神に求め、神の御言葉に聞き、神に従うように命じられました。実に神はわたしたちに対して「あなたの全存在をもってわたしに依存し、わたしに従うことによって生きよ」と仰せになる方です。
 それゆえ神との関係は人間の全存在にかかわる絶対的関係です。この関係の中で生きることが「神を神とする」ことです。
 他方人間は生きていくために、国家、職業、地域、親子、友人、隣人との関係、その他様々な関係が必要です。しかしそれらはすべて相対的関係です。あくまでもその意義と範囲は限定されています。
 それゆえ、神に対する絶対的な関係と、神以外のものと関わる相対的関係は区別すべきなのです。
 なぜならば、神は恵み深い唯一の主権者であり、「主権者に相応しい力と真理と命」を持って働いておられるからです。この神と並んでいかなる人間も国家も他の神々もそのような力を持っていません。
 すべて人間も万物も、神によって造られ、生かされ、支えられているのです。同時に神は御自身の御心を歴史の中で実現される主権者であり、世界の万民と世界の諸国家の審判者であります。
 それゆえ社会や国家など様々な相対的関係は神との絶対的関係が保たれている中で、初めてその機能を果たすことができます。

(4)ルターの生き方
 宗教改革者マルティン・ルターは1521年4月17日と18日にヴォルムスの国会に召喚されました。当時のヨーロッパは神聖ローマ帝国と呼ばれており、皇帝と教皇が支配していました。ヴォルムスの国会には皇帝、選帝公、教皇の使節、司教、公爵、その他多くの高官が、教会と国家を代表して、参加していました。
 彼らの前で、ルターは尋問されたのです。皇帝の名によって、ヨハン・ホン・エック博士が二つのことを確かめました。まず、ベンチの上に置かれた25冊の書物がルターのものであるか否かの尋問です。その時、ルターは直ちにそれを承認しました。
 次に、これらの書物を撤回する意志があるか否かについて尋問されました。するとルターは謙遜にもう一度熟慮するためにしばらく時間の猶予を願いました。なぜならば、それは勇気の欠如ではなく、自分の発言に対する責任の大きさを感じたからです。魂の救いと神の言葉の真理に関することでありますから、ルターはもう一度考える余裕を要望しました。皇帝は寛大な処置を取り、尋問を一日延期しました。
 翌日再び議会にたって、ルターは次のように弁明しました。
 「わたしは聖書の証言によって論駁されるのでなければ、自分の引用した聖書によって征服され、わたしの良心は神の言葉に拘束されているので、これらのどの書物も撤回することはできないし、することを欲しない。なぜならば、良心に反することをするのは安全ではないし、危険であるからである。」
 そのとき、聴衆の興奮と混乱の続く中で、ルターは押し潰されそうになりましたが、すべての人の記憶に残る言葉を発しました。
 「わたしはここに立っている。わたしは他のことをすることはできない。神よ、わたしを助けてください。アーメン」

 ヴォルムスの国会においては、ローマ教皇の側が勝利し、ルターは異端者として破門され、ルターの書物は発行を禁止されました。しかし、ルターの証言は世界史的に見て、その効果を遠くまで及ぼす出来事でした。それは神の言葉に照らされ、導かれ、確信を与えられた「良心の声」が、伝統や宗教的権威や国家権力に打ち勝つことを実証したのです。
 もし、ルターは彼の裁判を、ローマ教皇が開催する全体会議に委ねておれば、中世キリスト教の改革はローマ教皇の指導する穏やかな改革にとどまっていたでありましょう。今日でもローマ・カトリック教会の歴史家は、そうすべきであったと主張しています。
 しかし、ルターが「神の言葉に捕らえられた良心の自由と確信」をもって証言したことにより、新しいタイプのキリスト教の出現と発展をもたらしました。ルターを通して、その道を備えることが神の意志であったのです。
 破門されたルターは匿われた城のタワー・ルームで聖書の翻訳をしました。その350年後に、その小さな部屋に入ったトーマス・カーライルは、「あの部屋にわたしが立った時、ここはわたしがこれまで見た世界の中で最も聖なる地点であると感じた。わたしは今でもそう思っている。」と、その時の感激を語っています。
 本当に人が神の言葉を聞き、そして「神のものを神に返し」、それによって自分の人生を確信しつつ歩むことは、永遠の価値を持っています。

(5)神が備えられた道を歩む
 このことを考えますと、わたしたち一人一人にとって、神を第一とし、神の言葉に聞き従うことがどれほど重い意味と力を持っているかを痛感します。
 神は主イエスの十字架の死により、人類を罪の支配とこの世の諸々の霊力より解放し、人間が神に従う道を備えて下さいました。そのような方として、主イエスは天地万物の主権者となられました。
 それゆえ、主イエスの十字架の死と復活により、神がわたしたちに歩ませようと欲しておられる人生こそ、わたしたちが感謝して生き得る最高の人生なのです。 
 しかも、主権者である主イエスは聖霊を通して、信仰者の中に臨在し、働いておられるのです。それゆえ主イエスに従う人生は神が一人一人に与えられた唯一の人生です。恵み溢れる人生です。
 わたしたちクリスチャンはそのような者たちとして、主イエスの主権の証人として立てられています。そういう意味で世の光、地の塩とされています。
 この点で関東教区は「教団の罪責」を告白し、主イエスの主権を証することを今日における重大な使命としています。
 以前、日本は天皇を神として礼拝することを国民全体に強制する軍国主義的な全体主義的国家でありました。すなわち、明治の新政府発足以来、「日本精神」を吹聴し、感情的な連帯感を持つ国家を形成して来ました。その結果、韓国や中国そして東南アジアの諸国を侵略する戦争へ突き進んで来たのです。
 明治政府は天皇を国家の元首とし、主権は天皇にあると定めた憲法を制定し、立憲国家として発足しましたが、77年の歴史の中で21年間戦争をしてきました。その間、大正の末期に関東大地震が起こり、昭和の初めは世界恐慌の嵐に襲われましたが、日本は戦争に邁進してきたのです。しかし、大日本帝国は敗戦によってその歴史を閉じました。これは必然的な結果であると言えます。
 この人類に対する大きな罪に日本のクリスチャンや日本基督教団が加担したことを悔い改め、今や目覚めた良心をもって、主の主権を証する教会となることを関東教区では願っています。
 これこそ、「神のものは神に返す」という信仰の告白です。



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