2014-04-20(Sun)

エマオに向かう二人の弟子 2014年4月20日イースター特別礼拝メッセージ

エマオに向かう二人の弟子
中山弘隆牧師

 わが主に賜った主の御言葉。「わたしの右の座に就くがよい。わたしはあなたの敵をあなたの足台としよう。」主はあなたの力ある杖をシオンから伸ばされる。敵のただ中で支配せよ。あなたの民は進んであなたを迎える。聖なる方の輝きを帯びてあなたの力が現れ、曙の胎から若さの露があなたに降るとき。主は誓い、思い返されることはない。「わたしの言葉に従って、あなたはとこしえの祭司、メルキゼデク(わたしの正しい王)。」
詩編110篇1~4節


 そこで、イエスは言われた。「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。」そして、モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明された。一行は目指す村に近づいたが、イエスはなおも先へ行こうとされる様子だった。二人が、「一緒にお泊まりください。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いていますから」と言って、無理に引き止めたので、イエスは共に泊まるため家に入られた。一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った。そして、時を移さず出発して、エルサレムに戻ってみると、十一人とその仲間が集まって、本当に主は復活して、シモンに現れたと言っていた。二人も、道で起こったことや、パンを裂いてくださったときにイエスだと分かった次第を話した。
ルカによる福音書24章25~35節

(1)復活者としてのイエス
 本日わたしたちは共にイースターの礼拝を献げています。イースターはクリスマスと共に最も大切な喜びに満ちた礼拝のときです。イースターの喜びは、人類の罪の贖いのために十字架に架かって死なれたイエスを、父なる神が死人の中から復活させられたという事実です。これは歴史の中に働き、同時に歴史を越えた神の働きです。
 イエス・キリストと初代キリスト教会の歴史を調べますと、今日では不明瞭な部分が多いのですが、それでもキリストの復活は最も確かな事実です。キリストは今や神の国が開始したと宣言し、神の権威をもって人の罪を赦し、神の祝福と恵みを与え、神を信じて生きる新しい力を与えられました。
 その働きは、十字架の死によっても消え去ることなく、むしろ十字架の死によって、一層力強く現れるようになりました。
 従いまして、キリスト教会が主イエスの福音を宣べ伝えているのは、イエスの教えを受け継ぎ、自分たちの力で教えを実行していると言うのではありません。もしそうだとするとイエスはキリスト教の創設者であり、キリスト教の開祖というだけです。それならば、イエスはいかに偉大な宗教的天才、或いは偉大な預言者であったとしても、モーセや釈迦やマホメットと同じになります。彼らの教えは後世の人々に伝えられていますが、今やご本人はいません。釈迦は悟りを開き仏となり、モーセとマホメットは昇天しました。いずれにせよ彼らは今この地上にいないのです。彼らはもう働いていません。しかし、イエスの場合はそれと根本的に違います。イエスは復活して今も生きて働いておられます。
 イエスの命は天にあり、神の中にありますが、それだけでなくこの地上で、人間の歴史の中で、働いているのです。ここにイエスの復活の本当の値打ちがあります。

(2)自分の郷里に戻っていく弟子たち
 本日の聖書の箇所には、「ちょうどこの日、二人の弟子たちが、エルサレムから六十スタディオン離れたエマオという村に向かって歩きながら、この一切の出来事について話し合っていた。」(24:13~14)と書いてあります。
 スタディオンとは長さの単位で、185メートルですので、エマオはエルサレムから約11キロ離れた村でした。急いで歩けば二時間半から三時間で行けるところです。多分エマオは彼らの郷里であったと思われます。彼らはイエスが救い主であると信じて従って来た者たちです。
 ところがイエスはユダヤ教の指導者たちの陰謀によって殺されてしまいました。弟子たちにとって全く予想しなかった悲しい事件が起こり、彼らの希望はすべて失われてしまいました。この深刻な挫折の中で、彼らはともかく郷里に帰って、自分たちの仕事をしようと考えていたのではないでしょうか。
 それでもイエスの十字架の死は、深い謎でした。なぜイエスは十字架につけられなければならなかったのか、と言う思いが彼らの心から離れなかったのです。ここで聖書は次のように証しています。
 「話し合い論じ合っていると、イエスご自身が近づいてきて、一緒に歩き始められた。しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった。」(24:15~16)
 ここで、復活された主イエスは弟子たちのところに来られ、弟子たちの人生を共に歩き始められました。「一緒に歩き始められた」という聖書の言葉は次のような意味です。
 復活されたイエスは神様の力によって、弟子たちのところに来られて、彼らの人生を担い、弟子たちと共に歩んでくださるという意味です。正にこのような救い主としてのイエスの働きが始まった日がイースターです。
 それまでもイエスは弟子たちを神の国に導いてこられたのですが、イエスの十字架によってイエスと弟子たちとの関係が途絶えてしまいました。それゆえ、イエスの復活はその関係の回復であると言えます。しかし、単なる回復ではありません。復活のイエスは生き返ったのではなく、父なる神によって死人の中から復活させられたのです。従って、復活のイエスは以前と同じ身体を持っておられるのではなく、霊的な全く新しい身体を持っておられ、神の力を持って働いておられるのです。
 そのような復活されたイエスが弟子たちのところに来られたので、弟子たちは復活のイエスと出会い、彼らはこれまで経験したことのない新しい恵みを受けました。すなわち彼らはイエス様の復活の命を受けて、イエスに従うことができるという恵みです。
 復活されたイエスは神様の権威と力を持って働いておられるので、主イエス・キリストと呼びます。今やわたしたちと主イエス・キリストとの関係は、神と人間との永遠に変わらない関係なのです。
 ここで非常に注目すべきことは、弟子たちがイエスの十字架を語り合っている所に、復活のイエスが入って来られたと言うことです。このことは二人の弟子たちに限った事柄ではありません。
 これは誰にでもいえます。人が主イエスの十字架を仰ぎ、その意味を知ろうとするとき、必ず復活の主イエスがご自身を現わしてくださるのです。聖書はこのことを告げています。
 「そこで、イエスは言われた。『ああ、物わかりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。』そして、モーセとすべての預言者から初めて、聖書全体に渡り、ご自身について書かれていることを説明された。」(24:25~27)
 この説明は地上におられたときのイエスの聖書解釈と全く同じです。そのときイエスは旧約聖書の言葉を通して、父なる神の意志を知り、自分に与えられた救い主の使命を確信して、十字架の死によって人類の罪を贖うために自分の命を献げられたのです。
しかし、弟子たちはイエスの説明を全く理解できませんでした。今復活されたイエスが弟子たちと出会い、ご自身の十字架の意味を教えられたとき変化が起こりました。
 弟子たちの心は聖霊の光に照らされ、霊的な力が与えられ、心は弾み、燃えるように熱く感じました。そこから神に従う新しい歩みが始まったのです。今や彼らは十字架の死を遂げ、死人の中から復活された主イエスこそ、本当の神であり、本当の救い主であることを信じたのです。
 従いまして、クリスチャンは旧約聖書をイエスの教えによって理解する者たちです。旧約聖書は主イエスの救いを預言している神の言葉として読む者たちです。

(3)復活されたイエスの命
 次に重要なことは、復活の主イエスが弟子たちを聖餐式に招かれたと言うことです。24章の30~31節にこう記されています。
 「一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。」
 この厳粛なイエスの振る舞いは、これが普通の食事ではないことを示しています。明らかにイエスはここで聖餐式を執り行われたと言えます。もちろん、ここにはパンだけがあり、ぶどう酒はありません。それでも復活の主イエスがテーブルの主人であり、パンを取り、父なる神に祝福の祈りをささげ、パンを裂いて二人の弟子に渡されました。これはイエスが十字架の死を遂げる前に、弟子たちと共にされた最後の晩餐の光景と同じです。
 聖餐式はイエスの十字架の死が、人類を罪から贖うために献げられたイエスの犠牲であることを示しているのです。さらに聖餐式を守るとき、人はイエスの犠牲により、罪の赦しと永遠の命を受けるのです。そして永遠の命とはイエスの復活の命です。
 エマオの二人の弟子たちは、復活の主イエスがパンを裂いて二人にお渡しになったとき、彼らの目が開かれてこの方が十字架について死なれたあのイエスであると分かったのです。それまでイエスであると気づかなかった理由は、多分復活されたイエスの顔が以前と異なっていたからかもしれません。しかし、今やこの生ける主はあのイエスと同じ方、同じ人格であることを信じ、悟ったのです。
 「すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。」と聖書は証しています。
 これはどういう意味でしょうか。主イエスはもう彼らと共におられないのでしょうか。彼らから離れて遠くへ去って行かれたのでしょうか。決してそうではありません。それではどうして見えなくなったのでしょうか。それは主イエスが今や神の知恵と力と尊厳をもって働いておられるからです。イエスの人間としての姿は救いが完成する時わたしたちも復活させられるので見ることができるのです。 
 それまで復活の主イエスを見た人たちは、イエス・キリストの使徒たちに限られています。
 彼らはキリストの姿を見て、死人の中からキリストが復活されたことを知り、キリストは最早死ぬことのない救い主であると信じたのです。 
 しかし、彼らが復活のイエスの姿を見たということは、復活のイエスの働きの一部分です。それに対して復活のイエスの働きの大部分は、イエスが主としてすなわち神として見えない姿で働いておられることです。
 それゆえ復活の主イエス・キリストはその姿が見えませんが、キリストの十字架と復活を語っている聖書の御言葉をわたしたちが聞いて信じるとき、わたしたちはキリストと出会っているのです。
 同時に、復活のキリストは信じる者に聖霊を与えて下さいます。聖霊を通して、信じる者の中に働き、信じる者にご自身の命を与え、キリストに従わせられるのです。

(4)復活の主イエスの導き
 最後に、エマオで復活の主イエスと出会った二人の弟子は、主イエスの導きと命令に従って、直ちに行動しました。主イエスは地上の生涯において、いつも弟子たちの先頭に立ち、弟子たちを神の国へと導かれました。今やエマオへ向かった二人の弟子たちは復活の主イエスが自分たちの先頭に立って彼らをエルサレムへと導かれることを信仰により認識しました。
 そのとき、彼らは決然として、立ち上がって行動したのです。33節と34節とでこのように記されています。
 「そして、時を移さず出発して、エルサレムに戻ってみると、十一人とその仲間が集まって、本当に主は復活して、シモンに現れたと言っていた。」
 時を移さずとは、彼らの目が開かれて、復活の主イエスが彼らと出会い、彼らと共にいて下さり、彼らを導いておられると知ったその時です。直ちに行動しました。
 彼らの行動は、復活の主イエスが彼らの中に働き、彼らをエルサレムに導いておられるので、その主イエスの行動に自分たちの行動を一致させたのです。それが主イエスに従うと言うことです。そこに彼らの喜びと命の躍動があります。
 このようにして彼らがエルサレムにいる弟子たちのところへ行くと、そこにも復活の主イエスが共におられ、その働きが実にはっきりと現れていました。
 「十一人とその仲間が集まって、本当に主は復活してシモンに現れたと言っていた。二人も、道で起こったことや、パンを裂いてくださったときにイエスだと分かった次第を話した。」(24:34~35)
 最後にわたしたちがキリストの復活を信じるときに特に重要なことは、わたしたちに与えられるキリストの復活の命はわたしたちを絶えず変革する神の力をその中に秘めているという点です。
 それゆえ、わたしたちが考えることも行動することもすべて変えられます。自分の考えと行動から、キリストの考えと行動へと高められるのです。絶えず自分を乗り越えて、キリストに似る者へと清められて行きます。これがキリストに従うことの実相なのです。


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