2014-04-06(Sun)

香油を注がれた主 2014年4月6日の礼拝メッセージ

香油を注がれた主
中山弘隆牧師

 見よ、わたしの僕、わたしが支える者を。わたしが選び、喜び迎える者を。彼の上にわたしの霊は置かれ、彼は国々の裁きを導き出す。彼は叫ばず、呼ばわらず、声を巷に響かせない。傷ついた葦を折ることなく、暗くなってゆく灯心を消すことなく、裁きを導き出して、確かなものとする。暗くなることも、傷つき果てることもない。この地に裁きを置くときまでは。島々は彼の教えを待ち望む。
イザヤ書42章1~4節


 過越祭の六日前に、イエスはベタニアに行かれた。そこには、イエスが死者の中からよみがえらせたラザロがいた。イエスのためにそこで夕食が用意され、マルタは給仕をしていた。ラザロは、イエスと共に食事の席に着いた人々の中にいた。そのとき、マリアが純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった。弟子の一人で、後にイエスを裏切るイスカリオテのユダが言った。「なぜ、この香油を三百デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか。」彼がこう言ったのは、貧しい人々のことを心にかけていたからではない。彼は盗人であって、金入れを預かっていながら、その中身をごまかしていたからである。イエスは言われた。「この人のするままにさせておきなさい。わたしの葬りの日のために、それを取って置いたのだから。貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない。」
ヨハネによる福音書12章1~8節


(1)愛による共感
 本日は主イエスに香油を注いだ一人の婦人の信仰者としての生き方を聖書から学びたいと思います。
 ただしこの婦人が誰であったかについては、この記事の資料によってそれぞれ異なっています。ヨハネによる福音書では、マルタやラザロと三人兄弟であったマリアとなっています。他方、マルコによる福音書の14書では一人の女性と呼ばれているだけです。さらにルカによる福音書では、一人の罪の女と呼ばれています。このように資料の上から見れば、この女性が誰であったかを特定することはできないのですが、その女性の性格や心境については共通しております。それはイエスに対する深い感謝の念と愛によるイエスの苦難に対する共感と言えます。
 人生の一番大切な事柄を知る上では、知性による論理的な分析よりも、心の直観や共感が非常に大きな役割を果たします。或いはそのような愛による共感は目に見えない導きの糸に対する心の反応であると言えるかもしれません。
 あたかも鉄の小さな破片が磁石から出る目に見えない磁力に引かれるように、人を生かす目に見えない働きを感じ取る心であると言えます。それに致しましても、このとき主イエスに香油を注いだ婦人の行為は、主イエスにとって大きな意義を持っていました。マルコによる福音書で次にように記されています。
 「はっきり言っておく。世界中どこでも、福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるであろう。」(マルコ14:9)
 このイエスの御言葉は少し誇張ではないかと思われるほどに、この婦人の行為を評価しています。主イエスの福音が宣教される所では、この婦人がイエスに対して行った事柄は福音の内容の一部分であるかのように聞こえます。このように婦人の思いと行為が主イエスから受け入れられたのは、主イエスとの深い繋がりのためです。それは愛による共感、信仰による繋がりであり、言い換えれば聖霊による心の結びつきであったと言えます。
    
(2)感謝の香油
 「過ぎ越祭の六日前に、イエスはベタニアに行かれた。そこには、イエスが死者の中からよみがえらせたラザロがいた。イエスのためにそこで夕食が用意され、マルタは給仕をしていた。ラザロは、イエスと共に夕食の席に着いた人々の中にいた。」(12:1~2)
 ヨハネによる福音書によりますと、マルタとマリアとラザロは三人兄弟であり、彼らは以前からイエスと親しい交わりが与えられていたと記されています。特にヨハネによる福音書11章にはラザロが病気になり、姉妹たちはラザロの容態が急変したとき、イエスはその地方に滞在しておられませんでしたので、使者をイエスのもとに送りました。しかしイエスが到着されたときには、すでにラザロは墓に葬られていました。
 それを見てイエスはラザロのために悲しまれましたが、同時に「わたしは復活であり、命である」と宣言し、墓の中に横たえられていたラザロに向かって、「ラザロ、出て来なさい」と大声で叫ばれました。するとたちまち、ラザロは甦って墓の中から出てきたのです。 
 ヨハネによる福音書はラザロの復活をイエスのなされた最大の「しるし」と見ており、それによって多くのユダヤ人がイエスを救い主として信じるようになったと、説明しています。
 同時にそれはユダヤ教の指導者たちが、イエスを救い主として告白する者をユダヤ教から追放し、さらにイエスとラザロを殺害しようと決意したと、説明しています。
 このような危機的な状況の中で、マルタとマリアとラザロはイエスのために感謝の夕食会を用意したのだと思われます。
 「そのとき、マリアが純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪の毛でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった。」(12:3)
 当時の習慣では、来客が家に到着したとき、或いは食事の席に着くときに、数滴の香油を注ぎかけることが行われていました。香油の中でもナルドの香油は極上の品物です。それは遠いインドから輸入された非常に珍しい植物から造られたもので素晴らしい香りを放ちました。しかも一リトラとは新共同訳聖書の度量衡を参照しますと326gの分量ですから、そんなにたくさんの香油をイエスの足に全部注いだのです。そのためナルドの香油の芳香が部屋全体に満ちました。このマリアの大胆な行為を目の当たりにした人々は驚き、それは余りにも無謀な行為であると思ったのは当然です。
 その価値は当時の貨幣で300デナリオンもすると言うのですから、今日の貨幣に換算すると、約数百万円に相当します。なぜなら一デナリオンは当時の労働者の一日の賃金でありましたので、300デナリオンはおおよそ一年分の所得であると推測できるからです。しかもそのような高価な香油を惜しげもなく、イエスの足に塗るために、マリアは全部使い切りました。
    
(3)愛の浪費
 「弟子の一人で、後にイエスを裏切るイスカリオテのユダが言った。『なぜ、この香油を三百デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか』」(12:4~5)
 ここで、ユダは極めて常識的な判断をして、香油をもっと有効に使用すべきであると主張し、マリアの行為を激しく非難しました。しかし、ヨハネによる福音書は、ユダがこのように言った本音について、彼が貧しい人たちのことを心にかけていたからではなく、自分がその金を欲しかったからだと、説明しています。
 それでも、一般の人々もマリアの行為が理解できなかったのではないでしょうか。従って、常識的に物事を判断する場合に欠落している大切な点があります。つまり共感する心です。ここで実に大いなる浪費と思われるような行為をマリアにあえてさせた理由は、マリアの共感する心でありました。
 迫り来る十字架の犠牲によって、主イエスの心は深い悲しみと痛みに包まれていたのですが、それをマリアは感知しました。
 おそらく彼女は以前に主イエスと出会い、心の深い悩みを癒されたのではないでしょうか。それまでだれ一人として自分の苦しみを分かってくれなかったのですが、主イエスだけがマリアの心の痛みを全部分かってくださったのです。
 実に主イエスこそ完全な意味で共感できる心の持ち主です。なぜならば、主イエスは非常に「謙虚な心」の持ち主であるからです。自分を誇る心が全くないからです。この点がイエスの性格の特異性です。それゆえにマリアは自分の心の苦しみをイエスに安心して訴えることができました。
 そのときマリアは自分がイエスに完全に受け入れられているのを知り、心に平安が与えられたのです。同時にイエスは全く罪のない方で、父なる神との間に人格的な愛と平和と命に溢れた交わりを持っておられる聖なる方であると感じました。
 イエスの顔を見つめ、イエスの言葉に耳を傾けるとき、イエスの義と命と自由が自分の中に注ぎ込まれ、自分が新しくされていると気付いたのです。
 イエスが「わたしが命のパンである」(ヨハネ6:35)。「わたしは命の水である」(ヨハネ7:38)。「わたしは世の光である」(ヨハネ8:12)。「わたしは真理である」(ヨハネ8:31~32)。「わたしは復活である」(ヨハネ11:25)。「わたしは道である」(ヨハネ14:6)
と仰せになるイエスの言葉を聞いて信じる度に、マリアは自分が癒され、新しい命と自由に生かされることを体験したのです。
 しかしそれだけではありません。自分が受け入れられ、自分の罪が赦され、イエスの命と自由が与えられ、神に従う新しい人生を歩むことができるのは、自分の罪、弱さ、恥、呪いがイエスに移され、イエスのものとなり、他方イエスの義と命と自由が自分のものとして与えられることをマリアは察知していたのです。
 しかし、イエスのように人を受け入れることにより、その人が自立するように手を貸すカウンセラーの働きには当然限界があります。その限界とはイエスのように人の弱さ、恐れ、恥、自己矛盾、罪をその人に代わって担い、自分の健全な考え方、行き方、命をその人に分け与えることは到底できないということです。
 わたしはあるクリスチャンの精神科医が大学生の若い時代から付き合いを与えられて来ました。その方は精神科病院の医院長になり、定年退職されました。その方が活躍の時期に、患者の方々と毎日接していると自分が精神的に参ってしまうと言われたことを覚えています。事実その方はストレスのために癌となり、手術を受けられました。今年の年賀状には、健康が回復したので、今は神戸大学の嘱託講師として、東京から神戸に講義に行っていると書いてありました。この方の人生を思うと、カウンセラーの仕事は大変だなあと痛感させられます。しかし神様が人それぞれに使命を与えられたからこそできるのだと思います。
 それゆえ、主イエスはマリアの行為を受け入れ、次のように仰せられました。
 「この人のするままにさせておきなさい。わたしの葬りの日のために、それを取って置いたのだから。貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしは一緒にいるわけではない。」(12:7~8)
 この御言葉から、マリアの行為はイエスの苦しみに対する感謝の一念により、自分をイエスに献げたことが分かります。イエスの苦しみに信仰をもって応答したことが分かります。
 ここでイエスはマリアの行為をあらかじめ葬りのためにイエスの体に油を塗ったのだと、言われました。またマルコによる福音書では次のように仰せられました。
「するままにさせておきなさい。なぜ、この人を困らせるのか。わたしに良いことをしてくれたのだ」(マルコ14:6)
 「良い」と言うギリシャ語は「カロス」と言う言葉ですが、これはまた「美しい」と言う意味もあります。道徳的に正しいと言う意味でのギリシャ語は「アガソス」です。しかし、同じ善い行為でありましても、カロスにはアガソスにない「麗しさ」があります。それは単に自分に課せられた道徳的な義務を果たすと言うこと以上の性質を持っています。つまり、自発的に責任を覚え、喜んでその責任を果たすからです。そこに聖霊の働きがあります。
 主イエスは聖霊による愛の行為を、良きサマリア人の譬え話で教えられました。その話の眼目は、サマリア人の自発性にあります。実に共感によって触発される自発性こそ神の愛の働きなのです。
 またそのような愛は、時を知って、大胆に行動します。概念だけの愛は、時に順応することができません。主イエスがここで仰せになっているように、貧しい人々はいつでも一緒にいるので、彼らに良いことをする機会はいつでもあります。それに対してイエスのために良いことができるのは今この時だけです。この機会を逃せばもう二度と来ないのです。そのことを知ってマリアは行動しました。  
 ここでもう一つ大切なことは、ヨハネによる福音書では、主イエスは十字架の死を受ける時にこそ、救い主としての栄光が現れると自覚しておられたという点です。
 それゆえ主イエスは神から油を注がれた王として、十字架に向かって進んで行かれたのです。マリアの注いだ香油は、主イエスにとって神がイエスを王として、或いは大祭司として油を注がれたことを意味しています。

(4)主イエスの思いへの応答
 そこで今わたしたちは何を思い、何を為すべきでありましょうか。
 主イエスはわたしたちが孤独と悩みと恐れのために弱り果て、行き倒れているところに来て、わたしたちを受け入れ、わたしたちの悩みを理解し、悩みに打ち勝つ命を与え、喜びと希望を持って生きるために、ご自身を与えてくださいました。
 それは神から離れ彷徨っている者を見つけ出し、神の御前に連れ戻し、神の恵みの中で、神に従って生きるようにするためです。このイエスの思いこそ、罪人を愛し、罪人を探し求め、罪人を神の子とし、神との人格的な交わりに入れ、神に従って生きるようにするためであります。
 この主イエスの思いを聖霊によって知り、自分の思いと行為と生活と存在のすべてを主イエスに献げること、これがわたしたちのすべき感謝の応答です。
 言い換えればそれはまた「聖霊の促し」を「良心の感性」をもって受け止め、聖霊の促しに「応答する」ことです。
 聖霊の促しとはわたしたちの良心の奥に聞こえる静かな声ですが、その促しに答えるとき、わたしたちは主イエスの中に与えられているわたしたちの新しい未来へその都度、一歩前進するのです。



スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

コメント

教会案内
〒354-0044
埼玉県入間郡三芳町北永井959-3
TEL・FAX:049-258-3766

牧 師:中山弘隆

創立日:1972年2月19日

最寄り駅
東武東上線 鶴瀬駅 西口
東武東上線 ふじみ野駅 西口
よりタクシーで10分
※駐車場完備

三芳教会へのバス利用方法

MAP
三芳教会の地図です
定例集会案内
●主日礼拝
  毎日曜日 10:30~12:00
●教会学校
  毎日曜日 9:15~9:40
●朝の祈祷会
  毎日曜日 9:45~10:10
●キリスト教入門講座
  毎日曜日 9:45~10:10
●マルタマリア会(婦人会)
  毎木曜日 10:30~
●マルタマリア会例会(婦人会)
  毎月第2主日礼拝後

毎木曜日の祈祷会は、2011年5月より、毎日曜日の朝の祈祷会に変更となりました。
三芳教会のご案内
●牧師紹介

●年間行事予定

●写真で見る三芳教会
最新記事
行事報告
● 江田めぐみ伝道師就任式
 (2012年7月22日)


● 教会バザー報告
 (2011年11月23日)


● バーベキュー大会報告
 (2011年8月21日)


● イースター報告
 (2011年4月24日)


● 柿本俊子牧師隠退の感謝会報告
 (2011年3月27日)


● 講壇交換(三羽善次牧師)
 (2011年1月23日)


● 墓前礼拝報告
 (2010年11月7日)


カテゴリ
カレンダー
08 | 2017/09 | 10
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
月別アーカイブ
全記事INDEX

全ての記事を表示する

お知らせ
ようこそいらっしゃいました。



2016年10月に、当ブログの訪問者が9,000人を超えました。感謝いたします。

2015年9月に、当ブログの訪問者が8,000人を超えました。感謝いたします。

2014年9月に、当ブログの訪問者が7,000人を超えました。感謝いたします。

2014年1月に、当ブログの訪問者が6,000人を超えました。主の導きに感謝いたします。

閲覧者数
現在の閲覧者数
現在の閲覧者数:
メールフォーム
三芳教会やキリスト教についてのお問い合わせ、また当教会へのご意見、ご要望等がありましたら、下記のフォームよりうけたまわります。

お名前:
メールアドレス:
件名:
本文:

検索フォーム
リンク
QRコード
QR