2014-03-16(Sun)

キリストの招き 2014年3月16日の礼拝メッセージ

キリストの招き
中山弘隆牧師

 渇きを覚えている者は皆、水のところに来るがよい。銀を持たない者も来るがよい。穀物を求めて、食べよ。来て、銀を払うことなく穀物を求め、価を払うことなく、ぶどう酒と乳を得よ。なぜ、糧にならぬもののために銀を量って払い、飢えを満たさぬもののために労するのか。わたしに聞き従えば、良いものを食べることができる。あなたたちの魂はその豊かさを楽しむであろう。耳を傾けて聞き、わたしのもとに来るがよい。聞き従って、魂に命を得よ。わたしはあなたたちととこしえの契約を結ぶ。ダビデに約束した真実の慈しみのゆえに。
イザヤ書55章1~3節


 そのとき、イエスはこう言われた。「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。そうです、父よ、これは御心に適うことでした。すべてのことは、父からわたしに任せられています。父のほかに子を知る者はなく、子と、子が示そうと思う者のほかには、父を知る者はいません。疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」
マタイによる福音書11章25~30節

 
(1)創造者なる神
 今日のわたしたちが生きていますグローバル世界は希望と共にまた不安に満ちた世界です。人間の知恵と力の発達による社会の進歩とその反面で大きな社会的不義と格差の拡大が発生しています。民主主義国家であっても、既得権をもつ幾つかのグループが自分たちの利益を追求するために、政府を動かし、合法的に社会的不義を働いています。また反社会的な営業に携わる者たちもいます。あるいは享楽的な生き方を煽り立てる者たちが青年たちを不道徳な生活へと誘惑しています。そのため金のために人の命を平気で奪う犯罪が多発しています。社会の進歩と裏腹にこのような悪が蔓延する矛盾に満ちた状況が暗い影となって現代社会を覆っています。
 それゆえ問題はいかにすれば大衆の一人一人が困難な状況の中でも、希望と忍耐をもって、逞しく生きることができるかであります。これは現代も古代にも一貫した問題です。このことに対する解決はこの世界と人間の創造者であり、それゆえに一人一人の人間を配慮し、同時に世界の歴史全体を支配しておられる神に対する信仰であります。聖書は旧約聖書と新約聖書の全体を通して、一貫して創造者であり、人類の歴史の支配者である唯一の生ける神に対する信仰を証しています。
 詩編23篇の作者は人間の創造者であり、人類の歴史の支配者である唯一の神は、神を信じる一人一人の生活を守り支え、神の御前で生きる人生を歩ませてくださる恵み深い方であると神を賛美しています。
 「主は御名にふさわしく、わたしを正しい道に導かれる。死の影の谷を行くときも、わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。」(詩編23:3~4)
 創造者である神は全知全能の力と知恵を持っておられますので、神がどのように働かれるかは人智をはるかに越える神の神秘です。しかし、確実に神は人間を守り、支え、正しい道に導いてくださるのです。従って、人間の目に見えない神は、はるか遠くの天から地上で暮らしている人間をご覧になっているだけではなく、神は人間と共にいて、強力な御手をもって働いておられるのです。
 この詩編の作者は、生活が行き詰まり、死の危険にさらされている状況の中でも、主が共にいてくださるので、自分は恐れないと言っています。これが聖書の神に対する信仰です。
 実に神は信仰者と共にいてくださるので、生ける水の源なのです(エレミヤ2:13)、最も近き助けなのです。そして人間に絶えず活気を与え、力を与え、新しい道を切り開く創造的な働きを人間にさせてくださいます。
 それゆえ預言者エレミヤはどのような反対と迫害を受けても、勇気をもってイスラエルの民に神の言葉を語り続けました。その「勇気の源泉」は、彼に与えられていた神との人格的な交わりでありました。彼は共にいます神の臨在を常に意識していたことです。言い換えれば、彼の力は「神の摂理の御手」を信じ、摂理の御手に全く寄り頼んでいたことから由来したのです。また、神はエレミヤを通して御自身が「正義と公平と憐み」を以て人類の歴史を支配しておられることを示し、人間が神の意志に従い、正義と公平と憐みを実行し、神と共に歩むことを要求されました。
 次に、エレミヤは神の摂理の御手を、陶工が陶器を制作する働きに譬えています。そしてイスラエルの民を陶工の手の中にある粘土に譬えています。「見よ、粘土が陶工の手の中にあるように、イスラエルの家よ、お前たちはわたしの手の中にある。」と主はエレミヤに語られました(エレミヤ18:6)。
 これはどういうことかと説明しますと、神は絶対的な自由を持つ主権者として歴史を支配者しておられるので、人間は自分たちの考えと自由によって歴史を押し進めていると考えていても、実際は歴史を通して神が御自身の目的を実現されるのです。この事実を信じるのが、神の摂理の御手に寄り頼む信仰です。
 従いまして、エレミヤは絶えず預言の言葉をもって同胞に訴えました。イスラエルが神に対する不信仰を悔い改め、自分たちの存在と生活のすべてに関して神を信頼し、摂理の御手に依存することを神は要求しておられると、訴えたのです。これがエレミヤを通してなされた背信の民イスラエルに対する神の呼びかけでありました。

(2)呼びかける神
 さらに創造者であり、それゆえに歴史の支配者である神は、わたしたち一人一人に呼びかけられる神です。神はわたしたちが人生の途上で、様々な困難に遭遇し、行き詰まり、孤独と悩みの中にあることをご存知であり、わたしたちの近くに来られて、呼びかけられるのです。
 わたしたちも悩みながら、闇の中を手探りで、慰めと平安と希望を得るために、神の声のする方向に心を次第に向けるようになります。それは自分で神を思うことでありますが、神がそれより先にわたしたちを探し求めておられるからです。それゆえ、わたしたちは偶然にクリスチャンと出会うようになる、あるいは自分でも教会の礼拝に出席するようになります。
 わたしは自分がクリスチャンになったときのことを思い起こしますと、学生時代に自分なりに人生観を模索し、積極的な確信抱いて日々を送っている積りでした。しかし実際は利己的な考えで自由奔放に生きていたのです。そのため次第に内的な力が枯渇して行くように感じていました。自分が高く掲げている理想は明るくても、「灯台もとは暗い」というように、自分自身は闇の中にありました。そこで聖書を書店から買って来て何度か読んだことがあるのですが、たまたま英語会話の教室で教えておられた教会の役員の方に誘われて、名古屋の金城教会に出席しました。
 そのとき五月の心地よい微風が吹くように感じられ、窒息状態であったわたしの心に明るくて爽やかな喜びが与えられました。そこに新しい生命の息吹があるように思いました。そのとき直観的にこの息吹のように思える表現しがたい敬虔な雰囲気は、キリストの命の充満であり、クリスチャンはキリストに生かされている人たちなのだと感じました。
それ以後は熱心に聖書を読み、特に新約聖書を何度も読みました。福音書の中で、主イエスは弟子たちに出会い、弟子たちを御許に招かれたように、また孤独の中にある病める人のところに来て癒されたように、さらに人々から軽蔑されている罪人に神の赦しを与え、ご自身との親しい交わりを与えられたのと全く同じように、現代に生きているわたしと出会ってくださるために、直接呼び掛けて下さっているのだと思うようになりました。
 本日の聖書の御言葉はわたしたちに対する主イエスの呼びかけです。11章28節以下で、このように仰っています。

 「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」(マタイ11:28~30)
 主イエスの目から見れば、人はたとえどんな強がりを言っていても、本当は自分の重荷を負いきれず、疲れ果てている者と映るのです。どれほど活力の充満した人でも、適当な休息を取らなければ倒れてしまいます。無限に活力を発揮できる方は、天地万物の創造者である神のみであります。神によって造られた被造物であるわたしたち人間は、神に絶対的に依存しているのです。神からのみ霊的力と肉体的な活力を与えられている者たちです。
 聖書で定められている安息日は、一週間の中でその日に仕事を休むように命じられているだけではありません。そうではなく、わたしたちが休み、わたしたちの中で神様が働いてくださることにより、心身共にリフレッシュできる日であります。これが本当の安息日なのです。
 旧約聖書のイザヤ書55章1節以下で、神様はこう仰せになっています。
 「渇きを覚えている者は皆、水のところに来るがよい。銀を持たない者も来るがよい。--なぜ、糧にもならぬもののために労するのか。わたしに聞き従えば、良いものを食べることができる。あなたたちの魂はその豊かさを楽しむであろう。」
 神は御自身の本質である無限の愛を以て、わたしたち人間を愛し、わたしたちに豊かな命を与えてくださるのです。命は金を出して買う必要はありません。
 言い換えれば神が与えてくださる愛と霊的生命はわたしたちの功績に対する報酬ではないのです。必要なことは神の御許に来て、神の御言葉を信じることです。そうすれば神は愛と霊的生命と力を与えてくださるのです。それゆえ神だけがわたしたちの最も近くにある助けなのです。
 世間の人々はそんなうまい話があるはずはないと言うかもしれませんが、これは最も真実な霊的事実です。このことこそ、わたしたちに呼び掛けられる方が偶像ではなく生ける真の神である証拠です。
 このように旧約聖書で呼びかけられた生ける神は、今や御子イエス・キリストにおいて、まことの人間と成り、御子イエスを通してご自身の性質と働きを完全に示されました。そしてわたしたちのために主イエス・キリストの中に実現してくださった復活の生命をわたしたちに与えてくださるのです。それゆえ、主イエスはわたしのもとに来なさいと、招かれるのです。

(3)主イエスに従う人生
 今や、主イエスが「わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。」と命じられます。
 なぜならば、人間が神の御前に生きるために、言い換えれば清く正しい聖なる神、義と真実と命の唯一の所有者である生ける神との人格的な交わりの中で生きるためには、神を否定し、敵対している人間の罪が贖われなければなりません。
 そのために神の御子イエスはご自身の命をすべての人間に与えられたのです。主イエスはわたしたちのために、わたしたちに代わって、わたしたちの罪を背負い、十字架の死を引き受け、わたしたちの全責任を神の御前に果たしてくださいました。それゆえに神はわたしたちが神の御前に生きる新しい道を開いてくださいました。それは十字架の死において最後まで父なる神に従順であった御子イエスを、父なる神が復活させ天地万物の主とされたことです。
 父なる神はわたしたちが神の御前に生きるに必要な神の義と命と自由を主イエスの中で実現し、主イエスの中に保管されたのです。言い換えれば、救い主である主イエスがわたしたちの救いそのものなのです。それゆえわたしたちは主イエスを救い主として信じるのです。この信仰とは聖霊がわたしたちの心に起こしてくださるものです。
 聖霊による信仰は単純で素朴で完全です。実に私達は主イエスを信じるとき、心の中に働く聖霊を通して、主イエスとの人格的な交わりが与えられるのです。それゆえにわたしたちは主イエスに従い、主イエスの軛を負い、主イエスに学ぶことができるのです。
 旧約聖書では人間と世界の創造者である神は、人間の命の源となり、摂理の御手をもって人類の歴史を支配し、神の民に属する一人一人の生活を配慮されることによって、イスラエルの民が神の御前に生きるようにされました。その時神は人間が神を信じ、摂理の御手にすべてを委ね、神に絶対的に依存して生きることを要求されました。それに比べて、新約聖書では摂理の御手をもって人間を守り導いておられる神は、神の究極的な目的である神との人格的な交わりの中で人間を生かすために、神の御子イエスが人類の罪を贖って下さいました。その結果、主イエスを信じる者の心に聖霊が与えられるようになったのです。
 要するに、このような神と人間の結びつきは実に、父なる神が御子イエスを人間に与え、さらに主イエスを信じる者に聖霊を与えられることによるのです。これほど大きな神の愛、行為、恵みを受けているのですから、わたしたちは神を信じ、自分の全存在を神に献げ、主イエスに従い人間に対する神の意志を実行するのです。
 イエスは「わたしの軛を負って、わたしに学びなさい」と仰せになったのは、この意味です。同時にイエスはそうすれば、あなたがたは心に安らぎが与えられると約束されました。
 心の安らぎとは主イエスとの人格的な交わりの中で、自分が神に受け入れられ、喜ばれているという絶対的な平安と感謝です。この平安と喜びと感謝は人生の荒波と試練に打ち勝つ力なのです。
 このことにゆえに、クリスチャンは一層謙遜になり、神の命令を実行するときに、主イエスの中に与えられている神の義と復活の力を受け、それによって最大限の努力をすることができるのです。
 しかも、自己の業を誇らず、神に報酬を求めず、ただ神に喜ばれることを感謝するという純粋な思いで神の御心に適う善い業をするのです。これが主イエスの軛を負って、主イエスに学ぶことです。



スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

コメント

教会案内
〒354-0044
埼玉県入間郡三芳町北永井959-3
TEL・FAX:049-258-3766

牧 師:中山弘隆

創立日:1972年2月19日

最寄り駅
東武東上線 鶴瀬駅 西口
東武東上線 ふじみ野駅 西口
よりタクシーで10分
※駐車場完備

三芳教会へのバス利用方法

MAP
三芳教会の地図です
定例集会案内
●主日礼拝
  毎日曜日 10:30~12:00
●教会学校
  毎日曜日 9:15~9:40
●朝の祈祷会
  毎日曜日 9:45~10:10
●キリスト教入門講座
  毎日曜日 9:45~10:10
●マルタマリア会(婦人会)
  毎木曜日 10:30~
●マルタマリア会例会(婦人会)
  毎月第2主日礼拝後

毎木曜日の祈祷会は、2011年5月より、毎日曜日の朝の祈祷会に変更となりました。
三芳教会のご案内
●牧師紹介

●年間行事予定

●写真で見る三芳教会
最新記事
行事報告
● 江田めぐみ伝道師就任式
 (2012年7月22日)


● 教会バザー報告
 (2011年11月23日)


● バーベキュー大会報告
 (2011年8月21日)


● イースター報告
 (2011年4月24日)


● 柿本俊子牧師隠退の感謝会報告
 (2011年3月27日)


● 講壇交換(三羽善次牧師)
 (2011年1月23日)


● 墓前礼拝報告
 (2010年11月7日)


カテゴリ
カレンダー
06 | 2017/07 | 08
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -
月別アーカイブ
全記事INDEX

全ての記事を表示する

お知らせ
ようこそいらっしゃいました。



2016年10月に、当ブログの訪問者が9,000人を超えました。感謝いたします。

2015年9月に、当ブログの訪問者が8,000人を超えました。感謝いたします。

2014年9月に、当ブログの訪問者が7,000人を超えました。感謝いたします。

2014年1月に、当ブログの訪問者が6,000人を超えました。主の導きに感謝いたします。

閲覧者数
現在の閲覧者数
現在の閲覧者数:
メールフォーム
三芳教会やキリスト教についてのお問い合わせ、また当教会へのご意見、ご要望等がありましたら、下記のフォームよりうけたまわります。

お名前:
メールアドレス:
件名:
本文:

検索フォーム
リンク
QRコード
QR