2014-02-09(Sun)

聞いて行う者 2014年2月9日の礼拝メッセージ

聞いて行う者
中山弘隆牧師

 何をもって、わたしは主の御前に出で、いと高き神にぬかずくべきか。焼き尽くす献げ物として、当歳の子牛をもって御前に出るべきか。主は喜ばれるだろうか、幾千の雄羊、幾万の油の流れを。わが咎を償うために長子を、自分の罪のために胎の実をささげるべきか。人よ、何が善であり、主が何をお前に求めておられるかは、お前に告げられている。正義を行い、慈しみを愛し、へりくだって神と共に歩むこと、これである。
ミカ書6章6~8節


 「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。かの日には、大勢の者がわたしに、『主よ、主よ、わたしたちは御名によって預言し、御名によって悪霊を追い出し、御名によって奇跡をいろいろ行ったではありませんか』と言うであろう。そのとき、わたしはきっぱりとこう言おう。『あなたたちのことは全然知らない。不法を働く者ども、わたしから離れ去れ。』」「そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。岩を土台としていたからである。わたしのこれらの言葉を聞くだけで行わない者は皆、砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家に襲いかかると、倒れて、その倒れ方がひどかった。」
マタイによる福音書7章21~27節


(1)キリストと結ばれている者
 本日の聖書の箇所でありますマタイによる福音書7章21節以下に、わたしたちにとりまして非常に驚くべきイエスの言葉が記されています。
 「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るのではない。わたしの父の御心を行う者だけが入るのである。」(7:10)
 この御言葉はどういう意味でしょうか。イエスを口先だけで主と言うのではなく、イエスが「自分の主」であると本当に信じ、イエスを自分の主となし、主イエスに「どこまでも従い」、父なる神の御心を行なっている者が救いの完成する神の国に入ると言う意味です。
 このように主イエスに従っている者たちは、既にこの信仰生活の中で神の国に属し、その永遠の命に生かされているのですが、すべてのことは神の御手の中にありますので、その全貌は人間の目に隠されています。
 しかし救いが完成するときには、わたしたちは神の御前に立ち、これまで神をどのように信じ、何を求め、考え、実行して来たかについて一切が明らかにされます。
 その日には多くの者たちが、「主よ、主よ、わたしたちは御名によって預言し、御名によって悪霊を追い出し、御名によって奇跡をいろいろ行ったではありませんか」(10:22)と言います。それに対して主イエスはこのように仰せになります。
 「あなたたちのことは全然知らない。不法を働く者ども、わたしから離れ去れ。」(10:23)
 これは最後の審判の様子ですが、主イエスがその審判者であることを意味しています。そのとき、わたしたちが本当にイエスを主として告白し、主に結ばれ、主に従って来たかどうかが明らかになるのです。
 言い換えれば、イエスがご自身の十字架の犠牲によってわたしたちを罪から贖い、わたしたちを神の子としてくださったイエスを自分の主として告白するとは、自分が最早自分の主人ではなく、主イエスを自分の主人とすることを決心し、つねにそのことを自覚しながら、ただ主イエスの意志を実行することを自ら欲し、また実行することを喜びつつ、主イエスに従う生き方です。
 このように、主イエスと結ばれ、主イエスに従い、主イエスの義と命と自由に生かされて来た者たちに向かって、主イエスは「忠実なわたしの僕たちよ、あなたたちを父なる神は神の子たちとして最終的に受け入れられました。父なる神との交わりの中にある永遠の祝福と平和を享受しなさい。」と仰せになります。
 さらに、主イエスの名によって預言をするとは、広い意味でキリストの教えを語ることです。そのように解釈しますと、キリスト教のメッセージを力強く語り、多くの人々に感銘を与えたとしても、自分自身はキリストの救いから漏れることがあり得るのです。それゆえ、使徒パウロは「自分の体を打ちたたいて服従させます。それは他の人々に宣教しておきながら、自分が失格者になってしまわないためです。」(コリント一、9:27)と言っています。この言葉はキリストの使徒として立てられたパウロがキリストの僕として主人に忠実であり続けるよう、自戒していたことをよく示しています。

(2)キリストの命令の意味
 次に、イエス・キリストに従う者をイエスは次にように説明されました。
 「そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。」(7:24)
 自分が住む家を建てるためには、場所と基礎をよく吟味することが不可欠です。パレスチナ地方では、夏の期間に土地捜しをし、心地よい砂地を見つけて、そこに家を建てたとします。するとどうなるでしょうか。その地方では冬になると大雨が降ります。夏の間、乾いた砂地が実は川床であり、激流が押し寄せる場所と変わります。砂地に建てた家はたちまち崩壊し、流されてしまいます。他方岩の上に家を建てれば、雨が降り、洪水が襲ってきても家は倒れることはありません。
 従って、自分の信仰生活が神の国につながった歩みとなるために、どこに基礎と根拠を置くかが一番重要な問題です。神からこの世界に遣わされた神の御子イエスは、今や神の国がご自身の宣教活動を通して開始したと宣言されました。
 神の救いが間近に迫っていると預言し、悔い改めの洗礼を施したヨハネはメシアの到来を恐れたヘロデ王に逮捕され、投獄されました。そのときから、イエスは神の国の福音を語り始められたのです。
 「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」(マルコ福音書1:15)
 ここで神の国の到来とは、人類に対する神の恵み深い支配の確立を意味しています。神が罪深い人間を罪の束縛から解放し、ご自身との人格的な交わりに入れ、神の義と命とを人間に与え、人間が喜んで神に従うことの中に神の国は到来するのです。
 従いまして、主イエスは神の国について教えられた教師ではなく、さらに神の国の到来を語った預言者でもなく、それ以上の方です。正に主イエスの人格とその言動を通して、神の国が開始したのです。 
 主イエスの言葉と行動を通して、父なる神が恵み深い主権者としてご自身を示され、罪人を赦す神の権能が働き、神の愛が罪人の中に注がれることにより、罪人が悔い改めて神の子とされ、神の子として生かされる霊的現実が開始したのです。
 それゆえ、主イエスを信じてイエスと結ばれた者が主イエスの言葉と命令を実行することができるのです。そうでなければ、だれもイエスが教えられた神の命令を実行することはできません。なぜならば、イエスは人間に神への徹底的な従順を要求されたからです。イエスはモーセの十戒を神の愛を実行する視点から解釈し、殺すな、盗むな、姦淫するな、偽証するな、貪るなという十戒は、人を憎むな、軽蔑するな、その人格を尊重し、自分はあくまで謙遜であれ、どのようなことがあっても正直であり、嘘を言ってはいけない、人を騙してはいけない。自分を愛するように人を愛せよ、自分に敵対する者を愛せよ、罪を犯している人を正しい状態に導く場合に、先ずその人の罪を赦し、その人の重荷を共に負え。罪を赦し合い、互いに重荷を負い合うことによって、その中に神の創造的な力が働き、神の御心に適う者となることができる。このようにしてあなたがたが互いに愛し合うことが神の愛を実行することであると、イエスは教えられました。
 従って主イエスの命令を実行することができるのは、主イエスに結ばれるとき初めて可能となります。なぜなら主イエスこそ神の戒めを教えられただけではなく、自ら実行された方であるからです。 
 このような方は主イエスを他にして誰もおりません。しかもイエスが神の戒めを完全に実行されたと言うことは、イエスご自身のためであるだけでなく、罪人である全人類のためなのです。
 さらに、イエスが父なる神の御心に適う業を実行されたということが、わたしたちの中で有効となり、わたしたちの力となるために、全人類の救い主としてのイエスに父なる神から与えられた使命がありました。正にそれが十字架の死による人類の罪の贖いです。その使命をイエスは果たされました。
 イエスは全人類の罪を負って、全人類のために、全人類に代わって、神の審判を受け、十字架において、死なれたのです。その死においてイエスは父なる神の意志に対する従順を全うされました。その結果、イエスの死において、人類に対する神の義と真理とが貫徹しましたので、父なる神はイエスを死人の中から復活させ、天地の支配者である主とされました。
 同時に、父なる神は全人類を主イエスの人格と存在の中で、神の子である新しい人間として再創造し、主イエスを信じる者を神の子として生きるようにされたのです。このように神は主イエスの十字架の死と復活において、全人類に対する判決を下され、そしてこの神の判決を福音の言葉を通して人間に啓示されたのです。
 実にこの判決において、神は御子イエスを全人類の主としてすべての人間に与えられました。ヨハネによる福音書3:16は次にように言っています。
 「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」
 それゆえ、罪人である人間が主イエスを信じるとき、主イエスと結ばれ、主イエスにおいて既に与えられている新しい人間として生きることができるのです。新しい人間とは主イエスが神の愛を実行されたように、神の愛を隣人や仲間に実行する者なのです。
 しかし、地上で生きているわたしたち人間はこれまでアダムの子孫として神を知らず、神との人格的な交わりを持っていませんでしたので、新しい人間とされた今も、イエスが命じられる神の愛である様々な善い業をどのように実行したらよいのかが全く分からないのです。どうしてもイエスの手引きが必要です。
 それゆえイエスは手引きとして「わたしの言葉を実行しなさい」と命じられるのです。言い換えれば、イエスの命令は「あなたがそれを実行するであろう」と言う約束なのです。この約束に従って実行するとき、主イエスの義と命と自由が信仰者の中に働くので、実行が可能となるのです。
 要するに、主イエスの命令は主イエスと結ばれている者に対する命令です。

(3)信仰者とはどういう人間か
 最後に、主イエスと結ばれているクリスチャンとはどういう人間なのでしょうか。
宗教改革者マルティン・ルターは「クリスチャンは罪人であり、同時に義人である」と言いました。
 これは神が罪人である全人類に対して下された判決の二つの面を示しています。神は全人類を罪人として死に定められました。そのために主イエスは死を引き受け、死を全うされました。主イエスの死に至るまでの従順により、イエスは全人類のための義を達成されましたので、神はイエスを復活させ、主としての地位に就かせられました。同時に神は罪人を復活の主イエスの中で神の御前に生きる新しい人間、すなわち神の子とされたのです。
 言い換えれば、人間はだれでも主イエスの人格と存在の中で、罪人である古い人間としてイエスと共に死に、神の子である新しい人間としてイエスと共に復活したのです。しかもこの新しい人間は主イエスの中に存在するのです。それゆえ、人はイエスを主として信じるとき、主イエスに結ばれた新しい人間となります。
 問題は新しい人間であるクリスチャンを具体的に説明すれば、ルターが「わたしは罪人であり、同時に義人であると」告白するように、罪人であり同時に義人なのです。アダムの子孫である生まれながらの人間は自分が義人であると考えています。罪人であるとは少しも考えていません。
 キリストと結ばれているクリスチャンだけがキリストの中では古い人間は死んでいるが、自分の中では古い人間は未だ存続していることを知っています。しかし今や信仰によってキリストと結ばれていますので、キリストの中にある新しい人間が自分の中に働くことも知っています。
 そしてキリストを信じることにより、聖霊を通してキリストが自分の中に恵み深い主権を働かせておられますので、キリストによって与えられる究極的な救いを確信し、どこまでも主イエスに従っていくのです。
 つまり、主イエスに従う新しい人間としてのクリスチャンに主イエスは二つの命令を与えられました。一つは古い自分を捨てなさいと言う命令です。一つは主イエスの中にある新しい人間として、神の愛を実行しなさいと言う命令です。
 イエスは弟子たちをご自分のもとに招かれたその言葉はこれです。
 「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである。」(マルコ8:34~35)
 それゆえ、重要なことはわたしたちの中にある古い自分を絶えず捨て、キリストの中にある新しい自分を絶えず身に着けることです。わたしたちは主イエスの贖いにより、罪に勝利する力が与えられていますので、自分の中に残存している罪を克服することができるのです。他方、キリストの愛の命令を真剣に聞き取り、それを実行することによって、新しい人間として生きるのです。
 要するに、使徒パウロがいっているように、「大切なのは新しく創造されることです。」(ガラテヤ6:15)
 これを説明すれば、わたしたちは主イエスとの人格的な交わりの中で、主イエスの義と命と自由が聖霊を通して、わたしたちの中に働きますので、わたしたちは古い自分に絶えず死に、新しい自分として生きることによって、わたしたちは絶えず新たにされるのです。



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