2014-01-26(Sun)

生かされて主に委ねる 2014年1月26日特別伝道礼拝メッセージ

生かされて主に委ねる
江田めぐみ伝道師

 「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」
ヨブ記1章21節


 さて、イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。弟子たちがイエスに尋ねた。「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。」イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。わたしたちは、わたしをお遣わしになった方の業を、まだ日のあるうちに行わねばならない。だれも働くことのできない夜が来る。わたしは、世にいる間、世の光である。」こう言ってから、イエスは地面に唾をし、唾で土をこねてその人の目にお塗りになった。そして、「シロアム――『遣わされた者』という意味――の池に行って洗いなさい」と言われた。そこで、彼は行って洗い、目が見えるようになって、帰って来た。
ヨハネによる福音書9章1~7節


 私たち人間は、この世に生を受け生まれてきました。人間として生まれるまでには、お母さんのお腹の中で、ほぼ10ヶ月という間育てられて、赤ちゃんは大きくなります。ところが母親のお腹にいる間に赤ちゃんが、その成長過程の中で、母親のコンディションが悪く、あるいは赤ちゃんのコンディションが悪いと、上手く成長するどころか、生まれてきて体にハンディキャップを持って生まれてくることもあります。
お母さんの体調が悪いと、生まれ月まで持たず早産として生まれてくることもあります。必ずしも生まれて来る子どもがすべて、健全で生まれてくるという保障がありません。
 これからお話する、Mさんも、生まれる時にお産が重く半分死んでいたような状態であり、失明というような状態で生まれてきたのでした。

 聖書には多くの奇蹟物語が記されておりますが、盲人開眼の奇跡は、旧約聖書には出てきません。
 新約聖書でも、生まれつきの盲人の開眼の奇跡を行われたのは主イエスだけでありました。福音書には、主イエスによる盲人開眼の奇跡が多く記されています。
 二人の盲人をいやすところは、マタイによる福音書9章27節から31節で、イエスが二人の目に触り、「あなたがたの信じているとおりになるように」と言われると、二人は目が見えるようになった。と記されております。その他にも、盲人をいやすところが沢山書かれている中のいくつかを上げるとすると、マルコ8章22-26節・ルカ7章21―22節そして今日お読みいただいたヨハネ9章1―12に記されております。
 旧約聖書には、盲人開眼の奇蹟は記されておりませんが、そのことができるのは主なる神ご自身であると言われています。主は彼らに言われた。「一体、誰が人間に口を与えたのか。一体、誰が口を聞けないようにし、耳を聞こえないようにし、目を見えるようにし、また見えなくするのか。主なるわたしではないか。」(出エジプト記4:11)すると、開眼の奇蹟を行った主イエスは、主なる神ご自身であるということになります。又、「その日には、耳の聞こえない者が、書物に書かれている言葉をすら聞き取り、盲人の目は暗黒と闇を解かれ、みえるようになる。」(イザヤ29:18)と、盲人の開眼は来るべきメシアの業であると告げられているのです。
 
 2013年9月16日朝、大型台風18号が愛知県豊橋市付近に上陸し、列島を縦断し、四国から北海道にかけて、激しい雨が降り、河川の増水や、突風による被害が相次ぎ、大雨に関する初の「特別警報」が出ました。各地で猛威をふるい、京都福知山市では、数十年に一度の大雨、関東地方も朝から台風情報で、できるだけ外出はしないようにとの報道の中、Mさんの葬儀が武蔵豊岡教会で行われました。教会は16号道路に隣接していて、今道路の拡張工事のため、教会の敷地も道路に少しかかるので、教会は敷地内での移動をするために、今日(16日)行われる葬儀は、仮の教会(プレハブ)で行われました。その葬儀に、主人と共に出席して最後のお別れをすることができました。

 Mさんは、生まれる時にお産が重く半分死んでいたのですが、神さまが生かしてくださり、失明という状態でこの世に生を受けました。その後、川越盲学校に在籍しそこで、日本基督教団川越教会の平 伊之助牧師の話を聞き、(「ヨハネによる福音書9章1~7節」から、「神の御業があらわれんがためなり」を始めて耳にして、聖書を読み始めました。
その後、洗礼を受け、愛妻と共に、治療院を開設しました。
 
 洗礼をうけ、クリスチャンになり、針、灸、マッサージ師の免許を得、職について40年を超えました。その間に、辛いこと、苦しいこと、時にはこの職業から離れてしまいたいことさえありました。しかし、これ以外いかにして生活する事もできないので、ただひたすらに頑張ってきました。
 診察に来られる人たちは、肩に凝りがあり目まいや、頭痛を訴えているのです。この一人一人に手を触れよく観察をし、その人その人の話す事をよく聞いて、世間話やその人の身の上話を聞き、手と頭はその患者の状態を見ながら治すので絶えず緊張していたとのことです。けれども、妻が側にいて支えてくれたので、それこそこれまでに一度も喧嘩もすることなく過ごせ、鍼灸医の細かい神経をいつも保てていられたのは、神さまから頂いた信仰と愛妻が常に支えてくれたからでした。

 Mさんが信仰に入ったきっかけの聖句は、ヨハネによる福音書9章3節の「神の業がこの人に現れるためである」という御言葉でした。
 「イエスが通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた」(ヨハネ9:1)ということは丁度主イエスと弟子たちが歩いている時に、目の見えない人を見て、弟子が主イエスに「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。」(ヨハネ9:2)と訪ねました。(ラビとは、ユダヤ教指導者としての知識と訓練があり、その職を任された者)生まれつきの盲人は、生まれつき霊的盲目の状態にある罪人の姿を表しています。罪人は自分の力で、その盲目状態をどうすることもできないのです。当時のユダヤ人の一般的な理解では、人が病気や不幸になるのは、ほとんどの場合は、本人が罪を犯したからであり、その報いとして、神が罰としてその人を病気や不幸な目に合わせるのだと考えておりました。

 けれども聖書のみ言葉では、「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである」(ヨハネ9:3)ということは、肉体的ハンディキャップは、神の働きが現れるためだという積極的な新しい理解が主イエスにおいて示されていました。いつでも弱者である者を包み、刺(とげ)を負っている者をそのまま守っている神の働きがあるという以上に、徹底的に彼自身の存在が積極的なものとして働く。このような存在を変えるような業が起こりました。
 「見えない人の目が開き、聞こえない人の耳が開く。その時歩けなかった人が鹿のように踊り上がる。口の利けなかった人が喜び歌う。」イザヤ書35章5~6aに約束されていたこのような預言が主イエスにおいて成就したのでありました。これがいやしの証言の究極的な内容でありました。いやしの主眼は主イエスの持っておられた神的能力、超自然的な力でありました。
 それは、主イエスにおいて起こった救いの出来事のしるしとして用いられていました。この奇跡の中で、主イエスが誰であるかが見え、主イエスを神と等しい者として見ることをとおして神が見えるようになりました。
このことが、「わたしがこの世に来たのは、裁くためである。こうして、見えない者は見えるようになり、見える者は見えないようになる…見えなかった者であれば、罪にはならなかったであろう。しかし、今 、『見える』とあなたたちは言っている。だから、あなたたちの罪は残る」(ヨハネ9:39~41)で明白にある。まさに神の業が現れるということにほかならないと、「神がお遣わしになった者を信じること、それが神の業である」(ヨハネ6:29)と記されております。

 「神の業がこの人に現れるためである」(ヨハネ9:3)ということが、別の形で4~5節で記されています。「わたしは、わたしをお遣わしになった方の業を、まだ日のあるうちに行わねばならない。だれも働くことのできない夜が来る。わたしは、世にいる間、世の光である」神の業がこの人に現れるということは、神の栄光が明らかに照り輝くというイメージを連想させます。又、昼と夜の対比は、光と闇の対比として、昼は神の支配の時であり、夜ないし闇は悪魔の支配の時であり、この世的支配の時でありました。
 主イエスは「わたしは、世にいる間、世の光である」とし、「日のあるうちに」と御自分の活動を制限しています。それは、教会が今や光になっているのです。ですから、日のあるうちに正しい父なる神の業を行わなければならないということでありました。

 数年前にイスラエルに行き、この奇跡の行われたシロアムの池を見ることができた。そこをガイドしてくださったSさんは、実際に主イエスがおこなった時のように、地面につばをし、つばで土をこね始めた。そして、目に塗ろうとした時、Sさんは、「わたしは主イエスではないので、多分奇跡はおきないでしょう」と言ったのが、印象的に思い起こされました。
 シロアムの意味は、ギリシア語で、「遣わされた者」の意味であります。「イエスは地面に唾をし、唾で土をこねてその人の目にお塗になった。」(ヨハネ9:6)というように、イエス・キリストはここで盲人をいやされました。最近まで、シロアムの池はヒゼキヤ王がギホンの水を引くために建設した地下水路の終端に位置する場所と見なされてきました。私もイスラエルへ行った時に見た場所は、この場所でした。しかし、2004年、そこから南東100メートルほどの場所に新たな遺跡が発掘されて、現在はここが本来のシロアムの池であったとみなされています。今回の発見で、池に降りる三つの階段を備えた大規模なものであることが明らかとなりました。

 主イエスは、地面につばをして泥を作り、原初の材料を用いて業をされました。「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった」(創世記2:7)と神は土の塵でアダムの体を形作ったとはっきりと述べています。シロアムの池はヒゼキヤによって造られました。当時の人々は、町の外壁の外側にある泉から、町の中に水を通すために、地下水道を建設しました。
水は人間にとって欠かせないものであったので、そのヒゼキヤの地下水道ができるまでは、人々は、水を泉まで汲みに行くのが仕事でした。その日に必要な水を泉から汲んで運ぶことは、重労働でありました。
 そのシロアムの泉から、それぞれ高台にある住居地までは、かなりの距離があり、それを毎日の仕事にして水をかめ等に入れて運ぶことは、実際にその地を訪れて自分の足で歩いて感じたことは、ただ歩くだけでもかなりの重労働なのに、坂道で水を入れて運ぶことは大変であり、当時の人々が、水を大切に使っていたことが分かりました。

 Mさんは、神に全てを委ねて信仰者の道をしっかりと歩む事ができた中、生を受けた時には既に失明して生まれ、神がMさんを生かしてくださって目の見えない分、神は、Mさんに素晴らしい鍼灸師という賜物をくださいました。ですから彼はその賜物を十分に生かし、体の疲れた者の体に手をおき、じっと一人一人の訴えに耳を傾け、それぞれの悩みを聞いてあげ、共に考えもし助けてあげられると思う時、それらに示唆を与えていきました。「針を打つときでも慎重に祈り心を持ちやっていると、神さまはいつも生きていて下さることが私には伝わってくるのです。ですから、主のいやしの御手が注がれ、平安があるように祈りながらするので、治療に来た方がどうして治ったのかわからないけれども、気持ちよくなり、お帰りになるのです。又、自分自身の心も一緒に慰められました。」(Mさんの教会月報の証より)

 Mさんの人生は最後の最後まで、すべてを主に委ね主の御用のために働く喜びがあり、世にある限り一生懸命に主のために働くという心を貫き、87歳で生涯を閉じました。
 Mさんは、「生きている」という人間的な考えでなく、「生かされている」という神から生命を頂いていると言う謙虚な受け身の人生でありました。「父」を主イエスとするならば、教会を「母」とし、雨の日も、風の日も毎週かかさず、教会にご夫婦で通って自分たちが不信仰にならないよういつも神さまに祈り続ける人生でした。

 わたしたちの人生は、いつどのようにして人生をまっとうするのかは誰もわかりません。Mさんのように、常に自分自身は神から生かされていることに感謝し、主にすべてを委ねて、主のために働く喜びを持ち、人生を全うできるように、お一人お一人の信仰をしっかりと持ち、歩んでまいりましょう。



スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

コメント

教会案内
〒354-0044
埼玉県入間郡三芳町北永井959-3
TEL・FAX:049-258-3766

牧 師:中山弘隆

創立日:1972年2月19日

最寄り駅
東武東上線 鶴瀬駅 西口
東武東上線 ふじみ野駅 西口
よりタクシーで10分
※駐車場完備

三芳教会へのバス利用方法

MAP
三芳教会の地図です
定例集会案内
●主日礼拝
  毎日曜日 10:30~12:00
●教会学校
  毎日曜日 9:15~9:40
●朝の祈祷会
  毎日曜日 9:45~10:10
●キリスト教入門講座
  毎日曜日 9:45~10:10
●マルタマリア会(婦人会)
  毎木曜日 10:30~
●マルタマリア会例会(婦人会)
  毎月第2主日礼拝後

毎木曜日の祈祷会は、2011年5月より、毎日曜日の朝の祈祷会に変更となりました。
三芳教会のご案内
●牧師紹介

●年間行事予定

●写真で見る三芳教会
最新記事
行事報告
● 江田めぐみ伝道師就任式
 (2012年7月22日)


● 教会バザー報告
 (2011年11月23日)


● バーベキュー大会報告
 (2011年8月21日)


● イースター報告
 (2011年4月24日)


● 柿本俊子牧師隠退の感謝会報告
 (2011年3月27日)


● 講壇交換(三羽善次牧師)
 (2011年1月23日)


● 墓前礼拝報告
 (2010年11月7日)


カテゴリ
カレンダー
08 | 2017/09 | 10
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
月別アーカイブ
全記事INDEX

全ての記事を表示する

お知らせ
ようこそいらっしゃいました。



2016年10月に、当ブログの訪問者が9,000人を超えました。感謝いたします。

2015年9月に、当ブログの訪問者が8,000人を超えました。感謝いたします。

2014年9月に、当ブログの訪問者が7,000人を超えました。感謝いたします。

2014年1月に、当ブログの訪問者が6,000人を超えました。主の導きに感謝いたします。

閲覧者数
現在の閲覧者数
現在の閲覧者数:
メールフォーム
三芳教会やキリスト教についてのお問い合わせ、また当教会へのご意見、ご要望等がありましたら、下記のフォームよりうけたまわります。

お名前:
メールアドレス:
件名:
本文:

検索フォーム
リンク
QRコード
QR