2014-01-19(Sun)

われらの父なる神 2014年1月9日の礼拝メッセージ

われらの父なる神
中山弘隆牧師

 なにゆえ、国々は騒ぎ立ち、人々はむなしく声をあげるのか。なにゆえ、地上の王は構え、支配者は結束して、主に逆らい、主の油注がれた方に逆らうのか。「我らは、枷をはずし、縄を切って投げ捨てよう」と。天を王座とする方は笑い、主は彼らを嘲り、憤って、恐怖に落とし、怒って、彼らに宣言される。「聖なる山シオンで、わたしは自ら、王を即位させた。」主の定められたところに従ってわたしは述べよう。主はわたしに告げられた。「お前はわたしの子、今日、わたしはお前を生んだ。
詩編2篇1~7節


 そのとき、イエスは聖霊によって喜びにあふれて言われた。「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。そうです、父よ、これは御心に適うことでした。すべてのことは、父からわたしに任せられています。父のほかに、子がどういう者であるかを知る者はなく、父がどういう方であるかを知る者は、子と、子が示そうと思う者のほかには、だれもいません。」それから、イエスは弟子たちの方を振り向いて、彼らだけに言われた。「あなたがたの見ているものを見る目は幸いだ。言っておくが、多くの預言者や王たちは、あなたがたが見ているものを見たかったが、見ることができず、あなたがたが聞いているものを聞きたかったが、聞けなかったのである。」
ルカによる福音書10章21~24節


(1)イエスの父なる神
 本日の聖書の箇所には、主イエス・キリストの人格の一番奥にある神聖な領域が示されています。これは弟子たちが福音の伝道から帰って来て、その結果を主イエスに報告したときの出来事です。
 「そのとき、イエスは聖霊によって喜びにあふれて言われた。『天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。そうです、父よ、これは御心に適うことでした。すべてのことは、父からわたしに任せられています。父のほかに、子がどういう者であるかを知る者はなく、父がどういう方であるかを知る者は、子と、子が示そうと思う者のほかにはだれもいません。』」(ルカ10:21~22)
 イエスは弟子たちの語る福音を通して、人間を罪の束縛から解放する神の力が働いたことを喜び、父なる神を賛美されたのです。実に聖霊による喜びであり、イエスの全身から溢れ出たのです。
 ルカによる福音書では、この出来事の少し前に、主イエスは弟子たちに向かって、「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」とご自身に対する信仰を要求されました。そのときペトロは弟子たちのスポークスマンとして「神からのメシアです。」と信仰を言い表しました。マタイによる福音書16章16~17節では、「あなたはメシア、生ける神の子です」と告白しています。このときイエスはペトロに向かって、「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間でなく、わたしの天の父なのだ。」と仰せになりました。
 実に、神はイエスを通してご自身を人間に示される方なのです。同時に神はご自身が「イエスの父」であることを示されるのです。それゆえ誰でもイエスを「救い主、生ける神の子」と信じ告白することによって、神を知り神の救いを与えられます。
 ところで、わたしたちが神を知ることができる方法は、神について、世界について、人間について、哲学的に思索することではありません。そのような人間の知恵では神を知ることは全く不可能です。 
 なぜなら、神は福音の言葉、すなわち聖書の言葉を通して人間と人格的に出会うことを欲しておられるからです。
 4世紀にバシリウスという古代キリスト教会の教父は次にように言っています。「神は人間が理論と概念とをもってその中に踏み込むことのできない方である」
 さらに彼の弟子である教父グレゴリウスも神について言っています。「神について言われるすべての概念はおよそ偽物であり、人間の造り上げた偶像に過ぎない。真実の神は頭で造り上げた概念によっては、自己を人間に示さることはない。」
 それでは、人間は神を知ることはできないのでしょうか。決してそうではありません。神は人間に御言葉をもってご自身を示される方でありますので、人間は全存在をもって体験することができます。
 なぜなら、神がわたしたち人間に御言葉を語られる場合に、わたしたちが全存在をもって受け入れるか、否かを問われるからです。哲学者であり科学者であり思想家であったパスカルは、聖書の神は実に「イエス・キリストの父であり、イエス・キリストの神である。」と言いました。パスカルは熱烈で苦しみ悶える祈りの後、神の恵みの「並外れた助け」について言語に絶する経験をしました。それを紙切れに記録し、その紙は今も現存しています。さらにそれを羊皮紙に書き写し、コートの裏地に縫い付け、死ぬ日まで身に着けていたと言われています。その紙片には次にように記されています。
 「恵みの時。--1654年11月23日、月曜日、夜10時半ごろから12時半ごろまで。--火(聖霊の火)。アブラハム、イサク、ヤコブの神;哲学者と科学者の神ではない。確かさ、確かさ、感動、喜び、平安。イエス・キリストの神。あなたの神はわたしの神となるであろう。彼は福音書の中で教えられた方法でのみ見いだされるべきである。人間の魂の偉大さ。ああ義なる父よ、この世はあなたを知っていません。しかし、わたしは、あなたを知っています。喜び、喜び、喜びの涙。--イエス・キリスト。わたしはイエス・キリストから自分を引き離していました。彼から逃れ、彼を否定し、彼を十字架につけました。わたしが彼から離れないようにしてください。彼は福音書において教えられた方法でのみ保たれるべきです。完全なそして心地よい自己放棄。」
 
(2)イエス・キリストの人格の秘密
 このように、神はイエス・キリストの「父」であり、イエス・キリストの「神」であるからこそ、イエス・キリストを通して、わたしたち人間と出会い、ご自身を示されるのです。
 ここで、イエスは『父のほかに、子がどういう者であるかを知る者はなく、父がどういう方であるかを知る者は、子と、子が示そうと思う者のほかにはだれもいません。』(ルカ10:21~22)と、このように父と対話しておられます。
 明らかにイエスは御自分を「子」と呼び、神を「父」と呼んでおられます。そして、「子を知る者は父の他に誰もいません」と父なる神に向かって語っておられます。
 実にこの言葉は、子は父に完全に知られ、子もまた父を完全に知っていることを意味し、この父と子との親密な人格関係は世界の中で他には類を見ない神の「聖なる現実」であることを示しています。
 神は常にイエスの中に臨在され、つねに御言葉をもって語り、ご自身を示し、ご自身を与え、他方イエスは常に父に絶対的に依存し、父に従い、栄光を父に帰し、自らの栄光を決して求めない生き方をしておられ、自ら進んで父に従順であることをイエスのこれらの言葉が証しています。
 従って、イエスの行き方は、神を信じている他の人たち、例えば聖霊によって神の言葉を語った預言者や旧約聖書の信仰深い敬虔な人たちでさえ、誰もできなかったのです。しかもイエスは全生涯を通して常に神との交わりの中で歩まれました。
 イエスは父なる神に祈る時には「アッバ」と呼ばれました。旧約聖書の神の民も神は自分たちの父であると告白していましたが、決してアッバとは呼びませんでした。
 アッバとはイエスだけが使用された呼び方であり、それは幼子が「父」を親しみと信頼を込めて「パパ」と呼ぶのと同じ呼び方でした。イエスは初めて言葉が話せるようになった幼いころから成人し、地上の生涯を終える時まで、この呼び方をしておられました。実にそれは父と子との関係を一番よく表しています。
 ここにイエスの人格の秘密があります。神は人間の創造者であり、救い主でありますが、人間とこの世界を越えた方であり、父・子・聖霊の平和な交わりの中に存在しておられる唯一の神です。この神が人間をご自身との人格的な交わりに入れることを欲し、それを実現するために子なる神が人間となられたのです。
 その方がイエス・キリストです。それゆえイエスはわたしたちと同じ人間でありながら、わたしたちと全く違って、本来的に神の御子なのです。神は本来的にイエスの父なのです。
 このような人格の秘密を持っているイエスの中に、父は常に臨在し働いておられましたので、イエスは自らの言葉と行動と態度と性質をもって、父なる神を啓示されたのです。
 しかし、イエスは人間に父なる神を啓示するためには、つねに父の御心に従順であることが要求されていました。このため、イエスは常に父に「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。あなたの御心を実行する力をわたしにお与えください。」と祈りつつ、その使命を果たされました。
 そういう意味では常に悪魔の誘惑にさらされながら、それに打ち勝つ信仰の戦いを経て行かれたのです。しかも最大の使命と試練は人類を罪の支配から解放するために、ご自身の命を犠牲として与えることでした。すなわち、イエスは人類の代理となり、人類の罪を一身に背負って、神の審判を受けることが必要だったのです。
 父なる神は人類の代理者となられたイエスの中で、人類の罪を裁き、人類に対するご自身の義と真理を貫徹されました。同時に十字架の死の極みまで父なる神に従順であったイエスは人類が神の御前に生きるに必要な義を達成してくださいました。それゆえ人類の罪に対する「神の審判」は人類の「救いの判決」となったのです。
 このことによって、「人類の罪は取り去られ」、すべての者は「イエスの義を授与されて」、「永遠」に変わることのない「神との正しい関係」に入れられることが決定されたのです。
 従って、父なる神はイエスを死人の中から復活させ、天地の支配者である「主」として立てられました。同時に、復活された主イエスの「中」に神の御前に生きる新しい人間を創造されました。まさに主イエスの中に創造された「新しい人間」こそ、「神の子」とされた者たちです。言い換えればすべての人間は人類の代理となられたイエスの中で、イエスと共に十字において「古い存在」に死に、イエスと共に復活して、神の子としての「新しい存在」をイエスの中に与えられたのです。
 実に、神ご自身が人間のために、イエスにおいて実行し実現された事柄を通して、すなわち神的な「事実の言葉」で、わたしたちに出会い、「わたしはあなたを愛している。あなたはわたしの子である。」と仰せになるのです。
 要するに、わたしたちは最初の人間アダムと同じように自然的な人間で罪の中に陥っていましたが、この御言葉を聞き、主イエスを信じるとき、神の子たちとされるのです。

(3)神の子たちとしての生き方
 最後に、わたしたちが神の子たちとされた新しい人間の生き方を具体的に説明すれば、次のように言うことができます。
 先ず問題は、古い人間と新しい人間は共に自分自身であるということです。人間の自己同一性は神の問いかけと人間の応答の中かに保たれています。古い人間は神の自己譲与である語りかけを拒否しました。それと対照的に新しい人間は同じ神の語りかけを受領しました。しかし、新しい人間は以前自分が神の語りかけを拒否していたことと、今受領していることの両方を自覚しています。そこに自己同一性が保たれているのです。
 それでは人間に対する神の究極的な判決と自己譲与を受け入れて新しい人間になったクリスチャンの実践的な問題は、生まれながらの人間で「常に罪を犯す古い人間」と、キリストの中に創造された「神の子としての新しい人間」の二つの面とどう向き合うかです。
 一方で主イエスの贖いを通して決定された神の判決により、クリスチャンは罪に打ち勝つ力が与えられていますので、古い人間の思いと行為を常に後ろに投げ捨てることができます。
 他方で新しい人間は自分自身の中にではなく、主イエスの中に与えられていることがクリスチャンの実践に著しい特徴を与えています。確かにわたしたちが主イエスを信じ、聖霊を授与されるとき、主イエスの思いを自分の思いとし、隣人や兄弟を愛し、善を実行することできます。但し、それは主イエスの思いの実行を通してのみ、主イエスの義と命と自由がわたしたちの中に働くという甚だ実践的な性質を持っています。
 それゆえ、わたしたち信仰者は自分の力に寄り頼んでいる古い人間に背を向け、決然と方向転換をなし、主イエスの中に与えられている新しい人間に顔を向けるのです。そしてこの姿勢を堅持しながら、進んで行く生き方が神の子とされた者の生き方です。
 従って、別の視点から説明すれば、自分は今どのように古い自分に死に、罪から清められ、どのように新しい人間の業ができているかを自分の中で実証し、それによって初めて安心できると言う一切の思惑を捨て去ることが必要です。そういう思惑は古い人間の考え方です。
 神はキリストの義によって信仰者を義とし、つねに人格的な交わりを与えて下さっています。そのことを何よりも重視し、感謝し喜んでいることが新しい人間の特性です。
 とは言え、キリストと出会うとき、クリスチャンは自分の罪と悪い面を思い知らされます。それにも拘らず、キリストはわたしたちを裁かれません。このことを良く自覚して、安心して罪の業を捨て去ればよいのです。キリストは罪を捨てることだけを欲しておられるのですから、わたしたちは自分自身に関する一切の思惑を捨てなければなりません。
 他方、キリストがわたしたちと出会い、ご自身の一点の落ち度もない正しい性質を示されるのは、わたしたちがそのようになると言う神の約束であり、神はわたしたちの不十分な愛の業を喜んで受け入れてくださるのです。
 このことを知るとき、わたしたちは神の喜びに与り、感謝して神の御心を行うために専念することが重要です。
 要するに主イエスにおいて神が下された永遠に有効な神の決定を単純にしかも全存在をもって信じ、この基盤の上に立つことが、神を父と呼び、神から子よと呼ばれる愛と平和に満ちた関係なのです。



スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

コメント

教会案内
〒354-0044
埼玉県入間郡三芳町北永井959-3
TEL・FAX:049-258-3766

牧 師:中山弘隆

創立日:1972年2月19日

最寄り駅
東武東上線 鶴瀬駅 西口
東武東上線 ふじみ野駅 西口
よりタクシーで10分
※駐車場完備

三芳教会へのバス利用方法

MAP
三芳教会の地図です
定例集会案内
●主日礼拝
  毎日曜日 10:30~12:00
●教会学校
  毎日曜日 9:15~9:40
●朝の祈祷会
  毎日曜日 9:45~10:10
●キリスト教入門講座
  毎日曜日 9:45~10:10
●マルタマリア会(婦人会)
  毎木曜日 10:30~
●マルタマリア会例会(婦人会)
  毎月第2主日礼拝後

毎木曜日の祈祷会は、2011年5月より、毎日曜日の朝の祈祷会に変更となりました。
三芳教会のご案内
●牧師紹介

●年間行事予定

●写真で見る三芳教会
最新記事
行事報告
● 江田めぐみ伝道師就任式
 (2012年7月22日)


● 教会バザー報告
 (2011年11月23日)


● バーベキュー大会報告
 (2011年8月21日)


● イースター報告
 (2011年4月24日)


● 柿本俊子牧師隠退の感謝会報告
 (2011年3月27日)


● 講壇交換(三羽善次牧師)
 (2011年1月23日)


● 墓前礼拝報告
 (2010年11月7日)


カテゴリ
カレンダー
08 | 2017/09 | 10
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
月別アーカイブ
全記事INDEX

全ての記事を表示する

お知らせ
ようこそいらっしゃいました。



2016年10月に、当ブログの訪問者が9,000人を超えました。感謝いたします。

2015年9月に、当ブログの訪問者が8,000人を超えました。感謝いたします。

2014年9月に、当ブログの訪問者が7,000人を超えました。感謝いたします。

2014年1月に、当ブログの訪問者が6,000人を超えました。主の導きに感謝いたします。

閲覧者数
現在の閲覧者数
現在の閲覧者数:
メールフォーム
三芳教会やキリスト教についてのお問い合わせ、また当教会へのご意見、ご要望等がありましたら、下記のフォームよりうけたまわります。

お名前:
メールアドレス:
件名:
本文:

検索フォーム
リンク
QRコード
QR