2014-01-12(Sun)

父の摂理の御手を信じて 2014年1月12日の礼拝メッセージ

父の摂理の御手を信じて
中山弘隆牧師

 「立ち帰れ、イスラエルよ」と、主は言われる。「わたしのもとに立ち帰れ。呪うべきものをわたしの前から捨て去れ。そうすれば、再び迷い出ることはない。」もし、あなたが真実と公平と正義をもって、「主は生きておられる」と誓うなら、諸国の民は、あなたを通して祝福を受け、あなたを誇りとする。
エレミヤ書4章1~2節


 弟子は師にまさるものではなく、僕は主人にまさるものではない。弟子は師のように、僕は主人のようになれば、それで十分である。家の主人がベルゼブルと言われるのなら、その家族の者はもっとひどく言われることだろう。」「人々を恐れてはならない。覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはないからである。わたしが暗闇であなたがたに言うことを、明るみで言いなさい。耳打ちされたことを、屋根の上で言い広めなさい。体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。だから、恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。」
マタイによる福音書10章24~31節


(1)摂理について
 今日の時代は神につきまして甚だ誤解しているのではないでしょうか。現代は古代と異なり、人間の知恵と力が発達し、人間が自然や社会や国家の制度を自分たちの益のために自分たちの考えに従って変えていくことができると思っています。ここに神の摂理に対する現代人の無理解が露呈されています。
 その結果、個人は利己的になり、国家も利己的になり、自分の国家の理念に固執し、相手の国家の理念が理解できず、対立と抗争を続け、国家を破滅に導く危険性に絶えずさらされています。
 しかし、そのような国家の利己主義の暴走を裁き、国際社会における真理と義と公平を実現するために神が支配しておられるのが神の摂理です。
 なぜなら、神は人間と世界万物の創造者であり、救済者でありますので、人間と万物に対する神の恵み深い意志を実現するために働いておられるからです。神は生ける神であり、唯一の主権者であります。実に、人間やこの世界を越えた方であり、それゆえに人間やこの世界を通して働き、人間やこの世界の中におられ、ご自身の恵み深い意志を実現される方なのです。
 この恵み深い主権者である神を、聖書は「主」或いはすべての者の「父である神」と言っています。
 「すべてのものの父である神は唯一であって、すべてのものの上にあり、すべてのものを通して働き、すべてのものの内におられます。」(エフェソの信徒への手紙4:6)
 それゆえ神は創造者であり、被造物とは全く異なる方でありますから、本来的に人間の目には見えない方です。さらに人間が自由に処理できる対象では決してありません。
 しかし、そのような絶対的な自由を持つ神でありますので、神は人間をご自身との交わりの対象として選び、創造されました。従いまして人間が「人間である所以」は実にこの一点にかかっています。
 さらに神の最終目的はすべての人間を救い、世界万物が神の栄光を現すようにするため、人間とすべての被造物を含めて、過ぎゆくこの物質的な世界から、過ぎゆかない霊的で永遠の世界へ変貌させられることです。
 それは神が天地万物の創造の際に示された力にまさる力、すなわち死人の中からイエス・キリストを復活させられた力によってこの世界と万物を変貌させられるのです。
 従って、人間だけでなく世界の万物にもこの希望が与えられています。使徒パウロは、次のように語っています。
 「被造物も、いつか滅びへの隷属から解放されて、神の子供たちの栄光に輝く自由にあずかれるからです。」(ローマの信徒への手紙8:21)。それゆえ今、被造物はそのような希望によって共に呻き、共に産みの苦しみをしているのだとパウロはいうのです。

(2)人格的な神の摂理
 主イエスは本日の聖書の箇所でこのように仰せになっています。
 「人々を恐れてはならない。----体を殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽でさえ、あなたがたの父の許しがなければ、地に落ちることはない。あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。だから、恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。」(マタイによる福音書10:26~31)
 宗教改革者カルヴァンは「体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。」というこの聖句を解釈しながら、摂理について教えています。
 そこで人を恐れる者は神を敬わない者であると言っています。わたしたちが神に対して相応しい崇敬を示すならば、勝利はわたしたちの手の中にあって、どのような人間の力もわたしたちをわたしたちの義務から引き離すことはできないと言っています。
 さらにカルヴァンは次のようにも説明しています。神は悪人の手綱を緩やかに握っておられるので、悪人は自己の力を過信し、何事でもできると思っており、臆病な魂を打ち滅ぼしても、誰も自分を阻止することはできないかのように傲慢に振る舞う。しかし邪悪な者の思い上がりは空しいと、カルヴァンは言います。
 従いまして、あたかも神の保護がないかのように、悪人の残忍さを恐れる必要は少しもありません。どのような危険な状況に遭遇しても、神の摂理を信じているならばわたしたちの心は平安なのです。  
 摂理について、次の二つの点を挙げることができます。
 第一に、ここでイエス・キリストが語られる神の摂理は哲学者たちが語る摂理とは全く違った方法で働くと言う点です。哲学者たちはこの世界はある程度、神の支配のもとにあることを認めますが、それでもなお神は個々の人間を配慮されることはないかのように摂理の働きを説明しています。
 それに対して、キリストは父なる神がわたしたち一人一人を覚え、配慮しておられるとはっきり仰せになっています。
 実に神は人格的な神であります。それゆえわたしたちを人格として知り、わたしたち一人一人を神の愛の対象としてくださり、永遠の救いに入れるため、導いておられるのです。
 視点を変えて言えば、わたしたち一人一人の生と死はただ神の御手にあり、父なる神が決められる事柄なのです。
 使徒パウロは三回の世界伝道旅行を終え、経済的な逼迫と苦しみの中にあるエルサレム教会を援助するため、異邦人教会で集めた献金をエルサレム教会の使徒たちに手渡しました。しかしエルサレム神殿で礼拝していた時、キリストの福音に反対するユダヤ人たちに発見され、エルサレムの町が大混乱に陥りました。ユダヤ人がパウロをローマ帝国に反対する重大な罪を犯している人物として総督に訴えたため、3年間拘留された後、パウロはローマ市民権を持っていましたので皇帝に上訴しました。その結果ローマに向かうため、276人の乗客を乗せた大きな船で地中海を航海することになりました。しかし航海中に急に嵐に襲われ、昼間も太陽が見えない闇に包まれ、激しい風と波に翻弄される状態が三日間も続き、助かる望みは全く消え失せました。
 そのときパウロは乗客の前で次のように語りました。この状況は使徒言行録27章に記されています。
 「わたしが仕え、礼拝している神からの天使が昨夜わたしのそばに立って、こう言われました。『パウロ、恐れるな。あなたは皇帝の前に出頭しなければならない。神は一緒に航海しているすべての者を、あなたに任せてくださったのだ。』ですから、みなさん元気を出しなさい。わたしは信じています。わたしに告げられたことは、その通りになります。わたしたちは、必ずどこかの島に打ち上げられるはずです。」(使徒言行録27:23~26)
 結局、船は座礁し激浪によって大破しましたが、パウロと乗客全員の命は助かりました。パウロは自分が神から与えられた使命を果たすまではどんなことがあっても死なないと確信していました。事実そのようになったのです。

 次に、第二点は、神の恵み深い摂理の御手の内にある者は、必ず神を信じて熱心に祈り求めるようになるということです。
 この点に関して、天皇を頂点とする軍国主義的な日本は韓国を支配下に置き、中国に対する侵略の手を拡大する中で、日本の侵略を認めないアメリカを中心とする連合国との戦争に突入して行きました。その時は既に天皇と国家が「神聖なる」ものであり、人間の人格と良心の上に立ち、日本人はだれでも天皇と国家に「忠誠を誓う」ことが日本人の守るべき最大の義務として強制する国家となっていました。しかし国家は決して神ではありませんので、あたかも神のように振る舞い、自己を絶対化することによって「国家としての使命」から逸脱し、「悪魔的な国家」になってしまったのです。
 そのとき、主イエス・キリストの主権を信じ告白する日本基督教団に所属するホーリネスの群れの牧師や信者が治安維持法の違反の容疑で検挙され、さらに教会を解散させ、牧師の教職を剥奪する通達が宗教法人を所管している文部省から、日本基督教団に出されました。その結果、教団は牧師に自主的に辞任するように勧告しました。淀橋教会の小原十三司牧師は淀橋警察の留置所に一年間拘留され、巣鴨刑務所で2年間拘置されました。
 その間、小原先生は次のような手紙を書いておられます。
 「信じられないような苦しみや試練と戦うことによってのみ、信仰は強くなり輝くことを学んでいますので、神のご摂理の中におかれている今の境遇を最も幸いと思っています。神の御心によって信じる力われにあり、ああ信じることは楽しみです。
 この年も年末になり、信仰を新たにし、希望をもって前進する覚悟です。わたしは信仰と祈祷に余念なく過ごしています。
 朝には『今日もまた、すべてのものに優る御心がなされることを我は信じる。』夕べには『御心がなされたことを我は信じる』
 期待に添わなかったように思う日も、信仰だけはこのように叫ぶことを感謝する次第です。----」
 1944年に東京地方裁判所の判決が言い渡され、「懲役2年執行猶予4年の判決でした。しかし大審院に上訴しましたので、その一年後日本は連合国に無条件降伏をし、治安維持法は廃止され、無罪が確定しました。このように神の摂理を信じる者は祈りにより、困難の中でも希望を持ち、忍耐し、それに打ち勝つことができます。

(3)国家や社会に対する主イエスの支配
 最後に、人類を罪から贖い、死人の中から父なる神によって復活させられ、天地の支配者、主となられたイエス・キリストは諸国家や社会に対してどのように支配しておられるのでしょうか。
 この点につきまして、エフェソの信徒への手紙1章22~23節で聖書はこのように言っています。
 「神はまた、すべてのものをキリストの足もとに従わせ、キリストをすべてのものの上にある頭として教会にお与えになりました。教会はキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしている方の満ちておられる場です。」
 この御言葉の意味は二つあります。一つはキリストが天地万物の主となられ、すべてのものの頭であり、神の摂理もって万物と人間社会、諸国家、世界の歴史を支配し導いておられるということ。
 もう一つは教会がキリストの体であり、キリストが教会に臨在され、教会に連なるクリスチャンはキリストとの人格的な交わりの中に入れられているということ。そして教会はキリストの義と命と自由に生かされる信仰共同体であるということです。
 従いまして、国家の使命は明らかに教会の使命とは異なっていますが、国家は教会と同様にキリストの支配のもとにあります。国家に対するキリストの支配は「摂理」によって行われます。
 それゆえ人間社会、諸国家はキリストの摂理に対する「畏敬」の念を持って、「謙虚に」自己の使命を果たすとき、キリストの命と自由に生かされるのです。
 それは社会や諸国家の働きを担う者は、「結局」自己の人格と良心と見識をもって自分の責任において行動する「個人」でありますから、キリストは個人の良心を目覚めさせ、見識を与え、社会や諸国家に通用する「真理と規範」が何であるかを知らせられます。
 それは個人や国家は他の個人や他の国家が自分たちと異なる考え方を持っていましても、互いに人間であり国家でありことを認め、他の人の立場や他の国家の立場になって考えることができる「視点」を与えられるのです。
 「万国の預言者」として神によって立てられたエレミヤは次にように言いました。
 地の塩であり、世の光である神の民(クリスチャン)が、「主は生きておられる」と信じ、告白し、真実と公平と正義を行うならば、信仰がなくても良心的に生きている人が、真実と公平と正義が人間の実行しなければならない道徳律であり、社会倫理であることを知るようになります。そして真実と公平と正義をもって摂理の支配をされる神がおられることに畏敬の念を持つようになります。そのことによって「諸国民は、あなたを通して祝福を受ける」とエレミヤは語ったのです。
 「公平」とは万国の民の主権者としての神の視点であり、自分の国家や思想や道徳律を絶対化している視点を「相対化」する視点です。この視点に立つことによって諸国家は神の摂理によって共存するようになるのです。
 実に神の摂理に対する畏敬の念を抱き、神の命じられる道徳律や社会倫理の規範を謙虚にそして真剣に実行するとき、人間と諸国家は「主イエスの命と義と自由」に生かされるのです。
 この事実こそ、主イエスが摂理の御手をもってこの世界を支配し、世界の歴史を導いておられる現実であり、その実相なのです。



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