2013-12-08(Sun)

罪の赦しの約束 2013年12月8日の礼拝メッセージ

罪の赦しの約束
中山弘隆牧師

 見よ、わたしがイスラエルの家、ユダの家と新しい契約を結ぶ日が来る、と主は言われる。この契約は、かつてわたしが彼らの先祖の手を取ってエジプトの地から導き出したときに結んだものではない。わたしが彼らの主人であったにもかかわらず、彼らはこの契約を破った、と主は言われる。しかし、来るべき日に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこれである、と主は言われる。すなわち、わたしの律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。そのとき、人々は隣人どうし、兄弟どうし、「主を知れ」と言って教えることはない。彼らはすべて、小さい者も大きい者もわたしを知るからである、と主は言われる。わたしは彼らの悪を赦し、再び彼らの罪に心を留めることはない。
エレミヤ書31章31~34


 イエスはエリコに入り、町を通っておられた。そこにザアカイという人がいた。この人は徴税人の頭で、金持ちであった。イエスがどんな人か見ようとしたが、背が低かったので、群衆に遮られて見ることができなかった。それで、イエスを見るために、走って先回りし、いちじく桑の木に登った。そこを通り過ぎようとしておられたからである。イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。これを見た人たちは皆つぶやいた。「あの人は罪深い男のところに行って宿をとった。」しかし、ザアカイは立ち上がって、主に言った。「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」イエスは言われた。「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。
ルカによる福音書19章1~9節


(1)神の言葉としての聖書
 今わたしたちは主のご降誕を祝うクリスマスを待つアドベントの期間を過ごしています。本日は旧約聖書が主イエスのご降誕とその意義をどのように預言しているかについて旧約聖書の御言葉を聞きたいと願っています。
このことは必然的に、旧約聖書と新約聖書の関係について、さらに神の言葉である聖書とは何かについて語ることが不可欠です。
 しかしここではとりあえず要点だけを説明しますと、聖書とは唯一の真の神が、天地万物の創造者としてまた人間の歴史の支配者である唯一の主として、語られた言葉を記録した書物であると言えます。
 唯一の主である生ける神は、初めに旧約聖書の預言者たちに語られ、次に神の御子イエス・キリストご自身を通して語られ、次にキリストの十字架と復活の証人であるキリストの使徒たちに語られ、さらに福音書の著者たちに語られました。それらの「神の言葉」を記したものが「聖書」なのです。 
 それゆえに、唯一の神は、今日聖書の言葉を通して、同じ主として「キリスト教会」にそしてわたしたち一人一人に語られるのです。聖書を通して主はわたしたちと出会われるのです。このことが聖書の果たしている一番重要な役割であり、そこに旧約聖書と新約聖書を合わせた書物が神の言葉としての聖書である意義があるのです。
 同時に人類を救い、すべての人間を「神との人格的な交わり」に入れることを最終目的として、その実現のために人類の歴史を通して神が働いて来られてこと、そして目的を実現された神が、聖書の言葉を通して聖霊によって、今日の人間に語り、救いを与え、神との人格的な交わりの中で生かしてくださるのです。この神の恵みと主なる神の働きの霊的な現実を聖書は証言しています。

(2)二つの契約の関係
 次に、聖書は旧約聖書と新約聖書から成り立っていますが、それは先ほど説明しましたように、二つの聖書があるというのではなく、あくまでも一つの聖書は古い契約と新しい契約から構成されているということです。しかも、人類に対する神の救いの目的は古い契約を通して開始し、新しい契約において達成したのです。
 そういう意味で、古い契約の成就である新しい契約の中で、古い契約は発展的に解消されました。そこでは最早古い契約の制限でありましたユダヤ民族的な特質は廃止され、新しい契約は世界の万民が共に生きることができる普遍的な性質を持っています。

(3)聖書の特質としての契約
 次に契約と言いますと、日本の社会では、民法の中の商法によって保障されている取引に用いられる契約のことかと、思う人が多いのではないでしょうか。しかし、聖書の背景となっている古代の中近東では、契約はもっと人間社会の根幹に関係していました。
 例えば、部族と個人の間で、個人に対する部族の保護と個人の果たすべき義務、あいは部族と部族の間で、平和的な交流と互恵の関係を結ぶために話し合い、合意を得た場合に、契約を結びました。
 そして契約を締結する一番簡単な儀式は、犠牲の動物を屠り、双方が食事を共にし、契約の中で規定した双方の果たすべき義務を忠実に守ることを互いに誓い、最後に握手するという仕方で行われました。
 このような契約は、物品の取引の期間だけ有効な契約とは異なり、人間の一生、或いは部族の歴史を貫いて働く効力を持っていました。それは人間社会の存続とすべての活動を保証し、他方人間の果たすべき責任を明確にしていますので、非常に人格的で社会的性質の契約であります。
 しかし、契約が神と人間との間で結ばれる場合には、神と人間は決して対等な立場ではありませんから、先行する神の恵みにより、神が人間をご自身の民として選び、救いの恩恵を約束する内容であります。

(4)新しい契約の預言
 次に、旧約聖書において、すでに新しい契約の預言が、預言者エレミヤによって語られています。考えてみますと、エレミヤの時代はイスラエル歴史の中で最も大きな危機と転換の時でした。
 もちろん古い契約とはモーセを通して、神とイスラエルの民との間で結ばれた契約を指しています。そのとき神はシナイ山で、民の守るべき十戒を初めとする様々な律法を与え、それらを実行するように命じられました。そうするならば、民は神の御心に適う共同体を形成することができ、民は平和と繁栄を保ち、命を全うすることができると約束されました。
 この十戒の最初の言葉は、次にようになっています。
 「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。」(出エジプト記20:2)
 これは神が先行する恵みをもって、イスラエルの民をエジプトの奴隷状態から解放して、ご自身の民にしてくださったことを宣言しています。そして神がイスラエルの民をご自身との人格的関係に入れてくださったことを意味しています。

 このような十戒の内容は、イスラエルを救い、選ばれた神の性質と意志を表すものです。従いまして、民が神の恵みに応答し、神に感謝して生きるということは、十戒を初めとするその他の神の律法に従った生き方をすることに他ならないのです。つまり律法は神に対する感謝の生活を指し示すものです。  
 しかし、イスラエルの歴史を展望しますと、イスラエルが国家を形成し、経済的、文化的、軍事的な面で発展するようになりますと、イスラエルの信仰が次第に変質していきました。
 そのような状況の中で、神への感謝と神への従順の基本的精神が忘れられ、自分たちの利益を優先させるようになり、自分たちの利益を得るための手段として神を信じるようになりました。このことが、神に対する一番大な罪なのです。
 預言者ホセアや預言者アモスはこの点を鋭く洞察し、イスラエルの民は神との契約を破ったと糾弾しています。神への感謝と従順の性格がイスラエルの信仰から失われるとき、当然様々な律法の規定に違反する罪が、個人と社会の中で顕著に現れるようになりました。
 旧約聖書における「古典的預言者」と呼ばれている偉大な預言者たちは異口同音にイスラエルの背信を暴露し、イスラエルが悔い改めて神に立ち帰らなければ、イスラエルは滅びると強く訴えています。

 このような預言者たちの活動の中で、新しい契約の預言がエレミヤによって語られました。エレミヤ書31章は次のように言っています。
 「見よ、わたしがイスラエルの家、ユダの家と新しい契約を結ぶ日が来る、と主は言われる。この契約は、かつてわたしが彼らの先祖の手を取ってエジプトの地から導き出したとき結んだものではない。わたしが彼らの主人であったにもかかわらず、彼らはこの契約を破った、と主は言われる。
 しかし、来るべき日に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこれである、と主は言われる。すなわち、わたしの律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心の中にそれを記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。」(エレミヤ31:31~33)

 このエレミヤの預言の内容は非常に簡潔明瞭です。それは三点です。
 第一は、
イスラエルの民は神との契約を破った、民の側から契約を破棄したという点です。
 第二は、旧約聖書の律法は文字で書かれた律法であったために、罪深い人間はそれを実行することができなかったということです。
言い換えれば、文字に書かれた律法は人間にそれを実行する霊的な力を与えなかったのです。
 神は歴史を支配する力を持って行動し、イスラエルをエジプトの奴隷の苦悩から解放され、またイスラエルの歴史の中で、民に対する裁きと救済を繰り返して行い、イスラエルを世界史の激流の中で、導いてこられました。それにも拘わらずイスラエルは神の歴史支配の意味を知っていなかったのです。神の裁きと救済の本当の意味をイスラエルは悟っていなかったのです。
 エレミヤはこのようなイスラエルの現状を打開するために必要な唯一の方法として、イスラエルの罪が贖われ、新しい契約が与えられることを神から示されて、この預言をしました。
 「そのとき、人々は隣人どうし、兄弟どうし、『主を知れ』と言って教えることはない。彼らはすべて、小さい者も大きい者もわたしを知るからである、と主は言われる。わたしは彼らの罪を赦し、再び彼らの罪に心を留めることはない。」(エレミヤ31:34)
 第三は、新しい契約において神の律法は人々の心に記されるので、人々は律法を行うようになるという点です。つまり、神に対する感謝と従順の精神をもって、自ら進んで、それを行うようになるという意味です。言い換えれば、心に記された律法は、信仰者にそれを行う霊的力と自由を与えるという意味です。

(5)新しい契約の制定
 預言者エレミヤの語った新しい契約の預言は、今や主イエス・キリストの到来と十字架の贖いと復活により、そして聖霊が教会に与えられたことによって、完全に成就したのです。
 主イエスは十字架の死を前にして、弟子たちと最後の晩餐を持たれましたが、その中で聖餐式を設定されました。
 そのとき、パンを裂き弟子たちに与えて、「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。」(ルカ22:19)と言われました。
 また、杯も同じようにして「この盃は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。」(ルカ22:20)と言われました。
 このように最後の晩餐において、主イエスが制定されました聖餐式は、主イエスの十字架の死による人類の罪の贖いによって、新しい契約がキリスト教会と結ばれたことを意味しています。
 それゆえ新しい契約は民族的な制限を持つイスラエルの民ではなく、キリスト教会と結ばれました。今やキリスト教会は全人類に対する神の「救いの初穂」として、「霊的な神の民」なのです。

(6)罪の赦しによる神との交わり
 また本日の聖書の箇所でありますルカによる福音書19:1~9には有名なザアカイのことが記されています。ザアカイはエリコの町の徴税人の頭で、金持ちであったとあります。
 ところで、徴税人とは闇金利業者のような反社会的職業ではありません。ローマ帝国が税金を集める場合の下請け人として公認の職業です。彼らに課せられた一定額の税の徴収をローマ総督に収めれば、それ以上に徴収した部分が彼らの給料となる制度でした。その上、エリコの町は古代世界の交通の要所であり、またザアカイも有能な徴税人の頭であったので、通行税によって彼の事務所は非常に潤っていたのです。
 そのため一層ユダヤ人の反感を買いました。ユダヤ人が徴税人を罪人呼ばわりしていましたが、それは徴税人がローマの手先になり、同胞を裏切っていると考え、彼を憎んでいたのです。そのためザアカイはユダヤ人社会から除け者にされ孤独な生涯を送っていました。
 そのザアカイはエリコの町を通られたイエスに見いだされ、イエスはその晩彼の家に泊まられました。それを見て、ユダヤ人は「あの人は罪深い男のところに行って宿を取った」(ルカ19:7)とイエスを非難しました。
 この箇所をわたしたちが読みます時、正にイエスは神の御子として全く罪のない正しい方ですが、同時に罪人に対する神の赦しをもって罪人を受け入れ、罪人をご自身との親しい交わりに入れられたことが分かります。イエスにおける罪の赦しとは罪に対する神の罰の免除という消極的な働きではなく、罪人を神ご自身との交わりに入れるという神の恵みの大いなる働きです。
 人間として罪深いザアカイはイエスとの人格的な交わりに入れられ、イエスご自身の義と命と自由を受けたのです。
 その結果、ザアカイは「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、誰かから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」(ルカ19:8)と決意し、実行しました。
 これはザアカイがイエスから道徳的な感化を受けたという次元の事柄ではありません。これはイエスを通して与えられた神の自己譲与なのです。神はイエスの中に新しい人間を創造し、イエスを信じる者に聖霊を与え、聖霊を通して神はイエスを信じる者をイエスの中にある新しい人間として生きるようにされたのです。
 正にエレミヤが預言した新しい契約はイエスによって開始され、設立され、永遠に有効なるものとなったのです。



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