2013-11-17(Sun)

神からの誉れ 2013年11月17日の礼拝メッセージ

神からの誉れ
江田めぐみ伝道師

 わたしたちの聞いたことを、誰が信じえようか。主は御腕の力を誰に示されたことがあろうか。乾いた地に埋もれた根から生え出た若枝のように、この人は主の前に育った。見るべき面影はなく、輝かしい風格も、好ましい容姿もない。彼は軽蔑され、人々に見捨てられ、多くの痛みを負い、病を知っている。彼はわたしたちに顔を隠し、わたしたちは彼を軽蔑し、無視していた。
イザヤ書53章1~3節


 イエスは言われた。「光は、いましばらく、あなたがたの間にある。暗闇に追いつかれないように、光のあるうちに歩きなさい。暗闇の中を歩く者は、自分がどこへ行くのか分からない。光の子となるために、光のあるうちに、光を信じなさい。」イエスはこれらのことを話してから、立ち去って彼らから身を隠された。このように多くのしるしを彼らの目の前で行われたが、彼らはイエスを信じなかった。預言者イザヤの言葉が実現するためであった。彼はこう言っている。「主よ、だれがわたしたちの知らせを信じましたか。主の御腕は、だれに示されましたか。」彼らが信じることができなかった理由を、イザヤはまた次のように言っている。「神は彼らの目を見えなくし、その心をかたくなにされた。こうして、彼らは目で見ることなく、心で悟らず、立ち帰らない。わたしは彼らをいやさない。」イザヤは、イエスの栄光を見たので、このように言い、イエスについて語ったのである。とはいえ、議員の中にもイエスを信じる者は多かった。ただ、会堂から追放されるのを恐れ、ファリサイ派の人々をはばかって公に言い表さなかった。彼らは、神からの誉れよりも、人間からの誉れの方を好んだのである。
ヨハネによる福音書12章35~43節


 日本シリーズ第7戦は、野球好きな人であれば、目の話せないことであったことでしょう。応援されている人は、ハラハラドキドキとして、手に汗をかきながらの応援合戦を繰り広げられ、楽天は、巨人を降し日本一を決めました。楽天は球団創設9年目でのシリーズで初制覇を成し遂げたのです。その時の星野仙一監督は、(胴上げは)「最高。東北の子どもたち、全国の子どもたち、被災者のみなさんにこれほど勇気を与えてくれた選手をほめてやってください」とのメッセージは、東日本大震災を経験し、人々との結びつきを強めた中での頂点でした。星野監督は、球団創設以来の年数と同じ「9」度、宙を舞ったのです。そして、観客への語りかけは、「大震災で苦労している皆さんを見て、日本一になって癒やすしかないと信じて、3年間戦ってきた」ことでした。
 9年前、東北の地に新たに誕生した球団。楽天は地域との結びつきを求め、根を広げてきたのです。そんな中2011年に起きた東日本大震災、その被害に選手たちは「野球を続けていていいのか」と悩んだのです。遠征に出ていたチームが仙台に戻ったのは震災からの約1ヶ月後。その足で星野監督らは避難所を訪れたのです。「何と言っていいのかわからない。遅くなってすみません。」そして、「ともに頑張ろう!東北」と呼びかけ、星野監督の言葉通り、選手は強くなり、日本一に上り詰めたのです。
「 楽天と一緒に強くなる」。地元球団の活躍は、東日本震災で傷ついた野球少年少女の心を支え、将来に向き合う力を与えてくれ、又、それだけでなく、希望を失いかけていた人々に、大きな力、勇気を与えてくれたのです。

 本日のみ言葉のヨハネ福音書12章35節では、主イエスは、ほんの短い間ご自分が彼らと共にいると言われました。イエスご自身が栄光を受ける時が来た、ということは地上に存在する時間はいま少しの間であるのです。この間に光であるイエスを信じ、弟子たちが光の子となり、イエスが彼らの中に住むようにし、光の中を歩くようにしなさいと言うのです。しかし、闇の中を歩く者であった彼らは、光を憎んで光のほうに来ようとせず、「悪を行う者は皆、光を憎み、その行いが明るみに出されるのを恐れて、光の方に来ないからである」。(ヨハネ3:20)イエスを光として受け入れることを拒んだのです。そこでイエスは、「立ち去って彼らから身を隠された」(ヨハネ12:36b)のです。それは、イエスを受け入れて信ずるようにしなさいという勧めであるのです。
 私たちはクリスチャンとして、イエスの光が私たちを通して輝かせる、キリストの光の使者であるべきであるのです。あなたの光はどのように明るく輝いているか。他の人は、あなたの中にキリストを見ることができるだろうか。

 イエスが彼らの目の前で、このように多くのしるしを行われたのに、彼らはイエスを信じなかったのです。「このようにおおくのしるし」(ヨハネ12:37a)とは、イエスを信じなかったと言われているのです。このことはまた預言の成就として語られているのです。
 38節の言葉は、「わたしたちの聞いたことを、誰が信じえようか。主は御腕の力を誰に示されたことがあろうか」(イザヤ53:1)の言葉であります。神に立てられた「主のしもべ」がイスラエルの暑い不信仰の壁にぶつかることを予言しているのです。その「主のしもべ」として御父から世に遣わされたイエスは、今ユダヤ人たちの最終的な不信仰と拒絶に直面し、十字架の苦難を受けられるのです。
 これは苦難の僕を人々が認めることが出来なかったことを示す証拠であり、十字架につけられたイエスが、このような形で現れたメシアとしてのイエスを信じることが出来なかったことが示されているのです。
 イエスは多くの奇蹟を行ったが、ほとんどの人はイエスを信じることはしないのです。
 イエスの時代の人々は、イザヤの時代の人々のように、その証言にも関わらず、彼らの目の前で行われたのですが、信じようとしなかったのです。その結果、神は彼らの心をかたくなにされたのです。彼らはイエスの考えを理解しようと考えないほどに、自分たちの考えに凝り固まってしまい、そのような人々にとって、神のもとに来ることは事実上不可能であるのです。彼らの心は永久にかたくなにされたのです。強情であり続けるために、心をかたくなにされたその例は、「主がファラオの心をかたくなにされたので、彼は二人の言うことを聞かたかった。主がモーセに仰せになったとおりである」。(出エジプト記9:12)と記されています。
 心をかたくなにすると、当然他の人が言った言葉が聞こえていても、素直に聞くことが出来ず、拒絶してしまう。すると自分自身だけを信じて、神の声が受け入れなくなってしまうのです。

 40節のみ言葉は、「この民の心をかたくなにし耳を鈍く、目を暗くせよ。目で見ることなく、耳で聞くことなく、その心で理解することなく悔い改めていやされることのないために」。(イザヤ6:10)からとられた言葉であります。
 イザヤ書6章1節以下は、有名なイザヤ自身が預言書として召命を受けた記事であり、イザヤが神の栄光の姿を見たということが始まりであるのです。イザヤは預言者として派遣されるのですが、最初から彼が語る神の言葉は拒絶されてしまい、それでもイザヤは預言者として遣わされているので、神の言葉を人々に伝えたのです。そして、「光あれ」と言われた最初の言葉が光を現し、神の言葉はそのとおりに実現するのです。
 「イザヤは、イエスの栄光を見たので、このように言い、イエスについて語ったのである」。(ヨハネ12:41)神と等しい者イエスという意味で「イエスの栄光を見た」と言うのです。ここにもヨハネの「神」キリスト論が前提となっているのです。

 42節のところでは、私たちはヨハネ福音書が成立した1世紀末のヨハネの教会を取り巻く現状の反映をここでまた見いだすことになるのです。
 ここで出てくる「会堂追放」と言う言葉は、この福音書の中に3回使われています。ここでの議員という言葉は、サンヘドリンの議員であり、70年以後に於いては、ヤムニアに召集されたベス・ディン(最高法院)の議員をも意味していたのです。あるいは各シナゴーグにおける役員会の役員も意味したのです。
 このような議員の中にも、イエスを信じていたけれども、告白はしない者がいたと考えられ、「ファリサイ派の人々をはばかって」(ヨハネ12:42b)という言い方は「ユダヤ人を恐れた」ということであろうと考えられます。これは生前のイエスの状況における大祭司一派の権力者たちを恐れてということであるのです。なぜなら、ファリサイ派の人たちをはばかって、告白しなかったのは、告白すれば、会堂から追放されることを恐れた彼らは、神からの栄誉よりも、人の栄誉を愛したのです。
 「彼らは、神からの誉れよりも、人間からの誉れの方を好んだのである」。(ヨハネ12:43)この言葉は、「わたしは、人からの誉れは受けない」。(ヨハネ5:41)と「互いに相手からの誉れは受けるのに、唯一の神からの誉れは求めようとしないあなたたちには、どうして信じることができようか」。(ヨハネ5:44))の繰り返しでありますが、彼らは、神からの栄誉よりも、人の栄誉を愛したのです。
そこには不信仰に落ち込む危険性がいつもひそんでいます。イエスの死が近づいている緊張感の中で、人々の心の弱さを示しているのです。
 1世紀末のヨハネ教会が当時のユダヤ教会の会堂追放を恐れ、当局者をはばかってイエスに心をよせながら、口に出しては言い表し得なかったということを示しているのです。けれどもイエスを心から信じる者は、会堂から追放される危険を冒しても、イエスを告白するように導かれた者もあったのです。ニコデモがこうした議員の中の一人であったのです。

 信じることを拒絶した人ばかりではなく、信じた人もおりましたが、それを認めることを拒絶したのです。イエスはそのような人々に対して、「だから、だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は、わたしも天の父の前で、その人をわたしの仲間であると言い表す。しかし、人々の前で、わたしを知らないと言う者は、わたしも天の父の前で、その人を知らないと言う」。(マタイ10:32-33)のです。
 イエスに対してはっきりした立場をとらない人々は、拒絶や、あざけりを恐れているのです。ユダヤ人の指導者たちは、会堂から破門されることや、名声のある地位を失うことを恐れていたために、イエスの信仰を認めようとしなかったのです。

 人間の心は弱いものであります。弱い心を持った人間ほど強がりを言って弱い所を隠そうとするのです。けれども、こんな心を持った人でも、他の人から褒められると、まんざらでもないと考えてしまいます。そんな中で、私たちは自分のことを良い人間だと考えるように勇気づけられると、見違えるほど効果的に仕事を行うようになるものです。しかし、ただ、褒めれば良いと言うわけではないのです。楽天の星野監督も、震災にあった人々に野球を通して多くの希望を与えました。又、選手たち一人一人を大切にして、彼らの持っている能力を、最大限出せるように、ある時は叱り、ある時は怒り、ある時は褒めてきたからこそ、優勝へ続く道があったことでしょう。

 人は褒められれば、とても気持ちよくなるものです。しかし、褒めることほど難しいことであるのです。なぜならば、ただ、褒めれば良いというわけではないので、注意深く真心から語らなければ、逆効果でさえあるのです。
人を褒めるときには、次のことを心に止めたいものです。
 第一に、「誠実であること」嘘偽りのおべっかはいけません。誠実であるとは、ありのままの相手の中に良い点を見つけることです。心から見つけようとすれば長所は、必ず見つかるのです。
 私が以前、幼稚園教諭をしていた時に、子どもたちの良い所を、一日のうちで必ず、3つ以上は見つけることを目標にしました。けれども、わんぱくで常に他の子どもにちょっかいを出す子や、おとなしくてあまり自己を表現しない子どもについては、なかなか長所を見つけ出すことが難しいのです。子どもは大人以上に正直で、人を見抜く力は鋭く、偽りのない率直な応えがかえってくるからです。
 第二は、「具体的に指摘する」ただ「良い人だ」というのではなく、褒めるに値する事柄を具体的に拾いあげることです。
 大人になると、すぐにうたがいの目を向けてしまいがちになるのではないでしょうか。「あんなことを言っているけれども」、と考えて、相手の言葉に対して素直に喜べないことがあります。
 第三に、「人を褒めるのではなく、人のしたことを褒める」その方がより本物であります。その方が相手にとっても嬉しく、何よりも当人が戸惑わなくてすむのです。

 私たちは、神の誉れよりも、人の誉れを好んでしまうことがあります。そんな誉れを、神に向けられる誉れとして、これからは、聖書のみ言葉に耳をかた向け歩んで行きましょう。



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