2013-11-10(Sun)

ペトロのつまずき 2013年11月10日の礼拝メッセージ

ペトロのつまずき
江田めぐみ伝道師

 剣よ、起きよ、わたしの羊飼いに立ち向かえ、わたしの同僚であった男に立ち向かえと、万軍の主は言われる。羊飼いを撃て、羊の群れは散らされるがよい。わたしは、また手を返して小さいものを撃つ。
ゼカリア書13章7節


 そのとき、イエスは弟子たちに言われた。「今夜、あなたがたは皆わたしにつまずく。『わたしは羊飼いを打つ。すると、羊の群れは散ってしまう』/と書いてあるからだ。しかし、わたしは復活した後、あなたがたより先にガリラヤへ行く。」するとペトロが、「たとえ、みんながあなたにつまずいても、わたしは決してつまずきません」と言った。イエスは言われた。「はっきり言っておく。あなたは今夜、鶏が鳴く前に、三度わたしのことを知らないと言うだろう。」ペトロは、「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」と言った。弟子たちも皆、同じように言った。
マタイによる福音書26章31~35節


 人は、この世に生を受け様々な環境の中で、生かされております。特に人間は、漢字の「人」という字を見てもわかるように、人は一人では生きて行くことが難しいのです。何らかの形で、人は人間や動植物と関わりを持っているのです。人という字のようにお互いに支えあってこの世の中を生きていくのです。
 皆さんはこれまでに生きてきて、様々な体験をされて来られたことと思います。特に人間関係の中で、上手くいけばいいが、良い関係が崩れるとお互いに気まずくなり、裏切りや憎しみが生まれる場合があります。そんな時に今まで信頼していた人に、つまずきを覚えることが起こるのです。そんな経験をされた人は、沢山おられることでしょう。

 主イエスは過越の祭りの晩に、十二人の弟子と一緒に最後の食事をしました。その食事の際、主は弟子たちに、十字架について話し、それが神さまの罪人に対する救いのご計画であることを話しました。その後、弟子たちとオリブ山に出かけられた時のことを記したのが、今日の聖書の箇所です。

 過越の食事を済ませた後、夜道を歩きながら、主イエスは弟子たちから離れ去る事を予告しました。「主イエスと一緒に死なねばならなくなっても」という弟子たちの覚悟は、言葉の上では力強いけれども、しかしまだ彼らの身に危険がふりかからないうちに、彼らは、主イエスの期待を裏切ることになってしまうのです。

 ここで、主イエスは弟子たちに、不思議な預言をされました。「今夜、あなたがたは皆わたしにつまずく」。(マタイ26:31)と言われるのです。「つまずく」という言葉は、歩む時誤って足先を物に突き当たって、体が倒れることをいうのです。ですから、障害物がなければ、つまずくことはありません。けれども、主イエスは「わたしにつまずく」と言われているのです。
 「イエス・キリストが障害物だ」と言っているのです。メシアであり、救い主である方が自ら、「わたしはあなた達の人生における障害物なのだ」と言われているのです。弟子たちに取っては不可解な言葉ではなかったかと思います。
 弟子たちは、主イエスと出会い「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」(マルコ1:17)という、主イエスの招きの言葉に従って、人生の総てを投げ捨てて、主イエスに従ってきたのです。彼らの目標は、主イエスであり信頼してついてきたのに、それなのに、弟子たちはそれを聞いて、戸惑い、不思議に思い、理解に苦しむのです。
 この不思議な言葉は、主イエスは『わたしは羊飼いを打つ。すると、羊の群れは散ってしまう』(マタイ26:31)とは、「羊飼いを撃て、羊の群れは散らされるが良い。わたしは、また手を返して小さいものを撃つ」。という旧約聖書(ザカリヤ書13:7)の言葉を用いて説明しています。預言者ザカリヤは「剣よ、起きよ、わたしの羊飼いに立ち向かえ、わたしの同僚であった男に立ち向かえと万軍の主は言われる」。(ザカリヤ13:7)と言っているのです。この旧約句でまず主イエスを羊飼いになぞらえています。主イエスがイスラエルの民衆を羊飼いのような慈しみの心で守ったことは、既に「群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた」。(マタイ9;36)にみられます。また旧約においてダビデの家から現れると期待されるメシアは、忠実な羊飼いのイメージで描かれています。「わたしは彼らのために一人の牧者を起こし、彼らを牧させる。それは、わが僕ダビデである。彼は彼らを養い、その牧者となる」。(エゼキエル34:23)
 また、旧約聖書の時代には王様と人民の関係を羊飼いと羊の関係として表現されていたのです。
ですから、ザカリヤは、イスラエルのメシアと神の民との関係を、このように予言していたのです。主イエスは、主ご自身が十字架につかれた時の弟子たちの状況を既に認識されていたことが、このことから伺い知ることができるのです。

 主イエスは、十字架の預言と共に復活について語っています。「わたしは復活した後、あなたがたより先にガリラヤに行く」。(マタイ26:32)と言われました。これは主イエスが十字架で死ぬことによって、ガリラヤ出身の弟子たちは故郷のガリラヤへ帰っていくであろう。けれど、復活した主イエスは必ずガリラヤにおいて弟子たちと出会う約束なのです。そこで、主イエスは、弟子たちに何を教えようとしていたのか。それは今後の弟子たちの人生について語っているのですが、十字架という出来事によって、徹底的に打ちのめされた後に、弟子たちにとって、新しい人生の出発が始まるのだということを示しているのです。

 三年間の主イエスと弟子たちの生活の中で、主イエスは沢山の奇跡を通してご自分が神の子であることを示されました。けれども弟子たちは、そのことがはっきりとは理解することができませんでした。しかし、弟子たちは主イエスの十字架の死という決定的な事を体験することによって、真実を確認していくのです。
 ガリラヤにおいて、弟子たちは復活の主と出会い、新しい群れとして出発するのです。それが教会です。それは霊的な結び合いとして、成長してゆくのです。それがキリストを頭として、キリストを体として、その体に連なる肢体という関係にまで弟子たちを育ててゆくのです。

 私たちの人生を見ても、同様なことが起こります。順風満帆、さえぎることのない追い風に乗った人生は、小さなつまずきで挫折して立ち直る事ができなってしまいます。雑草や麦の穂のように、小さな芽のうちに踏みつけられても、強い根を張る麦のような人生を私たちは必要とするのです。
 また、現在は少子化の中で、子どもたちは育っておりますが、その分親は子どもに、必要以上に手を差し伸べることが、多く見受けられます。時に小さい時から、トップを歩いてきて、人に見下げられたことのない人は、ちょっとした障害でも耐えぬいて行くことが難しいのです。又直ぐに他の人のせいに責任転換をしてしまうのです。十字架は、人間をつなぎ止めていた罪という力を断ち切って、新しい人生へと歩みゆくための出発点であるのです。
 人生の中で生活していく中で、嬉しい時、楽しい時ばかりではありません。苦しさや辛さ、悲しさを体験し、それを乗り越えて行かなければいけません。そんな時にこそ、他者の気持ちがわかり、他者に対する深い愛の心が育まれてゆくのではないでしょうか。


 主イエスは、弟子たちに、「今夜、あなたがたは皆わたしにつまずく」。(マタイ26:31)と言われました。けれども、この言葉によって、神が主イエスの弟子たちを導かれる不思議な業を表しているのです。それは、人間の弱さや愚かさの中に働く、神のみ手の業を示しているのです。この言葉に対して、ペトロは、「たとえ、みんながあなたにつまずいても、わたしは決してつまずきません」。(マタイ26:33)と。ペトロは、この時、本当にそう思ったのです。そのペトロに、主イエスは「はっきり言っておく。あなたは今夜、鶏がなく前に、三度わたしのことを知らないというだろう」。(マタイ26:34)というのです。この言葉にペトロは怒りを覚えながら、憤然として、「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決してもうしません」。(マタイ26:35)と答えるのです。
 ペトロにしてみれば、自分は、主イエスのためなら生命もいらないと思っていた事でしょう。それなのに、ペトロの気持ちは主イエスには届いていないとの思いなのです。
 そしてこの気持は,他の弟子たちも同じであったことは、「弟子たちも皆、同じように言った」。(マタイ26:35)という言葉から、伺うことができます。
 それにもかかわらず、主イエスは弟子たちを愛し、「世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた」(ヨハネ13:1)のです。ペトロや弟子たちの信仰は、頼りなく情けない信仰でしかないものであったにもかかわらず、他ならない神の恵みの証し人として抜擢されているのです。

 主イエスが逮捕されて、大祭司の館に連行された時、ペトロは心配になり、密かにその後をつけました。大祭司の中庭まで行った時に、大祭司の家の者に 「あなたも、ガリラヤのイエスと一緒にいた」(マタイ26:69)と言われて、ペトロはあわてて、皆の前でそれを打ち消して、「何のことを言っているのか、わたしには分からない」(マタイ26:70)と言うのです。又他の女中も「この人はナザレのイエスと一緒にいました」(マタイ26:71)と言いました。ペトロは女中に対して、「そんな人は知らない」(マタイ26:72)と言っておりますが、この言葉の中にペトロの人間的な強がりが出ているのです。ペトロが「決してしません」と言っているのに、その言葉の通りにはいかなかったのです。ペトロは強がりを言っていますが、本当は弱い人でした。私たちもそのような弱さを、持っているのではないでしょうか。

 ペトロは「お前は、イエスの仲間ではないか」と言われて、自分の身の危険を感じました。捕まるのではないかと思った時に、「イエスなんか知らない」(マタイ26:74)とペトロは、「鶏がなく前に、あなたは三度わたしを知らないと言うであろう」(マタイ26:75)と言われた、主イエスの言葉を思い出して、自分の情けなさや弱さに気づいて泣くのです。

 人間は誰でも自分自身が大切であり、可愛くて大事なのです。人間の心の中には自己中心性があるのです。そこには他人を裏切ってしまう自分があるのです。これが、本来の人間の姿なのではないでしょうか。何もない時には、私たちは他人に対して、自分の良いところだけを見せようとして、他人に良く見られようと、色々と努力するでしょう。
 では、神の前には、そのようなことは、必要でしょうか。
 信仰を以って生きるという事は、神の前に真実であることです。ですから、自分自身を強がって見せたり、良く見せたりすることではなく、神に対して自分の弱さ、罪深さを認めることであるのです。
 私たちがこうしてあるのは神の恵みによるのです。その恵みの上に私たちは応えていかなければいけないのです。恵みを恵みとして真剣に受け止めてふさわしい者として応えていくのです。


 パウロは、コリント人第二の手紙12章9-10節で、すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。それゆえ、私は弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。と記しております。

 真の信仰は、自分の確信の強さを誇るのではありません。主に総てをお委ねして生きることです。それは神の前に強がるのではなく、へりくだって自分の弱さを神に見ていただくのです。
 ペトロは、やがてそのことに気が付きました。イエス・キリストは、このようなペトロを赦して、愛してくださったのです。そして主イエスの第一の弟子といわれて仕えたのです。
 私たちも弱い人間ですが、キリストに総てを委ねて、キリストにある人生を生きようではありませんか。



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