2013-11-03(Sun)

愛する者の死を通して見たマルタの信仰 2013年11月3日 聖徒の日(永眠者記念日)の礼拝メッセージ

愛する者の死を通して見たマルタの信仰
江田めぐみ伝道師

 多くの者が地の塵の中の眠りから目覚める。ある者は永遠の生命に入り、ある者は永久に続く恥と憎悪の的となる。
ダニエル書12章2節


 さて、イエスが行って御覧になると、ラザロは墓に葬られて既に四日もたっていた。ベタニアはエルサレムに近く、十五スタディオンほどのところにあった。マルタとマリアのところには、多くのユダヤ人が、兄弟ラザロのことで慰めに来ていた。マルタは、イエスが来られたと聞いて、迎えに行ったが、マリアは家の中に座っていた。マルタはイエスに言った。「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。しかし、あなたが神にお願いになることは何でも神はかなえてくださると、わたしは今でも承知しています。」イエスが、「あなたの兄弟は復活する」と言われると、マルタは、「終わりの日の復活の時に復活することは存じております」と言った。イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」マルタは言った。「はい、主よ、あなたが世に来られるはずの神の子、メシアであるとわたしは信じております。」
ヨハネによる福音書11章17~27節


 本日は聖徒の日であります。日本基督教団では、11月の第一日曜日は「聖徒の日」とされておりますが、カトリックや聖公会とは意味合いが異なり、聖人のためではなく亡くなった信徒たちのために祈る日になっている。

 人間は、「おぎゃー」と産声を上げ、この世に生まれてきた。けれども人間として生まれた時から、だれでも死に向かって行進しているのである。それが「遅かれ早かれ」人間として生まれて来たからには、誰でも死を迎えなければいけない時が来る。

 日本の社会を見ても、今は高齢化社会になって来ました。老人の最高年齢が上がり、少しは長生きできる社会である。どんなに健康に気をつけて生活をしていても、年を重ねる内に、精神力がいくら若くても、肉体はそれには及ばず、必ず体の節々が痛み、医者にかからなければならない現状を抱えることになる人々が多く見られる。
 健康なうちはよいが、たまに物忘れをしてくることもある。その内自分ではいつも道理なのにと思っていても、つじつまが合わなくなることもある。あるいは、認知症(赤ちゃん返り)になる人もある。そうなると家族の人たちの介護が必要になり、認知の程度で、その家族につきっきりになり、自分の時間を作ることの難しさを感じる。
 日本全国の2012年時点で、65歳以上の高齢者の内、認知症の人は推計15%、462万人に上っていて、決して珍しい病気ではなくなってきている。ですから4人に1人の割合になってきている。74歳までは10%で、85歳以上では、40%超である。
歳とともに、肉体が衰えいずれの日には、死を迎える。そんな時送り出す人の気持ちは、愛する者の死を前にして、悲しみにくれるのです。

 これからお話しするマルタと言う人は、愛する者の死を悲しんでいる時に、主イエスに出会いました。
 主イエスがラザロをよみがえらせるために行かれたベタニヤは、エルサレムに近く、十五スタディオン約2.8km(一スタディオンは185mであるので、2775m)ほど離れたところでありました。エルサレムが標高800mで、ケデロンの谷に一度下りて、再び標高800mのオリーブ山に上り、少し東に下りたところに、このベタニアの村がありました。主イエスがおいでになってみると、ラザロは墓の中に入れられて四日もたっていました。
 この部分をギリシア語で見ると、「行って、イエスは見た、彼を」と書いてあります。彼とは、ラザロのことであり、「イエスはご覧になった、ラザロを」ということであります。英語の聖書では、イエスが着いた時、彼はラザロが4日前に埋葬されていることがわかったと、訳しています。
 それぞれに解釈の仕方が違いますが、ここでは、ラザロそのものをご覧になったという言葉ではないかと思われます。するとそこで、主イエスはベタニアの村に入っているとはどこにも書いていないのです。30節では、「イエスはまだ村に入らず」と書かれています。

 墓の中にいるラザロは、当時の埋葬の風習からすれば、ラザロは手足を布で巻かれ、顔も顔覆いで包まれていて、もう四日もたっているので、ラザロは死んでいるのです。埋葬されて四日たっているということは、死体は腐敗が始まって臭くなっていたことでしょう。今日のように医療が発達していないし、当時はドライアイスで処理するというような技術もなかったのです。そのラザロの死を主イエスが見てくださるところからお話が始まることは、主イエスは私たちに何を教えたいのでありましょうか。

 「マルタとマリアのところには、多くのユダヤ人が、兄弟ラザロのことで慰めにきていた。」(ヨハネ11:19)ということは、ベタニアは、エルサレムに近かったので多くのユダヤ人が来てくれていると思われます。また当時のユダヤの葬式は本喪が七日続き、最初の三日間は泣く日であるのです。イエスがベタニヤに着かれたのは、泣く日が終わった時でした。大勢のユダヤ人がマルタとマリアのところに来ていたのは、その兄弟のことについて慰めるためであったのです。この人々は、マルタとマリアを知っているエルサレムのユダヤ人たちであったのでしょう。
 主イエスがベタニヤに来られた時、それを聞いて迎えに行ったのはマルタで、マリアは家で座っていました。この二人を見ますと、マルタは行動的であり、マリアは内省的であったのであろうという、二人の性格の違いがみられます。
 マルタは主イエスに出会うなり、それまで心に思いつめていたことを一気に吐き出して言いました。「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。」(ヨハネ11:21)これはマルタの嘆き悲しみであり、主イエスに対する抗議とも受け取れます。つまり、「どうして神は」という問いでしょう。
 このような問いは、私たちにも起こるのではないでしょうか。「神さまは、どうして不幸な私のところに来て、助けてくださらないのか」等々。けれどもマルタの信仰はそこにとどまるものではありませんでした。「あなたが神にお願いになることは何でも神はかなえてくださると、わたしは今でも承知しています。」(ヨハネ11:22)これを見ると、マルタは主イエスを心から信頼をもって仰ぎ主イエスから離れることはありませんでした。彼女の希望と慰めは、主イエスにつながっていました。今マルタに求められているのは、主イエスご自身を、よみがえりまた命と信じる信仰であるのです。そのように信じる者は、終わりの日のよみがえりについて確信が与えられるだけでなく、今ここで、永遠の命を経験することができるのです。「わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者は、だれでも、決して死ぬことはない。」(ヨハネ11:25-26)主イエスをよみがえり、また、命と信じる者は、ラザロのように肉体の死を経験しなければならないとしても、なお生きるのです。
 主イエスはマルタの信仰を励まし、彼女が兄弟ラザロの復活を信じるように、「あなたの兄弟は復活する」と言われました。しかし、マルタは、終わりの日の復活の時に、彼が復活することは知っておりますと答えるのです。マルタの告白は、愛する者を失った悲しみの現実を取り去り、それを喜びに変えるには、あまりにも無力な信仰でしかなかったのです。そのマルタを支配していたものは、死の重みであったのです。そこで、「あなたの兄弟は復活する」と言われた主イエスの言葉を、そのまま信じることができなかった。

 マルタと同じように、愛する者を失った悲しみは、恐ろしいものであるし、厳しく孤独の中に入れられるようで、一人では耐えられないくらい悲しいものです。それを喜びに変えることは、なかなかできないものである。むしろ、できないほうが現実でしょう。
 マルタはまさに、死の力を信じましたが、よみがえりの力を信じませんでした。マルタはラザロを愛していた。しかし、愛する者の死に深い恐れを抱いた時に、一番して欲しいと望んだものは、主イエスの全能の力、それは魔術的な力ではなく、主イエスの愛である。主イエスにここにいて欲しかったのです。


 「愛には恐れがない。完全な愛は恐れを締め出します。」(Ⅰヨハネ4:18)と言う言葉があります。そのような愛の中にいたかった。愛の中で恐れに耐えたかった。だから、あなたの愛するラザロが病気で死にそうだと訴えた時に、どうぞあなたの愛の中で、死ぬなら死なせてくださいという思いが、マルタの中にあったかもしれない。マルタは、主イエスをなじるような言葉を語るだけではなく、「しかし、あなたが神にお願いになることは何でも神はかなえてくださると、わたしは今でも承知しています。」(ヨハネ11:22)と言った。
 私たちにとっても同じことが言えるのではないでしょうか。なぜならば、目の前に起きた死そのものは、現実として受けとることができますが、復活、よみがえりはどのように信じ受け入れなければならないのか、やはりマルタの信仰と同じではないかと思われます。けれども、マルタは、主イエスと出会い、変えられたのです。それは、「あなたは何でもできる」と主イエスにマルタが言ったとき、マルタはこの方において、この方を通じて、神がここに生きて働くという信仰を、すべての人間の望みと絶望に逆らって明確に言い表した。マルタのその信仰に、主イエスはきちんと応えてくださった。

 神の愛は、ただ病気のベットに赴くだけではありません。「この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである。神の子がそれによって栄光を受けるのである。」(ヨハネ11:4)
 イエスは、「わたしは、復活であり、命である」(ヨハネ11:25)と言われた。今マルタに求められているのは、主イエスご自身を「よみがえり」また「命」として信じる信仰である。
 そのように信じる者は、終わりの日のよみがえりについて確信が与えられるだけでなく、今ここで、永遠の命を経験することができるのです。イエスを信じる者にとって、肉体の死は、すべて終わりではなく、永遠の命の始まりである。
 イエスは、マルタにこのことを信じるかと言われました。マルタは、「はい、主よ、あなたが世にこられるはずの神の子、メシア(キリスト)であると信じております。」(ヨハネ11:27)このようにイエスに対する信仰を告白したのは、マルタだけであるのです。
 また、ここでは、終末における復活が主イエスによって現在化されており、主イエスを、また、キリスト、神のみ子と告白する信仰によって死からよみがえる者のあることが、ラザロの例をもって証言されています。ここでのマルタの理解は本当の理解ではないのです。それは、イエスが墓の前に立った時に、「イエスが『その石を取りのけなさい』と言われると、死んだラザロの姉妹マルタが、「主よ、四日もたっていますから、もうにおいます」と言っているところです。マルタは「主よ、信じます」と言ったにもかかわらず、死の力を信じましたが、よみがえりの力を信じませんでした。

 葬りの場が、イエスを主とする信仰によって、また、イエスが主としてその場を支配された時に、葬儀に集まった者たちの悲しみが喜びと感謝と讃美に変えられ、「イエスがラザロを墓から呼び出して、死者の中からよみがえらせたとき一緒にいた群衆は、その証をしていた。」(ヨハネ12:17)それは、イエスが死者をよみがえらす方であることを証する場に変えられたということであるのです。
 主イエスを信じる者にとって、肉体の死は、すべての終わりではなく、永遠の命の始まりであるのです。マルタが「主よ、私は、あなたが世に来られる神の子、メシアであると信じております。」と言った。
 マルタは忙しすぎて、イエスと共に座り、話をすることが出来なかった(ルカ10:38-42)。けれどもここでの彼女の信仰の発言は、まさにイエスが私たちに望んでいる応答である。



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