2013-10-13(Sun)

生涯のささげもの 2013年10月13日の礼拝メッセージ

生涯のささげもの
中山弘隆牧師

 三年目ごとに、その年の収穫物の十分の一を取り分け、町の中に蓄えておき、あなたのうちに嗣業の割り当てのないレビ人や、町の中にいる寄留者、孤児、寡婦がそれを食べて満ち足りることができるようにしなさい。そうすれば、あなたの行うすべての手の業について、あなたの神、主はあなたを祝福するであろう。
申命記14章28~29節


 イエスは教えの中でこう言われた。「律法学者に気をつけなさい。彼らは、長い衣をまとって歩き回ることや、広場で挨拶されること、会堂では上席、宴会では上座に座ることを望み、また、やもめの家を食い物にし、見せかけの長い祈りをする。このような者たちは、人一倍厳しい裁きを受けることになる。」イエスは賽銭箱の向かいに座って、群衆がそれに金を入れる様子を見ておられた。大勢の金持ちがたくさん入れていた。ところが、一人の貧しいやもめが来て、レプトン銅貨二枚、すなわち一クァドランスを入れた。イエスは、弟子たちを呼び寄せて言われた。「はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである。」
マルコによる福音書12章38~44節

(1)本当の献げ物
 福音書には、主イエスを感動させた出会いや出来事が幾つか伝えられていますが、本日の聖書の箇所もその一つです。
 「イエスは賽銭箱の向かいに座って、群衆がそれに金を入れる様子を見ておられた。大勢の金持ちがたくさん入れていた。」(12:41)
 聖書の註解書を見ますと、これはエルサレム神殿の光景です。エルサレム神殿は、一番奥に聖所があり、その前に三つの庭がありました。聖所に近い第一の庭には男性だけが入ることができ、その外側の庭には女性だけが入ることができました。さらに、女性の庭の境はイスラエルの民と異邦人とを区別する壁で囲まれており、異邦人が入ることのできる庭は一番外側にありました。
 人々が献金する場合に賽銭箱に金を入れるのですが、賽銭箱は女性の庭の壁の周りに13個設置されており、金属製の「ラッパの形をした箱」であったといわれています。
 イエスはちょうど神殿の庭や回廊で、律法学者や祭司たちのグループと激しい論争の後、疲れて異邦人の庭に行って静かに座っておられたのでしょう。目の前にラッパの形をした賽銭箱があり、群衆がそれらの賽銭箱に金を投げ入れていました。
 神殿の費用にその献金は充てられていましたが、これは自発的な献金でしたので、人々は思い思いに献げていました。中には多額の献金をする人たちもいました。
 「ところが、一人の貧しいやもめが来て、レプトン銅貨二枚、すなわち一クァドランスを入れた。イエスは、弟子たちを呼び寄せて言われた。『はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、誰よりもたくさん入れた。皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである。』」(12:42~43)
 ここで、聖書はイエスが、「弟子たちを呼び寄せて言われた」と記しています。これは主イエスが重大な発言や決定をされるときの状況を表しています。例えば、十二人の弟子たちを選ばれたとき、イエスがご自分で望まれた人たちを呼び寄せられたと書いてあります。また神の国がイエスを通して今ここに、来ていることを知らせるために、弟子たちを身もとに「呼び寄せて」彼らに言われたと聖書に記されています。
 さらにここで「はっきり言っておく」とイエスは仰せられました。この言葉は非常に強調したイエス特有の言い方です。日本語に訳するには難しい表現です。直訳すれば「このわたしが真にあなたがたに言う」という言い方です。とにかくこれはイエスの重大な発言であることを表しています。
 このことを考慮しますと、一人のやもめの献金を見て、イエスは非常に感動され「ここに献金する者の本当の姿がある。」と仰せられたことが分かります。
 先ほど申しましたように、神殿には13個のラッパの形をした金属製の賽銭箱が置かれており、そこに投げ入れられた硬貨がチャリン、ガチャンと派手な音を出すので、この庭は騒がしい空間でした。しかし、イエスの耳は最も微かな音に波長を合わせて共鳴したのです。レプトン銅貨とは当時流通していた最小の貨幣です。レプトン二枚はローマの貨幣に換算しますと1クァドランスであると説明しています。因みに、これはマルコによる福音書がローマで執筆され、ローマにいる信徒のために書かれたということを暗示しています。今日の貨幣価値では、1ドルの50分の1に相当すると言われていますので、極めて小額の献金です。
 この献金がイエスの目には、「一番多くの献金」として映りました。「この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりも沢山入れた。」と仰せられました。その理由をイエスは次にように説明しておられます。
 「皆は有り余る中から入れたが、この人は、貧しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである。」と言われました。それでは献金の多少は、献金額と自分の所有する金全体との比率によって決まるのでしょうか。
 イエスが仰っているのはそうではなく、このやもめの献金は神に対する信頼と愛から出たものであるので、神様が喜んでくださると言う意味です。
 神の目には人間の心の中の思いはすべて明らかです。献げ物をする場合に、人はどのような動機でするのか。不本意な気持ちで仕方なくするのか。あるいは売名や自己宣伝のためにするのか。もしそうであるとするならば、その献げ物は半分以上その値打ちを失っているのです。しかしそうではなく、愛する心から献げるのか。その場合、愛する心でそうせずにはおられないという内から湧き出る気持ちで献げるならば、それは本当の値打ちがあるのです。
 神の前では、わたしたちの愛のいかなる献げ物も、数えるには余りにも小さ過ぎるということはありません。また神の前では、人間のいかなる生活も人と分ち合う義務から免れることもあり得ません。
 実に、愛の業によって神の国は前進しているのです。初代教会以来のキリスト教の歴史を顧みますとき、貧しさの中からいかに大きな献げ物が為されて来たかは明らかです。
 それは金銭だけのことではなく、信仰者たちの生涯の献げ物、職業を通して、神の栄光のために働き、思想や芸術の様々な能力、技術を神に献げることにより、キリスト教会は形成されてきたのです。

(2)愛の労苦
 それでは愛の献げ物とはどのような性質を持っているでしょうか。二つのことがそれについて挙げられるのではないかと思います。
 第一は、それは犠牲を伴うということです。本当の愛の業は、自分の持ち物を裂いて与えることですから、それを与えた後しばらくは苦しい状況が続くことでありましょう。或いは自分が楽しみにしていたことを中止して、自分の労働で得たものを献げなければなりません。また献げるために自らの手で働けなければなりません。必然的にそこには労働の苦労が伴います。愛の献げ物をするためには人はだれでも具体的に汗水を流して働くことが必要です。
 パウロはテサロニケの信徒への手紙一、1章2~3節で、次のように言っています。
 「わたしたちは、祈りの度に、あなたがたのことを思い起こして、あなたがた一同のことをいつも神に感謝しています。あなたがたが信仰によって働き、愛のために労苦し、また、わたしたちの主イエス・キリストに対する、希望をもって忍耐していることを、わたしたちは絶えず父である神の御前で心に留めているのです。」
 ここで、パウロはテサロニケ教会の人たちの「信仰の働き」「愛の労苦」「希望の忍耐」を常に思い起こし、神に感謝しています。
 非常に印象的なのは、パウロは愛の業と言う代わりに、「愛の労苦」と言っている点です。このようにわたしたちが人を愛し、神を愛し、教会に仕えるためには、愛の労苦が必要です。
 一般的に言えば、労苦を伴わない愛は存在しません。いつでも喜んで、自発的に労苦するのが愛の特質です。さらに犠牲を伴う献げ物をするには、つねに信仰の働きが必要です。すなわち、神が自分をいかなる時も守り、支え、必要な物を与えてくださるという確かな信仰が必要です。きっとこの貧しいやもめは、自分の生活費全部を献げても、この後は神様が守っていてくださると信じていたに違いありません。

(3)時を知る愛の業
 第二に、愛の献げ物は時に適っている、愛はその時を知っていると言えます。また、愛はそれを行う機会がただ一回しかないことを知って、その時期を決して逃さないと言えます。
 イエスが十字架につけられる時が近づき、ベタニアのシモンの家で、食事の席に着かれた時、一人の女性が高価なナルドの香油の入った壺を持って来て、それを壊し、香油をイエスの頭に注ぎかけました。
 その大胆な行為に驚いた人々は、「なぜ、こんなに香油を無駄使いしたのか。この香油は三百デナリオン以上で売って、貧しい人々に施すことができたのに。」といって、その女性を非難しました。
 しかし、主イエスは「貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるから、したいときに良いことをしてやれる。しかし、わたしはいつも一緒にいるわけではない。この人はできる限りのことをした。前もってわたしの体に香油を注ぎ、埋葬の準備をしてくれた。はっきり言っておく。世界中どこでも、福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう。」マルコ(14:7~9)
 このように一つ一つの愛の業は、最も必要な時に行われているのです。本当の愛の業は、その時を逃しては実行できないのです。
 その時には、向う見ずに、惜しげもなく、献げることが必要なのです。

(4)自分自身を献げる
 次にわたしたちのなす愛の業は、神が主イエスにおいて、わたしたちを愛し、わたしたちにご自身を与えてくださったことに対する感謝の応答です。
 使徒パウロはこの点について、次のように言っています。
 「なぜなら、キリストの愛がわたしたちを駆り立てています。わたしたちはこう考えます。すなわち、一人の方がすべての人のために死んでくださった以上、すべての人も死んだことになります。その一人の方はすべての人のために死んでくださった。その目的は、生きている人たちが、もはや自分自身のために生きるのではなく、自分たちのために死んで復活してくださった方のために生きることなのです。」(コリント二、5:14~15)
 聖書はわたしたちにいつもこの主イエスの福音を語ります。そしてその福音が真剣に聞かれる所に、自発的な愛の業が沸き起こるのです。愛は福音の結ぶ実として、いわば麗しい実として実現するのです。有名な英国の神学者フォーサイスは「恵みの福音」について、この点を強調しています。
 「先ず、神が罪人をいかに愛してくださったかを語れ。次に、この神の愛に対する人間の回答は信仰であることを語れ。そうすれば信仰から愛は自然と成長する。信仰が人間に愛する力を与えるのでなければ、人間は愛することは不可能である。しかし、信じるならば愛を必ず実行することができる」と教えています。
 従いまして、わたしたちの生活全体は、この「恵みの福音」に対する感謝の応答としてなされるのです。
 神が主イエスにおいて、わたしたちにご自身を与えてくださったという恵みに対して、わたしたちも自分自身を神に献げて、神に従い、神の御心を行い、神の愛を実践するために、わたしたちの時間、生活を神に献げるのです。
 それではどのようにしてわたしたちは自分自身を神に献げることができるのでしょうか。それは礼拝の中で行われます。礼拝の中で先ずわたしたちは自分自身を献げることにより、一週間の生活が始まるのです。
 礼拝の中で献げる献金にはこの意味が込められています。献金はいわばわたしたちが自分自身を神に献げる「しるし」なのです。そこから一週間の生活が始まります。献金はいわば一週間の生活の初穂として献げるべきものです。それによってわたしたちは一週間の生活全体を神に献げることができます。
 言い換えれば、一週間の生活が、信仰の働き、愛の労苦、希望の忍耐の時として、内容の充実した一週間を過ごすことができるのです。
 このように、わたしたちは自分と自分の生活を主イエスに献げるならば、自分の人生を生きるという立場で、主イエスが地上でいかに愛の労苦の生涯を送られたかを思いめぐらすことができるのです。
 しかもそうすることによって、地上における主イエスの歩みを理解し、主イエスの御心、性質、神への従順、祈りの霊的な意味を知ることができます。しかし、それは自分の人生を歩むための参考資料にするというだけのものではなく、もっと重大な意味があり、地上における主イエスの歩みはわたしたちの存在と不可分離に結びついているのです。
 なぜならば、十字架の死によってイエスは御自分をすべての人間と深く結びつけられたからです。そのことによって復活の主イエスは主イエスを信じる者の中に聖霊を通して臨在し、働かれるのです。これこそ人類の救い主となられた主イエスの働きです。
 「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内にいきておられるのです。」(ガラテヤ2:20)と言いましたパウロと同じくわたしたちも「わたしにとって生きることはキリストである」という人生を歩むために、自分の時間と思いと行動を神に献げるのです。これが礼拝の霊的な意味であります。



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