2013-10-06(Sun)

信仰による出会い 2013年10月6日の礼拝メッセージ

信仰による出会い
中山弘隆牧師

 しかし、ただひとつの日が来る。その日は、主にのみ知られている。そのときは昼もなければ、夜もなく、夕べになっても光がある。その日、エルサレムから命の水が湧き出で、半分は東の海へ、半分は西の海へ向かい、夏も冬も流れ続ける。主は地上をすべて治める王となられる。その日には、主は唯一の主となられ、その御名は唯一の御名となる。
ゼカリヤ書14章7~9節


 イエスはそこを立ち去って、ティルスの地方に行かれた。ある家に入り、だれにも知られたくないと思っておられたが、人々に気づかれてしまった。汚れた霊に取りつかれた幼い娘を持つ女が、すぐにイエスのことを聞きつけ、来てその足もとにひれ伏した。女はギリシア人でシリア・フェニキアの生まれであったが、娘から悪霊を追い出してくださいと頼んだ。イエスは言われた。「まず、子供たちに十分食べさせなければならない。子供たちのパンを取って、小犬にやってはいけない。」ところが、女は答えて言った。「主よ、しかし、食卓の下の小犬も、子供のパン屑はいただきます。」そこで、イエスは言われた。「それほど言うなら、よろしい。家に帰りなさい。悪霊はあなたの娘からもう出てしまった。」女が家に帰ってみると、その子は床の上に寝ており、悪霊は出てしまっていた。
マルコによる福音書7章24~30節

(1)信仰の必要
 人は誰でも強く共鳴できる人と出会うことにより、大きな影響を受けます。そのような出会いの中でも人に決定的な変化をもたらすのが、主イエスとの出会いです。ここにはイエスに出会った一人の女性のことが記されています。
 この婦人は自分の娘が精神的にひどく苦しみ、理由のわからない激しい発作に襲われることがしばしばあり、母親の切なる願いから、イエスのもとに参りました。
 子を思う母親の愛情から、癒していただきたいという願いは真に真剣でありましたが、この母親が果たして神に対するしっかりとした信仰を持っていたかどうかは必ずしも明らかではありません。この点が大きな問題です。マルコによる福音書と並行記事でありますマタイによる福音書15:21~28ではもう少し詳しく語っています。
 この婦人の叫びに対して、主イエスはすぐには答えないで沈黙されています。「イエスは何もお答えにならなかった。」(マタイ15:23)と書いてあります。
 これはイエスが見て見ぬ振りをされたのでしょうか。冷たくこの女性を突き放しておられたのでしょうか。いや決してそんな筈はないと思います。
 沈黙のうちに、イエスはこの女性の心の中にある思いを、ご自分の心の鏡に映しだされたのです。沈黙の中で、イエスはこの女性の願いをご自分の心に受け止めておられたのです。
 このことがカナンの女性に対してすぐには答えられなかった理由ではないでしょうか。しばしばイエスは沈黙の内に祈られました。その深い沈黙から癒しの力が生まれるのです。

(2)異邦人との出会い
 しかし、異邦人が神に対して真の信仰を持ち、イエスを通して与えられる神の救いを受け取るということは、イエスにとりまして決して当然の事柄ではありません。この点がイエスにはまだ定かではなかったと思われます。
 なぜならば、イエスの理解では神の救いは先ずイスラエルの民に宣べ伝えられるべきであったからです。イエスが父なる神から遣わされた使命は、人類に対する神の救いの歴史の中で、古くからイスラエルに与えられていた神の救いの約束が実現する時と関わっていたからです。
 このような理由からイエスは、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない。」(マタイ15:24)と仰せられたのです。
 そこで神に対する信仰を持っていたカナンの女性は、神の救いの計画についてイエスと真っ向から対決しています。
 「しかし、女は来て、イエスの前にひれ伏し、『主よ、どうかお助けください』と言った。」(マタイ15:25)
 これが対決の第一ラウンドです。イエスの言葉にも拘らず、この女性は一層イエスのもとに近づき、ひれ伏し、イエスに対する信仰を言い表しました。
 第二ラウンドは、カナンの女性に対してイエスが「子供たちのパンを取って小犬にやってはいけない。」(マタイ15:26)と返答されたことです。マルコによる福音書では、「まず、子供たちに十分食べさせなければならない。子供たちのパンを取って、小犬にやってはいけない。」(7:27)
 ここで、子供たちとはイスラエルの民を指しています。また小犬とは異邦人を指しています。ところでユダヤの律法学者たちは異邦人を犬と呼んで軽蔑していました。律法学者であるラビ・エリエゼルは「偶像礼拝者と一緒に食事をする者は、犬と一緒に食事をするのと似ている。」と言っています。明らかにこれは異邦人を軽蔑し、最も忌み嫌う言葉です。
 それに対して、イエスはそのような軽蔑の意味を一切排除し、愛情をこめてユーモアをもって、犬ではなく、小犬と呼ばれました。これはペットとして買われ、家族の一員となっている可愛い小犬のことです。
 さらにここでイエスは「神の救い」「パン」と表現しておられます。「パンはまず、子供たちに十分食べさせなければならない。」と仰いました。これは神の救いは先ずイスラエルに与えるべきであり、異邦人の救いの番はその次になると言う意味を暗示しています。
 これはイエスの心がこのときイスラエルに集中していたことを表しているのです。なぜなら神の救いの時がイスラエルに既に到来したのに、依然として救いを拒み続けるイスラエルの心の頑なさ、そしてイスラエルがこれから経験しなければならない悲惨な運命にイエスは非常に心を痛めておられたからです。
 イエスが最後にエルサレムに入場されたとき、エルサレムのために嘆き、次にように仰せになりました。
 「エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で撃ち殺す者よ、雌鶏が雛を羽の下に集めるように、わたしはお前の子らを何度集めようとしたことか。だが、お前たちは応じようとしなかった。」(ルカ13:34)
 これが、イエスを拒否するならば、イスラエルには神の救いはないことを知っておられたイエスの心境なのです。正に断腸の思いがここに現れています。
 そうしたイエスの心境をこの異邦人の女性は良く察しながらも、なお篤い信仰をもって次のように言いました。
 「主よ、しかし、食卓の下の小犬も、子供のパン屑はいただきます。」(7:28)
 これが対決の第三ラウンドです。愛と機知に富んで、この女性は謙虚に、しかも確信に溢れて主イエスに対する信仰を告白しました。食事のときテーブルの下にいる小犬も子供たちのパン屑を貰って一緒に食事をするように、異邦人もイスラエルの民と一緒に神の救いを受けることができるという信仰を告白したのです。
 この信仰の告白を聞いて、イエスは喜んで承認し次のように仰せになりました。
 「それほど言うなら、よろしい。家に帰りなさい。悪霊はあなたの娘からもう出てしまった。」(7:29)
 この出来事は、イエスを通して神の力が働き、信じる者は様々な病から癒されるというだけでなく、もっと重要な神の救いの本質に関わる事柄を示唆していたのです。
 イエスを通して「神の救い」が与えられるという霊的事実をこの異邦人の女性が信仰を通して知ったということは、その後のイエスの歩みに大きな転機をもたらしました。
 イエスとこの女性の会話を聞いておりますと、話の進展をこの女性がリードしているように思えます。サマリアの女性とイエスの会話の場合にリードは明らかにイエスの側にありました。この点が全く対照的です。
 ところで、神から遣わされたイエスの地上の生涯における使命は、前期と後期に分かれています。前期はガリラヤにおける神の国の宣教活動であり、後期はエルサレムにおける十字架の死による人類の罪の贖いであります。この異邦人との出会いは、ちょうど前期と後期の境での出来事でした。
 マルコの福音書ではそのことが示されています。7:1で次のように言っています。
 「イエスはそこを立ち去って、ティルスの地方に行かれた。ある家に入り、誰にも知られたくないと思っておられたが、人々に気づかれてしまった。」
 ガリラヤ地方でのイエスの活動は、最初の内は人々の間にイエスはメシアではないかという強い期待を引き起こし、群衆が殺到し、熱心にその教えを聞いたのです。しかし宣教活動が進展し、イエスの教えの中心が自分たちの期待していることと相違していると気付いた民衆は次第にイエスのもとから離れて行きました。
 その時点で、イエスは一人で異邦人の地に退き、神から遣わされた救い主の使命を確認しようとされたのだと想像されます。
 再び弟子たちのところに戻られた時は、また多くの群衆に取り囲まれることになりましたが、以前と決定的に変わった面は、弟子たちに対して十字架の死を全うすることが神から定められた自分の使命であると明瞭に教えられたことです。

 マルコによる福音書では8:31~32で次にように記されています。「イエスは、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日の後に復活することになっている、と弟子たちに教え始められた。しかも、そのことをはっきりとお話になった。」
 このことを考えますと、異邦人の女性がイエスと出会ったということは父なる神の導きであり、イエスの生涯における大きな転機を示しています。

(3)教会の信仰
 それではこの物語は初代教会にとって、どんな意義を持っていたのでしょうか。
 マタイによる福音書によれば地上におけるイエスの活動を、クリスマスに読まれる聖書の箇所がよく示しています。東方の学者たちはエルサレムに来て次のように言いました。
 「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」(マタイ2:2)。
 ここで、ユダヤ人の王とは「メシア」であり、「救い主」を意味しています。イエスは地上の生涯で確かにメシアとして歩み、その使命を達成されました。
 しかし、地上におけるメシアの業の達成はメシアの働きの半分なのです。名実ともにメシアとなられたのは、イエスが復活された暁に明らかになりました。このことはペンテコステのペトロの説教が宣言しています。
 「神はこのイエスを復活させられたのです。わたしたちは皆、その証人です。それで、イエスは神の右に上げられ、約束された聖霊を御父から受けて注いでくださいました。--だから、イスラエルの全家は、はっきりと知らなくてはなりません。あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は「主」とし、また「メシア」となさったのです。」(使徒言行録2:32、33、36)
 それゆえ復活の主イエス・キリストは最早「ユダヤ人だけ」のメシアではなく、正に「全人類の救い主」となられたのです。
 「イエスは、近寄ってきて言われた。『わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子としなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。』(マタイ28:18~20)
 西暦64年にネロ皇帝の暴挙による迫害のためキリストの使徒ペトロもパウロもローマで殉教しました。まだそのような殉教が繰り返されると予想される危機において、ローマのクリスチャンを励ますために、マルコによる福音書がローマにおいて執筆されました。 
 ローマの教会は設立の当初から異邦人のクリスチャンたちの教会であったと考えられています。迫害の再来を強く感じているとき、復活のキリストが彼らと共におられ、彼らの中に力強く働き、キリストに従う彼らの人生を支え、導いておられることをローマのクリスチャンは体験していました。
 それゆえ異邦人のこの女性の物語はマルコがペトロから直接聞いたことを記しているのではないかと推測できますが、異邦人教会にとっては非常に強い励ましとなっていたことは確かです。
 死人の中から復活された主イエスは、今日も世界の人々を救うために働いておられます。実にキリスト教会の信仰は「イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方である」(ヘブライ人への手紙13:8)という確信です。
 この確信は実に大きな意義を持っています。それは教会がイエス・キリストの福音を宣べ伝える前に、すでにイエス・キリストの働きは全世界に及んでいることを意味します。恵み深い神の働きが今日、全世界の人々をすでに取り囲んでいるのです。その目に見えない霊的な現実こそ一つの人格的性質を持っています。それが主イエス・キリストの性質なのです。
 一人の女性がキリストと出会うことにより、自分を救い生かす神の愛と力強い恵みの霊的現実を知り、キリストを信じました。
 教会の伝道とはこのキリストを証することです。キリストを信じて、キリストの命に生かされているクリスチャンがキリストの福音を語るならば、復活のキリストご自身が福音を聞く人々の心に直接語られるのです。そこにキリストとの出会いが起こるのです。



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