2013-08-04(Sun)

平和をつくりだす歩み 2013年8月4日平和聖日礼拝のメッセージ

平和をつくりだす歩み
中山弘隆牧師

 人よ、何が善であり、主が何をお前に求めておられるかは、お前に告げられている。正義を行い、慈しみを愛し、へりくだって神と共に歩むこと、これである。主の御声は都に向かって呼ばわる。御名を畏れ敬うことこそ賢明である。聞け、ユダの部族とその集会よ。まだ、わたしは忍ばねばならないのか。神に逆らう者の家、不正に蓄えた富、呪われた、容量の足りない升を。わたしは認めえようか、不正な天秤、偽りの重り石の袋を。都の金持ちは不法で満ち、住民は偽りを語る。彼らの口には欺く舌がある。
ミカ書6章8~12節


 今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。
マタイによる福音書6章30~33節

(1)平和聖日の意義
 日本キリスト教団では本日の礼拝を平和聖日礼拝と定め、平和のために祈る日としています。世界第二次戦争の終結以来すでに67年が経過し、その期間日本は平和を享受することができました。
 しかし、本当の意味で近隣諸国との相互理解と信頼による共存はできていません。従って本当の意味で平和は確立しているとは言えません。
 日本キリスト教団では1967年に「戦争責任告白」を制定し、アジアの諸教会との和解の道を開きました。
 しかし、日本は自国の利益を優先する政策を固執し、近隣諸国との平和共存を真剣に求めていません。ただアメリカとの軍事同盟の強化により、日本の安全を確保しようとしています。
 しかしこれでは、日本が侵略戦争によって、近隣諸国に甚大な犠牲と苦難を強いたことの「道義的な責任」を解決したことになりません。それゆえ国際社会の中で日本は新しい国家として再出発しましたが、依然として過去の思想と生き方を隠し持っています。隠れたことは早かれ遅かれ必ず現れてきます。このことが平和を造り出すための大きな障害となっています。
  「関東教区」ではこの点を危惧し、教区で「日本キリスト教団罪責告白」を制定し、平和聖日の礼拝で「罪責告白」をするように各教会に呼びかけています。
 その内容の第一点は、聖書に証しされている唯一の神を信じ、イエスを主と告白しながら、天皇を神とする国家体制を容認したこと、及びこれを近隣諸国の諸教会に強要したことを教会が犯した罪であると告白することです。
 第二点は、日本国家のアジア諸国に対する植民地支配に協力した罪を告白することです。
 第三点は、その戦争で多くの人の命が失われたことに対して、その戦争に協力したクリスチャンにも責任と罪があることを告白しています。
 第四点は、日本キリスト教団の旧6部と9部であったホーリネスグループに対する迫害を教団は見過ごし、同じキリストの体である兄弟たちに罪を犯したという告白です。また教団は1969年以来沖縄キリスト教団と合同しましたが、沖縄の人々の苦しみを真摯に受け止めることができなかったと言う告白です。
 これらの罪を告白し、神の赦しを得るために祈るという趣旨です。

(2)主イエスの主権とその証人
 クリスチャンの中に信仰と政治とは別の領域であると考えている人が多くいます。「政教分離の原則」により、政治の問題を教会の中に持ち込み、クリスチャンの間に意見の対立や論争を持ち込んではいけないと主張する人々がいます。同じクリスチャンであってもそれぞれの考えによって、支持する政党を選べばよいと言います。
 これらの考え方は、「民主主義国家」では、ある面で正しいのですが、ある面で間違っています。その原因は聖書の信仰の特質にあります。聖書で啓示されている神は天地万物の創造者であり、人類の救済者として、「世界の万民の主」であるからです。
 イザヤ書43章10~11節で、主は次にように仰せになっています。
 「わたしの証人はあなたたち、わたしが選んだわたしの僕だ、と主は言われる。あなたたちはわたしを知り、信じ、理解するであろう。わたしこそ主、わたしの前に神は造られず、わたしの後にも存在しないことを。わたし、わたしが主である。わたしの他に救い主はいない。」
 唯一の神であり、創造者であり、救い主である神を聖書では、「主」と呼びます。主と言う名称は「神が主権者である」と言う意味です。 
 なぜならば、人間は神の意志が実現するとき、本当の意味で生きることができるからです。実に主は人間の「命の泉」なのです。
 それゆえ主は神として人間の歴史の中に働き、ご自身の目的を歴史の中で実現されます。このように偉大な力ある生ける神です。言い換えれば「聖なる神」であり、人間の考えを越えて存在し、働いておられる超越者です。神は本質的に人間の目には見えない方です。
 しかし、他方で「御言葉」をもってご自身の意志を人間に知らせ、御言葉を通して働く「聖霊」によって、ご自身の意志を人類の歴史の中に実現される方なのです。人間の目には見えませんが、歴史を支配しておられる生ける神でありますから、人間は「神の働き」を体験し、体験を通して神を知ることができるのです。
 それゆえ主は、一人一人の人間に対して、思いと言葉、行動と生活、存在全体に対する支配者です。主はわたしたちの内面と外面、個人の生活と社会や国家の営みのすべてにおいて、人間がご自身の意志に従うことを要求されます。
 つまり、主は個人だけでなく社会や国家の領域においても、わたしたちが神に従うことを要求される方なのです。
 それゆえ、「神の主権の証人」は、神によって救われた民です。なぜなら、彼らだけが神の主権は「人類全体」にとって「無限の恵み」であることを知っているからです。
 従いまして旧約聖書は、終わりの日に神の救いが実現することと、そして救われる民が神の主権の証人となることを預言しています。今や、神の約束は主イエス・キリストの到来により実現しました。
 その結果、「キリスト教会」が神の救いと主権の証人として立てられているのです。
 実に預言の実現を新約聖書は次にように証言しています。
 「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じものになられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで従順でした。このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、すべての舌が、『イエス・キリストは主である』と公に宣べて、父である神をたたえるのです。」(フィリピ2:6~11)
 今や主イエス・キリストは復活し、父なる神の右に座し、人間の目には見えない神として、御言葉と聖霊を通して、人間とその歴史の中に働き、「人類の主権者」となられました。
 つまり、主イエスはご自身の義と命を人間に与えることによって、人間が神の主権を告白し、神に感謝し、喜んで、自ら進んで従うことを可能されたのです。それゆえ、主イエスの証人がキリスト教会であり、教会に連なる一人一人のクリスチャンなのです。
 要するに、キリスト教会は「最初から」主イエスが天地万物の主として、「教会と国家」の主権者であることを告白し、それをキリストの福音として宣教してきました。
 他方、国家や社会に対する神の主権の証人の務めはすでに旧約聖書の預言者たちが果たして来ましたので、キリスト教会は国家に対しては旧約聖書の預言者の務めを継承しなければなりません。

(3)旧約聖書の預言者の働き
 預言者ミカは次のように言いました。
 「人よ、何が善であり、主が何をお前に求めておられるかは、お前に告げられている。正義を行い、慈しみを愛し、へりくだって神と共に歩むこと、これである。」(ミカ6:8)
 それでは社会や国家の営みにおいて、「正義を行う」とはどういうことでしょうか。それは人間が実行すべき「愛の業」を道徳あるいは倫理の領域で具体的に示している「モーセの十戒」を実行することです。
 「人を殺してはならない、人のものを盗んではならない、偽証してはならない、貪ってはならない。」ということを社会生活の面に適用すれば、正義を実行すると言うことになります。
 人を殺したり、人のものを盗んだり、偽ったり、貪ったりすることが犯罪であることは明らかです。他方、社会や国家の中で制度や法律によって、有力者や富める者のグループが自分たちの利益を追求し、合法的に或いは間接的に、弱い立場の人たちの生活が無視され、犠牲にされるとき、それが不正義の罪なのです。
 反対に、正義を実行するときに、人々は共存することができます。貧富の格差が生じた場合、それを調整し、貧しい人たちに富を還元し、貧しくても、健康で明るく生きられるようになります。多少の格差は残るにしても、すべての人が生きられることが正義の業です。
 しかしここで留意すべき点は、正義の業が実行可能となるのは、歴史の主権者である神に対する「畏敬の念」によるということです。
 なぜならば、人間が歴史の流れを支配することは絶対にできないからです。人間が支配するには、歴史を動かしている要素が、あまりにも多く、解決の困難な問題と未知の原因が複雑に入り混じっているからです。それらを解決することは人間の知恵と能力を遥かに越えています。それができるのは主である神のみです。
 しかし国家や民族の存亡に直接関係する外交や軍事の領域で、国家が神の主権に従わない時には、自分の力で、国を守ろうとします。そのため軍備を増大し、また頼りになる国と同盟を結んだりします。そのような歴史の危機と激動の中で、それでは歴史の支配者である神を信じている国家はどうするでしょうか。そのとき試練と危機に耐え、それを克服する秘訣が果たしてあるのでしょうか。
 預言者イザヤは次にように、動揺し、混乱しているユダ国家に対して、エジプトとの同盟に走らず、主を信じて静かにしていることを勧告しました。
 「まことに、イスラエルの聖なる方、わが主なる神は、こう言われた。『お前たちは、立ち帰って、静かにしているならば救われる。安らかに信頼していることこそ力がある』と。しかし、お前たちはそれを望まなかった。」(イザヤ30:15)

 次に、神の主権を信じる時、他の国家に対する見方が、主の主権を信じない時とは全く違ってきます。すなわち、この世界の中では、他の国家も世界の構成メンバーとして、自分たちの国家と同じ権利があることを公正に認めるようになります。これが国家間の対立や戦争を防止する正しい視点です。その視点はキリストの命令に聞くことによって与えられます。 
 キリストは「あなたの隣人をあなたのように愛しなさい」と命じられました。このキリストの命令は近隣諸国を隣人の国家と見る視点を与えます。
 なぜならば、キリストは日本人のためだけでなく、すべての民族のために、ご自身を与え、すべての民族のために死に、そして復活された方であるからです。それゆえ、キリストの主権の中では、すべての民族、すべての国家が平等なのです。
 正にこの視点が日本のこれまでの歴史には全く欠けていました。そのため、万世一系の天皇制による日本国家を絶対化することになり、アジアの諸国家を侵略し、日本を中心にした大東亜共栄圏を建設しようと目論みましたが、その結果は敗戦となり、日本の目論みは破綻したのです。徳川幕府による旧体制が崩壊し、近代の立憲主義国家として新しく出発した日本国家は78年経過して、第二次世界大戦の敗戦により、遂に崩壊しました。
 それゆえ、日本国家が世界の中で信用され、共存するためには、キリストの主権に対する畏敬の念をもって、世界に通用する、そして「人間性」に順応した国家観を打ち立てることが不可欠なのです。
 キリスト教会はこの証人となる使命があります。

(4)キリストの主権の証人
 最後に日本キリスト教団の中で、ホーリネスの群れがキリストの主権を証し、厳しい弾圧の中で、信仰を守り通しました。このことは教団にとりましても非常に霊的力となっています。
 淀橋教会の牧師でありました小原十三司先生は、1942年6月26日に、早天祈祷会の最中、「治安維持法違反」の容疑で、逮捕され、裁判の結果有罪となり、二年間巣鴨刑務所に拘置されました。
 裁判の期間、淀橋警察の留置所に約半年、拘留されました。そのときに書かれた手紙の内容が、日本基督教団ホーリネスの群れが発行した「リバイバルと弾圧」という小雑誌の中に記載されています。ここでそれを抜粋します。
 「信じられないような苦しみや試練と戦うことによってのみ、信仰は強くなり輝きわたることを日頃より学んでいますので、ご摂理の中におかれている今の境遇は最も幸いであると心得ています。
 ----御旨ならば信じる力われにあり、ああ信じるは楽しみでございます。この年の末になり、信仰新たにし、希望をもって前進と覚悟致しております。----こちらは信仰と祈祷に余念なく過ごすとき、朝には『今日もまた、いと勝れる御心が、なされることを我信じる』
 夕べには『御心のなされたことを我信じる』と平凡な日、期待に添わなかったように思う日も、信仰だけはこのように叫ぶのを感謝する次第であります----。」
 この手紙は迫害の嵐の中で、主イエスの主権に信頼しきっている姿が良く表されています。預言者イザヤが30:15で、「静かにしているならば救われる。安らかに信頼していることこそ力がある」といっていますように、小原先生は主に信頼して、その時を信仰と祈りをもって過ごされました。
 また、イザヤが31:3で神の言葉を次のように語っています。
 「エジプト人は人であって、神ではない。その馬は肉なるものに過ぎず、霊ではない。主が御手を伸ばされると、助けを与える者はつまずき、助けを受けている者は倒れ、皆共に滅びる。」
 国家が自己を絶対化して、人間の良心に基づいた発言や行動を弾圧しても、神の主権に立ち向かうことはできません。それゆえ、人は預言者ミカの言葉のように行動すべきです。
 「へりくだって神と共に歩む」こと、これが人と国家に平和と命の道を開く唯一の方法です。このことをわたしたちは証する使命があります。



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