2010-08-15(Sun)

律法はわが喜び 2010年8月15日の礼拝メッセージ

律法はわが喜び
中山弘隆牧師
 
 主よ、とこしえに、御言葉は天に確立しています。あなたへの信仰は代々に続き、あなたが固く立てられた地は堪えます。この日に至るまで、あなたの裁きにつき従って来た人々は、すべてあなたの僕です。あなたの律法を楽しみとしていなければ、この苦しみにわたしは滅びていたことでしょう。わたしはあなたの命令をとこしえに忘れません、それによって命を得させてくださったのですから。わたしはあなたのもの。どうかお救いください。あなたの命令をわたしは尋ね求めます。神に逆らう者はわたしを滅ぼそうと望んでいます。わたしはあなたの定めに英知を得ます。何事にも終りと果てがあるのをわたしは見ます。広大なのはあなたの戒めです。わたしはあなたの律法を、どれほど愛していることでしょう。わたしは絶え間なくそれに心を砕いています。あなたの戒めは、わたしを敵よりも知恵ある者とします。それはとこしえにわたしのものです。わたしはあらゆる師にまさって目覚めた者です。あなたの定めに心を砕いているからです。長老たちにまさる英知を得させてください。わたしはあなたの命令を守ります。どのような悪の道にも足を踏み入れません。御言葉を守らせてください。あなたの裁きから離れません。あなたがわたしを教えてくださるからです。あなたの仰せを味わえば、わたしの口に蜜よりも甘いことでしょう。あなたの命令から英知を得たわたしは、どのような偽りの道をも憎みます。あなたの御言葉は、わたしの道の光、わたしの歩みを照らす灯。わたしは誓ったことを果たします。あなたの正しい裁きを守ります。わたしは甚だしく卑しめられています。主よ、御言葉のとおり、命を得させてください。わたしの口が進んでささげる祈りを、主よ、どうか受け入れ、あなたの裁きを教えてください。わたしの魂は常にわたしの手に置かれています。それでも、あなたの律法を決して忘れません。主に逆らう者がわたしに罠を仕掛けています。それでも、わたしはあなたの命令からそれません。あなたの定めはとこしえにわたしの嗣業です。それはわたしの心の喜びです。あなたの掟を行うことに心を傾け、わたしはとこしえに従って行きます。
詩編119篇89~112節


 「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。はっきり言っておく。すべてのことが実現し、天地が消えうせるまで、律法の文字から一点一画も消え去ることはない。だから、これらの最も小さな掟を一つでも破り、そうするようにと人に教える者は、天の国で最も小さい者と呼ばれる。しかし、それを守り、そうするように教える者は、天の国で大いなる者と呼ばれる。言っておくが、あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の国に入ることができない。」
マタイによる福音書5章17~20節
 
(1)律法に対する信頼と賛美
 詩編119編は、神がイスラエルに示された律法こそ、人間を生かす神の言葉であることを、繰り返して賛美しています。
冒頭の1節と2節で、次のように言っています。
「いかに幸いなことでしょう。全き道を踏み、主の律法に歩む人は。いかに幸いなことでしょう。主の定めを守り、心を尽くしてそれを尋ね求める人は。」

 この詩編は176節に及ぶ長い詩ですが,律法に従うことによって神に生かされる幸いとその喜びが各節に溢れています。
この詩編の欄外に、「アルファベットによる詩」と注釈が付けられています。この詩編はアルファベットの数と同じく22個の段落で構成されています。さらに各段落は8節から成り立っていて、同じ段落では、8節とも同じ文字で始まっております。
本日の聖書の箇所はアルファベットの12番目の「ラメド」から14番目の「ヌン」まで、三つの段落からできていますので、89節から96節までは、最初の文字が「ラメド」(英語で言えばエル)で始まり、97節から104節までは「メム」(エム)で始まり、105節から112節までは「ヌン」(エヌ)で始まっています。このように非常に技巧的な形式の詩でありますが、この詩は生命と喜びで満たされています。
 また、作者は律法を他の多くの呼び方で表しています。「定め」「道」「命令」「掟」「裁き」「戒め」「御言葉」「仰せ」と言い換えていますが、それは律法の持つ多様で豊かな内容を示しています。
 律法とは最初エジプトの奴隷であったイスラエル民族を神様が解放してくださり、神の民として選んでくださいました。このことにより、イスラエルの民は神との契約の関係、すなわち、人格的な相互関係に入れられました。それは、民が神の愛と救いの恵みに応答して、神に対する感謝と従順の生活を送るためです。そこで、神はイスラエルの民が守るべき神の意志を律法によって示されました。従いまして、律法はイスラエルに対する神の命令でありますが、神ご自身が語られた「御言葉」なのです。
なぜならば、神様は人格的で、道徳的で、愛と正しさに満ちた方でありますので、律法によってご自身の性質と意志を示されたのです。その意味で、律法は民に対する神の恵み深い意志と力の表明です。それゆえ、「律法は行為における神ご自身である」とも言われています。

(2)神の恵みに対する感謝の応答
 人間が神様との人格的な交わりの中で思いめぐらし、教えられ、憧れ、願い、決意し、祈り、実行すべき行為を神は律法によって示されました。このことに、詩人は非常に感動し、神に感謝しています。そして自ら進んで神の御心を実行しようとしています。
実にこの生き方こそ、無名の聖徒であるこの詩人の堅固な信仰と霊的な豊かさを表しております。正に、これは旧約聖書の信仰の証であると言えます。

 92、93節で、このように言っています。
「あなたの律法を楽しみとしていなければ、この苦しみでわたしは滅びていたことでしょう。わたしはあなたの命令をとこしえに忘れません。それによって命をえさせてくださったのですから。」
 このように、神の律法を楽しみとし、喜んで律法を学び、実行しようとしていることにより、命を得たと証しています。すなわち、死の脅威にさらされても滅びを免れたのです。普段から律法を楽しみにしていることにより、試練が襲うとき守られるのです。
また、105節では、律法を「光」「灯」と呼んでいます。
「あなたの御言葉は、わたしの道の光、わたしの歩みを照らす灯」と告白しています。
 これは、詩人があるとき窮地に陥りました。しかし、闇の中で律法が光となったのです。この詩人は律法を学んで「英知」得て、困難を切り開く新しい道が開けたのです。実に、律法から英知を受け取ったことによって、律法は「道の光である」「歩みを照らす灯である」と賛美しています。
さらに95節では、「神に逆らう者はわたしを滅ぼそうと望んでいます。わたしはあなたの定めに英知を得ます。」と言っています。
 これは105節と同じことを言っていますが、ここでは「英知」という言葉を使っています。英知とは神様が与えてくださる知恵です。それゆえ、人間に最も必要なものです。

さらに99節では、「わたしはあらゆる師にまさって目覚めた者です。あなたの定めに心を砕いているからです。」    
 「心をくだく」とは律法を学び、実行するために、全身全霊を投入している、ということです。そのことによって、人間は神様から英知を受けるのです。わたしたちクリスチャンもこの詩人のように、聖書の御言葉に、全身全霊を投入していることが必要です。
そして律法をいつも自分の心に宿していることにより、詩人は神の御前にあることを自覚し、道徳的な面で目を覚ましていることができる、といっています。実にそのことが自分を悪の道から遠ざけ、自分の人生を安全する秘訣である、と回顧しています。
わたしたちクリスチャンは新約聖書で諸々の誘惑に陥らないため、絶えず目を覚ましていなさいと警告されていますが、その方法は聖書の御言葉を心に宿していることにより、神の御前にあるという自覚を絶えず持っていることです。 
このように、この詩人は律法を愛し、心で思いめぐらし、律法に示された神の性質と力を熟慮することによって、神様から直接に教えられました。
したがって、信仰者は律法を実行するためには、祈ることが不可欠です。祈ることによって、信仰者は律法を実行する力と霊的な命を神様から受けるのです。なぜならば、神様の本質は愛でありますから、喜んで与えられるのですが、しかし、そのことをわたしたちが悟るために、神様は祈ることを欲しておられるのです。
それゆえ、この詩人は、101節で次のように祈っています。
「どのような悪の道にも足を踏み入れません。御言葉を守らせてください。」
ここで御言葉とは律法に示された神の命令であります。それゆえ、わたしたちが喜んで、自ら進んで、自発的に実行するべき事柄ですから、自分の心で決意し、実行すべきものなのです。
他方、律法の命令は、同時に神様がそのようにさせてくださるという約束なのです。神様が律法において、わたしたちに向かって、「あなたはこうしなさい。」と命令されるとき、その命令には「あなたはそうするであろう」という約束が伴っているのです。
わたしたちが神様から認識と力を受けて、律法の命じる行為を実行するようになる、という神の約束が命令の背後にあるのです。従いまして、107節では、
「わたしははなはだしく卑しめられています。主よ、御言葉のとおり、命を得させてください。」と祈っています。
なぜならば、御言葉とは神様の命令であると同時に、命を与えるという約束であるからです。それゆえ、「御言葉のとおり、命を得させてください」というのは、御言葉が約束であることを示しています。このように信仰者は御言葉の約束を信じて、神に祈るのです。
ところで、この詩人が愛し、心を注いで、聞き従った律法とは具体的に言えば、旧約聖書の中のどの御言葉なのでしょうか。

それは創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記の御言葉です。この五つの書物はモーセ五書と呼ばれていますが、その中に613の規則があり、そのうち365が「これをしてはいけない」という禁止の規則であり、248が「これを実行しなさい」という積極的な規則であるといわれています。
この詩人が律法という場合は、厳密な意味で613の規則を指しているのでなく、広い意味でモーセ五書の中に示されている命令、定めを指しています。

しかしそれだけではありません。このモーセ五書の中に記されているすべての定めが共通している特徴と霊的な意味を現した最も基本的な律法があります。
実はそれが有名な「十戒」です。十戒はエジプト記20章1~17節に記されています。十戒はシナイ山で、神様がイスラエルの民に直接語られた言葉であり、そしてモーセがシナイ山に登って二枚の石の板に記した言葉です。
従いまして、この詩人は十戒に示された神の性質と意志を基準として、その霊的な意味と神の愛の光に照らされて、モーセ五書にある種々の命令を日々読み、熟慮し、祈っていたことでありましょう。

最後に、律法を真剣に守るためには、神を愛し、神の御心に自ら進んで、喜んで従おうとする「霊的な性質」、言い換えれば「神の恵みに応答する」という内的な傾向が必要です。
ところで、応答する内的傾向は、実は律法を行うことの前提になっています。しかもその前提は律法の命令によって造り出すことはできません。人間の意志や努力に先行している神の恵み、救いによってのみ、この内的な性質が芽生えるのです。もっと具体的に説明しますと、人が神の救いを信じるとき、信仰と同時にこの内的な性質と傾向が自分の心に神から与えられるのです。
それゆえ、この詩人は神の恵みの偉大さを賛美しています。64節で次のように賛美し、祈っています。
「主よ、この地はあなたの慈しみに満ちています。あなたの掟をわたしに教えてください。」
 神の愛とその恵みの支配がこの世界に満ちていることを信じ、告白することによって、神に対する感謝と信頼が生まれるのです。そして神の御言葉に対する従順が生まれるのです。さらに、142節で、このように告白しています。
 「恵みの御業はとこしえに正しく、あなたの掟はまことです。」
 実に、神の恵みが全地に満ち、とこしえに正しいという神の現実こそ、この詩人が律法を喜んで、自発的に行うことの源泉なのです。

(3)律法の成就者イエス    
 最後に、主イエスと律法との関係について、聖書はどのように語っているでしょうか。
永遠の命を受けることを生涯の目的としている一人の金持が主イエスのもとに来たことが、マルコによる福音書10章17節以下に記されています。
 「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか。」
 これに対してイエスは、「殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、奪い取るな、父母を敬え、という掟をあなたは知っているはずだ。」と言われました。
ここでイエスが挙げられた掟は、十戒の中にある第六番目から第十番目の戒めです。そして、永遠の命に生きるとは、十戒に沿って考え、行動する生活である、と仰せられました。
 しかし、この人は、「先生、そういうことはみな、子供の時から守ってきました。」というと、主イエスは彼を見つめ、慈しんで、次のように命じられました。
 「あなたに欠けているものが一つある。」と仰せられ、すべてのことをわたしに委ねて、「わたしに従ってきなさい」と仰せられたのです。
 実に、この御言葉は主イエスが神の究極的な救いであり、今や神の恵みは主イエスを通して、完全に働いていることを示しています。
主イエスこそ、律法を完全に示し、自ら律法を完全に実行されたという意味で、ただ一人の「律法の成就者」なのです。

 旧約聖書の詩編の作者は、律法を賛美している中で、自分が律法を完全に実行しているとは言っていません。そうではなく、律法が神の永遠の意志である以上、律法を完全に行う者を神は起こされることを信じ、遠くから一人の成就者の出現を待望していたのです。
今や、究極的な救いが神の御子である主イエスを通して、主イエスにおいて、実現しています。この恵みを受けて、神に感謝する生活がクリスチャンの信仰生活です。信仰によって主イエスと結びつき、聖霊によって主イエスが信仰者の中に働かれるときに、わたしたちの人生は感謝の生活となります。
それは二つあります。一つは祈ること、もう一つは律法を実行することです。単に義務として、律法を外面的に守るのでなく、主イエスから律法を学び、主イエスを通して神の愛と霊的な命を受け、心の中から溢れ出る感謝と自由をもって律法を実行することです。
このことが神との人格的な交わりなのです。そこにこそ真の幸いがあります。



スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

コメント

教会案内
〒354-0044
埼玉県入間郡三芳町北永井959-3
TEL・FAX:049-258-3766

牧 師:中山弘隆

創立日:1972年2月19日

最寄り駅
東武東上線 鶴瀬駅 西口
東武東上線 ふじみ野駅 西口
よりタクシーで10分
※駐車場完備

三芳教会へのバス利用方法

MAP
三芳教会の地図です
定例集会案内
●主日礼拝
  毎日曜日 10:30~12:00
●教会学校
  毎日曜日 9:15~9:40
●朝の祈祷会
  毎日曜日 9:45~10:10
●キリスト教入門講座
  毎日曜日 9:45~10:10
●マルタマリア会(婦人会)
  毎木曜日 10:30~
●マルタマリア会例会(婦人会)
  毎月第2主日礼拝後

毎木曜日の祈祷会は、2011年5月より、毎日曜日の朝の祈祷会に変更となりました。
三芳教会のご案内
●牧師紹介

●年間行事予定

●写真で見る三芳教会
最新記事
行事報告
● 江田めぐみ伝道師就任式
 (2012年7月22日)


● 教会バザー報告
 (2011年11月23日)


● バーベキュー大会報告
 (2011年8月21日)


● イースター報告
 (2011年4月24日)


● 柿本俊子牧師隠退の感謝会報告
 (2011年3月27日)


● 講壇交換(三羽善次牧師)
 (2011年1月23日)


● 墓前礼拝報告
 (2010年11月7日)


カテゴリ
カレンダー
10 | 2017/11 | 12
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -
月別アーカイブ
全記事INDEX

全ての記事を表示する

お知らせ
ようこそいらっしゃいました。



2016年10月に、当ブログの訪問者が9,000人を超えました。感謝いたします。

2015年9月に、当ブログの訪問者が8,000人を超えました。感謝いたします。

2014年9月に、当ブログの訪問者が7,000人を超えました。感謝いたします。

2014年1月に、当ブログの訪問者が6,000人を超えました。主の導きに感謝いたします。

閲覧者数
現在の閲覧者数
現在の閲覧者数:
メールフォーム
三芳教会やキリスト教についてのお問い合わせ、また当教会へのご意見、ご要望等がありましたら、下記のフォームよりうけたまわります。

お名前:
メールアドレス:
件名:
本文:

検索フォーム
リンク
QRコード
QR