2013-06-02(Sun)

律法を成就する愛 2013年6月2日の礼拝メッセージ

律法を成就する愛
中山弘隆牧師

 心の中で兄弟を憎んではならない。同胞を率直に戒めなさい。そうすれば彼の罪を負うことはない。復讐してはならない。民の人々に恨みを抱いてはならない。自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。わたしは主である。
レビ記19章17~18節


 たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、わたしは騒がしいどら、やかましいシンバル。たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない。愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。愛は決して滅びない。預言は廃れ、異言はやみ、知識は廃れよう、わたしたちの知識は一部分、預言も一部分だから。完全なものが来たときには、部分的なものは廃れよう。幼子だったとき、わたしは幼子のように話し、幼子のように思い、幼子のように考えていた。成人した今、幼子のことを棄てた。わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。
コリントの信徒への手紙一 13章1~13節


(1)律法の命じる愛とは
 主イエスは山上の説教で、「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。」(マタイ5:17)と仰せられました。
 次いで、主イエスは神が与えられた律法を二つに集約して、次のように仰せられました。「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。」(マルコ7:30)。これが第一の掟であると宣言し、さらに第二の掟は「隣人を自分のように愛しなさい。」(マルコ7:31)であると仰せられました。
 このように律法は愛の実践を命じていることを、主イエスは極めて鮮明にされました。
 本日の聖書の箇所でも、使徒パウロは、愛がなければ一切は無に等しいと断言しています。それゆえ、これほど重要な愛の実践を、律法は命じていると言えます。
 他方、使徒パウロは、「それでは、わたしたちは信仰によって、律法を無にするのか。決してそうではない。むしろ、律法を確立するのである。」(ローマ3:31)と教えています。
 このパウロの教えから分かることですが、律法の命じる愛はユダヤ教のように生まれながらの人間が実行する愛ではなく、それはあくまでも神の愛です。
 それゆえ主イエスを信じる信仰を通して、クリスチャンの中に神の愛が働くことによって、クリスチャンは愛の実践ができると言うのです。この点が重要です。正に福音はこのことを語っています。

(2)愛の特徴 
 コリントの信徒への手紙13章の4節から7節で、愛の持っている15の特徴が列挙されています。
 もちろんこれは愛の性質を定義しているのではありません。そうではなくクリスチャンの中に現れている神の愛の具体的な働きを示したものです。しかしこの説明はわたしたちが神の愛を実践する場合に非常に役立ちます。
      
 第一に、愛は忍耐強いのです。
 これは人から不当な仕打ちを受けたとき、復讐しようと思えばいつでもできるのですが、そうしない人のことです。これは怒りを遅くする態度です。このような忍耐強さは弱さから出るものではなく、愛の持つ力の強さの現れです。神は罪人を愛して、罪人が神の御心に従うようになるまで忍耐して導いてくださいます。愛を持って人を育てるためには、どうしても忍耐が必要です。
 親子の心理についてカウンセラーの金森浦子さんが次のように言っておられました。
 「先日、親による幼児虐待について討論するテレビ番組に招かれたとき、若い母親が『子どもなんて可愛くない』と発言するのを聞いて驚きました。こんな母親に育てられた子供の将来はどうなるのでしょうか。」と問題を提起し、ついでこのように言われました。
 「今、母親の世代によって子供に対する見方がはっきり違っています。わたしのような50代の母親は子どもを産んだと言うだけで可愛く感じます。40代では育ててみて初めて可愛いと感じると言います。また30代では子供がにっこり笑ってくれたとき可愛いと感じると言います。ところが20代では可愛くないと言うのですね。可愛くないから当然、自分の思い通りにならないときには、つねったり、殴ったり、折檻したりします。
 ある若い夫婦が休暇を取って海外旅行に行きました。自分たちの楽しみでもあったのでしょうが、子どもにも世界を見せてやりたいと思ったと言います。多額のお金を貯めるために、大変な労力を費やしたのはいいのですが、旅行先で子供が熱を出してしまいました。救急車を呼んで大騒ぎだったそうです。帰国した母親はもう怒り心頭です。子供に向かって、お前のお蔭でとんでもない目にあった。あんなに苦労して連れて行ったのに、めちゃめちゃになってしまった、と怒るのです。これも幼児虐待です。」
 第二に、愛は情け深い。
 情け深いと言う日本語は、思いやりの心を持っている、慈愛深いと言う意味です。キリスト教の愛の特徴は「すべての人にやさしく、親切にする」ことです。幼児に対しても、少年に対しても、老人に対しても、青年に対しても、壮年に対しても、同じように親切にすることです。
 そして自分の仲間でない人にも、外国人に対しても、同じように親切にすることです。フィリップ訳という英語の聖書では、この箇所を「愛は建設的な方法を捜す」と訳しています。非常に示唆に富んだ訳だと思います。愛は自ら苦労して相手を育てるのですから、つねに建設的な方法を見つけます。
 第三は、愛は妬まない。
 他の人の良い面を見て羨ましく感じるのは、誰しも避けがたい感情です。しかし、それによって意地悪をするとすれば相手に害を及ぼします。そのような思いを持った人がいれば、そこは非常に住みにくい場所となります。
 しかし、愛は他の人の良い面を率直に認め、それを自分のことのように喜ぶことができます。それは愛の持つ自由さから来ます。
 愛する人は自分自身に対して自由であるので、他の人の良い面を見て喜ぶことができます。しかし、これは神から出る愛の特徴なのです。従って、クリスチャンに求められていることは生まれながら人間が持っている愛ではなく、神の愛を持って人と接することです。
 第四は、愛は自慢しない。
 わたしたちは神に愛され、その無限に大きい神の愛に生かされているのですから、わたしたちがなすすべての働きは、わたしたち自身から出るものでないことを認識しています。
 神がわたしたちにそうさせて下さっているのです。これは神の恵みであり、しかも無代価の恵みです。それゆえ、クリスチャンは自己を誇らないのです。 
 神の恵みを本当に感謝している者は、自己を誇ろうとするこの世の思いを常に捨て去ります。
 第五は、高ぶらない。
 主イエスの十字架の贖いによって、罪から解放され、神の子たちとされ、神との人格的な交わりを与えられているクリスチャンは、父・子・聖霊の交わりの中に働いている愛に生かされていますので、高ぶることはありません。
 なぜなら、子なる神は父なる神を愛し、父なる神を尊ばれました。栄光を父に帰し、父に対して徹底的に従順であることを喜ぶと言うのが御子の愛の特質です。
 従って、御子の思いを自己の思いとしているクリスチャンは自分が人より優れていると決して思はず、他の人を自然と尊敬するようになります。
 第六は、愛は礼を失しない。
 それは本当に人を尊敬し、謙遜であるからです。単に礼儀正しいと言うだけでなく、心が振る舞いや態度に伴っているからです。
 第七は、愛は自分の利益を求めない。
 これは神が徹底的にご自身を人間に与えられる方であるからです。現代の代表的な神学者であるモルトマンは「愛とは善が自己を他者に与えることである。善の自己譲与である。」と言っています。
 それゆえ、神の愛は単なる賜物を人間に与えるのではなく、神ご自身を人間に与えられることに他なりません。これこそ、人間の思いを越えた神の愛の神秘です。しかし、神の愛は人間の所有物ではありません。あくまでも神の愛は常に人間の中に働くと言う形で、人間は神の愛を実行するのです。
 他ならない神ご自身を与えられた人間は、他の人々の益のために生きようとします。
 なぜなら、愛とは純粋に他者のために生きることであるからです。しかしその結果、もし人が本当に他者のために生きるならば、そこには必ず愛し合う交わり、互いに仕え合う共同体が生まれます。
 それこそ、神の愛が人間の中に創りだす自由で麗しい交わりなのです。
 第八は、愛はいらだたない。
 この言葉の意味は、愛は人々に対して激怒しないと言うことです。激怒は常に敗北の印です。癇癪を起して平静さを失うとき、人は健全な判断ができなくなってしまいます。
 第九は、愛は恨みを抱かない。
 この「抱く」と言う元の言葉は、会計用語で帳簿に記入すると言う意味です。これは他の人が自分に対して行った悪を帳面に記入するようにいつまでも覚えていることです。しかし、キリスト教の愛は赦すことによって、他の人の悪をいつまでも覚えてはいません。
 第十は、愛は不義を喜ばない。
 人の罪や不名誉なことを見つけたり、聞いたり、噂することを喜ばないのです。この世の人は他の人の欠点や汚点を知って喜ぶと言う悪い趣味があります。キリスト教の愛はそのような興味を示さないと言うのです。
 第十一は、愛は真実を喜ぶ。
 これは神の愛の創造的な力強さを表しています。愛は育てる愛であり、善の自己譲与でありますから、真理を確立します。真理の確立を、そして不義に対する真理の勝利を喜ぶのです。主イエスの十字架の贖いにおいて、神の義が示され、罪人は主イエスにあって義とされました。
 言い換えれば、キリストにあって信仰者の存在と行為の中に神の真理が貫徹されたのです。それゆえ、わたしたちは日々復活の主イエスを通して神と出会うときに、神の真理に照らされます。
 そのとき主イエスにあってわたしたちが実行できる愛の善き業が示されますので、直ちに実行するため自分の全精力を投入します。他方、また神の真理に照らされるとき、自分の中に隠れている古い自分とこの世的な思いが暴露されます。そして神の真理が自分の心の底まで貫徹することによって、それを捨て去るのです。クリスチャンはそのような両方の働きを実行することによって、喜ぶのです。
 第十二は、すべてを忍ぶ。
 この「忍ぶ」と言う言葉は、困難な状況を黙って通り過ぎると言う意味です。この箇所をニューイングリッシュ・バイブルは「愛が立ち向かうことのできないものは何もない」と訳しています。とても意義深い訳です。何と愛は力強く、偉大でありましょうか。
 第十三は、愛はすべてを信じることです。第十四は、愛はすべてを望むことです。第十五は、愛はすべてを耐えることです。
  この「耐える」と言う意味は、「忍耐する」と言う意味と「しっかりと立つ」「堅忍不抜」という意味があります。
 実に「すべてを信じ、望み、耐える」ということを通して、神の創造的な力が発揮するのです。
 わたしたちが信じる通りの者になっていく秘訣がここにあります。これはクリスチャンの中に働く神の愛の働きの特徴です。

(3)日常生活と愛の実行
 最後に、キリスト教的な神の愛は、クリスチャンの日常生活のすべての面で、神の愛を実践することです。それゆえ神の愛が英雄的な犠牲の中だけで現れるのでなく、むしろ人間が対処しなければならない極めて平凡な事柄の中で働くのです。自分に課せられた責任と課題を人間の生まれながらの愛と能力によって果たすのではなく、正に神の愛の働きによって果たすのです。これが主イエスに結ばれている者、主イエスにある者の生き方です。
 主イエスと結ばれているクリスチャンの心に常に神の愛が溢れ出るように神は働いておられます。宗教改革者ルターは神の愛を「あふれ出る愛」と呼びました。神の愛は放物線のように神から下り、クリスチャンを通って、隣人に向かって流れ、また放物線のように神に帰って行く。「この神の愛のチャンネルとされているのがクリスチャンである」と言いました。
 神が主イエスの十字架の贖いの中で、すでに実現された事柄が、実際クリスチャンの中で実現して行く過程で、恵みの事実を信じ、認識し、そして神との交わりの中で、絶えず神の真理の光に照らされる者として、キリストの中にある新しい自分として行動し、古い自分を絶えず捨て去るために、信仰と希望と忍耐が必要なのです。
 そのために、わたしたちは「すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える」生き方をすることが必要です。わたしたちは今その一部分を実行していると言うのが実情です。
 しかし今、わたしたちの中に聖霊が与えられ、わたしたちは聖霊に導かれていますので実行できるのです。聖霊の働きの中に、父なる神と主イエス・キリストの臨在と働きがあります。
 まさに、三位一体の神がわたしたちの中に、聖霊を通して、絶えず神の愛を溢れ出させてくだるのです。



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