2013-04-21(Sun)

畑に隠された宝 2013年4月21日の礼拝メッセージ

畑に隠された宝
中山弘隆牧師

 「立ち帰れ、イスラエルよ」と、主は言われる。「わたしのもとに立ち帰れ。呪うべきものをわたしの前から捨て去れ。そうすれば、再び迷い出ることはない。」もし、あなたが真実と公平と正義をもって「主は生きておられる」と誓うなら、諸国の民は、あなたを通して祝福を受け、あなたを誇りとする。
エレミヤ書4章1~2節


 「天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。また、天の国は次のようにたとえられる。商人が良い真珠を探している。高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。
マタイによる福音書13章44~46節


(1)イエスの譬え話
 福音書を読みますと、イエスの教えの中で譬え話が非常に大きな役割を持っていることが分かります。羊飼いの譬え、良きサマリア人の譬え、放蕩息子の譬え、神殿で祈るファリサイ人と徴税人の譬え、仲間を赦さない家来の譬え、タラントンの譬えなどは、いつまでもわたしたちの心に残り、常に新しく語りかける魅力を持っています。時代を経るにつれて、最初にイエスから直接に譬え話を聞いた人々は世を去り、当時の状況は全く忘れ去られてしまいましたが、その譬はいつの時代でも人々の心を捕らえて来ました。
 因みに、イエスの譬えを分類しますと、宣教の初期に為された譬は、「神の国の良き知らせ」であり、「喜びの福音」の譬えです。
また宣教の最後の時期に語られた「受難の譬え」は「審判としての神の国」に強調点が置かれています。
 そして宣教の中間期に語られた心に残る譬えは、人々が神の国に入って生活する在り方を示しています。すなわち「弟子としての条件」に関する譬えであると言えます。そこでは弟子の特徴が示されています。謙遜、赦しの精神、義務の自覚、憐み、隣人となることなどをテーマとした愛の実践を教える不朽の譬えがあります。
 いずれにしてもイエスの譬え話は、神の国の無限の価値、または神の恵みの不思議さを描いています。それに喜んで応答した人たちに共通する考え方、性質、行動、態度が示されています。

(2)この世界を見るイエスの目
 次に多くの譬え話の中には、この世界を見るイエスの見方が現れています。そこにはイエスがマリアとヨセフに育てられた少年時代の影響が見られます。
 パン種の譬えの背景には、小さな子供のイエスが母マリアの作るパンを興味深く見つめており、指でパン種を麦粉に練り込み、翌日になると、粉全体が膨らんでくるのに感激したという体験があると思われます。
また、母に連れられて村の井戸に行ったとき、母の手からコップ一杯の水を受けて飲んだ時の嬉しさを覚えており、コップ一杯の水に対する有難さを知っていたことでありましょう。
 また、失くした銀貨の譬えをイエスが語られた時、たまたまマリアが銀貨を無くし、銀貨を見つけるまで家中を掃除し、やっと銀貨が見つかったので、近所の人たちを呼び皆で喜んだときの様子を思い出しておられたかもしれません。
 さらに、イエスが「あなたがたは悪いものでありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして、あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない。」(マタイ7:11)と言われたとき、ヨセフのことを思い出しておられたことでしょう。ヨセフの強い愛情が、イエスの少年時代の支えとなっていたに違いありません。
 イエスが育った環境は、このように美しいものと倫理的なものが調和し、また物質的なものと霊的なものとが分離せず、また世俗的なものと神聖なものとが統一されていました。そのためイエスの性格は調和と活力とに富む独特の人格を形成することができたのです。
 このようにイエスの目には、地上のごく普通の物事が限りなく興味を引きました。なぜならば、イエスがそれらのものをご自身の父の世界として見、それらの中に神の意味が浸透しており、平凡な事柄が神の光で照り映えているのを見ておられたからです。
 またそれだけでなく、人間生活の光と影、高貴さと哀愁、勝利と敗北のすべての面を知っておられました。それはイエスが人々の生活を共に担うことにより、現実の人間を知っておられたからです。
 イエスは生活のすべての面に対して、独特の共感を持ち、人間としての理解を持っておられましたので、イエスが神としてそれらを称賛し、あるいは審判を下すことができたのです。
従いまして、イエスの譬えには、人を生かす不思議な力があります。命と明るさがそこに秘められています。
世界第二次大戦のとき、アメリカ海軍の偵察機が太平洋上に墜落しました。破壊された機内から脱出した3人の航空兵は、ゴム製の小さな筏に乗って34日間も漂流し、一千マイル離れた海岸にたどり着きました。
3人のリーダーであったハロルド・ディクソンは子どものとき教会学校で教えられた新約聖書の中で、いくつかの譬え話を覚えていました。彼は言っています。「わたしは毎晩、一つの物語を語った。微かに覚えていた譬え話は、心のひどい落ち込みからわたしたちを引き上げ、賑やかな話し合いに入らせたので、暗い状況をしばらく忘れることができた。」と言っています。

(3)喜びの福音と決断
 本日の聖書の箇所は、畑に隠された宝の譬えと高価な真珠を発見した商人の譬えがペアーとなっています。
「天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。」(13:44)
 イエスはここで天の国は、畑に隠された宝のようである。それを見つけた人は、喜びながら帰り、その宝を得るために、自分の持ち物を全部売却して得た金で畑を買い、その宝を得るように、人はイエスの宣教によって今や開始している神の国に入ろうとする、と言われたのです。
 マタイによる福音書は、天の国と言っていますが、他の福音書ではそれは神の国と呼ばれています。その違いの理由は、マタイによる福音書が神という言葉をみだりに口にすることを避ける傾向があり、神の代わりに天と言う言葉を使用しているからです。従って、福音書では天の国と神の国とは同じ意味であります。
 当時では畑に隠されていた宝が発見されることがしばしばありましたが、すでにそのときには宝を埋めた人が生存していないので、畑の所有者がその宝を自分のものにすることができました。従って、この譬のように畑を購入すれば畑の中に隠されている宝を自分のものにすることができました。
 それにしても畑を購入するにはよほどの決意が必要です。資金を用意するために自分の持ち物を全部売り払わなければなりません。それでも隠されている宝の価値が持ち物を売却した金額より高ければ、人は喜んでそうするでありましょう。正に、そのように大きなドラマが神の国であります。
 神の国はイエスの宣教活動とイエスの存在を通して現れました。イエスを通して神が人類に救いを与えられるのです。すなわちイエスを通して神は罪人を探し求め、罪人と出会い、赦しを与え、新しい命を与えて、人間が神を知り、神に従って、神と共に永遠に生きるようにしてくださるのです。これが神の国の実体であり、人間に与えられる最高の至福であります。
 人は皆、主イエスと出会い、主イエスの言葉と行為を通して、神が人間にご自身を現わし、神が人間の問題を担い、解決し、救いを与えられることが分かるならば、言葉では言い尽くせない大きな喜びに満たされ、神が主イエスによって提供される救いを自ら進んで受け取るのです。
 もう一つの譬えは、真珠を取り扱っている商人の話ですが、彼は最も優れた真珠を捜すために、ペルシャ湾やさらに遠くインドまで旅をします。そして一個の高価な真珠を見つけると、自分の持ち物をすべて売り払って、一個の真珠を喜んで買います。
 このように一個の高価な真珠を見つけた商人や、畑の中に埋蔵されていた宝を見つけた農業に携わる労働者は、自分の持ち物、自分の資産のすべてに代えて、隠されていた宝や、高価な一個の真珠を喜んで受け取ります。
 そのように神の国に入る人は、主イエスの宣教される神の国を喜んで受け入れる人です。
 しかし問題は、神の国の場合に、宝が畑に隠されているように、或いは真珠の価値を査定することは難しいように、神の国の素晴らしさやその実態は隠されているということです。
それゆえ、主イエスがこれらの譬え話をされた時、次のように仰せになりました。
 「耳のある者は聞きなさい。」(13:9)
 これはイエスの譬え話を理解する心を持っている者は、その心を働かせなさいという意味です。また次のようにも仰せになりました。
「しかし、あなたがたの目は見ているから幸いだ。あなたがたの耳は聞いているから幸いだ。」(13:16)
神の国の至福、人間に救いを与える最高の価値は、この世の知恵や力によっては理解できない神秘です。人間は自分たちの知恵や能力によってはそこに到達することのできない神秘です。そういう意味でそれは人間の目に隠されているのです。
 その理由は、神の国と神の救いは、神的な霊的な現実であるので、
人間の目には見えないし、人間の手で触れたり、捕らえたりできないからです。しかし、それは人間を生かす内的な力です。最も力強い霊的生命です。

 それゆえ、主イエスはルカによる福音書で次のように仰せられました。
「神の国は、見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」
(ルカ17:20~21)
 それゆえ、神の国の中心はあくまでも主イエスご自身なのです。主イエスご自身が畑に隠された宝なのです。同様に高価な真珠なのです。主イエスの存在と言葉と行為を通して、いま自分たち人間の側に、何が起こるかを知る信仰が必要なのです。言い換えれば、イエスの言葉を信じることが必要です。
 今わたしたちと出会っておられる主イエスが誰であるかを知る信仰が必要です。主イエスは父なる神を完全に知っておられ、父なる神に完全に従い、父なる神と一体となって行動しておられる方であり、人間に対する神の救いを実現される方であると信じることが必要なのです。
 主イエスはわたしたちに向かって、「わたしを信じるか」とご自身に対する信仰を要求しておられます。そして、神の国に生きるために、「わたしに従って来なさい」と命令される方です。
 主イエスこそ、神の御子でありますが、人間となり、わたしたちの所に来てくださり、この世の様々な誘惑に打ち勝って神の御心を完全に実行してくださいました。この主イエスの存在と行為と通して、神の国は人間の世界に開始したのです。
 しかし、神の国の到来と人間の救いはそれだけではありません。神は人間を罪の束縛から解放し、神の御前に生きる正しい人間にするという神の目的を、正に、主イエスの十字架の犠牲の死と復活によって実現してくださいました。
 主イエスは罪人である人類と連帯化し、人類の代理として、人類の罪を担い、罪に対する父なる神の裁きに服し、死の極みまで父なる神に従順を全うされました。実にそのことを通して、人間の義を達成されました。
 その結果、父なる神は主イエスを復活させ、神の国の支配者とされたのです。今や、父なる神は人間の義と命とを復活の主イエスの中に置き、保管されているのです。
 従って、復活の主イエス・キリストの存在と働きがわたしたち人間の救いの岩、源泉、根拠であると語ることが、神の国の福音の中心です。それゆえ、この「喜びの福音」を聞くとき、人はだれでも復活の主イエスと出会うことができるのです。
 そして心に聖霊を受けることができるのです。その結果、心が喜びに満たされ、自分のすべてを主イエスに献げ、主イエスに従うのです。言い換えれば、主イエスこそ自分の生きる意味であり、生きる目的であり、生きる力であり、生きる喜びであると告白し、神を賛美するのです。
 それゆえ、パウロは次にように言っています。
 「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。」(ガラテヤ2:20)

 正にこれが畑に隠された宝を得るために、自分の持ち物すべてを売り払うという決断によってもたらされた新しい人生の実相です。 
 譬え話では自分の持ち物のすべてを売り払ったとなっていますが、霊的実体は自分の全存在を主イエスに献げることです。
 それは自分の思いに聞き従う人生ではなく、主イエスの思いに聞き従う人生を歩むことです。自分の思いではなく、主イエスの思いを実行することを「我が喜び」とするという人間存在の根本的変換を決断することです。実に決断こそこの譬え話のテーマです。



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