2013-04-14(Sun)

生命の道 2013年4月14日の礼拝メッセージ

生命の道
中山弘隆牧師

 わたしの思いは、あなたたちの思いと異なり、わたしの道はあなたたちの道と異なると、主は言われる。天が地を高く超えているように、わたしの道は、あなたたちの道を、わたしの思いは、あなたたちの思いを、高く超えている。雨も雪も、ひとたび天から降れば、むなしく天に戻ることはない。それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ、種蒔く人には種を与え、食べる人には糧を与える。そのように、わたしの口から出るわたしの言葉も、むなしくは、わたしのもとに戻らない。それはわたしの望むことを成し遂げ、わたしが与えた使命を必ず果たす。
イザヤ書55章8~11節


 「あなたがたも聞いているとおり、『目には目を、歯には歯を』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい。だれかが、一ミリオン行くように強いるなら、一緒に二ミリオン行きなさい。求める者には与えなさい。あなたから借りようとする者に、背を向けてはならない。」「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。
マタイによる福音書5章38~45節


(1)誰にでも与えられる神の恵み
 本日の聖書の箇所であります山上の説教では、イエスの教えの特質が最もよく現れています。
 主イエスによって開始された神の国に属する者たちの信仰生活と旧約聖書の教えに基づいたユダヤ教の信仰生活との違いがここに最もよく現れています。
 先ず、両者の違いをイエスは次にように説明されました。
 「言っておくが、あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の国に入ることはできない。」
 これはどういう意味でしょうか。ユダヤ教が教えている義とは、律法の業を行うことによって得られる義であります。
旧約聖書とユダヤ教の伝承の中では、信仰者が守るべき生活上の規則が実に細部にわたって定められていますが、それらを守ることが信仰者の義となるのです。各自が努力して律法を几帳面に守ることによって得られる正しさを自己の義と言います。
しかし、そのような自己の義を持っている人たちはユダヤ教徒の中で熱心なごく一部の人たちで、律法学者やファリサイ派の人たちに限られていました。一般のユダヤ人は律法に対してそれほど熱心でなく、律法に反する生活をしていましたので、ファリサイ派の人たちから罪人と呼ばれ、軽蔑されていました。
さらに終わりの時に到来する神の救いに入ることのできる者は、自分たちのように律法の業による自己の義を持っている者たちであると主張していました。
ここで、イエスが仰せになったことは、ファリサイ派が主張している律法を実行することによって獲得する自分の義によっては、人はだれも神の国に入ることはできないということです。
それでは誰が神の国に入ることができるのでしょうか。イエスはクリスチャンの義が律法学者やファリサイ派の人たちの義にまさっていなければ神の国に入ることはできないと言われたのです。
従って、イエスの仰せになる神の国に入ることのできる義とは、律法を実行することによる自己の義とは全く別種類の義であることを意味しています。
それは人が自分の力で達成する義ではなく、神から無償で与えられる神の義を意味しています。神は憐み深く、恵み深い方でありますから、人間は自分の力では決して達成することのできない神の正しさを無償で、主イエスを信じる者に与えられる方です。従いまして、神の義は信仰による義と呼ばれています。
神の義とは神が主イエスにおいて人間のために達成された義でありますので、主イエスを信じる者には誰にでも与えられるのです。
神は人間にとって一番大切なことは、すべて無償で与えられる方です。これは人間の努力に先行する神の恵みです。

人間が生きるためには、太陽の光や水や空気が必要です。それは神から無償で与えられています。同様に人間が神との関係の中で生きるために必要な、神の義を神は信じる者に無償で与えてくださるのです。
ここに無限に大きな神の愛があります。ファリサイ派の人たちのように自分の正しさに寄り頼むことのできる者は、ごく少数の人たちに限られています。それに対して、信仰によって与えられる神の義に寄り頼むことは誰にでも可能なのです。この事実こそ神の救いが普遍的であることを表しています。

(2)主イエスの教えの特徴
 次に、神の恵みは誰にでも与えられる普遍的な恵みであり、神の義は信じる者に例外なく与えられる義でありますが、しかし決して安価な恵み、安価な義ではありません。それは神ご自身が達成してくださった無限に大きな価値のある恵みと義であります。
罪のために神との交わりから離れ去り、失われた者であった罪人を神は御自身との正しい関係の中に入れ、人格的な交わりの中で生きる者とすることを欲し、そのために人類の罪を神の御子イエスの十字架の死によって贖ってくださいました。主イエスの死において、神様が人間の死をご自分の上に担い、罪の力から人間を解放し、主イエスの死に至るまでの従順によって人間のために神の義を達成してくださいました。
この意味で、神は御自身を人間に与えられたのです。ここに神の愛が啓示されました。神の愛とは正に人類の罪を贖うために神がご自身を人間に与えられた贖罪愛です。
このように神は人間を神との人格的な交わりに入れるために、ご自身を与えられたのでありますから、そのことを信じる者は今やどのような生き方ができるか、それゆえにまたすべきかについて、イエスは山上の説教で教えられたのです。

その生き方は、ユダヤ教の律法学者やファリサイ派の人たちの義にまさる生き方であると仰せになりました。
ユダヤ教徒の生き方と主イエスを信じるクリスチャンとの生き方の相違を一言で表せば、ユダヤ教の教えは、生まれながらの人間が神を信じ、自分の力で神の戒めに従う生き方です。それに対して、クリスチャンの生き方は、主イエスの義と命とに生かされる新しい人間の生き方です。
またそういう者として、目覚めた良心をもって神の本当の意志を実行するため忠実に一層努力する必要があります。
しかしそれは可能なのです。そこに主イエスの教えの特徴があります。わたしたちにとってこの点が非常に重要です。

イエスは次のように仰せになりました。
「あなたがたも聞いているとおり、昔の人は『殺すな。人を殺した者は裁きを受ける』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。兄弟に腹を立てる者は誰でも裁かれる。兄弟に『ばか』と言う者は、最高法院に引き渡され、『愚か者』と言う者は、火の地獄に投げ込まれる。」(マタイ5:21~22)
「殺すな」と言う律法はモーセの十戒の一つです。この戒めに基づいて、ユダヤ教では様々な規則を定めました。それが口伝と呼ばれている教えです。ユダヤ教では、殺すなという戒めによって殺人行為そのものを禁じ、その犯罪が生じた場合に取る措置を定めています。しかしその戒めの中に込められている神の意志を問題にしていません。
それに対して、イエスは神の意志を重視されました。イエスは人間の命の尊さを重視されました。人間の命は神から与えられた命であり、何人も他の命を奪うことはできないのです。それゆえ、イエスは他の人格そのものを侮辱し否定するような言動は最も大きな罪であり、殺人と等しいと仰せられました。
虐めや人権を無視することは神の意志に反する重大な罪なのです。それゆえ、日本の憲法に定められた基本的人権の思想は聖書的であり、ことにイエスの教えから由来しています。
しかし、このような「他者の人格」に対する「尊敬」は生まれながらの高慢な人間の態度ではなく、主イエスを通して啓示された神の愛を知る新しい人間の取る態度であります。

「あなたがたが聞いているとおり、『姦淫するな』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。みだらな思いで他人の妻を見る者は誰でも、既に心の中でその女を犯したのである。」(マタイ5:27~28)
ユダヤ教では姦淫を厳しく禁じましたが、心の中での欲望までは問題にしませんでした。なぜならば、生まれながらの人間に対してそれは不可能であるからです。それを問題とすることができる点に、神の救いの霊的な現実があります。
主イエスの義と命を受けて、神との人格的な交わりに入れられている新しい人間は、心が神の恵みと義の光で照らされるので、そのとき人は自分の欲望を捨て去ることができます。すなわち、今自分が神の御前に立っていることを自覚する者は、自分が欲望に捕らえられている人間であることを反省します。同時にイエスの言葉によって自分に対する神の個別的な意志を鮮明に認識することができます。神はその欲望を捨てなさいと仰せになっています。さらにそこにおいて主イエスによって神の子たちの自由がすでに自分に与えられていることが分かります。それゆえ与えられている自由を使用することによって欲望を捨て去るのです。
さらに神の意志に従うために改めて自分の一切を神に献げます。日々このように自分の思いと行為が神によって正され、受け入れられるとき、わたしたちは自分が神との正しい関係の中にあることを確認するのです。
そのようにして自分は神との交わりの中で生きていることを確信することができます。それこそ、心が平安と感謝と喜びに満たされます。

「『妻を離縁する者は、離縁状を渡せ』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。不法な結婚でもないのに妻を離縁する者は誰でも、その女に姦通の罪を犯させることになる。離縁された女を妻にする者も、姦通の罪を犯すことになる。」(5:31~32)
この教えも、生まれながらの人間には厳しすぎて実行不可能です。旧約聖書では夫が妻に何か欠点があって気に入らなければ、離縁状を渡して離婚してもよいと定められています。(申命記54:1)
それゆえ弟子たちはイエスの言葉に驚き、次にように自分たちの心情を吐露しています。
「弟子たちは、『夫婦の間柄がそんなものなら、妻を迎えない方がましです』と言った。」(19:10)
性格の不一致、あるいは金銭的なトラブル、妻より優れた他の女性と知り合ったなどの理由があっても離婚できず、一生我慢しなければならないとすれば自分は何と哀れな人間であろうかと嘆く男性は皆、弟子たちの言葉に賛成するでしょう。
しかしこの時点ではまだ弟子たちはイエスを理解していませんでした。彼らはユダヤ教徒と同じく、生まれながらの人間として神を信じていたのです。
古代キリスト教徒たちは生まれながらの人間であった自分たちが主イエスにある新しい人間とされたとき、彼らの生き方がどのように変化したかを次にように弁明しました。
これは西暦200年頃にミヌキウス・フェリックスが異教徒たちに対してキリスト教を弁明した言葉です。
「あなたがたは法律で姦淫を禁止し、秘密の内にそれを行っている。あなたがたは周知の事実となった悪だけを処罰する。われわれは心の中に抱いている悪でさえ、犯罪とみなす。あなたがたは他人に調査されることを恐れている。われわれはクリスチャンとなったので、自分自身の良心以外の何ものも恐れない。あなたがたの牢獄は犯罪者であふれている。しかし、彼らはキリスト教の背教者以外は皆異教徒たちである。」

(3)神の愛を実行する新しい人間
さらに、弟子たちが受けたショックは「神の愛」に関するイエスの教えです。ここにイエスの教えの決定的特徴が表れています。
「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。」(5:43~45)
生まれながらの人間は、自分の仲間を愛し、隣人を愛し、敵を憎みます。このような愛、また憎しみは主イエスを通してわたしたちを愛しておられる神の愛とは全く異質です。
神の愛は真理と命の根源である神の本質そのものであり、神御自身から他の者に向かって溢れる愛です。しかし、神の愛は決して人間の所有物ではありません。クリスチャンは神の愛がクリスチャンの中に働くことによって、神の愛を実行するのです。
神の愛を隣人に対して、或いは敵に対して実行することができるのです。そのことによって、クリスチャンは神の愛に生きる神の子たちと呼ばれています。
なお、神はクリスチャンが生活の全領域において神の愛を実行することを要求されます。従って、クリスチャンは教会の中だけでなく、家庭、職場や地域でも、神の愛を実践することを神から命じられています。
それゆえ神の愛は、教会、家族、職場、地域で人間が共に生きるために与えられている様々な課題や責任を果すために、必要とする道徳的な力、知恵と判断力と、他の人格を尊重する態度、他を赦す心、寛容な態度、忍耐と希望、その他の様々な形を取って神の愛はクリスチャンの中で働くのです。
もちろん、わたしたちが神の愛を完全に実行できるというのではありません。それでも神の愛を実践することの中で、わたしたちは主イエスと共に歩み、主イエスの中にすでに備えられている生命の道を歩むのです。



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