2013-04-07(Sun)

中風の人を癒す 2013年4月7日の礼拝メッセージ

中風の人を癒す
中山弘隆牧師

 お前たちが犯したあらゆる背きを投げ捨てて、新しい心と新しい霊を造り出せ。イスラエルの家よ、どうしてお前たちは死んでよいだろうか。わたしはだれの死をも喜ばない。お前たちは立ち帰って、生きよ」と主なる神は言われる。
エゼキエル書18章31~32節


 イエスはその人たちの信仰を見て、中風の人に、「子よ、あなたの罪は赦される」と言われた。ところが、そこに律法学者が数人座っていて、心の中であれこれと考えた。「この人は、なぜこういうことを口にするのか。神を冒涜している。神おひとりのほかに、いったいだれが、罪を赦すことができるだろうか。」イエスは、彼らが心の中で考えていることを、御自分の霊の力ですぐに知って言われた。「なぜ、そんな考えを心に抱くのか。中風の人に『あなたの罪は赦される』と言うのと、『起きて、床を担いで歩け』と言うのと、どちらが易しいか。人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう。」そして、中風の人に言われた。「わたしはあなたに言う。起き上がり、床を担いで家に帰りなさい。」その人は起き上がり、すぐに床を担いで、皆の見ている前を出て行った。人々は皆驚き、「このようなことは、今まで見たことがない」と言って、神を賛美した。
マルコによる福音書2章5~12節


(1)神の癒し
 主イエスの宣教活動は初期と後期とに二分されていますが、初期はガリラヤ地方で、後期はエルサレムを中心にして行われました。本日の聖書の箇所は景色のよりガリラヤ湖の周囲に広がっている町や村の中の一つでありますカファルナウムでの出来事を伝えています。イエスの活動はユダヤ人の間で大きな反響を引き起こし、イエスが神の力を持って、神の国の到来を告げ知らせておられるという評判が周囲一帯に広がりました。
 イエスがある家に入って教えておられたときに、多くの人が集まり、その家は超満員の状態で、戸口まで人で溢れていました。そこへ中風に苦しんでいる人を友人たちが担架で運んできました。それはイエスによって神の癒しが与えられることを切望したからです。
しかし問題は、信仰です。彼らはイエスが神の力を持っておられる方であるから、昔の預言者たちが病人を癒したように、この中風に苦しんでいる人を癒してくださるに違いないと信じました。そこには神に対する信仰と友人を助けたいと思う友情が働いています。 
しかしまた信仰を持つために障害となるものが数多くあります。彼らの場合に、それはイエスのおられる家まで辿りついたのですが、イエスの前に病人を連れ出すことができなかったのです。それではイエスの話が終わるまで待てばよいのではないでしょうか。いいえ、彼らはそう思いませんでした。なぜなら彼らはイエスが御言葉を語っておられる間に、神の力が働いていると思ったからです。
そこで彼らは甚だ奇抜な行動を取りました。屋上に通じている外階段を上って、屋根に大きな穴を開けて、病人を担架に載せたままイエスの前に吊下ろしたのです。このような方法は不可能なことではありません。なぜならば、バレスチナ地方は降水量が極めて少ないので、当時の屋根は木の枝を渡し、その上を粘土で固めるだけというとても簡単な構造で造られていたからです。そのため穴を開けることは比較的容易でした。それにしても思い切った措置を取ったものです。そこに彼らの信仰が現れています。
ある牧師が説教の中で信仰には水平方向の働きと、垂直方向の働き、すなわちジャンプがあるといわれました。先ず、ここで友人たちが中風の患者をイエスのおられる家まで運んできたことは、信仰の水平方向の働きを現しています。それはイエスを偉大な預言者として信じ、イエスの語られる神の言葉を通して、病気が癒されるという信仰です。友人たちはこの信仰をもってイエスのもとに近づきました。
しかし、イエスの前に出るためには、屋上に上がり、屋上から病人を吊下ろすという垂直方向の運動が必要だったのです。
このことはイエスに対する信仰が、真の信仰となるためにある時点でジャンプしなければならないということの比喩となっています。
人間の評判や意見によって、イエスは偉大な預言者であるに違いないと信じることは水平方向の信仰です。中風の人とその友人たちは水平方向の信仰をもってイエスに近づきます。
しかし、人がイエスに近づき、イエスと対面するときには、水平方向の信仰からジャンプする必要があります。イエスと人格的につながる信仰は、イエスが霊的なカリスマを持った方であると信じることではありません。そうではなく、イエスは「神の権威」を持っておられる方であると信じることです。主イエスがご自身の言葉と行為を通してご自身を証される通りの方であると信じることなのです。言い換えれば、生ける神が主イエスを通して、わたしたち人間と対面しておられると信じることです。
それゆえ、主イエスはご自分を預言者としてではなく、神の側に立つ者として、父なる神と一体となって神の言葉を語り、神の業を行っておられると、信じる必要があります。この点が最も鮮明になったのが、イエスの次の言葉です。

(2)わたしは言う
聖書はこのように伝えています。
「イエスはその人たちの信仰を見て、中風の人に、『子よ、あなたの罪は赦される』と言われた。」(2:5)
これはどういうことでありましょうか。人間の罪を赦してくださる方は、神のみであります。神以外の者には誰もそのような権限はありません。
従いまして、神の言葉を語りました預言者たちは、神はイスラエルの民の罪を赦してくださるであろう、と言いました。あくまでもそれは未来の出来事として語っています。
最も典型的な預言はエレミヤの新しい契約に関する預言です。
「来るべき日に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこれである、と主は言われる。すなわち、わたしの律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。そのとき、人々は隣人どうし、兄弟どうし、『主を知れ』と言って教えることはない。彼らはすべて、小さい者も大きい者もわたしを知るからである、と主は言われる。わたしは彼らの悪を赦し、再び彼らの罪に心を留めることはない。」(エレミヤ31:33~34)
さらにイエスは神の罪の赦しを現在のこととして語られました。ここで、イエスは中風の人に向かって、「あなたの罪は赦される」と言われたのです。
実に、この言い方は「あなたの罪は、わたしの発言と同時に赦される」と言う意味です。つまり、神による罪の赦しはイエスの罪の赦しの宣言と同時に起こるという意味です。ギリシャ語ではこの点がはっきりとしています。
「赦される」とは「アフィエタイ」と言いますが、これは現在形です。しかし、ギリシャ語の現在形は日本語と違ってその動作が進行中であることを意味し、「あなたの罪は赦されつつある」と言う意味になります。もちろんイエスが用いられた現在形はそういう普通の意味ではなく、特別の意味です。
「赦される」という出来事が、イエスの発言の行為と結びついており、二つのことが同時に起こっていることを意味しています。
この点を真剣に受け止めれば、イエスが神の立場で発言しておられることを信じなければなりません。預言者は神の言葉を語る場合に必ず、「主なる神はこういわれる」と前置きをしてから神の言葉を語りました。この点、イエスの発言は預言者たちとのように、神が語られるという前置きを必要とせず、イエスは自分で直接、神の言葉を語られました。
しかし、ここでイエスの語られる言葉が神の意志そのものである根拠は「イエスの人格の秘密」と結びついています。それゆえに、イエスは自らの発言と神の意志と行為が同時に生起している無類の独特な仕方で神の言葉を語られました。
それにしても、イエスは確かにわたしたちと同じ人間です。人間としての弱さと制限の中にある方です。この現実を直視するときに、人は必ずイエスに対する信仰の決断を要求されます。
イエスの語られる言葉とイエスの取られる行動が神自身の言葉と行動として真剣に受け止めて、イエスを信じる決断をすることです。それともイエスは人間の分際でありながら、神の立場に立っている、このような態度は気が狂った者のすることである。あるいは神を冒涜する最大の罪人であると判断することです。
人はみなイエスの前に立つ時に、この二者択一の決断を迫られるのです。
正にイエスの人格はすべての人間にとって全く不可解な謎です。イエスが人間であることは確かな事実で、それは証明可能な事実です。しかしイエスの人格は神秘に満ちていることも事実です。
ここに居合わせたファリサイ派の人たちは、人の罪を赦す権威を持っておられる方は神のみであると考えて、イエスは神を冒涜する罪人の頭であると判断し、イエスを断罪しました。確かに、罪の赦しの権限は神にのみ属するという彼らの判断は聖書的であり、正しいのです。しかし、イエスを断罪した彼らの判断は間違っており、その判断自体が神への反抗であり、神の啓示と恵みを拒絶する最大の罪であります。
この理由は彼らの信仰が水平方向の信仰であったことです。律法学者やファリサイ派の人たちの信仰は、信仰の父アブラハムや旧約聖書の偉大な預言者たちが伝えた教えによって、神についての知識を持つことが信仰でありました。
しかしそれは決して生ける神を信じることではありません。真の信仰は生ける神と人格的な交わりに入れられることによってのみ可能となるのです。
 今やアブラハムや預言者たちの神は、神の御子が人間となられた主イエスにおいて、ご自身を最終的にそして完全に啓示されました。それゆえ、人は生ける神を信じるためには、主イエスに対して垂直方向の信仰をもって、応答しなければなりません。
 ここでイエスは次のように仰せられました。
 「人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう」(2:10)
続いて、中風の人に言われました。
 「わたしはあなたに言う。起き上がり、床を担いで家に帰りなさい。」(2:11)
 「人の子」とはイエスがご自身を指し示されるときの呼び名であり、実に謎めいた不思議な名称でした。それは確かに人間であることを意味していますが、同時に神の側に立ち、神の意志を語り、神の決定を執行する権威を委ねられた者、神の全権を委任された者と言う意味です。
 イエスはそのような者として、中風の人に「わたしはあなたに言う。起き上がり、床を担いで家に帰りなさい。」と命令されたのです。すると、中風の人はその通りに、起き上がり、床を担いで家に帰って行ったのです。
 この出来事を目撃した人々の反応は次のようです。
 「人々は皆驚き、『このようなことは、今まで見たことがない』と言って、神を賛美した。」(2:12)
 ここで、彼らはイエスが誰であるかと言う問いを避けて、このような出来事の一切を神の働きに帰して、神を賛美しました。
 しかし、彼らの賛美は極めて中途半端に終わっています。その理由は彼らが病人の癒しを神の奇跡としか見ていないからです。これは奇跡ではなく、神の啓示なのです。
神が人間となられた神の御子イエスを通して、ご自身を啓示されたのです。イエスが神の権威をもって、人の罪を赦されたということを神の啓示として信じることが必要なのです。
 そのためには、どうしてもイエスの人格に対する問を避けて通ることはできません。
他方、イエスが神の御子であり、御子が人間となられた方であるという人格の秘密について、イエスが地上におられた間は、「沈黙」を守り通されました。その事実に対する「自覚」をイエスは御自分の内にだけ持っておられたのです。
なぜならば、イエスが神であるという霊的現実は、言葉の説明によっては証明できないからです。その事実は、イエスが人類を罪から贖うために十字架の死を全うし、死人の中から復活されたとき初めて明らかになりました。人は復活の主イエスに出会った時に初めて、イエスが神であることを悟ったのです。

(3)わたしを信じるか
 それにしても、地上で神の国を宣教しておられたとき、イエスは「ご自身に対する信仰」を要求されました。
その理由はわたしたちが地上における主イエスに対する信仰を持つことによって、主イエスを通して、人間の罪を赦し、人間を救うために、神が達成してくださった神の無限の愛を知り、その恵みに生きることができるからです。
神はイエスの人格を通して、わたしたち人間と出会い、ご自身を直接に示されたのです。実に、これこそ預言者エレミヤが「そのときに、人は小さい者も大きい者も皆、神を知るようになる」という預言が成就したのです。
罪が赦されるということは、罰をまぬがれるということではありません。実に罪を赦されるとは、生ける神との人格的な交わりに入れられることです。
最後に、イエスに癒された人は、病気の癒しを願ってイエスのもとに来たのに、イエスは罪の赦しを与えられました。なぜでしょうか。それは病気が癒されたというだけでは、その人の人生に対する完全な保証にはならないからです。
わたしたちが生きる時も、死ぬ時もわたしたちの存在に対する「神の肯定」は神との人格的な交わりに入れられることであるからです。



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