2010-08-08(Sun)

恵みの業を大河のように 2010年8月8日の礼拝メッセージ

恵みの業を大河のように
中山弘隆牧師

 まことに、主はイスラエルの家にこう言われる。わたしを求めよ、そして生きよ。しかし、ベテルに助けを求めるな、ギルガルに行くな、ベエル・シェバに赴くな。ギルガルは必ず捕らえ移され、ベテルは無に帰するから。主を求めよ、そして生きよ。さもないと主は火のように、ヨセフの家に襲いかかり、火が燃え盛っても、ベテルのためにその火を消す者はない。裁きを苦よもぎに変え、正しいことを地に投げ捨てる者よ。すばるとオリオンを造り、闇を朝に変え、昼を暗い夜にし、海の水を呼び集めて地の面に注がれる方。その御名は主。主が突如として砦に破滅をもたらされると、その堅固な守りは破滅する。彼らは町の門で訴えを公平に扱う者を憎み、真実を語る者を嫌う。お前たちは弱い者を踏みつけ、彼らから穀物の貢納を取り立てるゆえ、切り石の家を建てても、そこに住むことはできない。見事なぶどう畑を作っても、その酒を飲むことはできない。お前たちの咎がどれほど多いか、その罪がどれほど重いか、わたしは知っている。お前たちは正しい者に敵対し、賄賂を取り、町の門で貧しい者の訴えを退けている。それゆえ、知恵ある者はこの時代に沈黙する。まことに、これは悪い時代だ。善を求めよ、悪を求めるな、お前たちが生きることができるために。そうすれば、お前たちが言うように、万軍の神なる主は、お前たちと共にいてくださるだろう。悪を憎み、善を愛せよ、また、町の門で正義を貫け。あるいは、万軍の神なる主が、ヨセフの残りの者を、憐れんでくださることもあろう。
アモス書5章4~15節

 「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか。徴税人でも、同じことをしているではないか。自分の兄弟にだけ挨拶したところで、どんな優れたことをしたことになろうか。異邦人でさえ、同じことをしているではないか。だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」
マタイによる福音書5章43~48節

(1)アモスの召命
 預言者アモスは、ホセア、ミカ、イザヤ、エレミヤなどとおなじく預言の言葉を書物に表した記述預言者と呼ばれています。彼らの中でも最初の預言者であり、アモスは実に偉大な預言者たちの先駆者でありました。
 アモスは紀元前760年頃北イスラエル王国で活躍した預言者でありますが、それ以前は南のユダ王国の辺境の地で、羊飼いをしていました。7章15節で、「主は羊の群れを追っているところからわたしを取り、『行って、わが民イスラエルに預言せよ』と言われた。」と証しています。
 このようにアモスは死海に面した荒れ野で、岩山の谷間に僅かに生えている牧草を求めて、羊の群れを追いながら生計を立てていました。しかし、彼はただ素朴で善良な田舎人ではなく、神に対する本当の信仰による洞察力をもって、人間社会を見ていました。さらに片田舎に住んでいましても、近くをラクダのキャラバン隊が通る中近東世界の幹線が通っておりましたので、商人たちと話をする機会を得、広い世界の情勢を知っていたのです。そのようにしてイスラエルの直面している世界状況を認識し、神から与えられたイスラエルの使命が何であるかを深く考えていました。それにつけてもイスラエルは神の意志とは全く逆の方向に進んでいることに対して深い憂慮を抱いていました。
 また、彼の預言の内容を詳しく検討しますと、彼は預言者としてイスラエルの首都サマリアに現れたときが、イスラエルを知る最初の機会であったのではなく、それ以前にイスラエルに来て、現状を視察していたものと思われます。田舎の人は観光旅行で都にきますが、アモスはイスラエルの霊的現状を知るために、社会状況を調査したのです。そのようなアモスに神は預言者としてイスラエルに神の言葉を語る使命を与えられました。
アモスの預言に激しく反発したイスラエルの指導者たちは「何の権威をもってお前は預言するのか」と詰問した。それに対するアモスの回答は次の通りです。
 「獅子がほえる。誰が恐れずにいられよう。主なる神が語られる。誰が預言せずにいられようか」(3:8)
 獅子が吠える現場に、羊飼いのアモスは何度も遭遇しましたので、その時の恐ろしさを身に感じていました。獅子が吠えるということと、人が身震いすることとは、極めて明確な繋がりと必然性があります。それと同じように、主が語られるときに、預言者は主から聞いた御言葉を語らざるを得ないのです。主が御言葉を語られるということと、預言者が御言葉を語るということの間には本質的な関係と必然性があるのです。
 但し、主が御言葉を語られるというのは、人間が言葉を語るのとは全く様子が違います。主は神であり、人間とこの世界を超越した方であり、その姿は見えず、その声は耳には聞こえません。従いまして神が語られる御言葉は、神様がご自身の意志を、直接、人間の心に知らせられることです。その神の霊的な事実により、人間は神様の意志をはっきりと認識できるのです。それが神様の言葉を聞くということに他ありません。アモスは預言者として立てられる以前から、神との間に人格的な交わりを持っており、その中で預言者として語るべき「神の言葉」をはっきりと聞いたのです。
それゆえ、人間が神の言葉を聞くためには、神を神とする信仰、神に対する信頼と従順の心が必要です。神はすべての者の主権者であり、自然と歴史の支配者でありますから、そのことに対する真の畏敬の念が必要です。

(2)歴史の主権者の裁き
 次ぎに、神は歴史の支配者であります。しかし、その支配は、決して気まぐれな暴君の振る舞いや、暗い運命の悪戯のような仕業ではなく、神ご自身の本質に一致した真理に基づく神の働きなのです。実に、神の歴史支配は決して概念的な事柄ではなく、生ける現実です。日頃からアモスは、神の臨在の現実に触れ、神を信じ、神を崇め、歴史を支配される神の力に深い畏敬の念を持っていました。そして、歴史を導き、支配される神の義の力に圧倒されていたのです。
アモスは、人間をご自身の意志に従って生きるように、今まで教え導いて来られた神の性質をここで明瞭に示し、人間が正義と公平を実行すべきことを強調しています。アモスは次のように語りました。
 「正義を洪水のように、恵みの業を大河のように、尽きることなく流れさせよ。」(5:24)
 悠々と流れる大河を眺めていますと、その偉大な力と生命力を感じます。また大地に深く根を下ろした大樹は、風雪に耐えて空に向かって枝を伸ばしています。幹に連なる枝の中に生命が流れているからです。そのように、人間社会の中に正義が大河の流れのように常に働いているならば、社会は試練の嵐に耐えて存続するのです。このことが、歴史を支配される神の意志であることを、アモスは全人類に向かって、宣言しました。
しかし、人間が神に感謝せず、神を恐れず、神の要求される正しさ、社会的正義、個人的な公平に基づいて、行動しない場合に、神様は裁き、罰せられる力を持った方なのです。神は創造者でありますので、人間の働きを認め、それを用いながら、審判を実現できる方です。神の審判は人間の歴史が破局に向かう危機的状況をもたらされることです。
アモスは次のように神の審判を語りました。1章の3節でこのように預言しました。
 「主はこう言われる。ダマスコの三つの罪、四つの罪のゆえに、わたしは決して赦さない。彼らが鉄の脱穀機を用い、ギレアドを踏みにじったからである」
 ダマスコは自己の軍事力をもって、隣国を侵略し、その隣国の主権を蹂躙したことへの裁きとして、ダマスコの国家の破滅を与えられるというのです。それはアッシリア帝国の台頭によるダマスコの破滅を預言していたのです。
 次ぎにダマスコのみならずイスラエルの近隣諸国家に対する神の審判を預言しました。6節ではガザに対する予言として、「主はこう言われる。ガザの三つの罪、四つの罪のゆえに、わたしは決して赦さない。彼らがとりこにした者をすべてエドムに引き渡したからだ。」さらに11節ではエドムに対して、「主はこう言われる。エドムの三つの罪、四つの罪のゆえに、わたしは決して赦さない。彼らが兄弟を剣で追い、憐れみの情を捨て、いつまでも怒りを燃やし、長く憤りを抱き続けたからだ。」
 このようにアモスが預言した神の審判は、預言の約40年後に完全に実現しました。イスラエル国家は紀元前721年にアッシリア帝国によって滅ぼされました。しかし、イスラエルやその近隣諸国の滅亡は、種々の原因や影響が重なって生じたことでありますから、滅亡に至る歴史を軍事、政治、経済、社会生活、思想、民族意識、その他の面から記述することができるでありましょう。だが、そのような見方が本当に正しいという訳ではありません。 
なぜならば、歴史の真相は、歴史の支配者である神に対して人間がどのような生き方をしたかであります。旧約聖書の預言者たちが語ったことは、諸国家、諸国民が神の意志である正義と公平に反する生き方を続けたことに対する神の審判でありました。そのゆえに、神の審判は最早不可避であり、そのような状況が40年続いた後に、最終的な破滅が到来したのです。
 旧約聖書が証している神の歴史支配と審判は、今日でも依然として有効に働いています。すなわち神がキリストにおいて、新しい時代を開始された新約聖書の時代におきましても、有効なのです。このことは旧約聖書の預言者たちが明らかにした不滅の真理であります。
日本が戦争に負けた理由は、軍事力や経済力が弱かったからではなく、正義に反する侵略戦争を始めたからです。アメリカがベトナム戦争で負けたのは、ソ連がベトナムに武器を援助したからではなく、ベトナムの共産主義を撲滅しようとしたアメリカの行動が神の目から見て正義に反していたからです。今日アメリカが最強を誇る軍事力で世界の秩序と平和を守ろうとしているのは、神の意志に反しています。あくまでも正義を行うことによってのみ、平和は実現できるのです。
日本の国の安全を守るために、アメリカの核の傘が必要であるという政治家の発言は、聖書の見方に反しています。聖書は近隣諸国と正義に基づく共存の道を切り開くことが平和を守る唯一の方法であると教えています。主イエスは、「剣と取る者は皆、剣によって滅びる」と警告されました(マタイ26:52)。実に「神の正義」は「人間の剣」よりも強いのです。

(3)イスラエルの背信
 次ぎに、近隣諸国に対する神の審判を、イスラエルの人たちはむしろ歓迎するという気持ちで聞いていましたが、アモスの預言の矛先はイスラエルにも向けられ、さらに厳しい審判が語られ、イスラエルの人たちはアモスに激しい憤りを感じました。それに対するアモスの回答は、これまた実に驚くべき内容であります。3章2節で、次のように言っています。
 「地上の全部族の中からわたしが選んだのは、お前たちだけだ。それゆえ、わたしはお前たちを、すべての罪のゆえに罰する。」
 それでは、イスラエルの罪とは何でありましょうか。それは神の恵みと力を自分たちの利己的な目的のために、利用しようとすることであります。
 イスラエルの人たちは、これまでの長い信仰の伝承の中で、イスラエルを御自身の民として選ばれたヤーウェこそ、唯一の真の神であり、自然と歴史の主権者であることを知っていました。しかし、主権者である神に対して、それに応答するに相応しい信頼と従順の生き方をせず、唯一の主なる神ヤーウェを自分たちの繁栄のために、国家の隆盛のために、利用しようと言う魂胆でありました。そのような考え方によって、宗教、祭儀、政治、経済、社会生活が営まれていたのです。そこにこそ、神の民が他の諸国民に比べてより大きな罪があるのです。
 ここで預言者アモスは、イスラエルの罪を具体的に挙げています。
 「彼らが正しい者を金で、貧しい者を靴一足の値で売ったからだ。彼らは弱い者の頭を地の塵に踏みつけ、悩む者の道を曲げている。父も子も同じ女のもとに通い、わたしの聖なる名を汚している。祭壇のあるところではどこでも、その傍らに質にとった衣を広げ、科料として取り立てたぶどう酒を神殿の中で飲んでいる。」(2:6-8)
正しい者を金で売る、貧しい者を靴一足の値で売ったとは、借金の返済期限が来ても払えないというので、もう少し返済を待ってほしいといっている正直な者を奴隷として売ったということです。また貧しい者が靴一足の額の借金をしたために奴隷として売ったということです。その他、小さな地主は、大資産家に狙われ、借金の抵当に入れた土地を没収され、先祖伝来の資産を失い、日雇い労働者に転落しました。イスラエル社会はそのようにして、資産が強欲な富裕階級に集中し、一般大衆は貧民層となり、社会の二分化が進みました。
さらにそのことに対して裁判所も荷担したというのです。多額の賄賂を受け、裁判官が強欲な者の陰謀に加担し、その不法行為を神の定められた律法に適した合法と認可したのです。すなわち、神の名によって、非人道的な強欲な犯罪行為を正当化したのです。
 これらのことは、イスラエルがその時代に平和と繁栄を享受することができ、イスラエルの人々は富を追求することに熱中し、貧富の差が激しくなり、様々な不正と、弱者に対する悪辣な抑圧が行われていたことを示しています。さらに、イスラエルの人たちの生活は、官能的な享楽に耽っていたのです。今日の日本社会もこの面で同じように堕落しています。それに対する神の審判は必ず下るのです。

(4)生死に関わる選択
 最後にアモス書は次のように訴えています。「まことに、主はイスラエルの家にこう言われる。わたしを求めよ、そして生きよ。しかし、ベテルに助けを求めるな。ギルガルに行くな。ベエル・シェバに赴くな。ギルガルは必ず捕らえ移され、ベテルは無に帰すから。主を求めよ、そして生きよ。さもないと主は火のようにヨセフの家に襲いかかり、火が燃え盛っても、ベテルのためにその火を消す者はない。」(5:4-6)
注解書を読みますと、この箇所の勧めは、預言者アモス自身の言葉ではなく、アモスの預言に深く感銘した無名の作者がこの言葉をアモスの預言につけ加えたのであろう、と推測しています。
なぜならば、15節の「あるいは万軍の神なる主が、ヨセフの残りの者を、憐れんでくださることもあろう。」という句の中の「ヨセフの残りの者」という言葉があります。これは明らかに、紀元前586年にエルサレムがバビロニア帝国によって陥落し、神の民は国家としては消滅しましたが、国家でなく、信仰共同体として生き残りました。その信仰共同体を聖書は「残された者」と言っているのです。
 このようにアモス自身は、神の審判を語り、それ以外には何も語らなかったのです。神の義がアモスを捕らえ、神はご自身の義を貫徹されることをアモスを通して語られたのです。しかし神が御自身の義を貫徹されるところに新しい希望があるのです。このことをアモスに深い影響を受けたこの作者が、彼の時代の同胞に向かって、明らかにしているのです。
 神の民はここで、命かさもなければ死かという重大な選択に直面しているのだ、と言うのです。アモスの時代の民は、死を選んだ。しかし、われられは命を選ばなければならない、と言うのです。
 最後に、それでは「残された民」とは、どういう者たちなのでしょうか。それは最早、イスラエル国家ではなく、信仰共同体であり、しかも、主イエスの十字架の贖いと復活を通して、神のみ前に立つ者たちの共同体です。すなわちキリスト教会のことであります。それゆえ、わたしたち信仰者は主イエスを通して「生ける神を求める者」すなわち神の主権に対して全存在をもって応答する者、神の主権に対して畏敬の念と信頼をもって生活する者となり得るのです。




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