2012-12-09(Sun)

聖霊の働き 2012年12月9日の礼拝メッセージ

聖霊の働き
中山弘隆牧師

 わたしが清い水をお前たちの上に振りかけるとき、お前たちは清められる。わたしはお前たちを、すべての汚れとすべての偶像から清める。わたしはお前たちに新しい心を与え、お前たちの中に新しい霊を置く。わたしはお前たちの体から石の心を取り除き、肉の心を与える。また、わたしの霊をお前たちの中に置き、わたしの掟に従って歩ませ、わたしの裁きを守り行わせる。
エゼキエル書36章25~27節


 しかし、これらのことを話したのは、その時が来たときに、わたしが語ったということをあなたがたに思い出させるためである。」「初めからこれらのことを言わなかったのは、わたしがあなたがたと一緒にいたからである。今わたしは、わたしをお遣わしになった方のもとに行こうとしているが、あなたがたはだれも、『どこへ行くのか』と尋ねない。むしろ、わたしがこれらのことを話したので、あなたがたの心は悲しみで満たされている。しかし、実を言うと、わたしが去って行くのは、あなたがたのためになる。わたしが去って行かなければ、弁護者はあなたがたのところに来ないからである。わたしが行けば、弁護者をあなたがたのところに送る。その方が来れば、罪について、義について、また、裁きについて、世の誤りを明らかにする。罪についてとは、彼らがわたしを信じないこと、義についてとは、わたしが父のもとに行き、あなたがたがもはやわたしを見なくなること、また、裁きについてとは、この世の支配者が断罪されることである。言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。その方はわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。父が持っておられるものはすべて、わたしのものである。だから、わたしは、『その方がわたしのものを受けて、あなたがたに告げる』と言ったのである。」
ヨハネによる福音書16章4~15節



(1)アドベントにおいて
 わたしたちは主イエス・キリストのご降誕を祝うクリスマスを待ち望む期間を過ごしていますが、この期間をアドベントと呼んでいます。アドベントとはラテン語で、「到来」という意味です。新約聖書の中では、パルーシアというギリシャ語で表されています。ともかく、神の御子が人間となって誕生されることによって、この世界に到来されたことを祝うため、この大いなる恵みの出来を想起しつつ、クリスマスを待ち望む期間をアドベントと言います。
 しかし、聖書はキリストの到来が三つの形で生起すると告げています。一つはクリスマスであり、一つは聖霊によってキリストが教会にそして教会に連なる一人一人のクリスチャンの中に到来されることです。一つはこの世界の終わりにキリストが到来され、救いが完成する日であり、それをキリストの再臨と呼んでいます。
 従って、主イエスが聖霊を通して、到来されることにより、わたしたちはキリストとの人格的な交わりに入れられ、終わりの日に完成するキリストの救いに既に現在において与り、神の国にあるキリストの命を先取りし、神に従う信仰生活を送っているのです。
 このことについて、主イエスは次のように仰せられました。
「わたしは、あなたがたを孤児にはしておかない。あなたがたの所に戻ってくる。しばらくすると、世はもうわたしを見なくなるが、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる。」(ヨハネ14:18~19)
 ここで、主イエスが弟子たちの所に戻って来られ、弟子たちがキリストを見ることができ、キリストの命に生きるようになると仰せられたのは、明らかに聖霊がキリスト教会に与えられることを意味しています。
この点について、主イエスは聖霊に関しても次にように言及されました。
 「わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。この方は真理の霊である。」(ヨハネ14:16~17)
 このように、ヨハネによる福音書では聖霊を「弁護者」、「真理の霊」と呼んでいます。
それゆえ、クリスチャンは聖霊により、キリストの言葉を理解し、キリストを知り、キリストの命に生かされることを喜ぶのです。
従って「あなたがたはわたしを見る」とキリストは仰せられましたが、キリストを「見る」というのは、肉眼で見ることではなく、聖霊を通して活けるキリストの現実に接することを意味しています。
 それゆえ、ペトロは次にように言っています。
 「あなたがたは、キリストを見たことはないのに愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽くせない素晴らしい喜びに満ちております。それは、あなたがたが信仰の実りとして魂の救いを受けているからです。」(ペトロ一、1:8~9)

(2)真理の聖霊
 次に、本日の聖書の箇所でイエスはこのように仰せられました。
 「その方が来れば、罪について、義について、また、裁きについて、世の誤りを明らかにする。」(ヨハネ16:8)
 人はだれでも聖霊によってのみ、主イエスの言動の意味を正しく理解し、神の御前にある真理を知ることができるのです。
それゆえ、聖霊によって心の中を照らされなければ、人間は主イエスの中にある真理を理解できません。とくにイエスの救い主としての最大の使命である十字架の死と復活を理解することはできないのです。
 パウロは十字架の言葉は、ユダヤ人にとっては「躓かせるもの」であり、ギリシャ人にとっては「愚かなもの」であると言っています。人は誰でも、十字架について死んだ者がどうして神から遣わされた救い主であるのか、そんなはずはないと考えています。
ユダヤ人は、イエスが神を冒涜する罪人の頭であるゆえに、神から裁かれ、最大の屈辱である十字架の刑を受けたのだと考え、自分たちの正しさを誇り、十字架のイエスに向かって、「他人を救ったのに、自分は救えない。メシア、イスラエルの王、今すぐ十字架から降りるがいい。それを見たら信じてやろう。」(マルコ15:31~32)と言って、イエスを嘲笑しました。
 このようにユダヤ人も、ギリシャ人もイエスの十字架の意味を誤解していたのです。しかも弟子たちも同様に、イエスの十字架の意味が分からず、十字架に躓きました。
 しかし、教会に聖霊が降臨した時、キリストの使徒たちはその意味を理解し、十字架の言葉を神の救いの力として、宣教しました。 
ここで聖霊が罪について知らせるという意味は、実に主イエスを信じないことが最大の罪であるということです。なぜならばこの一点で罪の実体が暴露されているからです。

 次に、聖霊が義について世の誤りを明らかにするという意味は、ユダヤ人は律法による自己の業を誇り、自分の義を確信していましたが、その誤りに気付くようにされるということです。使徒パウロは復活の主イエスに出会うまでは、そのような人間でした。
しかし、復活の主イエスが彼に現れた時、復活の主イエスこそ、神の唯一の霊的現実であることを悟りました。それゆえ、主イエスが復活した事実が主イエスの義を表していることを悟ったのです。それまでパウロはユダヤ教の律法学者として、律法が唯一の神的な現実である、それゆえに律法が最高の権威であると考えておりましたが、復活の主イエスに出会って、主イエスこそ神の恵みと真理の現れであることを悟りました。それゆえ神の恵みと真理の光の中で、十字架の犠牲の死が人類の罪の贖いの神の業であることを悟ったのです。
次に、聖霊が裁きについてこの世の人間の誤りを明らかにするという意味は、神がこの世の罪、そして生まれながらの人間の罪をイエスの十字架の死において、裁かれたことを示したのです。
それゆえ、聖霊は裁かれたのは、主イエスでなく、主イエスの十字架の死において、人類を束縛している罪が裁かれたことを理解させたのです。

(3)命に導く聖霊の働き
それゆえ、聖霊は主イエスを信じる者を永遠の命に生かす働きをします。
聖霊の働きは、先ず十字架の言葉の宣教を通して、言い換えれば主イエス・キリストの福音の宣教を通して、それを聞く者に対して信仰を与えます。
聖霊は福音を聞く者に、十字架の意味を悟らせ、主イエスの復活の現実に直面させ、復活の主イエスと出会わせることにより、主イエスを信じるようにするのです。主イエス自身が神の啓示、神の恵み、神の真理そのものであることを信じる信仰を与えます。
そのことにより、人は誰でも生まれながらの人間である限り、自己の罪に束縛されている者であり、神の裁きによって、既に死に定められていることを知るのです。同時に、神は主イエスを復活させ、主イエスの義と命とによって生きる新しい人間にしてくださっていることが分かるのです。
それゆえ、わたしたちの生きる唯一の道は、生まれながらの自分とその行き方に背を向けて、主イエスにあって与えられている新しい自分と新しい人生に向かって歩むことだと分かるのです。
さらに神は主イエスによって、そのようにしてくださることを信じて、主イエスを信じるのです。これこそ聖霊がわたしたちの中に働き、与えてくださる信仰です。人はだれでもこの信仰によってのみ、キリストに結ばれます。この在り方をパウロは次にように言っています。
「神によってあなたがたはキリスト・イエスに結ばれ、このキリストは、わたしたちにとって神の義と知恵となり、義と聖と贖いとなられたのです。」(コリント一、1:30)
この信仰によって、人間の在り方、その立場は根本的に変化します。すなわち、最早自分の力で、自分のために生きるのでなく、キリストの命を受けて、キリストに仕えるために、そして神の恵みを賛美するために生きる人間となります。
その際、わたしたちは自分の存在の根底を自分自身の中から、主イエスの中へ移されたのです。それは聖霊の働きによってなされます。
次に、聖霊に導かれて、主イエスの命に生かされるとはわたしたちが神の愛を実行し、主イエスの性質に似る者へと成長して行くことです。これは「聖化の過程」を歩むことと言えます。
従って、聖化の過程を歩むことを聖書は聖霊に従って歩む、振る舞う、生活すると言っています。使徒パウロはガラテヤの信徒への手紙の中で次にように教えています。
「わたしたちは、霊の導きに従って生きているなら、霊の導きに従ってまた前進しましょう。」(ガラテヤ5:25)
これはどういう意味でしょうか。
「霊の導きに従って生きている」とは、聖霊によってわたしたちが主イエスと結びついており、主イエスが「わたしたちの義と聖と贖い」になっていてくださいますので、わたしたちは「主イエスにあってすでに神の御心に適う者たちとなっている」ということです。
しかし、同時に「霊の導きに従ってまた前進しましょう。」とは、主イエスにおいて既に与えられている事柄は、そのままではわたしたちの生活と存在の中で、「現実のもの」とはなっていません。
それを現実のものとするために、霊の導きに従って、「実行する」ことが必要なのです。言い換えれば神の命令を実行することが必要です。
既に与えられているということと、それを現実化するために実行するという二つのことは決して矛盾しません。
それゆえ、神の命令を実行するということはまた聖霊の導きによって初めて成り立ちます。この点に関して、パウロはローマの信徒への手紙で次のように言っています。
「肉に従って歩む者は、肉に属することを考え、霊に従って歩む者は、霊に属することを考えます。」(ローマ8:5)
これはどういう意味でしょうか。肉に従って歩む者は、罪に束縛されているので、すべての思いは罪に束縛されているというのです。それに反して、霊に従って歩む者は、聖霊が心を照らし、神の御心と命令を理解させます。しかもそれだけでなく、それを実行する意志を持たせます。同時に実行する命と力が聖霊を通して働きます。
要するに、聖霊がクリスチャンの心を照らすことによって、クリスチャンを神に対して「従順な者」とするのです。それゆえにクリスチャンは喜んで、自発的に神の意志に従って行動し、愛の業を行うのです。こういう意味で、クリスチャンが愛の業を実践することが「キリスト者の自由」であります。
この点に関して、ヨハネ福音書も次のように言っています。
「イエスは、ご自分を信じたユダヤ人たちに言われた。『わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。』(ヨハネ8:31~32)
それゆえ、真理の霊である聖霊に導かれている者は自由を「体験する」のです。
しかしここで注意が必要です。聖霊の与える自由は決して悪を行わず、専ら善をおこなうようにさせる外からの強制的必然性ではありません。必然的にそれしかできないという強制ではありません。そうではなくて、肉に従ったことを考え、実行するか。それとも霊に従ったことを考え、実行するかのどれかを選ぶことです。キリスト者の自由はその選択の中で、霊に従って考え、行動することを決断するのです。

 最後に、聖霊の働きは希望です。聖霊によってキリストと繋がり、キリストの中にある神の恵みに生かされ、最後の救いの完成を確信し、それを待ち望む生き方は聖霊の働きによるのです。
 しかも、聖霊の働きは「神の国の完成の先取り」であります。神の国の祝宴の喜びの先取りとして、この世の試練や悩みに勝利した喜びです。その喜びは聖霊によって絶えず「心の中に湧き出る喜び」です。クリスチャンが世の光であるということは聖霊によるこの喜びが顔に輝いているからです。これが「クリスチャンの特質」です。 
終末論的神の国の喜びはこの喜びをもってクリスチャンが互いに結ばれ、共におり、互いに相手のことを配慮し合うことの中で、その都度に現れます。それゆえ聖書は次のように勧めています。
 「主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。」
(フィリピ4:4)



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