2012-12-02(Sun)

先駆者 2012年12月2日の礼拝メッセージ

先駆者
中山弘隆牧師

 その名をマノアという一人の男がいた。彼はダンの氏族に属し、ツォルアの出身であった。彼の妻は不妊の女で、子を産んだことがなかった。主の御使いが彼女に現れて言った。「あなたは不妊の女で、子を産んだことがない。だが、身ごもって男の子を産むであろう。今後、ぶどう酒や強い飲み物を飲まず、汚れた物も一切食べないように気をつけよ。 あなたは身ごもって男の子を産む。その子は胎内にいるときから、ナジル人として神にささげられているので、その子の頭にかみそりを当ててはならない。彼は、ペリシテ人の手からイスラエルを解き放つ救いの先駆者となろう。」
士師記13章2~5節


 ヨハネは牢の中で、キリストのなさったことを聞いた。そこで、自分の弟子たちを送って、尋ねさせた。「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか。」イエスはお答えになった。「行って、見聞きしていることをヨハネに伝えなさい。目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。わたしにつまずかない人は幸いである。」ヨハネの弟子たちが帰ると、イエスは群衆にヨハネについて話し始められた。「あなたがたは、何を見に荒れ野へ行ったのか。風にそよぐ葦か。では、何を見に行ったのか。しなやかな服を着た人か。しなやかな服を着た人なら王宮にいる。では、何を見に行ったのか。預言者か。そうだ。言っておく。預言者以上の者である。『見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、あなたの前に道を準備させよう』と書いてあるのは、この人のことだ。はっきり言っておく。およそ女から生まれた者のうち、洗礼者ヨハネより偉大な者は現れなかった。しかし、天の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である。彼が活動し始めたときから今に至るまで、天の国は力ずくで襲われており、激しく襲う者がそれを奪い取ろうとしている。すべての預言者と律法が預言したのは、ヨハネの時までである。あなたがたが認めようとすれば分かることだが、実は、彼は現れるはずのエリヤである。耳のある者は聞きなさい。今の時代を何にたとえたらよいか。広場に座って、ほかの者にこう呼びかけている子供たちに似ている。『笛を吹いたのに、踊ってくれなかった。葬式の歌をうたったのに、悲しんでくれなかった。』ヨハネが来て、食べも飲みもしないでいると、『あれは悪霊に取りつかれている』と言い、人の子が来て、飲み食いすると、『見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ』と言う。しかし、知恵の正しさは、その働きによって証明される。」
マタイによる福音書11章2~19節



(1)神の計画
 本日よりアドベントに入りますが、洗礼者ヨハネは主イエス・キリストの到来の道備えをした預言者であり、キリス到来の先駆者であります。
 本日の聖書の箇所でイエスは洗礼者ヨハネについて、次のように仰せられました。
 「あなたがたは、何を見に荒れ野に行ったのか。風にそよぐ葦か。では、何を見に行ったのか。--預言者か。そうだ。言っておく。預言者以上の者である。『見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、あなたの前に道を準備させよう』と書いてあるのは、この人のことだ。」(マタイ11:7~10)

 神は人類の救い主を地上に遣わすために、神の民イスラエルを選び、歴史を通して、人類救済のために働いてこられました。その救済史の中で、主である神は、御言葉を通して、イスラエルの実行すべき事柄を繰り返して教えて来られたのです。
 「主はこう言われる。『正義と恵みの業を行い、搾取されている者を虐げる者の手から救え。寄留の外国人、孤児、寡婦を苦しめ、虐げてはならない。またこの地で、無実の人の血を流してはならない。』(エレミヤ22:3)
 これは王の職務について神が命じられた言葉ですが、王でなくても、神の民一人一人がこの言葉を実行することを主は求めておられるのです。
 主が全知全能の神で、歴史の支配者であり、しかも正しくかつ恵み深い主権者であることを心の底から知る者は、神の御心に従順であり、率先して御言葉を実践します。
預言者エレミヤが最も重視した点は、そのような心を持つことです。神はエレミヤにこのように仰せになりました。
「貧しい人、乏しい人の訴えを裁き、そのころ、人々は幸いであった。こうすることこそ、わたしを知ることではないか、と主は言われる。」(エレミヤ22:16)
 それに対して、主に背いている王や指導者たちは、自らの利益と権力を維持することを最優先させ、強力な外国と同盟し、近隣諸国と戦いました。また国内では、自分の土地を増やし、貧しい者を搾取し、賄賂を受けて悪人を擁護し、無実の人を有罪とし処罰しました。エレミヤが活躍した時代のユダ王朝の状態は、現代の諸国家の状態と重ね合わせることができます。
 主はこのような背信の民を裁き、裁きを通して、最終的な救いを実現すると、預言者たちを通して宣言されたのです。しかも、その救いとは、貪欲で高慢な心を取り去り、神を知り、神に従順である新しい心を与えることでした。
 預言者エゼキエルは次のように主の言葉を語っています。
「わたしはお前たちに新しい心を与え、お前たちの中に新しい霊を置く。わたしはお前たちの体から石の心を取り除き、肉の心を与える。また、わたしの霊をお前たちの中に置き、わたしの掟に従って歩ませ、わたしの裁きを守り行わせる。」(エゼキエル36:26~27)

 さらに第二イザヤと呼ばれている無名の預言者は「新しい心」を民に与えるために、主ご自身が人間の歴史の中に介入し、人間の問題をご自身が担われると預言しました。
 「見よ、主なる神。彼は力を帯びて来られる。御腕をもって統治される。見よ、主のかち得られた者は御もとに従い、主の働きの実りは御前に進む。」(イザヤ40:10)
   
(2)神の声
 第二イザヤが神の究極的な救いを預言したのは、イエスの誕生の約550年前でした。当時は世界史の転換点であり、アラブの世界からより広大なペルシャ帝国の時代が始まりました。
そのときバビロンに捕囚されていた民は再びパレスチナに帰還しましたが、ユダは最早国家として復興することは不可能で、信仰共同体として存続することになりました。これはある意味で第二イザヤの預言の実現といえます。
しかし、それは神の究極的な救いではありませんでした。その後ペルシャ帝国に代わってギリシャ帝国が世界の覇権を掌握することになりましたが、信仰共同体としてのイスラエルは、世界文明の波に翻弄されながら自己同一性を守るために苦闘する過程で、第二イザヤが預言した神の究極的な救いに対する期待が高まりました。
ローマ帝国の時代に入って、遂にそれはメシア到来の待望となったのです。このような状況の中で、神は洗礼者ヨハネを立てられたのです。
洗礼者ヨハネは特異な風貌をしており、極端な禁欲主義者で、厳格な道徳を守っているカリスマ的人物でありました。マタイによる福音書の3章4節では、「ヨハネはらくだの毛衣を着、腰に皮の帯を締め、いなごと野蜜を食べ物としていた。」と記されています。
この強烈な印象を与えるヨハネが、荒れ野で叫ぶ「神の声」となったのです。当時、洗礼者ヨハネの霊的なインパクトを感じたユダヤの人々は、ヨハネに大きな期待を寄せ、彼を偉大な預言者と考え、もしかすると彼こそメシアではないかと考えていたのです。
ヨハネによる福音書1章19節で、彼らは「あなたはどなたですか」と尋ねたと記されています。そのとき、洗礼者ヨハネは自分の使命を明らかにするために、「自分はメシアではない」と表明しました。それでも彼らは「あなたはあの預言者なのですか」と聞いたのは、民衆がいかに彼に期待をかけていたかを物語っています。
そのとき、ヨハネは預言者イザヤの言葉を引用して、「わたしは『主の道をまっすぐにせよ』と荒れ野で叫ぶ声である。」と答えました。これはイザヤ書40書1~4節の引用です。
「慰めよ、わたしの民を慰めよと、あなたたちの神は言われる。エルサレムの心に語りかけ、彼女に呼びかけよ。苦役の時は今や満ち、彼女の咎は償われた。罪のすべてに倍する報いを、主の御手から受けた、と。呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備え、わたしたちの神のために、荒れ野に広い道を通せ。」
洗礼者ヨハネは旧約聖書に登場した偉大な預言者たちの一人として、今歴史の中に登場したのではない。あるいは新しい預言者として登場したのでもない。そうではなく、旧約聖書の預言を総括する者として、その預言の中心的なメッセージが今や実現することを証する者であると、言ったのです。

(3)悔い改めの運動
それでは荒れ野に道を備えるために、洗礼者ヨハネはどのような活動をしたのでしょうか。
一つは神の国が今や目前に迫っているという状況を、力強く証言し、神に対する信仰を喚起したことです。
一つは救い主の到来を受け入れる態勢として、悔い改めの洗礼を授けたことです。
このような運動はユダの民衆の間で大きな反響を巻き起こし、霊的覚醒をもたらしました。ヨハネは自分が預言者イザヤの指摘している荒野で叫ぶ声であるという確信によって、民衆に霊的インパクトを与えたのですが、それだけでなく、自分が証している救い主は今やあなたがたの間にすでに来ておられると、言ったのです。
これは実に驚くべき事柄です。その方は未だご自分をそれだとは明言しておられないので、あなたたちには理解できないが、既にその方はあなたたちの間にいて、活動を開始しておられるという彼の証言は無限の重みがあります。
ヨハネによる福音書1章26節でこのように言っています。
「わたしは水で洗礼を授けるが、あなたがたの中には、あなたがたの知らない方がおられる。」
しかし、その方が誰であるかについては、洗礼者ヨハネ以外には誰にも分からなかったのです。それではどうして彼はイエスが救い主であることが分かったのでしょうか。そこには実に不思議な出会いがありました。彼はそれまでイエスと何らの面識もありませんでしたが、彼が悔い改めの洗礼を授けたことにより、イエスがヨハネのもとに来られたのです。これは実に神が二人を導いて出会わせてくださったのです。

この事情をマタイによる福音書3章14節は伝えています。イエスがヨハネから洗礼を受けようとされた時、ヨハネは預言者の直観により、イエスが自分より優れた方であることを知り、イエスの受洗を思いとどまらせようとして次のように言いました。
「わたしこそ、あなたから洗礼を受けるべきなのに、あなたが、わたしのところに来られたのですか。」
それに対して、イエスは「今は、止めないで欲しい。正しいことをすべて行うのは、我々に相応しいことです。」と言って、ヨハネから悔い改めの洗礼を受けられたのです。
その時、ヨハネはイエスが神から遣わされた救い主であることを確信しました。なぜならば、イエスが洗礼を受けられた時、天から聖霊が鳩のようにイエスの上に降ったからです。この重大な出来事をヨハネは聖霊による信仰をもって、目撃し、この方こそ神の御子であると確信しました。

次に、悔い改めの洗礼とは、神によって罪を赦される者に与えられる新生を意味しています。イザヤの預言は神が罪を赦されることにより、救いがもたらされることを意味しています。言い換えれば、神ご自身が救われた人間を統治してくださることです。
その神の赦しと統治を受けて、人は悔い改め、これまで自分の思いと力で生きて来た生き方を180度転換し、神に向かって歩み、神の統治に感謝の応答として、自分を神に献げることです。そこに新しい生活が始まるのです。
ヨハネが授けていた洗礼は以上のような意味を持っていましたが、どうして罪のない神の御子であるイエスが受けなければならないのでしょうか。それはヨハネには全く不可解でした。
しかし、それは人類の救いのために最も必要なのです。なぜならば、罪のない神の御子イエスが受洗されたことにより、ご自身をわたしたち罪人と連帯化してくださったのです。

ご自身とわたしたちを一つに結び合わせ、わたしたちの罪を担い、わたしたちに代わって罪を告白し、わたしたちに代わって罪の責任をとり、罪に対する神の裁きを正しいと承認し、それ受け入れることによって、わたしたちのために悔い改めてくださったのです。
このイエスの受洗は、イエスの十字架の犠牲による罪の贖いを象徴しています。実に、イエスご自身がヨハネから洗礼を受けられたことにより、救い主としての公生涯が開始されたのです。

(4)この人を見よ
洗礼者ヨハネは実に大きな霊的賜物を与えられていましたが、自分を少しも誇りませんでした。自分の賜物を人前で誇示することにより、主イエスの御顔に照り輝いている光を遮ることがないように、自分を全く無にし、救い主を証することに徹しました。
彼は自分の全存在を荒れ野で叫ぶ「声」とし、またイエスを指し示す「指」としたのです。
洗礼者ヨハネは、イエスが歩いておられるのを見て、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」と言って証しました。それによってペトロの兄弟アンデレとヨハネとがイエスに従うようになったのです。実にイエスの最初の弟子たちは、洗礼者ヨハネの証しにより、イエスのもとに来た者たちです。
このような偉大な洗礼者ヨハネは、しかし、旧約聖書の信仰者の典型であります。あるいはその理想的な姿です。神に対する強い信仰と、神に従う道徳的水準の高さを兼ね備え、生活全体を通して、救い主の到来を目撃し、証言しました。
しかし、彼は依然として旧約聖書の時代に属していました。本日の聖書の箇所でありますマタイ福音書11章11節には、このように記されています。
「はっきり言っておく。およそ女から生まれた者のうち、洗礼者ヨハネよりも偉大な者は現れなかった。しかし、天の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である。」
これは主イエスの救いに与っているわたしたちが洗礼者ヨハネよりも多くの霊的賜物を与えられているという意味でなく、わたしたちは主イエスを信じることにより、聖霊を与えられ、聖霊を通して、主イエスの心を与えられているということです。神を知り、神に対して従順である神の子たちの心と自由が与えられているということ、これこそ神の国に属する者たちの一番の幸いです。
洗礼者ヨハネは獄中で殉教しましたので、主イエスによる救いの実現を目の当たりにして喜ぶことはできませんでしたが、彼は先駆者の務めを果たすことにより、神の救いを賛美しているのです。



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