2012-11-18(Sun)

祈り求める 2012年11月18日の礼拝メッセージ

祈り求める
中山弘隆牧師

 エリヤはアハブに言った。「上って行って飲み食いしなさい。激しい雨の音が聞こえる。」アハブは飲み食いするために上って行き、エリヤはカルメルの頂上に上って行った。エリヤは地にうずくまり、顔を膝の間にうずめた。「上って来て、海の方をよく見なさい」と彼は従者に言った。従者は上って来て、よく見てから、「何もありません」と答えた。エリヤは、「もう一度」と命じ、それを七度繰り返した。七度目に、従者は言った。「御覧ください。手のひらほどの小さい雲が海のかなたから上って来ます。」エリヤは言った。「アハブのところに上って行き、激しい雨に閉じ込められないうちに、馬を車につないで下って行くように伝えなさい。」そうするうちに、空は厚い雲に覆われて暗くなり、風も出て来て、激しい雨になった。アハブは車に乗ってイズレエルに向かった。主の御手がエリヤに臨んだので、エリヤは裾をからげてイズレエルの境までアハブの先を走って行った。
列王記上18章41~46節


 また、弟子たちに言われた。「あなたがたのうちのだれかに友達がいて、真夜中にその人のところに行き、次のように言ったとしよう。『友よ、パンを三つ貸してください。旅行中の友達がわたしのところに立ち寄ったが、何も出すものがないのです。』すると、その人は家の中から答えるにちがいない。『面倒をかけないでください。もう戸は閉めたし、子供たちはわたしのそばで寝ています。起きてあなたに何かをあげるわけにはいきません。』しかし、言っておく。その人は、友達だからということでは起きて何か与えるようなことはなくても、しつように頼めば、起きて来て必要なものは何でも与えるであろう。そこで、わたしは言っておく。求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。あなたがたの中に、魚を欲しがる子供に、魚の代わりに蛇を与える父親がいるだろうか。また、卵を欲しがるのに、さそりを与える父親がいるだろうか。このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。」
ルカによる福音書11章5~13節



(1)祈りの必要
 祈りはクリスチャンの生命線であると言われます。わたしたちは空気を呼吸していなければ生きられないように、信仰者は祈らなければ神との関係の中で生きているという意識が薄れ、霊的生命が弱まってしまいます。また、思い出したように、時々祈る程度では、祈りとして不十分です。
 わたしが洗礼を受けました名古屋の金城教会で、樋田豊治牧師は、わたしたちによく祈りが足りない、と言っておられました。その時、教会はいわば出エジプトのような大冒険に乗り出した時でした。
 教会は表と裏の二つの通りに面した奥行きの深い敷地で、戦時中でも焼け残った賑やかな表通りに面して会堂が立っており、その奥に幼稚園の園舎がありました。
しかし将来は都市計画によって裏通りが広い道路となり、そこが表通りになると予想されていましたので、教会を裏通りに移転させ、さらに裏通りに面した隣の土地を購入しようと計画を立てました。ちょうどその土地の所有者が水道工事の事業に失敗したため、かなり大きな屋敷が売りに出されたのです。
 ところで、土地購入の資金を集めなければなりませんが、教会には資金がありませんので、会堂を移転させ、跡地を売って資金を得ようと計画を立てました。
 しかし、教会を移転させた後、なかなか買い手が現れませんでした。その間、駐車場に貸したらよいという人があり、またパチンコ店が買いたいと言ってきたのだから、売ればよいという人もありました。しかし、もっと堅実な商売をしている会社に売れるまで待とう、ということになりました。
 その間、毎日牧師は祈っておられました。夜ふと目が覚めるとき、床に起き上がって祈ると言っておられました。とうとうある銀行が買ってくれましたので、教会は裏の土地を家屋ごと購入することができました。
 その時代すでに将来の会堂に対する大きな夢があり、大成建設会社に勤めておられた牧師のご長男がビル設計の専門家でありましたので、ご自分で描かれた新しい会堂の絵が飾ってあったのを、わたしは覚えています。
しかし、それから三年して牧師が天に召されました。次の牧師の時代に十数年を経て鉄筋コンクリートの大きな会堂が建ちました。その時、祈りは必ず聞き上げられるということをわたしは改めて強く感じさせられました。

(2)神の約束
 ルカによる福音書11章1節では、主イエスの祈っておられる姿を見て、弟子たちが受けました強烈な印象を語っています。弟子たちは、イエスこそ真実の祈りのできる方である。イエスの祈りを神は常に聞き入れられるという思いを強くしました。そこで、弟子たちは主イエスにどのように祈ればよいかを教えてくださいと、お願いしたのです。
その時、イエスは弟子たちに「主の祈り」を祈るように教えられました。これが今日教会の礼拝で用いられている一番大切な「主の祈り」です。
さらに、イエスはこの時どのように祈るべきかについても教えられました。それが5節以下に記されています。
そこでは譬え話を用いて教えておられますが、人は友人だから、自分の願いを聞いてくれると思うのは間違いで、友人の親切さを信頼して、一生懸命にしかも執拗に願うから、聞いてくれる。神に祈る場合にも、それと同じように神は慈しみ深い方であると信じて、一生懸命に執拗に祈るならば、神はその祈りを聞いてくださる、と教えられました。そして次にように約束されました。
「そこで、わたしは言っておく。求めなさい。そうすれば与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。」(11:9~10)
ここでイエスが用いられました「わたしは言う」というギリシャ語は、「エゴー レゴー」です。普通に「わたしは言う」というギリシャ語は「レゴー」だけで十分なのです。それに対して、「わたしは」という意味の「エゴー」を付け加えるのは、特に強調した言い方で「他の者ではなく、このわたしが言う」という意味です。
このような言い方は、イエスが神について語られるとき、或いは神から与えられたご自分の使命について語られるとき。また主イエスを通して、神様が信じる者に与えられる恵みについて語られるときです。
この場合に、神様は恵み深い方であり、万物を生かし、支配しておられる正しい善なる方であるから、そしてすべての良い賜物と命の所有者であるから、神を信じて、求めるならば、そして執拗に求めるならば、神は必ずお与えになる、と仰せになりました。
これは神様がどういう方であるかを示す言葉であり、また神を信じて真剣に、一生懸命に求める者に神様が必ず与えてくださるというイエスの約束です。言い換えれば、神様の約束なのです。
しかし、「求める者は受ける。」「探す者は見つかる。門をたたく者は、開かれる。」とは単にわたしたちの求める物事を受け取ることができるというのではなく、願っているものを受けるに至るまでに、神との人格的な交わりが与えられることを示唆しています。
祈りはそのような神との交わりに入る門をたたくことであり、門が開かれるとはその交わりに入れられることを示唆しています。探す者は見つかるという意味も、神様を尋ね探す者に神様が出会ってくださるという意味が示唆されています。
実にイエスこそ、地上の生活において、真実な祈りをなし得た唯一の方です。イエス以外にはそのような祈りをすることのできた人間は誰もおりません。イエスの祈りは父なる神と神の御子であるイエスとの交わりの時でありました。
ガリラヤ地方で、神の国の宣教をされましたとき、イエスは毎日、朝早く起きて、一人で祈っておられました。
「朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そして祈っておられた。」(マルコ1:35)
このように、今日なすべき事柄を、父なる神に祈り求め、神の御心を知ってから、イエスは行動されたのです。そういった意味で、イエスは自分が父に絶対的に依存していると言っておられます。
「子は父のなさることを見なければ、自分から何もできない。父のなさることはなんでも、子もそのとおりにする。父は子を愛して、ご自分のなさることをすべて子に示されるからである。」(ヨハネ5:19)
イエスは父なる神に向かって、父よと呼びかけ、神は子よと答え、神の御心と性質をイエスに示し、神の命令を与え、その命令を実行する力をイエスに与えられました。言い換えれば、それは父なる神が御言葉をイエスに語り、イエスはその御言葉を理解し、その御言葉に従って、行動されたということです。
このイエスがわたしたちクリスチャンに祈りにおいて、神に求め、神の門をたたき、神を尋ね、神との交わりを求めよと仰せられ、同時に、神は祈り求めるものを豊かに与えられ、何よりも祈りにおいてご自身を示されると約束されたのです。

従いまして、クリスチャンの祈りの基礎はイエスのこの約束であります。しかしそれだけではありません。さらにイエスは人類の罪を十字架の死によって贖い、復活して主となられましたので、今は復活して父なる神の御前に立っておられます。それゆえ、今や主イエスご自身がクリスチャンの祈りが聞かれることの基礎なのです。この点でイエスは次のように仰せになりました。
「はっきり言っておく。わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。わたしが父のもとへ行くからである。わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。こうして、父は子によって光栄をお受けになる。わたしの名によって何かを願うならば、わたしがかなえてあげよう。」(ヨハネ14:12~14)
「名」とは人格と存在を表しています。従いまして、イエスの名とは、復活された主イエスの霊的現実を意味しています。それゆえ、人は誰でも、主イエスを信じて、主イエスと結ばれるならば、主イエスの名によって祈ることができるし、主イエスの名による祈りは必ず聞きあげられるのです。

(3)主イエスの御名によって祈る
それでは主イエスの名によって祈るとはどういうことでしょうか。それはわたしたちが主イエスに出会って、主イエスの御顔を仰ぎつつ、主イエスと同じ性質と力とをもってわたしたちに直面される父なる神に向かって祈ることです。
神は霊であり、人間の目には見えない方ですが、神は何処にでもおられる方であり、しかも常にわたしたちと共におられる方です。そして人間の隠れた所をすべて見ておられる方です。わたしたちの良い面も、悪い面もすべてご存じです。それゆえ、わたしたちの祈りの動機と意図を神様は重要視されます。
わたしたちの祈りに答えられる恵み深い神は、祈りにおいてこそ、わたしたちの祈る利己的な動機と自己の名誉と功績を求めるこの世的な意図を退け、主イエスのように父なる神に対する従順な心をもって、神の御心を知ることを求め、御心を実行する霊的力を求めるとき、聞き入れてくださる方なのです。
しかし、神はわたしたちが神を信じて、熱心に祈る場合に、わたしたちの願いを必ず聞き入れてくださいます。それではどのように聞き入れられるのでしょうか。
その仕方は神がわたしたちの不純な動機を映し出す鏡となり、わたしたちが自分の不純な動機を取り去り、高慢な思いを捨て去って、主イエスの思いに倣い、自分に必要な事柄を祈るように、わたしたちの祈りを純化し、高めてくださることによってです。
そのようにして、祈りの中でわたしたちは主イエスに導かれて、祈ることができるのです。そのような祈りを神様は喜ばれるのです。従って、祈りは忍耐をもって求め続けることが何より必要です。

(4)答えられている祈り
神学者ティリッヒは、人が祈ったときに、その後に起こる事柄が祈りの内容と表面的には矛盾していても、そこで新しい何かが起こるような祈りは、聞かれている、と教えました。つまり、祈りから出る新しい何かが、人間を神の愛の高さにまで高めるとき、その祈りは聞きあげられたのだ、と言いました。
例えば、わたしたちが他の人のために、執り成し祈るときに、祈る者と祈られている者との間に、心の通じる関係が開かれる場合に、その祈りは神に聞かれたのです。
また、聞き入れられている祈りとは、一つのことを長い期間、忍耐をもって祈っている場合です。なぜならば神様がわたしたちを通して、ご自身の目的を実現されるためには、長い時間をかけて、周囲の事情を整えられます。その間に、わたしたちを教え、訓練し、いよいよその時が満ちた場合に、わたしたちは神様の働きを熟知し、謙遜に、しかも確信をもって行動できるように備えてくださります。それゆえ、わたしたちは忍耐して、祈る必要があります。
実に、わたしたちは祈りによって神に求めるとき、神様から非常に多くのことを学ばせて頂くのです。
先ず、神が必ず祈りを聞きあげてくださるという確信です。次に祈り求める事柄を実現される神様の方法を静かに見守る姿勢です。さらに、そこで深刻な自分の問題と直面させられ、自分の罪深さを自覚するようになります。そのような者を神は主イエス・キリストの贖いと義のゆえに神との交わりの中にしっかりと保ち、どのような状況になっても決して切り離されないので、キリストの性質を映し出す者へと徐々に変えてくださいます。
その理由はわたしたちが神の命じられる働きをし、神の栄光を現すために、わたしたちが清められる必要があるからです。そうした意味で、祈りは神さまがわたしたちの手を取って教え、導かれる神の学校です。
しかし、そのような忍耐深い祈りこそ実は既に聞かれていると言えます。なぜならば、そのような祈りを通して、聖霊がわたしたちの中で働いているからです。
主イエスは、「まして、天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。」(11:13)と仰せられました。
まことに、忍耐深い祈りこそ、聖霊が与えられている証拠です。なぜなら、そのような祈りは聖霊の働きによってなされているからです。実に、聖霊の働きは、どんなときにも、わたしたちを主イエスと結びつけ、主イエスの霊的生命と神の子の自由をわたしたちに常に供給するのです。



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