2012-11-11(Sun)

福音を恥としない 2012年11月11日の礼拝メッセージ

福音を恥としない
中山弘隆牧師

 草は枯れ、花はしぼむが、わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ。高い山に登れ、良い知らせをシオンに伝える者よ。力を振るって声をあげよ、良い知らせをエルサレムに伝える者よ。声をあげよ、恐れるな、ユダの町々に告げよ。見よ、あなたたちの神。見よ、主なる神。彼は力を帯びて来られ、御腕をもって統治される。見よ、主のかち得られたものは御もとに従い、主の働きの実りは御前を進む。主は羊飼いとして群れを養い、御腕をもって集め、小羊をふところに抱き、その母を導いて行かれる。
イザヤ書40章8~11節


 まず初めに、イエス・キリストを通して、あなたがた一同についてわたしの神に感謝します。あなたがたの信仰が全世界に言い伝えられているからです。わたしは、御子の福音を宣べ伝えながら心から神に仕えています。その神が証ししてくださることですが、わたしは、祈るときにはいつもあなたがたのことを思い起こし、何とかしていつかは神の御心によってあなたがたのところへ行ける機会があるように、願っています。あなたがたにぜひ会いたいのは、“霊”の賜物をいくらかでも分け与えて、力になりたいからです。あなたがたのところで、あなたがたとわたしが互いに持っている信仰によって、励まし合いたいのです。兄弟たち、ぜひ知ってもらいたい。ほかの異邦人のところと同じく、あなたがたのところでも何か実りを得たいと望んで、何回もそちらに行こうと企てながら、今日まで妨げられているのです。わたしは、ギリシア人にも未開の人にも、知恵のある人にもない人にも、果たすべき責任があります。それで、ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を告げ知らせたいのです。わたしは福音を恥としない。福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。福音には、神の義が啓示されていますが、それは、初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです。「正しい者は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。
ローマの信徒への手紙1章8~17節


(1)福音とは
 福音とは、ギリシャ語でユーアンゲリオンと言いますが、「良き知らせ」という意味です。重大なニュースは号外を発行して道行く人々に知らせます。古代世界では、国の存亡をかけた戦いで勝利したとき、戦場から伝令が長い距離を走破して、祖国に伝えた勝利の内容を「福音」と言いました。
 聖書の場合に、福音とは「人間の救いのために神が主イエス・キリストにおいてなしてくださったこと」「神が人間の罪に勝利して、主イエス・キリストを通して人間に対する恵み深い支配を樹立されたこと」言い換えれば、「神が旧約聖書の長い時代を通して人間の救いのために働き、救いを約束して来られましたが、今や神の約束が成就したということ」を知らせる神の通達です。
神は福音によってこの神の事実を全人類に公布されたのです。それゆえ福音とは人類の存亡に関する事柄であり、わたしたち一人一人に対してわたしたちの生死に関わる事柄です。
この場合に、神は福音のために奉仕する使徒たちを選び、彼らに福音の内容を啓示し、彼らが福音を語ることにより、福音が一人一人のもとに届くようにされました。
この点について、使徒パウロは次にように言っています。
 「神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです。」(コリント一、1:21)
 
(2)信じる者に救いを与える神の力
 次に、使徒パウロは言っています。
 「わたしは福音を恥としない。福音は、ユダヤ人を初め、ギリシャ人にも、信じる者すべてに救いを与える神の力だからです。」(ローマ1:16)
 神が人間に与えられる救いとは、人間が神を知り、言い換えれば神は恵み深い主権者であり、神は人間の命の泉であることを知り、神に求め、神に従い、神の御言葉と命令を実行することです。
 しかし、人間は自らの知恵と力によって生きることを欲して、自分たちの創造者である神から離れ、罪の結果として神に対する無知の暗闇に取り囲まれました。そのような人間は最早自分の知性や洞察力によって、神を知ることは不可能なのです。
 他方、神の御心はそのような人間が神を知り、神に立ち帰る道を神ご自身によって備えることでした。そこに予想外ともいうべき、人間の思いをはるかに越えた深い神の愛があるのです。
 そのため、神は神の独り子を世に遣わし、処女マリアより人間として誕生させられたイエスを通して、神の御心と性質を完全にわたしたちに示してくださいました。イエスの人格を通して、イエスの言動を通して、神の性質と人間に対する神の目的と計画を啓示されました。
 さらに、イエスは父なる神を信じ、父なる神との人格的な交わりの中で受ける聖霊の働きにより、父なる神に対して完全に従順であったのです。この従順により、イエスは神の目的と行為を、すなわち人間に対する神の救いを教えられたのです。
つまりそれは今や主イエスを通して神の国が開始していると宣言され、そのことに対する信仰を要求されたことです。同時に、イエスは病に苦しむ人に罪の赦しを宣言し、神の力によってその病を癒されました。
このイエスの教えと活動が福音の内容となっています。従いまして、マルコによる福音書はイエスの救い主としての公生涯の発端を次にように記しています。
 「ヨハネが捕らえられたのち、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、『時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい』と言われた。」(マルコ1:14~15)
 同様に、使徒たちの宣教した福音も「神の福音」です。このことはローマの信徒への手紙の冒頭で明らかです。
 「キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び出され、召されて使徒となったパウロから、--この福音は神が既に聖書の中で預言者を通して約束されたもので、御子に関するものです。御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、聖なる霊によれば、死者の中からの復活によって力ある神の子と定められたのです。この方がわたしたちの主イエス・キリストです。--」(ローマ1:1~4)
 従いまして、福音の中心はあくまでイエス・キリストの十字架の死と復活です。このことをイエスは自分が神から遣わされた者として、果たさなければならない最大の使命であると認識し、十字架の死を全うされました。
 しかし、弟子たちは主イエスが認識し、果たされた救い主の使命を全く誤解していました。なぜならば彼らはユダヤ教のメシアの観念に捕らえられており、メシアは死ぬことなく、神の力を与えられて、イスラエル民族の敵であるローマ帝国を滅ぼし、イスラエル民族を中心にした神制政治を世界に及ぼすと考えていました。そのためイエスの十字架に遭遇した時に、彼らは皆イエスに躓いたのです。

 それに対して、イエスはひたすら神の意志に従い、ご自分が人類の罪を担い、罪の責任を取って、神の裁きを受け、死に至るまで従順であることによって、神が主権者としての意思を貫かれるとき、イエスの従順が人間の義となることを信じて、自分の命を献げられました。
これは何と崇高な、人間に対する何と大きな愛に満ちた自己犠牲でしょうか。この犠牲により、罪人は罪の束縛から解放され、イエスの義を与えられて、神の前に生きる新しい人間とされました。
 ただし、この新しい人間を神はイエスの中に創造されましたので、神はイエスを復活させ、人間の主とされたのです。同時に天地万物の主とされました。「主」とは神の全権を委任され、神として働いておられる方に対する称号です。このことが福音の中心です。
それゆえ、イエスが救い主であるのは、十字架について死に、復活して主となられたからです。ユダヤ教のメシアのように一度も死ぬことなく、神の力を受けて、その使命を果たすのではありません。そうではなく、正に死にそして復活されたことにより、救い主となり、その働きが本格的に開始したのです。

 従いまして、この福音は父なる神がイエスを復活させ、主とされましたとき、復活の主イエスが使徒たちと出会われることによって使徒たちに啓示されたものです。
同時に、聖霊が使徒たちに与えられましたので、聖霊を通して、使徒たちはイエスの十字架と復活の意味を知らされました。
そのとき、彼らは主イエスこそ「生ける神の霊的現実」であると信じたのです。その場で直ちに復活の主は使徒たちに福音宣教の務めを命じられました。これによって「神の福音」が確定したのです。
今や、復活の主は福音を通して働き、救いを与えられる方となられました。この方が主イエスです。

 使徒パウロの場合に、彼は熱心なユダヤ教徒であり、新進気鋭の律法学者でありましたので、キリスト教に反対し、キリスト教撲滅の先頭に立っていた時、復活の主イエスが彼に現れ、彼に語られました。そこにおいてパウロは復活の主イエスの姿を信仰によって見つめ、同時に心に聖霊を受け、彼は存在的に主イエスと結ばれ、自分が主イエスの中で新しい人間とされていることを知りました。
 キリストは反キリストの罪人の頭であるパウロを愛し、ご自身を現わし、福音を啓示し、彼を福音の使徒として立てられたのです。
 このことはガラテヤの信徒への手紙の中でパウロ自身が語っています。「わたしは、徹底的に神の教会を迫害し、滅ぼそうとしていました。--しかし、わたしを母の胎内にあるときから選び分け、恵みによって召し出してくださった神が御心のままに御子をわたしに示して、その福音を異邦人に告げ知らせるようにされたとき、----」(ガラテヤ1:13~16)
 神の愛は何と深いことでしょうか。ご自身に敵対する者を愛して、福音の使徒として選ばれたのです。また復活の主イエスの働きは何と偉大でありましょうか。十字架と復活に躓き、それを愚かなこととしてキリスト教に反対していた罪人の無知を取り去り、福音を恥としない、福音こそ信じる者に救いにもたらす神の力であると言わせたのです。

 なぜそうなのかという理由は、復活の主イエスを信じている者が、福音を宣教するときに、復活の主イエスがそこに臨在し、ご自身を現わされるからです。
さらに、どういう仕方でご自身を示されるかといいますと、十字架の言葉と復活の言葉を「聞く者」が、その言葉を「自分」に語っておられる方は「主イエスご自身」であると信じるようになるからです。つまり、復活の主イエスを信じることは、宣教される福音の中で、復活の主イエスご自身がすなわち神ご自身が、語っておられると信じることと同じなのです。

従いまして、福音を通して語られる主イエスは、神として臨在し働いておられるので、聞く者わたしたちは「神の霊的現実」に直面します。その霊的現実が主となったイエスである、主イエスであると信じるのです。
この場合に、もし人は自分が信じられるような「しるし」や奇跡を要求するならば、あるいは自分たちの理性的判断によって分かるようにして欲しいと要求するなら、それは神の福音を拒否することなのです。
福音が理解できるということは、復活の主イエスと出会うことであり、神的現実に触れることに他ならないのですから、わたしたちにとって一番必要なことは、福音の言葉を真剣に聞く態度です。そこでは「主よ、お語り下さい。僕は聞きます」と祈ることが不可欠です。
また、なぜそのような「信仰」が与えられるのかといいますと、主イエスが出会われることによって、福音を聞く者の心に「聖霊」が与えられるからです。信仰は「聖霊の働き」です。

 次に、復活の主イエスが神として今、わたしたちと出会っておられますことはイエスの人格の秘密を知る上での出発点です。なぜならば主イエスは今、神としてわたしたちに対面しておられるのですから、最初から神の御子であり、イエスは神の御子が人間となられた方であることが分かるのです。
そのとき、神が人間を救うために、御子においてご自身を人間に与え、人間の問題を担い、罪から解放し、ご自身の義を与えるために、いかに大きな犠牲を払われたことが分かるのです。

(3)主イエスの主権のもとで生きる 
 最後に、イエスは地上で神の国の宣教をされた時、イエスに対する信仰を要求し、自分の命を得ようと思う者はそれを失い、イエスのために自分の命を捨てる者は、真の命を得ると仰せられ、「われに従え」と要求されました。
 それに対して、復活の主イエスはわたしたちに対して、あなたはわたしの十字架によって古い自分に既に死んでおり、わたしの復活によって、あなたはわたしの内で新しい人間となっている。
それゆえ、わたしを信じ、わたしの内にある新しい人間として生きよと命じられるのです。この主イエスの命令に応答することが信仰です。 

「信仰」とは主イエスを「自分の主であると承認」することであり、イエスを「自分の主とする決断」です。もし自分が「自分自身に対して忠実であろう」と思うならば、自分を滅びへと導いている自分は最早自分の主人である「資格がない」ことを認め、自分を永遠の命に生かしてくださる主イエスを「自分の存在の中に主人として迎え入れ」、「自分の全存在の統治者」となってもらうことを承認するのです。
どうぞ、主イエスよ、わたしの中に入り、わたしの心、わたしの行動を統治してください。わたしが最早自分の思いと力で行動するのでなく、主の御心に従い、そして主の復活の命を受け、神の子としての自由を受け、神の御心を実行する者とさせてくださいと、主イエスに申し上げ、自分のすべてを主に「明け渡す」こと、これが信仰です。
 このことによってわたしたちは主イエスと存在的に結びつき、主イエスの思いを自分の思いとし、主イエスに従うとき、「神の愛」がわたしたちの中に働くのです。
そのことによって、わたしたちは感謝と喜びに満たされ、自ら進んで、神の御心を実践し、隣人に対して神の愛を実行するのです。このように、わたしたちのなす「すべての善き業」は神に対する感謝と賛美の歌となるのです。



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