2012-11-04(Sun)

天国に市民権を持つ 2012年11月4日永眠者記念日礼拝メッセージ

天国に市民権を持つ
中山弘隆牧師

 そこに大路が敷かれる。その道は聖なる道と呼ばれ、汚れた者がその道を通ることはない。主御自身がその民に先立って歩まれ、愚か者がそこに迷い入ることはない。そこに、獅子はおらず、獣が上って来て襲いかかることもない。解き放たれた人々がそこを進み、主に贖われた人々は帰って来る。とこしえの喜びを先頭に立てて、喜び歌いつつシオンに帰り着く。喜びと楽しみが彼らを迎え、嘆きと悲しみは逃げ去る。
イザヤ書35章8~10節


 兄弟たち、皆一緒にわたしに倣う者となりなさい。また、あなたがたと同じように、わたしたちを模範として歩んでいる人々に目を向けなさい。何度も言ってきたし、今また涙ながらに言いますが、キリストの十字架に敵対して歩んでいる者が多いのです。彼らの行き着くところは滅びです。彼らは腹を神とし、恥ずべきものを誇りとし、この世のことしか考えていません。しかし、わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。キリストは、万物を支配下に置くことさえできる力によって、わたしたちの卑しい体を、御自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださるのです。
フィリピの信徒への手紙3章17~21節


(1)キリストとの交わり
本日は永眠者を記念する聖徒の日でありますので、日本基督教団に属する諸教会は、既に天に召された方々を覚えて礼拝を守っています。この礼拝の中で、天に召された方々と今地上で信仰生活をしているわたしたちが、主イエスによって深いつながりを与えられており、その絆は永遠であることを感謝する者でありたいと願います。

使徒パウロは自分の人生の終わりが近づいていることを察知し、愛して止まないフィリピの教会の人たちに対して次にように彼の心境を述べています。
「わたしにとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益です。けれども、肉において生き続ければ、実り多い働きができ、どちらを選ぶべきか、わたしには分かりません。この二つのことの間で、板挟みの状態です。一方ではこの世を去って、キリストと共にいたいと熱望しており、この方がはるかに望ましい。」(フィリピ1:21~23)
クリスチャンがクリスチャンとして生きるということは、キリストがクリスチャンの中で働かれることです。従って、クリスチャンが生まれながらの人間としての思いと願いで生きているならば、それはキリストがクリスチャンの中で働いておられるとは言えません。キリストの思いを自分の思いとして、そして生まれながらの自分の力によってではなく、キリストの命によってキリストの思いを実行するとき、キリストがそのうちに働いておられるのです。
こう言う意味で、パウロは「生きるとはキリストである」と断言しています。
さらに、「死ぬことは利益です。」と言っています。なぜなら人は誰でも一度は死ななければならないのですが、そして愛する者たちに見守られて死を迎えるとしても、死は自分一人で死ななければなりません。その孤独の寂しさに魂は恐怖を感じます。
しかし、人は死において決して一人ではありません。なぜなら十字架の死においてご自身をすべての人間と連帯化されたキリストが共にいてくださるから、人はキリストと共に死ぬのです。そのことによって、死においてクリスチャンはキリストの中におり、キリストと共にいるのです。
パウロはこのことをよく認識していますので、「この世を去ってキリストと共にいることを熱望している。」というのです。
人間にとって、自分の死を受容し、死を越えて永遠の生命を希望することのできる根拠は、キリストを通して現された神の愛です。パウロはローマの信徒への手紙8:35~39で、次のようにその確信を言い表しています。
「だれがキリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょうか。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。--わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主イエス・キリストによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。」
パウロは福音宣教のために様々な艱難や迫害や危険や飢えを体験し、それらをすべて通り抜けてきた者としてこの確信を歌い上げています。
キリストの愛はどのような状況の中にある者に対しても注がれており、様々な病や死の危機でも、キリストの愛から人を引き離すことはできないのです。
死においてこそキリストの愛がその人を強く支えているのです。それゆえ、神の愛によるわたしたちとキリストの繋がりは永遠です。


(2)天国の市民として生きる
次に、クリスチャンは主イエスを信じて、主イエスの復活の生命に生かされている限り、既に天に市民権を持っているのです。本日の聖書の箇所でありますフィリピの信徒への手紙3:20で次のように言っています。
「しかし、わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。」
人はだれであっても、この地上で生活をしている者として、それぞれの国家に属しており、その国籍を持っています。
しかし、クリスチャンはどの国の国民でありましても、キリスト教会に属しているならば、天国の市民権を持っているのです。なぜならば、キリスト教会はキリストが支配される天国の出先機関であるからです。
特に、フィリピの人たちにとりまして、このことは実感できました。なぜならフィリピの町はローマの植民地であり、フィリピの町にはローマの市民権をもった人たちが多くいました。彼らはギリシャ地方に住んでいましたが、法律上でローマの市民として優遇され、特権を享受していました。それゆえ彼らはローマ市民であることを何よりも誇りにしていたのです。ちょうど同じように、わたしたちクリスチャンも天国から遠く離れた地上で生活していますが、それでもわたしたちは天国の市民なのです。
それでは、天にある神の国の市民権が与えられているということは何を意味するのでしょうか。
第一に、神は主イエス・キリストの十字架の贖いと復活により、主イエスを天地万物の支配者とし、教会の頭とされました。
天国とは主イエスの贖いによって、神と和解した人間が神と共に生きる場所です。正にこの天国は既に復活の主イエスの中に用意されているのです。それゆえ、わたしたちは主イエスを信じることにより、天国の市民権が与えられたのです。
実に神は御自身の目的を持って行動し、それを実現される方です。神の最初からの目的は、天国を造り、人間を天国において、神と共におらせるためでした。
それでもクリスチャンの中には、神が創造された最初の人アダムが罪を犯してエデンの楽園から追放されたため、人間は罪と悲惨さの中で過ごさなければならなかった。このことがキリストの救いを必要としている理由だと考えている人が多くいます。
従って、そのような見方では、キリストの救いの目的は創造の最初の状態に回復することであると言います。しかし、本当はそうではありません。なぜならば、神は最初から主イエスの贖いにより、天国を建設する目的を持って、この世界と万物を創造されたからです。この点をエフェソの信徒への手紙は明らかにしています。
「天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、ご自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。イエス・キリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです。神がその愛する御子によって与えてくださった輝かしい恵みを、わたしたちがたたえるためです。わたしたちはこの御子において、その血によって贖われ、罪を赦されました。これは、神の豊かな恵みによるものです。」(エフェソ1:4~7)
ここで神は天地創造の前から人間を御子イエス・キリストにおいて、神の子として、神の御前で永遠に生かすという遠大な無限に高い目的を持っておられたことが示されています。要するに、世界創造の前から神の目的は天国を実現することでした。
第二は、わたしたちが主イエスを信じることによって、キリストの義を与えられ、神との正しい関係に入れられました。それゆえ聖霊がわたしたちの心の中に臨在しておられます。そしてわたしたちは聖霊によって主イエスの復活の命を絶えず供給されるのです。
ところで、主イエスの復活の生命こそ、終わりの時に実現する天国を満たす命です。従って、聖霊の働きはいわば天国の先取りです。言い換えれば聖霊の働きこそ、地上のクリスチャンと天国を結ぶ霊的現実です。
第三は、それゆえクリスチャンが神の御言葉を聞き、御言葉を実践する中で、聖霊の働きを体験することが非常に重要です。
なぜならばこの体験は地上にいるクリスチャンが天にある神の国と連なっている証拠であるからです。
第四に、クリスチャンは自分たちの本国である神の国を目指して、巡礼の旅をつつけている者たちである、といえます。
それは生まれながらの古い人間に背を向けて、主イエスにおいて与えられている新しい人間に向かって、絶えず前進して行くことです。クリスチャンも地上にいる限り、自分の罪やこの世の様々な誘惑と攻撃に取り囲まれていますが、それらは主イエスの十字架の贖いと復活の勝利により、既に支配権が打ち破られているので、わたしたちは罪の束縛や闇の勢力に捕らえられることのない自由が与えられています。また、神の御言葉に聞き従う神の子たちの自由が与えられています。
それゆえ、神の御言葉の実践に全力を注ぐことができるのです。そのようにして、クリスチャンは自分に与えられた時間を無駄にせず、主の業に励むことができます。これが巡礼者の生き方です。
この点につきましても、パウロは人生における唯一の目的は主イスの性質を自分の中に明瞭に写し出し、死人からの復活に達したいのであると言っています。
「わたしは、既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者となっているわけではありません。何とかして捕らえようとしているのです。自分がキリストに捕らえられているからです。--なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標目指してひたすら走ることです。」(フィリピ3:12~14)
このように信仰の生涯を天国への巡礼として歩むならば、わたしたちは既に天に召された方々と深い絆で結ばれています。なぜなら、天国での再会を期待しながら、巡礼の旅路を行くとき、既に天に召された方々も同じ巡礼の旅路を通ったのだと思えるからです。
さらに重要な点は、天国に通じる巡礼の道の開拓者は主イエスです。否、主イエスこそ天国に通じる道となられたのです。
主イエスは地上の信仰の人生で、この世の様々な誘惑に打ち勝ち、父なる神の御心に従って、十字架の死の犠牲を全うするまでの期間、絶えず祈りと認識と決断と行為をもって歩まれました。最後に死人の中からの復活によって、父なる神の前に出られた方です。
この主イエスの御足の跡をすべてのクリスチャンも辿らなければならないのです。主イエスの足跡を辿ることにより、地上において主イエスが体験されたことを、現代の状況の中で自分の祈りと決断と行為によって追体験するのです。そのことがクリスチャンは主イエスと結ばれていることです。
既に信仰の戦いを終えて天上に召された方々も、主イエスの御足の跡を辿るという同様の体験を経て行かれたので、今地上で信仰の戦い続けているわたしたちと主イエスを媒介とした密接な繋がりを持っているのです。
他方、天にいる者と地上にいる者との違いがあります。天に召され主イエスの懐に抱かれている方々には、この世的な思いは最早通じません。なぜなら地上の思いは既に過ぎ去ったのであり、今は天上の思いで満たされているからです。このことを考えますと、地上に残されたわたしたちはこれまで以上にキリストの思いと行動をもって日々を過ごそうと励まされます。
また、既に召された方々の思いとは、神の愛による交わり、聖霊による交わりによって、平安と感謝と喜びに満たされ、神の永遠の計画が成就することを願い、すべての者の救いを願うことに他ありません。わたしたちもこの願いと祈りをもって過ごすならば、天上の方々と共鳴し合うことができるのです。

(3)天上での再会
神の救いの完成とはキリストにあるすべての人間を神が死人の中から復活させられることです。主イエスによる聖霊がすべての人に宿ることによって、神は終わりの日に聖霊によって死人を復活させ、霊的身体を与えられるので、わたしたちは皆、罪と汚れとが全くない主イエスの姿に完全に似た者として出現するのです。
このとき、人は皆、顔と顔を合わせて、主イエスを見るのです。主イエスが聖徒たちの中心に立たれるのです。そして主イエスの周りに、無数の聖徒が現れ、互いに再会を喜び、そこに愛と認識と調和による神の国が出現するのです。
さらに人間だけでなく、被造物全体が不滅なる姿へと変貌し、神の栄光を反映させるのです。すべての被造物が主イエスによって一つに統一されるのです。それゆえ天国で人はどうするのでしょうか。
神の永遠の目的が成就し、神の恵みによりすべての人間が救われ、神の栄光が限りなく現れたことを目の当たりにして、声をそろえて神を賛美するのです。
その賛美の声が全体に響き渡るのです。そこに、永遠の命の充満があります。



スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

コメント

教会案内
〒354-0044
埼玉県入間郡三芳町北永井959-3
TEL・FAX:049-258-3766

牧 師:中山弘隆

創立日:1972年2月19日

最寄り駅
東武東上線 鶴瀬駅 西口
東武東上線 ふじみ野駅 西口
よりタクシーで10分
※駐車場完備

三芳教会へのバス利用方法

MAP
三芳教会の地図です
定例集会案内
●主日礼拝
  毎日曜日 10:30~12:00
●教会学校
  毎日曜日 9:15~9:40
●朝の祈祷会
  毎日曜日 9:45~10:10
●キリスト教入門講座
  毎日曜日 9:45~10:10
●マルタマリア会(婦人会)
  毎木曜日 10:30~
●マルタマリア会例会(婦人会)
  毎月第2主日礼拝後

毎木曜日の祈祷会は、2011年5月より、毎日曜日の朝の祈祷会に変更となりました。
三芳教会のご案内
●牧師紹介

●年間行事予定

●写真で見る三芳教会
最新記事
行事報告
● 江田めぐみ伝道師就任式
 (2012年7月22日)


● 教会バザー報告
 (2011年11月23日)


● バーベキュー大会報告
 (2011年8月21日)


● イースター報告
 (2011年4月24日)


● 柿本俊子牧師隠退の感謝会報告
 (2011年3月27日)


● 講壇交換(三羽善次牧師)
 (2011年1月23日)


● 墓前礼拝報告
 (2010年11月7日)


カテゴリ
カレンダー
06 | 2017/07 | 08
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -
月別アーカイブ
全記事INDEX

全ての記事を表示する

お知らせ
ようこそいらっしゃいました。



2016年10月に、当ブログの訪問者が9,000人を超えました。感謝いたします。

2015年9月に、当ブログの訪問者が8,000人を超えました。感謝いたします。

2014年9月に、当ブログの訪問者が7,000人を超えました。感謝いたします。

2014年1月に、当ブログの訪問者が6,000人を超えました。主の導きに感謝いたします。

閲覧者数
現在の閲覧者数
現在の閲覧者数:
メールフォーム
三芳教会やキリスト教についてのお問い合わせ、また当教会へのご意見、ご要望等がありましたら、下記のフォームよりうけたまわります。

お名前:
メールアドレス:
件名:
本文:

検索フォーム
リンク
QRコード
QR