2012-08-19(Sun)

神のものは神に 2012年8月19日の礼拝メッセージ

神のものは神に
中山弘隆牧師

 彼は林の中で力を尽くし、樅を切り、柏や樫の木を選び、また、樅の木を植え、雨が育てるのを待つ。木は薪になるもの。人はその一部を取って体を温め、一部を燃やしてパンを焼き、その木で神を造ってそれにひれ伏し、木像に仕立ててそれを拝むのか。また、木材の半分を燃やして火にし、肉を食べようとしてその半分の上であぶり、食べ飽きて身が温まると、「ああ、温かい、炎が見える」などと言う。残りの木で神を、自分のための偶像を造り、ひれ伏して拝み、祈って言う。「お救いください、あなたはわたしの神」と。
イザヤ書44章14~17節


 さて、人々は、イエスの言葉じりをとらえて陥れようとして、ファリサイ派やヘロデ派の人を数人イエスのところに遣わした。彼らは来て、イエスに言った。「先生、わたしたちは、あなたが真実な方で、だれをもはばからない方であることを知っています。人々を分け隔てせず、真理に基づいて神の道を教えておられるからです。ところで、皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか。納めるべきでしょうか、納めてはならないのでしょうか。」イエスは、彼らの下心を見抜いて言われた。「なぜ、わたしを試そうとするのか。デナリオン銀貨を持って来て見せなさい。」彼らがそれを持って来ると、イエスは、「これは、だれの肖像と銘か」と言われた。彼らが、「皇帝のものです」と言うと、イエスは言われた。「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」彼らは、イエスの答えに驚き入った。
マルコによる福音書12章13~17節



(1)当時の社会状況
 今日世界のどこの国家でも最大の問題は税金です。これまで日本政府が取ってきた政策は、国民の生活を豊かにすることと経済が世界的な不況から回復することを最優先させ、その財源を満たすために国債を発行してきたことです。
その結果、一応の成果を挙げられましたが、根本的な解決は得られず、膨大な累積赤字に直面しています。そこで今、政府は増税政策を取り国民に大きな犠牲を負わせようとしています。しかしそれによって景気が悪化すれば、結局累積赤字の解消には至らず、国家は破綻してしまい、国民は一からやり直さなければならなくなります。
聖書の時代におきましても、税金は最大問題でありました。イスラエル民族にとりまして、時の支配者であったローマ政府に税金を納めるべきであるか、否かについて、熱い議論が戦わされていました。
熱心党と呼ばれていた国粋主義者たちはローマ政府に税金を絶対納めるべきではないと主張しました。他方、サドカイ派と呼ばれていた祭司たちの上流階級は税金を納めるのは当然であるという見解を表明しました。しかし、ローマ政府に妥協したサドカイ派は民衆の間では人気がありませんでした。
とうとうユダヤ人は紀元66年から70に渡って反乱を起こし、その結果エルサレムはローマの軍隊により徹底的に破壊されてしまったのです。こうした歴史を考えてみますと、イエスの時代に税金問題は極めて難しい問題であったと思われます。
イエスに敵対する者たちは、この状況を巧みに利用してイエスを罠に掛けようと企てました。ところですべてのユダヤ人が納めなければならない税金は「人頭税」とよばれていて、所得の多い少ないに関係しない均等割りの住民税のようなものでした。それは決して重税と言うほどのものではありませんでしたが、税金を支払うために用いる貨幣が決められていました。その貨幣にはローマ皇帝のカイザルの顔が浮き彫りにされており、カイザルがユダヤ人を支配していることを象徴していたのです。

(2)イエスに対する罠
「さて、人々は、イエスの言葉尻を捕らえて陥れようとして、ファリサイ派やヘロデ派の人を数人イエスのところに遣わした。」(マルコ12:13)
ここで、ファリサイ派とヘロデ派とは互いに犬猿の間柄でした。自分たちが神に選ばれた民族であることを誇りにしていたファリサイ派と、ローマ政府の支持者であったヘロデ派とがどうして行動を共にしたかはまことに不思議であります。宗教の面で厳格なファリサイ派と世俗的な者たちの典型であるヘロデ派とは普段は互いに対立していましたが、イエスに反対するという一点では彼らの利害が一致していたのです。彼らはイエスのもとに来て次にように言いました。
「先生、わたしたちは、あなたが真実な方で、だれをもはばからない方であることを知っています。人々を分け隔てせず、真理に基づいて神の道を教えておられるからです。ところで、皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか。治めるべきでしょうか、治めてはならないのでしょうか。」(マルコ12:14)
彼らはわざと不器用者のように見せかけていますが、この質問には実に巧妙な罠が仕掛けられていました。
もしイエスが人頭税を払わなくてもよいと言えば、カイザルに対する反乱者になります。そのような者として訴えられれば、イエスは死刑になります。他方、イエスが人頭税税を支払わなければならないと言えば、イエスは民衆の支持を失うことになり、彼らがイエスを逮捕するのに都合がよくなります。
どちらの答えを選ぶにしても、イエスは窮地に陥るのです。しかし、イエスは彼らの策略を見抜き、彼らの知恵を上回る方法を取られました。
「なぜわたしを試そうとするのか。デナリオン銀貨を持って来て見せなさい。」(12:15)
先ほど申しましたように、デナリオンとは税金を支払うときに使用しなければならない銀貨でした。普段は銅貨が使用されていて、それにはユダヤ人をあまり刺激しないようなオリブの木、または棕櫚の木のデザインが施されていました。そこでイエスは質問されたのです。
「これは、誰の肖像と銘か」(12:16)
ここで、イエスと彼らの立場は明らかに逆転しています。今度はイエスが問い、彼らが答えなければならなくなりました。そして、彼らは自分の口で、「皇帝のものです」というと、イエスは仰せになりました。

(3)絶対的な関係と総体的な関係
「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」(12:17)
ここに至って、イエスはファリサイ派やヘロデ派の仕掛けた罠から逃れられただけでなく、イエスご自身の答えを出されたのです。イエスは税金を支払うべきであると仰せになりました。
しかし、イエスの答えはそこに留まらず、イエスの重点はむしろそれに続く言葉であります。すなわち、「神のものは神に返しなさい」という言葉です。このイエスの挑戦はいかなる人もそれを無視することも、言い逃れることもできない重大な問題です。
神のものを神に返すと言うことこそ、人間が生きるために必要な最大の課題なのです。人間がどのような難しい状況の中にありましょうとも、神のものは神に返すことこそ必要です。実はそうすることによってのみ、人間は本当の意味で生きることができるからです。
それでは、神のものを神に返すとは、どういうことでありましょうか。言い換えますと、神を第一とする生き方です。そして神以外のものはすべて第二とする生き方です。神以外のものを決して第一にはしないことです。人は第一と、第二との区別を正しくつけなければ、人生全体が狂ってしまうのです。しかし神を第一とすると言うことは、わたしたちの頭の中で分かっていましても、それぞれの生き方の中で、本当にそうしているかどうかが問題です。

聖書の神は、生ける神であり、わたしたちに語りかけ、わたしたちの生きる意味と力とを与えられる神です。
神はイスラエルの民に、「聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」(申命記6:4~5)と仰せられました。
神はこのように神の民イスラエルに対して、全存在をもって神を信じ、神に求め、神の御言葉に聞き、神に従うように命じられました。実に神はわたしたちに対して「あなたの全存在をわたしに依存し、わたしに従うことによって生きよ」と仰せになる方です。
それゆえ神との関係は人間の全存在にかかわる絶対的関係です。この関係の中で生きることが神を神とすることです。他方人間は生きていくために、国家、あるいは職業、地域との関係、その他様々な人間関係が必要なのですが、それらはわたしたちの存在と生活の一部分と関わっているものです。あくまでもその関わりの意義と範囲は限定されています。従いまして相対的関係です。
それゆえ、人間の神に対する絶対的な関係と、人間が神以外のものと関わる相対的関係は区別すべきなのです。様々な相対的な関係は神との絶対的関係が保たれている中で、初めて正しくその役割を果たすことができるのです。

(4)ルターの生き方
宗教改革者マルティン・ルターは1521年4月17日と18日にヴォルムスの国会に召喚されました。当時のヨーロッパは神聖ローマ帝国と呼ばれており、皇帝と教皇が支配していました。ヴォルムスの国会には皇帝、選帝公、教皇の使節、司教、公爵、その他多くの高官が、教会と国家を代表して、参加していました。
彼らの前で、ルターは尋問されたのです。皇帝の名によって、ヨハン・ホン・エック博士が二つのことを確かめました。まず、ベンチの上に置かれた25冊の書物がルターのものであるか否かの尋問です。その時、ルターは直ちにそれを承認しました。
次に、これらの書物を撤回する意志があるか否かについて尋問されました。するとルターは謙遜にもう一度熟慮するためにしばらく時間の猶予を願いました。なぜならば、それは勇気の欠如からではなく、自分の発言に対する責任の大きさを感じたからです。魂の救いと神の言葉の真理に関することでありますから、ルターはもう一度考える余裕を要望しました。
皇帝は寛大な処置を取り、尋問を一日延期しました。

翌日再び議会にたって、ルターは次のように弁明しました。
「わたしは聖書の証言によって論駁されるのでなければ、自分の引用した聖書によって征服され、わたしの良心は神の言葉に拘束されているので、これらのどの書物も撤回することはできないし、することを欲しない。なぜならば、良心に反することをするのは安全ではないし、危険であるからである。」
そのとき、聴衆の興奮と混乱の続く中で、ルターは押し潰されそうになりましたが、すべての人の記憶に残る言葉を発しました。
「わたしはここに立っている。わたしは他のことをすることはできない。神よ、わたしを助けてください。アーメン」

ヴォルムスの国会においては、ローマ教皇の側が勝利し、ルターは異端者として破門され、ルターの書物は発行を禁止されました。しかし、ルターの証言は世界史的に見て、その効果を遠くまで及ぼす出来事でした。それは神の言葉に照らされ、導かれ、確信を与えられた良心の声が、伝統や宗教的権威や国家権力に打ち勝つものであることを実証したのです。
もし、ルターは彼の裁判を、ローマ教皇が開催する全体会議に委ねておれば、中世キリスト教の改革はローマ教皇の指導する穏やかな改革にとどまっていたでありましょう。今日でもローマ・カトリック教会の歴史家は、そうすべきであったと主張しています。
しかし、ルターが神の言葉に捕らえられた良心の自由と確信をもって証言したことにより、新しいタイプのキリスト教の出現と発展をもたらしました。ルターを通して、その道を備えることが神の意志であったのです。
破門されたルターは匿われた城のタワー・ルームで聖書の翻訳をしました。その350年後に、その小さな部屋に入ったトーマス・カーライルは、「あの部屋にわたしが立った時、ここはわたしがこれまで見た世界の中で最も聖なる地点であると感じた。わたしは今でもそう思っている。」と、その時の感激を語っています。
本当に人が神の言葉を聞き、そして「神のものを神に返し」、それによって自分の人生を確信をもって歩むことは、永遠の価値を持っています。

(5)神が備えられた道を歩む
このことを考えますと、わたしたち一人一人にとって、神を第一とし、神の言葉に聞き従うことがどれほど重い意味と力を持っているかを痛感します。それはわたしたちの人生に目標を与え、その目標に向かって歩み抜く力を与えるのです。
しかも大切なことは、ルターのように神の言葉に捕らえられた良心の自由と確信をもって、自分人生を歩むことはどのような信仰者でもできると言うことです。それはルターのように歴史的重要人物だけでなく、歴史上は全く無名のクリスチャンに対しても同じように言えるのです。
それはわたしたちが本当に神を信じ、信頼し、神に求め、神の言葉に聞き、神の従って生きるかどうかによります。
神は主イエスの贖いにより、わたしたちがそのような信仰の人生を歩むことができるように、既に備えてくださっています。このことを聖書は神の恵みと呼んでいます。
主イエスの十字架の死による罪の贖いと復活により、神がわたしたちに与え、わたしたちに歩ませようと欲しておられる人生こそ、わたしたちが感謝して生き得る最高の人生です。
それは主イエスを通して必ず一人一人に備えられているのです。
わたしたちは先ずこのことを信じ、神から示される道を歩みましょう。

主イエスが「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」と仰せられるのは、わたしたちに神によって与えられている道を歩ませるためです。



スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

コメント

教会案内
〒354-0044
埼玉県入間郡三芳町北永井959-3
TEL・FAX:049-258-3766

牧 師:中山弘隆

創立日:1972年2月19日

最寄り駅
東武東上線 鶴瀬駅 西口
東武東上線 ふじみ野駅 西口
よりタクシーで10分
※駐車場完備

三芳教会へのバス利用方法

MAP
三芳教会の地図です
定例集会案内
●主日礼拝
  毎日曜日 10:30~12:00
●教会学校
  毎日曜日 9:15~9:40
●朝の祈祷会
  毎日曜日 9:45~10:10
●キリスト教入門講座
  毎日曜日 9:45~10:10
●マルタマリア会(婦人会)
  毎木曜日 10:30~
●マルタマリア会例会(婦人会)
  毎月第2主日礼拝後

毎木曜日の祈祷会は、2011年5月より、毎日曜日の朝の祈祷会に変更となりました。
三芳教会のご案内
●牧師紹介

●年間行事予定

●写真で見る三芳教会
最新記事
行事報告
● 江田めぐみ伝道師就任式
 (2012年7月22日)


● 教会バザー報告
 (2011年11月23日)


● バーベキュー大会報告
 (2011年8月21日)


● イースター報告
 (2011年4月24日)


● 柿本俊子牧師隠退の感謝会報告
 (2011年3月27日)


● 講壇交換(三羽善次牧師)
 (2011年1月23日)


● 墓前礼拝報告
 (2010年11月7日)


カテゴリ
カレンダー
08 | 2017/09 | 10
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
月別アーカイブ
全記事INDEX

全ての記事を表示する

お知らせ
ようこそいらっしゃいました。



2016年10月に、当ブログの訪問者が9,000人を超えました。感謝いたします。

2015年9月に、当ブログの訪問者が8,000人を超えました。感謝いたします。

2014年9月に、当ブログの訪問者が7,000人を超えました。感謝いたします。

2014年1月に、当ブログの訪問者が6,000人を超えました。主の導きに感謝いたします。

閲覧者数
現在の閲覧者数
現在の閲覧者数:
メールフォーム
三芳教会やキリスト教についてのお問い合わせ、また当教会へのご意見、ご要望等がありましたら、下記のフォームよりうけたまわります。

お名前:
メールアドレス:
件名:
本文:

検索フォーム
リンク
QRコード
QR