2012-07-29(Sun)

心配せずに主に任せて 2012年7月29日の礼拝メッセージ

心配せずに主に任せて
江田めぐみ伝道師

 主は泉を湧き上がらせて川とし、山々の間を流れさせられた。 野の獣はその水を飲み、野ろばの渇きも潤される。 水のほとりに空の鳥は住み着き、草木の中から声をあげる。
詩編104編10~12節


 「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」
マタイによる福音書6章25~34節



人間だれでも、悩み(心配)はあるのではないでしょうか。悩みのない人間がいるでしょうか。悩みがあるから、それを乗り越えて人間は成長するのではないでしょうか。
今朝お読みいたしました聖書の箇所は、イエスの描く美しい自然のたとえを通して、神への信頼が素朴に呼び起されています。(25~34)節の中で、「心配」が6回出てきています。
神は人間に命という尊いものを与えてくださった方です。命を維持するためには、食べ物や着物を与えてくださる事を信じることができるはずだと教えられております。

主イエスは、「空の鳥を見なさい」と言われております。それは、じっくりと目を据えて見つめなさいと言うことです。空の鳥は、いつも忙しく飛び回っています。空の鳥は人のように「心配」することはありません。人を、神さまは鳥よりも、もっとすぐれたものとされる神への深い信頼の必要であるのです。
空の鳥、野の花を主のみ言葉に促されて見る時に、私たちは自分もこうなのだと、この鳥や花と同じなのだと思いながら、この御言葉を聞くのです。ですからこのみ言葉を真剣に現実の言葉として聞くことがないと、主のみ心を理解することができないのではないでしょうか。

主イエスは、ここで「思いわずらうな」と繰り返し語っておられます。それはどうしてでしょうか。それは、人間の一番大きな問題の一つが、「思いわずらい」だからです。この思いわずらいからの解放なしに救いはないと、考えたからでしょう。
私たちが本当に主イエスのものであるならば、私たちは、まさしくその思いわずらいから解放されて生きられるのです。その思いわずらいから解き放された自由な生活の中で、おもいわずらいを捨てることです。すると、周りの人々に対しても、一つの説得力を持ってくるのです。
 「思いわずらうな」と主は言われます。けれども、この地球上で生きる私たちにとって、深刻な問題が沢山あります。特に資源のない日本では、石油問題や、2011年3月11日に起きた東日本を襲った大地震や、津波、原発など沢山の問題が山積みですので、思いわずらいを捨てるわけにはいきません。特に世の中の不景気に当たり、働きたくても働けない人々が沢山出ている現状を受け止めていかなければいけない世の中、いつ私たちの身に起こるか分かりません。私たちの心も動揺します。動揺しながら思いわずらいが始まります。明日はどうなるか、将来のことを考えると、不安が生まれます。そういう私たちに対して、主イエスは、「思いわずらうな」と言われます。私たちは、この主イエスの言葉を、どれだけ真剣に受け止められるでしょうか。
 人は、心配したからといって自分の命を少しでも伸ばすことは出来ません。ですから、心配は無用です。

 野のゆりを通して、神は人よりも劣るものを、摂理の御手を持って装われるなら、人間にはもっと配慮をなさるはずであるのです。この野のゆりの聖句を認めず、心配するのは、信仰不足であるのです。
 「食べる」「飲む」「着る」ことは、イエスは「心配することは全くやめなさい」と言っておられます。なぜならば、「御国の子ら」は、天の父が、それらのものを、必要であることを知って愛を持って備えてくださると言うことを信頼して、心配を取り除いて下さるのです。
 「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい」とは、神のみ旨に従って自分の生活を律する(定める)ことであり、また人々の心が神のご支配にゆだねられるように働くことであるのです。こうして神に生きることは、神によってこの世の衣食の問題も解決して頂く事になるのです。この33節は、聖書中最も偉大な命令の一つ、約束の一つであります。
「だから、明日のための心配は無用です」とは、人生には人の予測やコントロールのきかないことが起こります。そう、まさかです。

先日三芳教会員の人がある日突然亡くなられました。その方は、31歳の若い女性で、小説を書かれる人でした。本が大好きで常に本を離さず、持ち歩く人でした。自転車に乗っていても、本が読めるという位、本が大好きでした。彼女は、教会学校で育ち、高校生の時に、三芳教会で受洗されました。彼女が亡くなる前の日曜礼拝の帰りに、私は彼女を送り出す時にとても気になりました。なぜならば、体調が見た目でもわかるように悪く、少しふらついていました。私は、彼女に、お医者さんへ行った方がいいことを伝えると、彼女は、「家に薬があるので大丈夫」と言う返事が返ってきました。それから、3日後、大好きな本が新発売になる日だからと言って、母親にメールを送ったのが最後、ご自宅の中で、倒れて、倒れた時には意識を完全に失い顔面から倒れ、心不全で若い命を落とされました。このように、人生の中で、まさかはいつ訪れるかは、分かりません。葬儀が終わった後で、彼女の一家が礼拝に出席された後、母親は、こんなお話をしていました。彼女は体調が悪くなる前までは、図書館で仕事をされておりましたが、その後体調を崩し、ご自宅で静養しているところでした。彼女の母は、彼女が一番大好きであった教会へ足を運び安心して生活をするところがあって幸せであったこと、そして、彼女の葬儀をした、東京のご両親の出席教会での前夜式、葬儀を通して、教会を一度も訪れたことのない人々も、沢山教会に呼んでくれたことは、亡くなったIさんが最後に伝道してくれたのだと言う言葉を、お母さんは話されておりました。

キリスト教の葬儀は、復活の希望を抱きながら死者を葬るのです。
「生きている時も、死ぬ時も、あなたのただ一つの慰め」である主イエス・キリストであり、その十字架と復活と福音を通して、遺族にも会衆にも、自分自身の死を想起させるとともに、復活の信仰が想起されるのです。
トゥルナイゼンは、「すべての人は、神によって生きているからである」ことを語っています。「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。すべての人は、神によって生きているからである。」(ルカ・20:38)逝去者らは復活された方によって生きているのであり、我々にとって彼らは存在しており、慰めとなってくれるのであるのです。

Iさんが信仰に生きた事実こそ、変わらずにあり続けるのです。それゆえに、かつてIさんの信仰の歩みの伴侶であり、新たな息吹を伝える聖句や歌詞が、我々の手元に残されているのです。
トゥルナイゼンは、「人はみな神に生きる」のであることを言い、主にあって彼が必要な慰めをみいだしたのであるのです。

神の摂理を知る者は、明日を知る方に委ねることを知っているのです。
「だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」とは、ここで、「苦労」と言う言葉は、決してよい意味で言われているのではありません。苦労は、苦労ですが、その中に、ひょっとしたら、楽しい苦労があるかも知れません。辛いけれどもそこを何とかクリアーすると、楽しい苦労もあるものなのです。毎日辛いことがある、その日の苦労を、そのまま引き受けていく、それで十分ではないか、と言うことであるのです。その日一日のうちにも、さまざまな苦労があります。それを、そのまま身に引き受けて生きていくのです。思いわずらいを捨てて、そこに生きるのです。
 なぜ主イエスはこのようなことを語られたのでしょうか。
思いわずらわなくてもすむようになることがあるのです。「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えられて与えられる。だから、……」(33節)神の国、神の支配です。神の支配が、どうしても見えないと思うような暗い現実にあって、神よ、どうぞ、あなたの支配を見せてくださいと、祈るのです。神の義が確立されることを求めてひたすら願うのです。
「神の義」それは、山上の説教を一貫して流れる基本的主題です。主の祈りの中で、み名が崇められますように。み国が来ますように、と祈るのも、神の義が、現れることを願っているからです。「神の義」は、神が正しく神として、私たちにふるまってくださるからです。「神の国と神の義とを求める」ことは、私たちに必要なものを、ことごとくよく知っていて、整えてくださる、私たちの天の父を信じることです。つまり、信頼することなのです。なぜ、明日の事、あってのことを思いわずらわなくてよいのか、と言うと、神が支配しているからです。私たちの天の父がいらっしゃるからです。神がみ心を配ってくださるからです。

一日一日の責任を果たして生きることは、明日から心配を取り除くことができるのです。
心配ほど人から活力を取り去り、能力を低下させ、人生の絶望へとつながります。従って、神への信頼によって、それを取り除いていただき、生きることこそ真の生であると言えるのです。



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