2012-07-08(Sun)

生命の回復 2012年7月8日の礼拝メッセージ

生命の回復
中山弘隆牧師

 イスラエルよ、立ち帰れ、あなたの神、主のもとへ。あなたは咎につまずき、悪の中にいる。誓いの言葉を携え、主に立ち帰って言え。「すべての悪を取り去り、恵みをお与えください。この唇をもって誓ったことを果たします。アッシリアはわたしたちの救いではありません。わたしたちはもはや軍馬に乗りません。自分の手が造ったものを、再びわたしたちの神とは呼びません。親を失った者は、あなたにこそ憐れみを見いだします。」わたしは背く彼らをいやし、喜んで彼らを愛する。まことに、わたしの怒りは彼らを離れ去った。露のようにわたしはイスラエルに臨み、彼はゆりのように花咲き、レバノンの杉のように根を張る。その若枝は広がり、オリーブのように美しく、レバノンの杉のように香る。その陰に宿る人々は再び、麦のように育ち、ぶどうのように花咲く。彼はレバノンのぶどう酒のようにたたえられる。
ホセア書14章2~8節


 二日後、イエスはそこを出発して、ガリラヤへ行かれた。イエスは自ら、「預言者は自分の故郷では敬われないものだ」とはっきり言われたことがある。 ガリラヤにお着きになると、ガリラヤの人たちはイエスを歓迎した。彼らも祭りに行ったので、そのときエルサレムでイエスがなさったことをすべて、見ていたからである。 イエスは、再びガリラヤのカナに行かれた。そこは、前にイエスが水をぶどう酒に変えられた所である。さて、カファルナウムに王の役人がいて、その息子が病気であった。 この人は、イエスがユダヤからガリラヤに来られたと聞き、イエスのもとに行き、カファルナウムまで下って来て息子をいやしてくださるように頼んだ。息子が死にかかっていたからである。 イエスは役人に、「あなたがたは、しるしや不思議な業を見なければ、決して信じない」と言われた。 役人は、「主よ、子供が死なないうちに、おいでください」と言った。イエスは言われた。「帰りなさい。あなたの息子は生きる。」その人は、イエスの言われた言葉を信じて帰って行った。 ところが、下って行く途中、僕たちが迎えに来て、その子が生きていることを告げた。 そこで、息子の病気が良くなった時刻を尋ねると、僕たちは、「きのうの午後一時に熱が下がりました」と言った。 それは、イエスが「あなたの息子は生きる」と言われたのと同じ時刻であることを、この父親は知った。そして、彼もその家族もこぞって信じた。 これは、イエスがユダヤからガリラヤに来てなされた、二回目のしるしである。
ヨハネによる福音書4章43~54節



(1)主イエスの教えと行為
 本日の聖書の箇所はヨハネによる福音書に記された病人の癒しでありますが、この記事はマタイによる福音書とルカによる福音書にも記されています。
 ルカによる福音書では、イエスはガリラヤ地方で神の国が今やイエスの宣教を通して開始しつつあることを教えられました。ところで、神の国とは神の支配を意味します。従いまして、神の支配とは人間が神の御心に自ら喜んで従うことによってこの地上に始まると教えられました。
 そのために、人間が実行すべき神の意志と神の国における人間の生き方をまず、イエスは山上の説教において明らかにされました。
 次に、わたしたちが神の意志を実行することができるために、イエスは新しい命を与えられることをご自身の行為をもって示されました。

それはイエスの宣教活動の過程で、先ず病人の癒しを通して示されました。この点をマタイによる福音書とルカによる福音書の構成が明瞭にしています。
このことに留意しますと、わたしたちはイエスがされた病人の癒しやその他の奇跡を単にそのことだけに興味を持ち、重要視するのでなく、聖書が意図しているように、神の恵み深い支配に応答すべきわたしたちの行き方に一層注意を向けるようになります。
 ここに記されている奇跡は、イエスによって教えられた神の恵みがわたしたちの生活の仕方を変革する大きな力を持っていることを物語っています。
そして、これらの事柄は当時の人々にとって真実であっただけでなく、初代教会のクリスチャンにとって、この物語は復活の主イエスの働きを示すものとして真実でありました。それゆえ、今日のわたしたちにとっても、復活の主イエスの働きを示しています。

(2)イエスの愛とその力
 ヨハネの福音書によりますと、重病のために死の危険に直面していた人は、王の役人の息子であったとなっています。王とはイエスが誕生された時代のヘロデ大王ではなく、四人息子の一人のフィリポで、大王の領地の四分一領主でありましたが、ヘロデの名称を継承していました。このヘロデ王の役人とは、ローマの百人隊長の地位であったと思われていますので、ルカによる福音書7:2では、異邦人の百人隊長と記されています。
但し、両者の違いはヨハネの場合は百人隊長の息子が熱病のために危篤状態であり、ルカの場合は百人隊長の最も信頼していた部下が同じ状況にあったという点です。いずれにしても、この癒しの出来事は同じ出来事である、と思われます。
大切な点は、そのような百人隊長がイエスに助けを求めたのです。自分の愛する者、最も信頼する者を死の危機から救い出してくださるように懇願したことです。
 ヨハネによる福音書の場合は、百人隊長がイエスのもとに直接来て、イエスに「カファルナウムまで下って来て息子を癒してくださるように」頼みました。そのとき、イエスは言われました。
「帰りなさい。あなたの息子は生きる。」(ヨハネ4:50)
実にイエスの癒しの力は、イエスが人間の切実な問題に関わって発せられた御言葉によるのです。イエスの地上のおける肉体は有限であり、過ぎ去るべきものでありましたが、そこにおいて発せられた御言葉は神の意志であり、神の行為であり、永遠なのです。その永遠な神の言葉は今日復活の主イエスを通して働いています。

ここで重要なことは、この百人隊長が自分の人生で最大の危機に面して、自分の力ではどうすることもできないという行き詰まりの中で、絶望していたとき、イエスに最後の望みをかけたということです。望みをかけただけでなく、イエスのもとに来たということです。そしてイエスに出会ったのです。
イエスの深い憐れみと限りない熱い愛に触れたのです。そのことによって、自分の不安と苦しみをイエスがすべてご自分の上に担い、解決してくださることを知ったのです。
それゆえに救いはイエスご自身の意志と力です。最早それ以外の何ものによっても救いは不可能なのです。今イエスはそのような者として、御自分を信頼するように懇願する百人隊長に要求されました。
「あなたがたは、しるしや不思議な業を見なければ、決して信じない。」(4:48)
ここでのイエスの発言は、百人隊長と出会っておられるイエスがご自身はいかなる方であるかを示しておられるのです。この霊的現実の威力を察知して、百人隊長はしるしや不思議な業を見てイエスを信じるのでなく、自分と対面しておられるイエスご自身を信じることが本当の信仰であると強く意識しました。
これが主イエスに対する聖書の信仰です。それはしるしや不思議な業によって保障された信仰ではなく、生ける実在しているイエスと出会ってその霊的な力によって誘発される信仰です。

確かに、人はすぐにそのような真実な信仰に達することはできないのですが、イエスに求め続けている場合に、多くの迷いがありましても、見えない力に引き寄せられていますので、目には見えないけれども、自分と出会っておられるイエスご自身が実在されることを信じるようになります。
この百人隊長は自分の目でイエスを見て知るだけでなく、イエスと出会って、イエスの生ける人格を意識したとき、目をつぶっていても感知するイエスの実在を知ったのです。
そのとき、イエスは仰せになるのです。「帰りなさい。あなたの息子は生きる。」

この言い方は、非常に特異な意味を持っています。つまり、イエスがこう言われるとき、それと同時に「あなたの息子が生きる」という事態が発生するという言い方なのです。
これまでそのような言い方をした預言者は誰もいませんでした。預言者は確かに神の名によって語り、神はこう仰せられると前置きして預言の内容を語りました。それと比べるとイエスの違いが一目瞭然です。
それはイエスを通して今、神が「あなたの息子は生きる」と仰せになっている霊的現実を表しているのです。
文法的な面からすれば、「生きる」というギリシャ語の動詞の現在形は、日本語とは違って、「生きつつある」と言う意味なのです。それは継続や繰り返しを意味しています。
従いまして、イエスの「生きる」という言葉の現在形は、ギリシャ語の「生きつつある」という普通の意味でないことは明らかです。それは「あなたの息子は生きる」というイエスの発言と同時にそのようになるという意味での特殊な現在形です。この用法は新約聖書の中でイエスだけが用いられています。
この状況はイエスが語られた言葉を通して、神ご自身が語られたことを示しています。それゆえに、百人隊長の息子は癒されたのです。
この点をヨハネによる福音書も、ルカによる福音書も明確にしています。この言葉を聞き、信じて、家に帰った百人隊長は、癒された息子を見たのですが、「きのうの午後一時に熱が下がりました」という僕たちの証言により、「それはイエスが『あなたの息子は生きる』と言われたのと同じ時刻である」(4:53)ことを知ったのです。
そして「彼もその家族もこぞって信じた」(4:53)のです。ルカによる福音書では、イエスの御言葉に対する信仰をイエスと出会った百人隊長が告白しています。
「ひと言おっしゃってください。そして、わたしの僕をいやしてください。」(ルカ7:7)
これが主イエスに対するクリスチャンの信仰です。言い換えれば、新約聖書の信仰です。

天地万物を創造し、生かし、裁き、救う威力を持っておられる唯一の生ける神が、一度欲し、決断してくださるならば、ただそのことにより、人間は癒され、救われるのです。
そして神は困窮の中にある人間のもとに来て、その苦しみを知り、自ら担われた神の御子イエスによって、人間を生かす御言葉を語られるのです。
なぜなら、主イエスは父なる神を愛して、父なる神に対する絶対的従順をもって地上の人生を歩まれたからです。そのことによって、父なる神は、主イエスに神の救いの全権を委ね、人間に対するイエスの奉仕を通して、救いの言葉を与えられるからです。

(3)今日の主イエスの働き
イエスはこの百人隊長の信仰を見て、驚かれました。ルカによる福音書では、「言っておくが、イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。と仰せになりました。」(ルカ7:9)
それはこの百人隊長が、「ひと言おっしゃって下さい。そして、わたしの僕を癒してください。わたしは権威の下に置かれている者ですが、わたしの下には兵隊がおり、一人に『行けと』と言えば行きますし、他の一人に『来い』と言えば来ます。また部下に『これをしろ』と言えば、そのとおりにします。」(ルカ7:7~8)と言ったからです。そのように彼はイエスの御言葉の持つ権威と威力を信じたからです。

このイエスの言葉の背後には、神の救いを待ち望んでいたイスラエルの中にこのような信仰を持つ者は実際少ないことを見て、嘆かれたイエスの悲しみが感じられます。確かに、イエスの最初の弟子たちは皆、イスラエル人でした。しかし、大部分のイスラエル人はイエスを信じなかったのです。彼らはイエスを信じるためにはイエスから「しるしや不思議な業を見ることを要求しました。」(ヨハネ4:48)
マルコによる福音書では、ファリサイ派の人々が来て、イエスを試そうとして、天からのしるしを求め、議論を仕掛けたとあります。それを見て、イエスは心の中で深く嘆かれ、次にように仰せになりました。
「どうして、今の時代の者たちはしるしを欲しがるのだろう。はっきり言っておく。今の時代の者たちには、決してしるしは与えられない。」(マルコ8:12)
イエスご自身と出会い、イエスの中に罪人を愛し、救おうとする神の決意とその力が働いていることを知る者は、イエスご自身の他に何のしるしも不要なのです。同時に神はわたしたちがイエスと出会うことにより、神を信じることを求めておられるのです。
実に、神はわたしたち一人一人にイエスを通して、「あなたは生きる」と仰せになっているのです。
わたしたちが困難の中で、生きる方法が見つからず、八方塞がりになり、絶望するとき、神は「あなたは生きる」と仰せになるのです。
この言葉によって、わたしたちは実際に絶望に代わって希望が与えられます。どのような困難によっても打ち砕かれず、一つの道が行き詰まれば、他の道が開かれるのです。そのようにして、逞しく生きることができます。神はわたしたちの全体を知り支えてくださいますから、もうだめかと思っても道が開かれるのです。
それは神が歴史と世界の支配者であるからです。同時に神は主イエスを通して、わたしたちの心に神の愛と主イエスの命を注ぎ、わたしたちが神の意志に従い、神の御心を実行することによって生きるようにしてくださるからです。
このことによって、わたしたちは常に神との親しい人格的な交わりの中にあることを知ります。主イエスを通して、わたしたちは神と対面するときに、神はわたしたちの心の中に臨在しておられるのです。
わたしたちは復活の主イエスに対して祈り求めるとき、常に主イエスと出会うのです。主イエスによって、聖霊を通して、神はわたしたちの中に臨在し、わたしたちの中に働かれるのです。
このことが試練の中で、それに打ち勝って余りがあるわたしたちの内なる喜びです。この喜びによって逞しく生きるのです。

使徒パウロはそのように生きる者の姿を自己の体験によって次のように証しています。
「わたしたちは、四方から苦しめられても行き詰らず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打倒されても滅ぼされない。わたしたちは、いつもイエスの死を体にまとっています、イエスの命がこの体に現れるために。」(コリント二、4:8~10)
死人の中から復活された主イエスは地上の人生において語られた御言葉を実行する力を持って神の国の支配を前進させておられます。 
そえゆえ「あなたは生きる」という御言葉がすべての人に語られているのです。わたしたちはこの御言葉をつねに聞いていることが何よりも大切です。



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