2012-06-03(Sun)

賛美すべき三位一体の神 2012年6月3日三位一体主日礼拝メッセージ

賛美すべき三位一体の神
中山弘隆牧師

 神はモーセに、「わたしはある。わたしはあるという者だ」と言われ、また、「イスラエルの人々にこう言うがよい。『わたしはある』という方がわたしをあなたたちに遣わされたのだと。」神は、更に続けてモーセに命じられた。「イスラエルの人々にこう言うがよい。あなたたちの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である主がわたしをあなたたちのもとに遣わされた。これこそ、とこしえにわたしの名。これこそ、世々にわたしの呼び名。
出エジプト記3章14~15節


 わたしたちの主イエス・キリストの父である神は、ほめたたえられますように。神は、わたしたちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださいました。天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。イエス・キリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです。神がその愛する御子によって与えてくださった輝かしい恵みを、わたしたちがたたえるためです。わたしたちはこの御子において、その血によって贖われ、罪を赦されました。これは、神の豊かな恵みによるものです。神はこの恵みをわたしたちの上にあふれさせ、すべての知恵と理解とを与えて、秘められた計画をわたしたちに知らせてくださいました。これは、前もってキリストにおいてお決めになった神の御心によるものです。こうして、時が満ちるに及んで、救いの業が完成され、あらゆるものが、頭であるキリストのもとに一つにまとめられます。天にあるものも地にあるものもキリストのもとに一つにまとめられるのです。キリストにおいてわたしたちは、御心のままにすべてのことを行われる方の御計画によって前もって定められ、約束されたものの相続者とされました。それは、以前からキリストに希望を置いていたわたしたちが、神の栄光をたたえるためです。あなたがたもまた、キリストにおいて、真理の言葉、救いをもたらす福音を聞き、そして信じて、約束された聖霊で証印を押されたのです。この聖霊は、わたしたちが御国を受け継ぐための保証であり、こうして、わたしたちは贖われて神のものとなり、神の栄光をたたえることになるのです。
エフェソの信徒への手紙1章3~14節


(1)三位一体の神
 本日は教会歴によりますと、三位一体の主日と定められています。すなわち、三位一体の神を賛美する礼拝を行う主日として定められています。
 三位一体と言う用語は、キリスト教会が父・子・聖霊の交わりの中で、一つの意志と力を働かせておられる生ける神を表現するために造り出した神学用語です。
従いまして、三位一体と言う用語は聖書の中にはありません。しかし、それは人間が創りだした単なる概念ではなく、神の現実に一致した概念なのです。
すなわち、神は御自身を人間に啓示される生ける神であり、ご自身を啓示される方は父なる神であり、その啓示の内容は御子であり、その啓示を人間の心に示し、人間が神の啓示を理解するために信仰を与え、神の恵みに応答させる方が聖霊であります。人間に対するこの啓示において、神はご自身を人間と深く結び合わせられたのです。実に、この生ける神の現実が三一体として表現されています。
言い換えますと、世界と人間の創造と救いの業は父と子と聖霊の共同の業であること、そしてこれらすべてのことは父なる神の意志と力から出ているということ、さらに父と子と聖霊はそれぞれ主体性を持ち、互いに区別される方であること、しかも父も子も聖霊も神としての同じ本質を持っておられ、人間は父も子も聖霊も神として崇め、礼拝すべき対象であるといことです。
同時にこのように父と子と聖霊の交わりの中で、存在し働いておられる神こそ、唯一の神であるということを、「三位一体」と言う神学用語が言い表しているのです。
従いまして、それは神学用語であると同時に、信仰の告白なのです。聖書の中で、最も中心的な「イエスは主である」という信仰告白は、必然的に「三位一体」の信仰の表明を生み出しているのです。

確かに、キリスト教会は神の恵みの体験を積み重ねる中で、三位一体の神を認識しました。三位一体の教義は、325年に制定された「ニケア信条」の基礎となっています。
それまで三百年近くキリスト教を迫害して来たローマ帝国は、コンスタンティヌス大帝が皇帝になりましたとき、彼はキリスト教の信仰に非常に熱心でありましたので、キリスト教の擁護者となり、キリスト教会の一致を保つため、すべての監督に招待状を出して、キリスト教の公会議を開かせました。
当時のキリスト教会は、全体で少なくとも1800人の監督がいましたが、その1/6に相当する318人の監督がローマ帝国の各地から、首都に近くて交通の便利なニケアに集まりました。そこにおいて、キリスト教の信仰と教義の中心問題が協議され、基本信条が制定されたのです。

それでは三位一体という表現はどういう意味なのでしょうか。まず、「三位」と言う用語は、「三つのパーソン」と言う意味です。
パーソンとは自らの知性と意志を持ち、他を認識し、他と交わり、愛し、行動し、自らの責任を果たす主体です。
人間の場合には人格と言いまが、三つの人格があれば、三人の人間が存在します。
神の場合はパーソンを「位格」と言います。神には、三つの位格があり、それは父と子と聖霊です。そして、三つの位格の中に一つの神が存在するのです。
なぜならば、三つのパーソンである父と子と聖霊の本質はそれぞれ同じであるからです。それゆえ神は一つです。つまり、神の本質とは神の意志と力でありますが、神の内部における父と子と聖霊の交わりにより、子と聖霊のパーソンの中に、働いている意志と力は皆父の意志と力であり、父の意志と力が子と聖霊のそれぞれの意志と力になっているからです。

言い換えれば、父なる神は御子を愛し、御子にご自身のすべてを与えられます。他方、御子は父を愛し、すべてにおいて父に従われます。また、聖霊は父と子からすべてを受け、父と子に栄光を帰せられます。
このような父と子と聖霊の交わりの中で、父の意志と力が、子の意志と力となり、また聖霊の意志と力となって働きますので、神の内部における交わりの中で、一つの神の意志と力が働いています。 
それゆえ神は父・子・聖霊の間の愛の交わりの中で、存在し、充足し、命と平和と喜びの至福の中に存在される生ける神です。
しかし、神の本質は愛でありますので、神の愛は他者に対する愛として働きます。その結果、神は御自身とは異なる存在、すなわち人間や世界を創り、すべての被造物と関わりを持たれました。

(2)創造者なる父
神の第一の行動は世界と人間の創造です。神は御言葉をもって、無からこの世界を創造されました。
「光あれ」と神様が語られると、光がこの世界に出現したのです。
それは神の御言葉と同時に、聖霊が働いたからです。父なる神がご自身の意志を御言葉によって表された時、聖霊が父なる神の意志に従って働いたので、無から光が生じたのです。
このように世界の創造は父なる神の意志によるのであり、創造の業は聖霊を通してなされたのです。
同様に、神は地球を創造し、その中に住む人間を創造されました。被造物の中でも、特に人間は神と人格的な交わりの中で生き、神の御心に従って世界を管理することによって、人間として生きるように定められました。それが人類の始祖アダムの誕生です。
しかし、アダムはこの世界の管理運営を神の御心に従って行うとは欲せず、麗しい世界を自分の所有物にすることを欲し、また自分が神から独立し、神のような知恵と力を持つことを欲しましたので、神との交わりを失いました。そして罪をこの世界にもたらし、その結果、罪に支配される人間となりました。
そこで、神は人間を救うため、御言葉をもって、人間にご自身を知らせ、人間の生き方を教え、神に従うように命じられました。

(3)人間に御言葉を語られる父
神はモーセに御言葉をもってご自身を啓示されました。神はモーセに「わたしはある。わたしはあると言う者だ」と言われ、また、「イスラエルの人々にこういうがよい。『わたしはある』と言う方がわたしをあなたたちに遣わされたのだと。」(出エジプト3:14)

神はイスラエルを愛し、イスラエルを選び、イスラエルをエジプトの奴隷の境遇から解放し、イスラエルの守るべき神の命令を与え、神はイスラエルの主となられたのです。
その後も、神は人間の救いを実現するために、旧約聖書の長い時代を通して、神の言葉を語って来られましたが、ヘブライ人への手紙は次にように証しています。

「神は、かつて預言者たちによって、多くの形で、多くの仕方で先祖に語られたが、この終わりの時代には、御子によってわたしたちに語られました。神はこの御子を万物の相続者と定め、また御子によって世界を創造されました。御子は神の栄光の反映であり、神の本質の完全な現れであって、万物を御自分の力ある言葉によって支えておられますが、人々の罪を清められた後、天の高い所におられる大いなる方の右の座に御着きになりました。」(ヘブライ1:1~3)
第一に、神は預言者たちに、聖霊を通して、ご自身の意志を示し、預言者によって、神の御言葉をイスラエルに語って来られました。
これは御言葉を語られる父なる神と、御言葉を預言者に理解させるために預言者の心を照らされる聖霊の働きを説明しています。
第二に、神の究極的な言葉を人間に語るために、神は御子をこの世に遣わされたと、言っています。
旧約聖書の時代に、神の言葉は預言者の人格のフィルターを通して語られましたが、それは依然として抽象的な言葉であり、神のパーソンを映し出してはいませんでした。
神のパーソンを映し出す言葉となるためには、三位一体の神の内部で父・子・聖霊の交わりの中に存在される「御子」が「人間」となる必要があったのです。御子が人間となられた方こそ、「主イエス」です。


(4)人間となられた神の御子
 但し、神は人間になることはできますが、人間が神なることはできません。それゆえ主イエスの人格において、神の御子がご自身の上に人間性を担い、ご自身の神性と人間性を結びつけ、主イエスと言う一つのパーソンになられました。
この場合、主イエスの人格において、神の性質と働きと人間の性質と働きは、一つに結びつていますが、互いに区別され、互いに混同せず、それぞれの性質と働きを保持しています。
それゆえに、父と子との間にある神の愛と平和の交わりが、人間となった主イエスの中に存在したのです。
 言い換えればご自身を御子に与えられる父の愛、そしてすべてにおいて父に従われる御子の愛が、父なる神と主イエスとの間に活発に働いたのです。

 それゆえ、弟子の一人であったフィリポが「主よ、わたしたちに
御父を示してください。そうすれば満足できます。」と主イエスに向かって言いましたとき、主イエスは次のように仰せになりました。 「フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分かっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのだ。----わたしが父の内におり、父がわたしの内におられることを信じないのか。わたしがあなたがたに言う言葉は、自分から話しているのではない。わたしの内におられる父が、その業を行っておられるのだ。」(ヨハネ14:9~10)
 この主イエスの存在と性質と言動が人間に対する神の言葉なのです。すなわち、神の啓示の内容なのです。
 しかし、この啓示の最高点は、人類の罪の贖いのために、主イエスがご自身を父なる神に献げられ、ご自身を人類に与えられたことです。このことによって、神の啓示は完成しました。
 それゆえ、神は人間として十字架の上で死んだイエスを復活させ、イエスを神の国の支配者、すなわち教会と世界の主に任命されたのです。

 それゆえ、主イエス・キリストは、今や父なる神に代わって、人間と世界を支配する神として、救い主として働いておられます。
その結果、今や教会が神の言葉である主イエス・キリストを宣教することを通して、復活の主イエスは教会の中に、個々のクリスチャンの中に臨在されるのです。
そして神の命令を人間に実行されられるのです。その命と力は主イエスが十字架の犠牲によって人類に与えられたご自身の命です。
主イエスはご自身の命を与えられることにより、教会と世界の主として働いておられます。

(5)聖霊の働き
 次に、神の御子イエスが復活し、主となられたことにより、聖霊が教会に降臨し、聖霊が一人一人の信仰者の中に内在されることになりました。
この聖霊こそ、復活の主イエスと信仰者とを結び付ける働きをする方であります。また、聖霊は復活の主イエスを信仰者の中に臨在させられる方です。聖霊は信仰を与え、主イエスの命を与え、クリスチャンに神の愛を注がれるので、クリスチャンは隣人に対して神の愛を実行することができるのです。
 従いまして、聖霊の本来の働きは、神の啓示である主イエスを人間に理解させることにより、人間に神の意志を実行させることです。
そういう意味で、聖霊は主イエスのものを受け、主イエスのものを人間に与えられる方です。
聖霊について、主イエスは弟子たちに教えておられます。
 「その方はわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げられるからである。父がもっておられるものはすべて、わたしのものである。だから、わたしは『その方がわたしのものを受け、あなたがたに告げる』と言ったのである。」(ヨハネ16:14~15)
 聖霊は人間の中に主イエスを臨在させ、主イエスの命を与え、人間に対する主イエスの支配を成り立たせる働きをされる方なのです。
 以上のような働きをされる方として、ニケア信条は聖霊が神であることを認識し、告白しています。
 聖霊は神ですから、聖霊の働きそのものは人間が見たり、触ったり、感じたりすることはできません。しかし、聖霊の働きは主イエスの支配を教会の中に、クリスチャンの中に有効とさせるのです。
そういう意味で、聖霊はクリスチャンを聖化し、救いの完成に向かって歩ませる方です。
また、父と聖霊は人間の目に見えない神です。地上においても、天国においても人間が見る神は主イエスだけです。従って、わたしたちが神を礼拝する場合に、父なる神を、主イエスによって、主イエスにおいて、聖霊を通して、礼拝するのです。
そして、人間と世界を創造し、救いを通して創造の目的を完成された父なる神を賛美するのです。このことが三一体の神を賛美することです。



スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

コメント

教会案内
〒354-0044
埼玉県入間郡三芳町北永井959-3
TEL・FAX:049-258-3766

牧 師:中山弘隆

創立日:1972年2月19日

最寄り駅
東武東上線 鶴瀬駅 西口
東武東上線 ふじみ野駅 西口
よりタクシーで10分
※駐車場完備

三芳教会へのバス利用方法

MAP
三芳教会の地図です
定例集会案内
●主日礼拝
  毎日曜日 10:30~12:00
●教会学校
  毎日曜日 9:15~9:40
●朝の祈祷会
  毎日曜日 9:45~10:10
●キリスト教入門講座
  毎日曜日 9:45~10:10
●マルタマリア会(婦人会)
  毎木曜日 10:30~
●マルタマリア会例会(婦人会)
  毎月第2主日礼拝後

毎木曜日の祈祷会は、2011年5月より、毎日曜日の朝の祈祷会に変更となりました。
三芳教会のご案内
●牧師紹介

●年間行事予定

●写真で見る三芳教会
最新記事
行事報告
● 江田めぐみ伝道師就任式
 (2012年7月22日)


● 教会バザー報告
 (2011年11月23日)


● バーベキュー大会報告
 (2011年8月21日)


● イースター報告
 (2011年4月24日)


● 柿本俊子牧師隠退の感謝会報告
 (2011年3月27日)


● 講壇交換(三羽善次牧師)
 (2011年1月23日)


● 墓前礼拝報告
 (2010年11月7日)


カテゴリ
カレンダー
06 | 2017/07 | 08
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -
月別アーカイブ
全記事INDEX

全ての記事を表示する

お知らせ
ようこそいらっしゃいました。



2016年10月に、当ブログの訪問者が9,000人を超えました。感謝いたします。

2015年9月に、当ブログの訪問者が8,000人を超えました。感謝いたします。

2014年9月に、当ブログの訪問者が7,000人を超えました。感謝いたします。

2014年1月に、当ブログの訪問者が6,000人を超えました。主の導きに感謝いたします。

閲覧者数
現在の閲覧者数
現在の閲覧者数:
メールフォーム
三芳教会やキリスト教についてのお問い合わせ、また当教会へのご意見、ご要望等がありましたら、下記のフォームよりうけたまわります。

お名前:
メールアドレス:
件名:
本文:

検索フォーム
リンク
QRコード
QR