2012-05-20(Sun)

キリストの昇天 2012年5月20日の礼拝メッセージ

キリストの昇天
中山弘隆牧師

 わが主に賜った主の御言葉。「わたしの右の座に就くがよい。わたしはあなたの敵をあなたの足台としよう。」主はあなたの力ある杖をシオンから伸ばされる。敵のただ中で支配せよ。あなたの民は進んであなたを迎える。聖なる方の輝きを帯びてあなたの力が現れ、曙の胎から若さの露があなたに降るとき。主は誓い、思い返されることはない。「わたしの言葉に従って、あなたはとこしえの祭司、メルキゼデク(わたしの正しい王)。」
詩編110篇1~4節


 そして、彼らと食事を共にしていたとき、こう命じられた。「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられるからである。」さて、使徒たちは集まって、「主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか」と尋ねた。イエスは言われた。「父が御自分の権威をもってお定めになった時や時期は、あなたがたの知るところではない。あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」こう話し終わると、イエスは彼らが見ているうちに天に上げられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった。イエスが離れ去って行かれるとき、彼らは天を見つめていた。すると、白い服を着た二人の人がそばに立って、言った。「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる。」使徒たちは、「オリーブ畑」と呼ばれる山からエルサレムに戻って来た。この山はエルサレムに近く、安息日にも歩くことが許される距離の所にある。
使徒言行録1章3~11節

(1)復活のキリストとの交わり
 教会歴の上では、今年は5月17日が昇天日であり、これはイースターから数えて、40日目に当たります。また、ペンテコステはキリストの昇天から数えて、10日目に当たります。
 本日の聖書の箇所では、1:3で次にように記されています。
「イエスは苦難を受けた後、御自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たちに示し、四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話された。」(1:3)
 復活のキリストは使徒たちにご自身を40日に渡って示されたとあります。40日とは聖なる歴史の日数として象徴的に考えられている期間であります。
 それでは、この40日間の持つ積極的な意義は何でしょうか。それは復活のキリストご自身が、弟子たちにキリストの十字架の意味と復活の現実を知らせるためでした。
復活のキリストは多くの弟子たちに現れましたが、ここでは特に使徒たちに現れたことが強調されています。なぜならば、復活のキリストは使徒たちを神の国の奉仕者とするために、彼らに現れられたからです。それゆえ、復活のキリストは彼らが宣教すべき神の国について教えられました。

地上におけるキリストの活動は、神の国がキリストを通して、今や開始しつつあるという福音を宣教することでした。同時に、キリストは神の権威と力によって、罪の赦しを宣言し、多くの病人を癒されました。
さらに、キリストは神の国が本格的に到来するために必要な人類の罪の贖いとして、御自分を献げ、十字架の死を遂げられたのです。
しかし、弟子たちにそれは躓きでした。キリストは死んでしまって、最早存在しなくなったと考えたのです。そのとき、キリストに託した彼らの希望は水の泡のように消え去ったのです。
この絶望のどん底にいたとき、復活のキリストが彼らに現れたのです。弟子たちにとって、正にそれは今まで与えられていたキリストとの交わりの予期せぬ回復でした。しかも新しい形の交わりは最早取り去られることのない永遠の交わりとなったのです。
そして、復活のキリストは霊的身体を与えられ、生前のキリストのように人間性を持っておられる方として、死人の中から復活された方です。しかし復活のキリストは同時に神としてご自身を現わされ、神として働かれるようになりました。
このとき、復活のキリストは名実ともに救い主となられました。今や神の国の主権者として父なる神から任命されたのです。神の国とは人間に対する神の支配が確立している領域ですが、今や復活のキリストは神の国の支配者、すなわち主となられたのです。

40日間、使徒たちが集まっている所に、たびたび復活のキリストは来られ、パンを裂き、それを使徒たちに与えられました。それは十字架の死において人類の贖いのために与えられたキリストの命に与らせるためです。実に、このことが使徒たちに与えられたキリストとの交わりの頂点です。
それにも拘らず、交わりが頂点に達した途端に、キリストの姿は見えなくなりました。しかし、それはキリストが使徒たちの所から立ち去られたのではなく、キリストが神として彼らの所に臨在して、彼らの中に働いておられることを示しているのです。なぜならば、本来の神の働きは、人間の目に隠された状態で働くからです。

この点に関しては、ルカによる福音書24:13~35で報告されているように、エマオに向かっていた二人の弟子に復活のキリストが現れたとき、明らかにされました。
「一緒に食事の席に着いた時、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。すると、二人の目は開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。」(ルカ24:30~31)
ここで、イエス・キリストが神として、ご自身を現わされたので、キリストの姿は見えなくなりましたが、それでは神として彼らのもとに臨在しておられるキリストの働きはどのように執行されるのでしょうか。それは聖餐と御言葉を通してであります。
「二人は、『道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか。』と語り合った。」(ルカ24:32)
エマオへの旅の途中で、復活のキリストは聖書の役割について教え、聖書がキリストについて証していることは今や実現したと教えられたのです。
「メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。」(ルカ24:26)
このキリストの言葉が彼らの心を照らしたので、彼らはキリストの十字架の意味とキリストの復活の現実が初めて分かったのです。
その結果、キリストの使徒たちは、今やキリストは神の国の主権者となり、天地の支配者となられたことを信じたのです。

実に神としてのキリストの働きは御言葉と聖餐を通して行われます。さらに、復活のキリストはご自身の支配を執行するために、ご自身の御言葉と聖餐の奉仕者として、使徒たちを任命されました。それゆえ復活のキリストの働きは、使徒たちの奉仕を通して、前進するのです。

次に、この期間の体験を通して、弟子たちはキリストを主と呼び、主イエス・キリストを礼拝し、キリストに祈るようになりました。
最初のクリスチャンたちは皆ユダヤ人でありましたので、生前のイエスのように、神殿における礼拝に出席していましたが、キリスト教独自の礼拝も行っていました。
それはクリスチャンがパン裂きのために集まる家庭集会でした。その礼拝において、40日の間、復活のキリストが使徒たちに現れ、食卓を共にし、キリスト自らがパンを裂き、ご自身の体と血を使徒たちに与えられたように、このパン裂きのために、集まった一同が、キリストに向かって祈りました。
原始キリス教会の祈りの定式である決まり文句が、コリントの信徒への手紙一、16:22に保存されています。
「マラナ・タ(主よ、来てください)。」

明らかにこの言葉は、復活の主に対する祈りです。この言葉はアラム語です。原始キリスト教のクリスチャンたちはアラム語を話していました。ギリシャ語を話す異邦人教会が特にこのアラム語の祈りを保存しましたのは、最初のキリスト教会に対する尊敬と自分たちの異邦人教会が信仰と教義において、最初のキリスト教会から継承し、それと一致していることを示すためでした。
「マラン」とは「主」と言う意味です。旧約聖書ではヘブライ語を使用しており、ヘブライ語で「主」を「アドナイ」と呼びますが、それは同じ意味です。従いまして、復活のキリストと出会い、キリストの食卓に与っていた原始キリスト教会は既に、復活のキリストを主と呼び、主に祈っていたのです。

ここでの祈りは、復活し、神の右に座し、天地の支配者となられた主イエス・キリストに対する祈りであり、パン裂きのために集まっているクリスチャンの集まりの中に臨在してくださいと言う祈りなのです。同時に、救いの完成する終わりの日に到来するキリストの再臨に対する祈りでもあります。
このように、原始キリスト教会にとって、パン裂きの礼拝にキリストが臨在されることは、キリストの救いが完成する再臨の先取りでもあったのです。
そういう意味を込めて、原始キリスト教会は礼拝の中で、熱烈に「マラナ・タ」と主イエス・キリストに祈ったのです。
勿論、主イエスに祈ると言うことは父なる神に祈ることと実質的に同じです。祈りの対象として、父なる神と、主イエスは共に存在し、両者は結びついているのです。主イエスの執り成しにより、父なる神はクリスチャンの祈りを聞きあげられるのです。
そういう内容をもった祈りを主イエスに献げた原始キリスト教会は復活したキリストが「主となられた」ことを信じていたことが分かります。

それにしても、キリストの復活とキリストの昇天とは、実質的には区別することは不可能です。なぜならば、復活のキリストが神の右に座し、天地の支配者となり、主となられたということが昇天であるからです。
40日間、何度も復活のキリストが使徒たちに現れたとき、既に主としてご自身を示されましたので、キリストの復活と昇天は同じ霊的現実であることが分かります。
新約聖書の中で、最も古い文章であるパウロの手紙では、キリストの昇天には言及していませんので、復活と昇天とを同一視していることが分かります。

(2)昇天の出来事と礼拝
それでは、使徒信条で、キリストは「天に上り、全能の父なる神の右に座したまえり」とありますように、「キリストの昇天」をわたしたちはどのように理解すればよいのでしょうか。これは昇天を伝えている使徒言行録の記録をいかに理解するかにかかっています。
「こうして話し終わると、イエスは彼らの見ているうちに天に上げられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった。」(1:9)
ここで、イエスは「天に上げられた」と記されていますが、これは物理的な移動を意味するのではなく、復活のイエスが、「神の御前に出て、天地の主として任命された。」という意味です。

さらに、「雲に覆われた」という意味は、旧約聖書で神がイスラエルの民に現れたときの様子と同じ状況を示しています。
出エジプト記33:7~11には、「臨在の幕屋」のことが記されていますが、それはイスラエルの民が「主」(アドナイ)である神に祈るために、設けられた場所としての天幕のことです。
「モーセが幕屋に入ると、雲の柱が下りてきて幕屋の入り口に立ち、主はモーセと語られた。雲の柱が幕屋の入り口に立つのを見ると、民は全員起立し、各々自分の天幕の入り口で礼拝した。」(出エジプト33:9~10)
この雲はもちろん気象現象としての雲ではなく、特別の雲であり、神の臨在と神の姿を隠す両方の働きをしています。この雲は、人間の目には見えない神が人間のもとに臨在しておられることを示しているのです。そのとき、人間は聖なる生ける神を見れば直ちに死ぬと考えられていましたので、雲は神を人間の目に見えないようにしていると考えられました。
従いましてこの雲は神が民の中に臨在しておられると言うことの確かさを示しているのです。

それゆえ、天に上げられたイエスを雲が覆ったと言うことは、イエスが空間的に使徒たちから離れて、遠くへ去って行かれたと言うのではなく、神の力と栄光によって正に、人間の中に臨在しておられるという意味です。

それゆえ、主イエスを信じる者には、神の働きにより、人間としてのイエスの人格に出会うのです。そのことにより、わたしたちは目に見えない父なる神がイエスと同じ性質と意志を持っておられることが分かります。そのことを通して、わたしたちは生ける唯一の真の神を礼拝することが可能となりました。

最後にフィリピの信徒への手紙の御言葉がこのことを証しています。
「へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、すべての舌が、『イエス・キリストは主である』と公に宣べて、父である神をたたえるのです。」(フィイピ2:8~11)
あらゆる名にまさる名とは、神の御名と言う意味です。「イエスは主であり、イエスは神である。」と告白することによって、父なる神をたたえるのです。


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