2012-04-15(Sun)

キリストの命の共同体 2012年4月15日の礼拝メッセージ

キリストの命の共同体
中山弘隆牧師

 見よ、わたしがイスラエルの家、ユダの家と新しい契約を結ぶ日が来る、と主は言われる。この契約は、かつてわたしが彼らの先祖の手を取ってエジプトの地から導き出したときに結んだものではない。わたしが彼らの主人であったにもかかわらず、彼らはこの契約を破った、と主は言われる。しかし、来るべき日に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこれである、と主は言われる。すなわち、わたしの律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。そのとき、人々は隣人どうし、兄弟どうし、「主を知れ」と言って教えることはない。彼らはすべて、小さい者も大きい者もわたしを知るからである、と主は言われる。わたしは彼らの悪を赦し、再び彼らの罪に心を留めることはない。
エレミヤ書31章31~34節


 兄弟たち、霊的な賜物については、次のことはぜひ知っておいてほしい。あなたがたがまだ異教徒だったころ、誘われるままに、ものの言えない偶像のもとに連れて行かれたことを覚えているでしょう。ここであなたがたに言っておきたい。神の霊によって語る人は、だれも「イエスは神から見捨てられよ」とは言わないし、また、聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」とは言えないのです。賜物にはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ霊です。務めにはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ主です。働きにはいろいろありますが、すべての場合にすべてのことをなさるのは同じ神です。一人一人に“霊”の働きが現れるのは、全体の益となるためです。ある人には“霊”によって知恵の言葉、ある人には同じ“霊”によって知識の言葉が与えられ、ある人にはその同じ“霊”によって信仰、ある人にはこの唯一の“霊”によって病気をいやす力、ある人には奇跡を行う力、ある人には預言する力、ある人には霊を見分ける力、ある人には種々の異言を語る力、ある人には異言を解釈する力が与えられています。これらすべてのことは、同じ唯一の“霊”の働きであって、“霊”は望むままに、それを一人一人に分け与えてくださるのです。
コリントの信徒への手紙一 12章1~11節



(1)復活のキリストと教会
 先週はキリストが復活されたイースターを迎えて礼拝を守りました。わたしたちは生けるキリストと出会い、大いなる喜びと感謝に満たされたことであります。
 ところで、この恵みの体験はイースターだけのことではありません。毎週の礼拝において、繰り返される神の救いの出来事なのです。 
それでは神が定められたどのような方法と秩序によって、可能なのでしょうか。それは神から教会に与えられている十字架の言葉と和解の務めを通して可能になります。

 キリストの使徒パウロは福音宣教の言葉は、十字架の言葉であると言っています。
 「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かものですが、わたしたち救われる者には神の力です。----わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものですが、ユダヤ人であろうがギリシャ人であろうが、召された者には、神の力、神の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです。」(コリント一、1:18、23~24)
 これは教会の礼拝の中で行われる説教が、牧師の意見やクリスチャンの好む話を語ることではなく、十字架の言葉を宣べ伝えるべきであるという意味です。そのことによって、神の救いが新たなる出来事として、礼拝の中で起こると約束しているのです。
ただし、十字架の言葉とは、この世的な人間であるユダヤ人やギリシャ人がキリストの十字架について考えている内容ではなく、神がキリストにおいて、人間の救いのために、実現された内容を神がキリストの使徒たちに啓示された神の言葉であります。
最初に、十字架の言葉を宣教する務めはキリストの使徒たちに与えられましたが、今日この務めは使徒的教会に与えられています。
それゆえ、教会の礼拝において、十字架の神の言葉が語られることによって、救いの出来事が起こるのです。

この救いの出来事は、終末論的な出来事であるといわれています。
すなわち、人間のこれまでの歴史の経過を終わらせ、神ご自身が人間と対面し、人間の歩みの中へ直接に入って来られ、人間とその歩みが根本的に新しくされる出来事です。実に、終末論的出来事によって、教会がキリストの教会として新しく形成され、教会に連なる一人一人のクリスチャンが新しく確立されるのです。
 それでは、十字架の言葉とは具体的にどういう内容でしょうか。
この点に関して、キリストの使徒たちが神から直接聞いた内容は、完全に一致しています。その中心点を言えば次のようになります。
 「十字架について人類の罪の贖いのために死んだイエスを、神は復活させ、天地万物の主権者、人類の救い主、すなわちわたしたちの主とされた。」
 十字架の言葉は単なる知らせではありません。
この言葉が宣教されるとき、この言葉の中に復活のキリストが臨在し、キリストご自身が、あるいは神ご自身がこの言葉を語られるのです。
 従いまして、「十字架の死による人類の罪の贖いをされたキリストは今や主となられた」ということは、キリストご自身がこの十字架の言葉を聞く者一人一人に語りかけ、わたしたちに向かって「あなたはわたしを信じるか。わたしの事実を承認するか。」と問いかけ、さらに神のこの事実を受け入れる信仰を要求されるのです。
 このキリストの事実をわたしたちに承認させるものは、十字架の言葉を通して臨在される復活のキリストご自身であり、またわたしたちの心を照らされる聖霊です。
信仰とはこの神の語りかけと要求に対して従順にそれを受け入れることに他ありません。
 キリストがわたしたちの罪を担い、十字架の死を通して神の審判に全く従順であられたことによって、神はキリストを復活させ、キリストにおいて、わたしたちを神の御前に生きる新しい人間としてくださったと言う神の判決と救いの事実を信じ、承認する時に、わたしたちの人生観が根本的に変わるのです。
 それは自分のために生き、自分の力に頼っていた古い自己理解を捨て去り、キリストにおいて、神から与えられている新しい人間としてキリストのために生き、キリストの命によって生きると言う新しい人間観を持つことです。

 キリストにおいて与えられている神の判決と救いに対して、人は誰でも応答しなければならないのです。
第一の応答は、神の判決と救いの事実に対する「従順」としての「信仰」です。
それは神が与えてくださったキリストを主と信じる信仰であり、同時にキリストを「自分の主として選び」、「主として受け入れることを決意する」信仰です。
このことにより、神はわたしたちの存在の基盤をわたしたちの中からキリストの中へ移されるのです。
その結果、わたしたちは新しい人間となり、神の子に採用され、神の子としての身分が与えられます。そして神の前に正しい者とされ、神との人格的な交わりに入れられます。これが「信仰義認」です。
第二の応答は、新しい人間として、わたしたちは神に絶対的に依存する者となることです。そして神に祈り求め、神の御心をキリストの命によって実行することです。
そうすることによって新しく生きるのです。わたしたちが神の御心であるキリストの命令を実行する中で、キリストの命がわたしたちの内に働くのです。実行と同時に、実行を通して、必ず働くのです。これがキリストの命令の性質であり、神の恵みの性質です。第二の応答が「愛の実践による聖化」です。
 恵みの秩序の順序から言えば、信仰が愛に先行し、信仰が愛の基礎となっています。しかし、信仰は愛と本質的に不可分離に結ばれており、信仰と愛とは同時に始まるのです。
 このようにして、十字架の言葉が語られることによって、教会の礼拝の中で、神の救いが常に新しい出来事として起こります。
 その結果、教会が新たに形成され、わたしたちは教会の枝であるクリスチャンとして確立するのです。
 そこには、同じ信仰、同じ愛、同じ希望、同じ主イス・キリスト、同じ聖霊、同じ父なる神が臨在し、働いておられるのです。

(2)賜物と働きの多様性と一致
 本日の聖書の箇所でありますコリントへの信徒への手紙一の12章は教会を通して働く霊的な賜物について教えています。そして、それは一つの体であるキリストの教会と、その多くの枝であるクリスチャンの働きについて語っています。
 教会が形成されると言うこと、すなわち教会に連なる一人一人のクリスチャンが自立と相互依存の関係を自覚ししながら、教会の業に参加するということは、あくまでもキリストの御心が行われるということであります。
言い換えれば、一人一人のクリスチャンが主との人格的な交わりの中で、主の御心をはっきりと聞き、それを実践することの中で、主の命に生かされるという感謝と喜びを持っていることです。
従いまして、実際に主イエスの御心を知り、それを実践することが必要です。そのためには、クリスチャンは自分の置かれた状況を良く考え、この場合主イエスであればどのように判断し、行動されるかを考えつつ、主の御心が示されるように祈らなければなりません。良く祈ることにより、自分に対する主の命令を聞くことが何より大切です。そして自分に対する主の命令を実行するとき、同時にそれを可能にするキリストの命が聖霊を通してわたしたちに与えられるのです。
次に、教会の働きの豊かさは、教会の枝であるクリスチャンの賜物と務めと働きの多様さと調和の中にあります。
一人一人に個性があるように、一人一人に与えられている賜物は異なっています。この点は、教会の規模が大きくても、小さくても全く同じです。
人間の体を支える各部の働きは同じでなく、それぞれ異なっており、しかも各部の働きが調和していることによって、体全体の機能が順調に働くのです。
キリストの身体である教会の働きも同様です。それぞれの働きの多様性と全体の調和の中で教会の活動は健全に行われます。
従いまして、一人一人のクリスチャンが自分に与えられている賜物や能力の範囲内で、しかも自分のできる仕方で、教会の業を担うことが教会を健全に成長させるための重要なポイントです。
このような一人一人の働きが、全体で受け入れられ、尊重されるならば、教会に一致と調和をもたらすことになります。
どのような賜物であれ、どのような働きであれ、それが同じ聖霊の働きであり、同じ主の務めであり、同じ神の働きであることを確信し、認識し、喜ぶとき、教会の調和と平安が保たれるのです。
自分は弱くて、何もできないと考えている人がもしもいるならば、その考えは間違っています。確かに具体的な奉仕や働きができないということはありましても、教会のため、また兄弟姉妹のために祈ることはできます。これが最も大きな働きです。
毎日主の御前に出て祈り、兄弟姉妹のために、教会のために、神の祝福を祈ることによって、教会を強めているのです。このように祈り、感謝している人たちが礼拝に出席することによって、礼拝は終末論的な救いの出来事の起こる時となるのです。

(3)一致と調和の絆としての愛
神様が聖霊の働きを通して、それぞれのクリスチャンに与えられる賜物は、聖書の知識、霊的洞察力、専門的知識、それぞれの活動や奉仕に必要な知恵、技能、実務的能力など多様です。
しかし、そのような働きや能力が聖霊によって与えられているならば、そこに共通した性質があります。その共通した性質が働きの多様性の中に一致と調和をもたらすのです。
その共通した性質とは愛です。もちろん人間が自分自身で所有している愛ではなく、神の所有しておられる愛であり、キリストにおいて現れた愛であり、聖霊を通して、クリスチャンの中に注がれる神の愛です。
神の愛がクリスチャンの中に働く時、クリスチャンは自分を誇らなくなります。なぜならば、愛の業によって、クリスチャンは神から義と認められ、神との人格的な交わりに入れられるのではありません。神との人格的な交わりは、キリストを信じる信仰によってのみ与えられるのです。
従って、愛は自己の名誉や地位などの野心から解放され、純粋な感謝と自発性によって、神の御心に従い、兄弟姉妹の益のために、教会全体の益のために、喜んで働くのです。
愛が働く時には、自分たちのグループを誇り、他のグループと対立し、教会の一致と調和を破壊する分派はなくなります。
福音の真理のためではなく、自分たちの勢力を伸ばすための党派争いは、この世的な次元における争いです。教会にそのような次元で争いがあることは、クリスチャンが教会にこの世的な考えや影響を持ち込んでいる証拠です。

さらに、キリストの愛を十分に理解しているクリスチャンは、人間の弱さを十分に理解しているゆえに、互いに赦し合うのです。そのことによって、クリスチャンは共にキリストに連なっていることができるのです。
わたしたちはキリストの贖いにより、罪を赦され、神との交わりに入れられている者です。自分が神から赦されていることを真剣に考えるとき、わたしたちは相手の欠点や間違いを赦さなければならないと思います。赦しはいかなる条件も付けない絶対的な赦しです。
実に、神の愛は赦す愛です。人は神の赦しの中で、悔い改め、悪を捨て去るようになるのです。
さらに、人は自分の重荷を担うとともに、互いに相手の重荷を担うことによって、キリストから与えられた使命を果たし得るのです。
パウロは、ガラテヤ人の手紙6章3節で、「互いに重荷を担いなさい。そのようにしてこそ、キリストの律法を全うすることができるのです。」と教えています。
わたしたちは互いに重荷を負い合うことによって、互いに愛し合うことができるのです。そのような中で、キリストが働いておられます。 
わたしたちは兄弟姉妹の中にキリストが働いておられることを互いに知ることができます。そのようにして出会われるキリストにわたしたちが仕えることは、また互いに重荷を負うと言うことであるのも分かるのです。
このようにして、キリストの生命が活発に働く信仰共同体として、教会は福音宣教の務めを果たして行くのです。



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